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2泊3日の週末旅行なのに、ずいぶんと長いシリーズになってしまったマルディン旅行の記録😅最終回は、食べたものと買ったものについて🛍マルディンの食へのアッシリア人の影響については前のブログ👈に書きましたが、もちろん、それ以外の郷土の味もあります👍マルディン・ケバブMardinkebabıは、マルディンを代表する料理。地方特産品として特許認定されていますトルコの地方にはそれぞれの「ご当地ケバブ」があり、地方巡りの楽しみの一つですが🤤マルディンのは牛
前号↓にひきつづき、マルディン県内をあちこち周ります。『アッシリア人の聖地へ【マルディン旅行④】』翌日は、マルディン旧市街を出て、近郊の見所を周ることに。まず向かったのは、カスミイェ神学校KasımiyeMedresesi15世紀末、白羊朝の…ameblo.jp古代都市ダーラを見たあとは、車は一気にシリア🇸🇾との国境ちかくに向かいました。もうあのフェンスの向こうはシリアです‼️シリアなんて気軽に観光したり語学留学したりできる国だったんですけどねぇ
翌日は、マルディン旧市街を出て、近郊の見所を周ることに。まず向かったのは、カスミイェ神学校KasımiyeMedresesi15世紀末、白羊朝の君主の子カスムが完成させ、このエリアの学術の中心地になったそう。中世の神学校には、人口の泉とそれにつづく水路、その先に流れこむ人工池が造られていて、水の出口は誕生、水が流れ落ちたところは若さ、長く細い水路は成熟……そして最終地点である池は死を表し、全体で人の一生を表しています。創
マルディン観光のつづきです。『北メソポタミアの都市マルディンへ【マルディン旅行①】』週末に、トルコ東南部のマルディンMardinに行ってきました。シリア🇸🇾国境と目と鼻の先にある、北メソポタミアの都市です✨中世の風情の残る石造りの街…ameblo.jp立派なミナレットを道しるべに、町のメインモスクを目指して歩いて行きます。なんだかウズベキスタン🇺🇿のヒヴァ👈を思い出す、オリエント感。到着したマルディンのウルジャーミーMardinUluCami
週末に、トルコ東南部のマルディンMardinに行ってきました。シリア🇸🇾国境と目と鼻の先にある、北メソポタミアの都市です✨中世の風情の残る石造りの街並みが美しく、国内外の映画やドラマのロケ地にもなっていて、トルコ人の国内旅行先として大人気のエリアです。私が1番よく知っているのは、インド映画『タイガー伝説のスパイEkThaTiger』の冒頭で出てきたシーントルコの長期休暇の時期なんかは、メインストリートが竹下通りみたい😱にめちゃ混むらしいし、
先日、久しぶりに我が推しスルタン👑メフメット二世のお墓参りをするべくファーティヒ地区に行ってきました。メフメット二世は、15世紀にコンスタンティノープル(現イスタンブル)を陥落させたスルタンで、トルコでは、尊敬と親愛を込めてファーティヒFatih(征服者)という渾名で呼ぶのが一般的。「征服」というと、日本語ではちょっと残虐な侵略者みたいな印象になるけど💦トルコ語的には輝かしい誇らしいニュアンスしかないです。そんなメフメット二世の霊廟は
前のブログ⇩のつづきで、歴史的なハンを周っております✨『隠れ家的ハン(隊商宿)めぐり①』先日、用事があって、いくつかの歴史的で味のあるハンにお出かけしてきました。ハンとは?飛行機も車も電車もなかった時代の中東では、ラクダなどに荷物を引かせ…ameblo.jp次なるハンがあるのも、ハンが林立するマフムットパシャ地区。この地区を中心に、イスタンブルには300近いハンがあると言われています。やってきたのは、ブユク・ヴァーリデ・ハンBüyükVali
先日、用事があって、いくつかの歴史的で味のあるハンにお出かけしてきました。ハンとは?飛行機も車も電車もなかった時代の中東では、ラクダなどに荷物を引かせた隊商(キャラバン)が、国々を巡って貿易を行い、異国の品を届けていたのは、ご存知の通り。🐪🐪🐪君主たち👑は要所に隊商宿を建てて彼らの商売をサポートし、自国の経済発展📈を図りました。隊商宿のなかでも、都市の中にあるものをハンHan、都市と都市の間の道中にあるものをキャラバンサライKervansara
前回のつづきで、16世紀のスレイマン大帝が早逝した愛息、メフメット皇子のために造らせた、シェフザーデ・モスクŞehzadeCamiiを歩いています。『亡き皇子のための玉座シェフザーデ・モスク』再訪したいモスクがあって、旧市街のファーティヒ地区に行ってきました。イスタンブル市庁舎の向かいにある、16世紀建造のシェフザーデ・モスクŞehzadeCa…ameblo.jp父王の愛がいっぱいに詰まったシェフザーデ(皇子)メフメットの霊廟の周囲には、ほかにも面白い霊廟が
再訪したいモスクがあって、旧市街のファーティヒ地区に行ってきました。イスタンブル市庁舎の向かいにある、16世紀建造のシェフザーデ・モスクŞehzadeCamiiです。いつもウロついているエリアから徒歩圏内なので、すぐに行けば良かった話なのですけどねwシェフザーデは、ペルシャ語で「王(シャーشاه)に生まれし者(ザーデزاده)」という意味で、オスマン帝国ではスルタンの皇子の身分を意味します。このモスクは、オスマン帝国最盛期のスルタン👑スレイマン大帝の
大都市でありながら、遺跡や歴史的建造物がゴロゴロしているイスタンブル🇹🇷ですが、ありすぎて、朽ちるがままに放置されているものも多いです。近年はそういうものを修復して、新たな観光名所にしようとする取り組みがドンドン進んでいて、新しく公開される場所のチェックが欠かせません。新しくて古い見所?最近も、ビザンツィン時代の壁かなにかが残ってるなぁ〜といつも通りすぎていた所に、イキナリ入り口らしきものが作られていまして。えッ?!中に何かあったの
この日訪れたのは、マルタ最大の漁村マルサシュロックMarsaxlokk、フェニキアやカルタゴの時代から港として使われていた、歴史ある港です。マルタ包囲戦の時にオスマン軍が停泊したり、ナポレオン率いるフランス海軍がここから上陸したり、マルタの歴史にとって重要な局面でも舞台となってきた場所。停泊している漁船の先頭に目👁が描かれているのは、フェニキア時代の習慣の名残だそう。「ホルスの目」「オシリスの目」と呼ばれ、古代ギリシャや古代エジプトでも、
マルタの古都イムディーナMdinaに来ました。16世紀まで、何百年ものあいだマルタの首都だった、高台の上の要塞都市。この町はローマ時代にメリタMelitaと呼ばれていたそうで、それがのちに国名マルタの語源になったので、国を象徴するような都市だったんでしょうねぇ。とっても雰囲気のあるイムディーナ門から街の中に入ります!現在の街の名イムディーナは、アラビア語で「街」を意味するマディーナمدينةから来ていて、(サウジ🇸🇦の聖地マディーナ👈と語源同じ。)今の街
ホテルで子供たちとのんびり数日過ごしたのち、ヴァレッタの旧市街に向かいました。ヴァレッタの地名は、オスマン帝国👳♀️🇹🇷によるマルタ包囲戦GreatSiegeの際に、マルタ側の騎士団長だったジャン・ド・ヴァレットの名に因んでいます。中央の十字の服を着た人物がたぶんド・ヴァレット包囲戦に辛くも勝利した翌年、彼が築かせたのがここヴァレッタの砦。オスマン軍の再来を恐れて、強固に作られていますね。城門から入ると、蜂蜜色の石灰石で作られた1
マルタは、9〜11世紀にかけて、シチリアから移ったアラブ・ムスリム👳♀️が統治した歴史があるので、イスラーム圏以外の地域で、イスラミックな欠片を見つけるのが大好物な私は、マルタに行くと決まったらすぐ、イスラミックな見所はないかと検索したのです。例えばこういうの。イスラームの建築様式を取り入れた教会@シチリアが、意外にも、古都イムディーナの道幅にアラブ人が築いた都市の面影が残るくらいで、ほぼ皆無らしい、いうことが分かりました。マルタ騎士団にでも破壊されたのか?
ブダペスト🇭🇺は、ドナウ川の西岸ブダ地区と、東岸ペシュト地区とに分かれていて、ふたつ合わせてブダペスト。……と、なっております。一つ前の記事👈に書いた国会議事堂はペシュト地区にありますが、今回はブダ地区に行ってみます。丘の上の方に見所が集まってるので、私たちは散策しながらこんな階段で上がりましたけど、レトロなケーブルカーもありました。(2分くらいしか乗らないのに、強気なお値段設定💦)上がったところにまずあるのが、ブダ城歴代
ルクソールの街はナイルをはさんで、東岸と西岸に分かれているんですが、太陽神🌞を崇めていた古代エジプト人にとって、太陽が生まれる東岸🌅は生の街で、太陽が沈む西岸🌄は、死の街だったそう。なので、東岸🌅には神殿や宮殿や住宅街など、生きている人間に必要なものが造られ、西岸🌄には亡くなったファラオを祀る葬祭殿や墓地など、死後にまつわる施設が置かれました。前日に神殿をまわってた👈のはナイルの東岸で、今日は死の町=西岸をまわります。まずやってきたのは、ハトシ
エジプト旅行のうち、南エジプトでの滞在には、宿泊と食事がセットになったナイル川のクルーズ船🛳を利用しました。4泊5日で、ルクソール→エドフ→コムオンボ→アスワン→アブシンベル……と、船でナイル川を下りながら、4泊5日で沿岸の遺跡をめぐります。学生時代に、指導教官からこのクルーズ船の存在を聞かされて、「ナイルを船で渡りながら神殿を巡るなんて、クレオパトラみたい❣️」と、ちょっと憧れました。格安ホテルで旅行してた当時は知りませんでしたが、このクルー
イスタンブル🇹🇷から2時間のフライトで、エジプト🇪🇬はカイロに着き、そこからエジプト航空の国内線に乗りかえました。天空の神、ホロス神のハヤブサ🦅の顔が描かれてます機内安全ビデオが、考古学博物館で撮った風でちょっと頑張ってた。世界的に話題になったNZやインドの方が面白いけどね。博物館じゃなくて移籍とか砂漠で撮ればいいのに。さて、到着したルクソールは、古代エジプト時代には首都テーベだった都市。ルクソールالأقصرとはアラビア語で「城々」という意
年末年始は、エジプト🇪🇬に行ってきました。エジプトには、大学の卒業旅行(2004年だから、20年以上前だ!)で訪れたのが最初で、今回は2度目。最初のエジ旅行は、シャワー共同のドミトリーに泊り、夜行の三等車で移動したりの貧乏旅でしたが、歴史文化の深さもさることながら、エジプト人たちの暖かさにいたく感動したものです。その旅で経験したもろもろは、旧ブログのこちら↓に書いてます。『エジプトの優しさ「モロヘイヤ・スープ」』モロヘイヤ・スープの故郷、エジプトは私の大好きな国
世界の多くの地域は、クリスマス一色ですね✨ところで、サンタクロース🎅の出身地って、どこかご存知でしょうか?ええ、表題にもありますけれども、サンタの故郷はトルコなんです!ってこれ、ガイドブックやポストカードにもちゃんと載っているし、トルコに旅行した人や住んでいる人なら、みんな知ってるよねと思っていたら……意外と知られてない?!😱と最近感じまして。トルコの各地域の名物や特産品を表した地図に、デニズリ県のパムッカレ、キュタヒヤ県の陶器👈、ウス
先日、所用があって旧市街へ向かいました。旧市街にはよく家族で行きますが、1人でのお出かけは久しぶり。近ごろ出不精なのです💦イスタンブルの地下鉄駅🚇には、そのエリアにちなんだタイルやモザイクなどのアートがあって、マルマライ線スィルケジ駅の構内にある、イズニック・タイルがとても綺麗🌷イズニック基金İznikVakfıという、イズニックタイルの維持発展を目的とした団体のものマルマライ線の駅を出たところにある、古いスィルケジ駅、かつてのオリエント急行の終着駅は
いまやトルコ生活の生き甲斐となっているタイル絵付け教室、2つ目の自由作品に私が選んだのは、大好きなイルハン朝時代のタイル‼️イルハン朝は、チンギス・ハンの孫フレグがイランあたりに作ったモンゴル系🐎の国ですが、のちにムスリム化☪️し、地元ペルシャの華麗な伝統工芸🌹と、連れてきた中国の凄腕職人💪が最強タッグを組んだ結果、独特で秀逸なイルハン的イスラーム美術が爆誕したのでございますよ✨✨✨私、歴史的にはセルジューク朝が好きですが、美術的にはこ
先日、ボズダー映画スタジオBozdağFilimPlatolarıに行ってきました‼️トルコの時代劇を撮影するためのオープンセットだったところを、1年前にテーマパーク化したという、いわばトルコ版日光江戸村📽!私がずーっと観てたしてた、セルジューク帝国時代のドラマ『Uyanış:BüyükSelçuklu(目覚めー大セルジューク帝国)』『Arparslan:BüyükSelçuklu(アルプアルスラーンー大セルジューク帝国)』や、『セ
カッパドキア観光のメイン?となる、ギョレメ野外博物館GöremeAçıkHavaMüzesiにやってきました。ここには岩をくり抜いて作られた、2つの修道院と9つの教会があります。教会に入って見学できるのですが、フレスコ画保護のため内部は撮影禁止📵なので、拝借画像も混ぜつつ、カッパドキアの歴史を追いたいと思います。カッパドキアの地には、ヒッタイトやアッシリア時代にも、柔らかい岩を利用して人々が住んだり避難したりしていたそうですが、
前回☟の続きです。『奇岩だけじゃない!カイセリで史跡めぐり【カッパドキア旅行②】』カッパドキアについた翌日は、カイセリ県の県都、カイセリKayseriにやってきました。この地名、勘の良い方ならカイセリ?カイゼル?カイザー?……と…ameblo.jp次にやってきたのは、13世紀頭に建てられたゲヴヘル・ネスィベ医学校・治療院GevherNesibeMedresesiveDarüşşifası医学校と治療院が併設されていて、今でいう大学病院のように、
カッパドキアについた翌日は、カイセリ県の県都、カイセリKayseriにやってきました。この地名、勘の良い方ならカイセリ?カイゼル?カイザー?……と、ハッとするかもしれませんが、ローマ時代に名づけられた「カエサル👑の都市」の意である「カエサレアCaesarea」に由来します。ローマ時代に造られた城壁そんなカイセリ、「カッパドキアの最寄りの大都市」として、観光客が🛬🚌やってきては、市内を見ることなく通過していきますが、私にとっては……セルジューク史跡
大本命のパレルモ大聖堂CattedralediPalermoにやってきました。そう、ここには、我らがフェデリーコ2世のお墓があります❗️ここ、パレルモ最大のアラブ・ノルマン建築と言われていますが、改装・増築がくり返され、12世紀の建立時の面影はあまり残ってないようです。外壁にのこる幾何学模様の装飾には、ほのかに東方世界の香りを感じますけどね。大聖堂が建てられる前、ここには東ゴートの大聖堂や、モスクが建っていたらしく、ファサード下の柱の一つ
ではでは、神聖ローマ皇帝フェデリーコ2世とアラブ・ノルマン建築をめぐるパレルモの旅、まいります‼️フェデリーコのファンは世界中にいるけど、私たちはイスラームがらみメインで見ていきますよ🙋♀️最初に訪れたのは、ズィーザ宮殿LaZisa。ここ、まさにシチリアのクリスチャンとイスラームの融合の歴史の象徴みたいな場所ノルマン朝シチリア王のグリエルモ2世が、アラブ人の👳♂️職人に造らせた夏の宮殿……なので、館内は、イスラーム建築の要素が満載🕌そもそも
アハラトのセルジューク墓地👈を見終わったあと、向かったのは念願のマラズギルトMalazgirtでございます‼️憧れでしたが、アクセス悪い上に何も見るものないからと、なかなか来れなかった場所。今回、車を手配してくれた現地旅行会社にも「本当に何もないから、わざわざ行く人いないよ✋」「ヴァンから4時間もかかって遠い、時間のムダだよ👋」と、熱心に止められました😅が、「妻がセルジューク・マニアなんで、行かないと納まらないんです!」とオットが説得し、日