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築城年代は定かではないが波多野氏によって築かれたと伝わる。文明9年(1477)波多野時正(全慶)は一色刑部少輔を討ち一色城主となったが、明応2年(1493)に牧野氏に敗れ、大沢城は牧野氏の所領となった。大沢城は秋葉神社・西豊沢公民館の南側の一帯に築かれていた。現在は果樹園となっているようだが、東の道路に面した部分に南北に土塁が残っている。かつては50mほどの堀もあったという。おそらくコレが土塁この辺りから続いているのでかなり大きい人の土地なので中には入れませんこんな城跡もあり
所在地〒517-0604三重県志摩市大王町船越特徴在地領主が居城とした海沿いの丘城で、登城口から段・帯郭や堀切を越えて進む。一番東側は広い郭で、少し戻って登ると土塁の残る主郭で、神社跡の石塁がある。感想そこそこの遺構が残るが、ほとんどが藪に埋もれている。
上月駅から約30分。国道373沿いに案内板があり細い道を入ってゆくと佐用(福原)城があります。以前来た事があるので場所は知っています。民家の間を登ると、まずは1番上の主郭部。周辺の田畑は全て曲輪跡でよく遺構が残っている元弘3年(1331年)4月28日に淀の久我畷の戦いにおいて鎌倉方の総大将であった名越高家を討ち取った佐用範家が建武年間(1334年-1338年)に築城した。その後、赤松氏36人衆のうちの福原氏がこの城を継いだため、福原城とも呼ばれる縄張り図西側堀切🐍がニョロニョロ
11/20今日は隣保の葬式の手伝い。昼から畑仕事して帰りに小野市の葉多城跡🏯に寄り道。神戸電鉄葉多駅の近く、河岸段丘を利用した丘城です。室町時代頃の築城とされるが詳細は不明。加古川に流れ込む小川を堀として利用。右側高台が本丸跡。高さ5mくらいか本丸の下の畑が曲輪跡(帯曲輪かなぁ結構小規模)ですね。結構はっきりと残ってあります。主郭の切岸も2mくらいありそうな高さ。坂を登る。通路が堀切跡だったかも?右側崖も城跡?と思われる志方城主だった櫛橋氏の一族がいたらしい。詳細は不明。『志方城
池田城創設年代・・・・室町時代前期創設者・・・・・池田氏形態・・・・・・丘城遺構・・・・・・櫓台・石垣・堀・模擬天守・井戸・虎口模擬天守・石垣・漆喰塀同西門主郭・模擬天守主郭・庭園同模擬天守空堀・土塁南門・石垣遠望城下の旧家略史室町時代初期、在地領主の池田教依が築城。その後次第に勢力を拡げ、室町中期の充正の時代には攝津守細川氏の有力代官として
この日は旦那と横浜へ行く予定があったので早めに家を出て神奈川県のお城🏯へ行って来ましたよ~ってか城郭はありませんが…小机城🏯こづくえじょう神奈川県横浜市続日本100名城城跡見に行く前に横浜市城郷小机地区センターにスタンプ押しに向かいました予定より早く雨が降って来ちゃった…平山城で土の所を歩くのよね~😱φ(..)💡小机城は、鶴見川に突き出た丘陵上の要害で15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられます。戦国時代には小田原北条氏の関東進出のなか
南畑城創設年代・・・・不明創設者・・・・・不明形態・・・・・・丘城遺構・・・・・・郭・堀切堀切・左側が主郭遠望・信貴大橋郭略史信貴山城を中核とする城砦群において南側に位置し、信貴山麓に伽藍城を有する朝護孫子寺の入り口を守った城砦と思われる。ポイント信貴山城の搦め手にあたり、当城の南にそびえる尾根上の郭や、西方にある南畑ミネンド城等が信貴山城砦群の南の一群をなして防御線を構成していた。城郭
近所に散歩がてら岩野城へ行ってみました。前回は薮が多かったので、今回は雪解け後の芽吹く前だったのもあって再訪問しました。車は神社手前の空きスペースに路駐。切岸は緩やかな感じです。こちらは案内板。前回同様、八王子神社から。芽吹く前なのか何かスッキリした感じです。八王子神社社殿です。背後に土塁があり、ここから突入します。この土塁、神社造成後に盛られた可能性もあるみたいです。背後に突入。こちら側から見ると高さがあるので、やっぱ土塁なのでしょうか?
2023年最後に訪れたのは上関城。8月に行った時は激薮だったのですが、遺構の状態がかなり良かったので、再訪問しました。場所は、国道113号線沿いの『道の駅関川』の先にある上関交差点の1つ先の信号を県道307号線方面へ向かった先にある温泉橋の手前にあります。下の写真は県道307号線から見たもので、冬だと主郭の虎口と土塁が見えています。車を温泉橋の先の所に停めて戻り、そのまま突入。虎口の手前にはキレイな堀が確認できます。虎口の所にある土橋から東側を撮影。反対側の西側より。
名称:板鼻城(いたはなじょう)別名:鷹の巣城城郭:丘城築城年:1558年〜1570年か築城主:武田信玄か所在地:安中市板鼻
三日市陣屋から今度は大天城へ。現在は公園となって整備されています。下の写真の場所の所から入ると駐車場です。当時の地形なのでしょうか?段郭がありますね。道があるっていいですねぇ~(浦城で薮の洗礼を受けた後なので(笑))階段を登りきると東屋がありました。ここも郭なのでしょうか?東屋にある説明書きですね。東屋から橋を渡って行くと主郭ですが、脇に下りれる所があったので下りてみました。公園化されて手がかなり入っていますが、ここは大堀切ですね。橋を渡ります。流
名称:沼田城別名:名倉内城、霞城城郭:丘城築城年:1532年築城主:沼田顕泰改修者:真田信幸主要城主:沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏所在地:沼田市西倉内町594指定文化財:市指定史跡続日本100名城本丸堀西櫓台石垣鐘櫓土塁絵図
GW連休の5/3から山形県内の城跡巡りをしており、新庄市から南下しながら米沢へ向かってました。この日はフォロワーさんとの山形オフの約束をしており、現地近くの駐車場で待ち合わせする事に。私を含め6人でまず向かったのが要害森楯。近くには岩根沢三神社があるのですが、そこから林道で登っていくと下の写真の所に着きます。車は下の写真のスペースにも停めれるのですが、待ち合わせ場所の駐車場から徒歩で向かいました。林道沿いに案内板も出ているので登城口はすぐ判ります。案内板にある縄張り図には畝状
小原山王山城で青い彗星に主郭で捕獲された後、最初に来たのが淡相城。小原山王山城から国道429号線を20分ほど走らせた粟井という地域にあります。登城口の近くに粟井春日座(下の写真の建物)の駐車場に停めて春日神社へ向かいます。それにしてもこのフォント、ホラー感満載なのですが(笑)駐車場の真反対に道があり、ここを登って行きます。道は整備されています。左側に写っているトイレは使えるかどうかはわかりません。登りきると正面に土塁がお出迎え。高さ2n弱ってとこでしょうか。
年明けの初城攻めはどこにしようと考えてました。当然地元の城は積雪で不可なので必然的に県外となるわけですが、それなら比較的近いというか隣県に行こうという事で群馬県へ。関越道の沼田ICから国道145号線で岩櫃城方面に向かう途中にあり、路側帯に説明板と石碑があります。車はこの路側帯に停める事が出来る(下の写真のPの所)のですが、たまたま法面補修工事をしていて別な場所に停めました。こちらが説明板と石碑です。車を停めて少し戻ると案内表示が出ています。ここを左に曲がっていきます。
日向館に訪れた後は同じ富岡町内にある小浜館へ。ここも震災の影響があったのか鳥居が新しくなってました。正八幡神社の説明板も新しく設置されてました。こちらが正八幡神社の説明板です。小高い丘の上が主郭で、階段を登っていくと両脇に段郭がいくつか確認出来ます。階段の両脇に以前建てられていた鳥居の残骸がありました。よく見ると折れていますね。登りきると新しい鳥居がありました。見た感じ最近建てられた感じです。正八幡神社の本殿です。本殿の背後には土塁等はありませんが
この日はある意味記念すべき日です。特定復興再生拠点区域に指定されていた夜の森地区、大菅地区の一部を令和5年4月1日午前9時付で避難指示を解除された日でもあります。以前からどうしても来たかった夜ノ森の桜並木を見るのと、富岡町の現在の状況をどうしてもこの目で確認したかったのが目的だったのですが、以前出張で来ていた時に泊まってた寮の近く(徒歩圏内)に城があったことを思い出し、寄ることにしました。日向館というのですが、光西寺の背後の丘に築かれています。光西寺の横に道が出来ており、ここから
船岡山城創設年代・・・応仁の乱期創設者・・・・室町幕府西軍形態・・・・・丘城遺構・・・・・空堀・郭横堀・土塁主郭横堀・曲輪横堀同遠望山頂より中心街同山崎方面略史応仁・文明の乱の時、西軍の山名宗全方の本陣として城郭が築かれた。応仁二年(1468)、東軍の細川勢が総攻撃を加え、守将山名教之の家臣小嶋安芸守は討死し落城した。その後は東軍、西軍とも使用しなかったが、畿内の情勢は細川政元
姫松館に訪れた後に来たのが前川本城。ここも姫松館同様に土の芸術作品を見ているような土木量と縄張りということもあり、以前からずっと行きたかった城跡です。駐車場は説明板横に2、3台停めることが可能です。こちらが説明板と縄張り図です。A4サイズの紙の縄張り図も縄張り図の下のポストに入っているので、これを見ながら見るのをオススメします。すこし山の方に歩いていくと東屋があり、ここから入っていきます。登ってすぐに空堀があります。これが中々長大です。せっかくなので、空堀沿い
最後に案内して頂いたのが田原公民館の背後にある茗荷城。『中世城館縄張り調査の意義と方法』という千田嘉博先生の報告書によると茗荷城は古市氏の支城として機能していたそうです。車は田原公民館の駐車場に停めました。駐車場から細い道を進んで公民館の裏手を進んでいきます。裏山には道があり、ここを登っていきます。途中から笹薮になり、道が無くなるので道筋を辿って登っていきます。登っていくと何やら怪しい土塁がいきなり現れます。ここから虎口が見えます。虎口から入ると高さ1m
《田矢伊予守城(伊賀国)》[読み方]たやいよのかみじょう(いがのくに)[別名称]-[所在地]三重県[城分類]丘城[築城主]田矢伊予守[築城年]室町時代[城を観る]-[YouTube](【城を観る+】《田矢伊予守城(伊賀国)》2022〜室町時代!田矢伊予守が築城!田矢伊予守城跡を観る〜)[登城日]2022/12/09にほんブログ村
この日、フォロワーさん3人を村上氏連珠砦にアテンドする為、上田市に向かったのですが、自宅を早く出てきてしまった(ウズウズして寝れなかった🤣)せいで時間が余りそうだったので、どこか寄れそうな城跡がないか探し訪れたのがここでした。手子塚城は国道18号線と国道117号線の合流地点近くにあり、サクッと寄り道出来る城跡です。駐車場はないので、写真の所に停めました。紅白のガードパイプの所から入っていきます。車を停めた所には諏訪社の石碑があります。その近くに手子塚城の説明板があります。
台風が通り過ぎ一気に涼しくなりました。この記事のときは夏の終わりのまだ激暑真っ盛りの日。激暑なので山城攻めません丘城攻めです。三重県名張市下小波田下出伊賀・滝川氏城(たきがわしじょう)別名:瀧川氏城滝川氏城は織田信雄(北畠信雄)(ご存じあほボン1号機)に仕えた滝川一益(清須会議に走って走って間に合わなかった説と初めから呼ばれてない説がある織田家の宿老で、孫の三九郎は真田家との縁深く、信繁の娘を幼女に迎えている)の娘婿の滝川三郎兵衛(雄利)によって築かれた城です。単郭式城郭では三重
甲賀上野城こうがうえのじょう創設年代・・・室町時代創設者・・・・上野氏形態・・・・・丘城遺構・・・・・曲輪・土塁・空堀・堀切主郭下の腰部の虎口登城口土塁主郭手前の居館があった広い五の郭主郭と二の郭間の堀切主郭下の腰部虎口同虎口を内部から同虎口を上から腰部の接岸腰部下の横堀腰部上部同から見た五の郭と前方の二の郭主郭横堀主郭虎口
わたしのお気に入りフォト【風景部門】ていうやつ。城の写真でも参戦しようとしたが、お気に入りが多すぎて選択できんもおええわ前の三河・吉田城から移動すること少し。愛知県豊橋市仁連木町三河・二連木城(にれんぎじょう)別名:仁連城本丸跡が大口公園となり整備されています。公園入口に立つ城址碑。公園に凸入~公園ご案内は各自お読みください。古絵図と現況図もご覧ください。現在は公園が本丸跡、老人福祉センターが二の丸跡である。城の周りは宅地
小出城に行った後に訪れたのが城平ノ城。ここを登って行くと白山社本殿があり、城跡はその途中にあります。正面に格子扉があるので、ここを開けて登って行きます。入り口には白山社の説明板と標柱が立っています。車はこの付近に停めると良いかと思います。白山社への道はきちんと整備されています。登って行くと左側に怪しげな竪堀が。参道を外れて早速直登です。直登と言っても緩やかな斜面ですので、楽勝です。で、竪堀を上から見てみました。キレイな竪堀ですね。竪堀を登ると堀切がお
松江城に行った後、鳥取のフォロワーさんが推していただいた土居城へ。何でも私なら月山富田城とか松江城よりも満足出来るとおっしゃって下さったので、それほど推すのなら何としても行かないとと思い、本当なら松江城の後は帰宅予定だったのを延長して向かいました。土居城へは松江城から国道431号線経由で宍道湖を横目に車で西に向かい、20分ほどで着きます。車は下の写真の西光寺前の路肩に停めて向かいました。西光寺本堂です。この裏手に登城口があります。こちらが登城口で、入り口に説明板も
今回も予告はしてきませんでしたが、築城メニューに、本日から新たに縄張り2作品が追加されました!!新規の「平山城風縄張り」と「丘城風縄張り」です。“平山城”と“丘城”を使い分けてる深い意味はありません。区別するための名称に過ぎません。左の「平山城風縄張り」は、海(右上)に面した磯の香り漂う城郭です。総構え内が条坊制になっているので、城下町アイテムが設置しやすいベースとなっています。右の「丘城風縄張り」は、河川(左上)に面した段丘先端に築かれた城郭をイメージしています。昨年末に
都道府県別索引へ新潟県の索引へ赤沢城は、信濃川が新潟県内に入って間もなく、津南町の中心地少し上流の南側段丘の先端に築かれた城で、東側には島田川の深い谷を見下ろす。南北朝時代に南朝方の大井田氏が拠点の一つにしたらしいが、詳しいことは分からないらしい。さてこの城、入口が非常に分かりづらい。県道251号で段丘の上に登ってから入るのだが、案内が何もない💦この交差点から軽トラ道に入り、ひたすら奥へと進んでゆく。植林の段丘を降りて畑の横まで行くと、右手に城址が見えてくる。田んぼの中の道を
佐野城からの帰りに渋川市に寄ろうと思ってたのですが、途中どこか寄るところがないか探してたら里見氏発祥の城があるとの情報を得たので寄ることにしました。アクセスですが、前橋ICから国道17号線で緑町交差点を右に曲がって環状線を進み、上豊岡町北交差点を右に曲がって国道406号線を進み、36.361409,138.916272の交差点を左に曲がって県道132号線を進み、ゴルフ場の反対側の道を左に入った先にあります。ここまで来れば案内表示があるので、それに従って行けば良いです。城跡入口の先に