ブログ記事115件
今日は朝から、東京美術倶楽部で開催された不審庵茶会へ行ってきました。親の代理で…という予定でしたが、なんとも本人も1席目に行かれる😆でしたので、何も考えずにそのまま2席目に入らせていただきました。久しぶりに参加させていただき、道具組や亭主と正客とのやり取りなどなど、まだまだ勉強しなければならないことばかり。。。どちらにしても場数が大切ですね。
仁和寺さんから船岡温泉近くのイタリアン、ガロッパーレさんのランチに向かいます。きぬかけの路から寺之内通、鞍馬口通と行って約4キロ弱、40分くらいです。金閣寺まで続くきぬかけの路は途中に龍安寺もあり、新緑爽やかな山沿いの道です。鞍馬口通に面するイタリア食堂ガロッパーレさん、3月29日↓に前を通りかかった時はミモザが満開で、前に一度ランチした事を思い出し今回再訪しますが、もうミモザは終わっていました。やっぱり花のシーズンは短いな〜と実感。来年こそは!と思います。でもランチが素晴らしい事に変わり
2月15日の京都妙蓮寺を出て東へ、堀川通りを渡ります宝鏡寺普段は非公開やけど、今は人形展をやってるかな人形寺とも言うらしいここ昔川が流れてて、応仁の乱の時それを挟んで東軍西軍が対峙してたとか小川通りこのあたりの雰囲気、めちゃいいです!表千家不審庵ちょっと北に歩いて裏千家今日庵の兜門その小川通りに面して本法寺
今日も、冷え込みますね。新潟や北陸、北海道等、寒波の影響を受けて大雪になっていると聞き、本当に大変だなと思います。私が住んでいる地域は、雪どころか、毎日、晴天で乾燥した天候が続いています。同じ日本でも、日本海側と、太平洋側では、こんなにも、天候が変わるのだなとあらためて思います。どうぞ、大雪の被害が無いことを心より、お祈り申し上げます。(津軽絞り椿、小手毬染付花器)ところで、昨日、不審庵の茶道口について書きました。炉の場合は、風炉先側に茶道口が
(西王母椿、紅梅信楽焼掛花入れ蹲)今日は、令和天皇のお誕生日ですね✨おめでとうございます😊私の年齢と、ほぼ同世代の天皇なので、とても、親しみを持っています。小さい頃は、「なるくん」、少し大きくなると、「浩宮様」と呼ばれていたのが、ついこの間のような気がします。どうぞ、いつまでも、お元気でいらっしゃることをお祈り申し上げます♥️今日は、小間で、お稽古をしました✨令和庵の小間は、二畳台目なのですが、お稽古をしていて、不思議だなと思ったことがありました✨
富良野ニングルテラス・ペーパーワークのお店で購入「雪の風景」お稽古二週目掛物「紅炉一点雪」花「南天」香合ローテンブルクのお土産🇩🇪お菓子「雪うさぎ」上用饅頭バレンタインデーにちなんで明治屋マシュマロハート(あまおう🍓)雪だるま(練乳)モンロワール・リーフチョコ🍃今月の濃茶は奥の点前唐物竹の蓋置台天目盆点バレンタインのお菓子今年のバレンタインチョコはこちらにしました💖宅急便で届きました🌟箱も素敵💓ハローベリーストロベリー初めてのロイヤルミルクティ味こ
昨日、人生で初めて表千家お家元の初釜に行ってきました。事前に、同門会にハガキで申し込みます。抽選後当選したら案内状が届きます。当日は指定された時間に、お家元「不審庵」を訪問します。検索すると、京都新聞などに表千家の初釜式のニュースが掲載されていますので、詳細は控えます。こちらは、不審庵の近くにある俵屋吉富さんの季節のお菓子です。苺のボンボン(左)↓と、琥珀糖(右)です。わたしは、かわいい!という理由でこちらのお菓子を買いました。友達は、ちゃんとした
雨が降っていたら走らないなということで、ブログを書いています。マラソン大会ならともかく、普段は雨の中は走りたくありません。ただでさえ滝汗なのに。暑さ寒さも彼岸までというとおり、猛暑はおさまりましたが、やっぱり大気は暑い…。北海道とか、高原が羨ましい。今週は頑張って100㎞を越えました!しかし、インターバルはともかく5㎞閾値走は25分48秒でした。どうしても24分台におさめたいものです。LSDについては、私はたまたまYouTubeで、SpiritsRunをみました
正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)●一流になる人の口元私の話を好んで聞いてくださる歯医者さんがいます。その歯医者さんは何年もずっとテレビで俳優や歌手の顔を観てきました。そして、このようなことに気が付いたそうです。演技の上手い人が必ずしも人気俳優になるわけではない。歌の上手い人が必ずしも一流歌手になるわけではない。笑顔になったときに、口元がきれいに、上が真一文字で下が半円形に開く人というのは、歌手でも俳優でも一流になる。※口元は、
おはよう!週の真ん中水曜日、天気は晴れさっ今日もがんばってふぁいと~5月3日の京都紫野を歩いたあとは、堀川通りをずず~っと南へ水火天満宮創建は923年日本最初の天満宮桜の時期はめちゃ綺麗らしいよそっから上御霊前通りを東へ歩いて妙覚寺門をくぐれば広い境内ここ秀吉さんの京町整備の時にこちらに移転してきたけどその前、二条にあった頃は信長様が京都で常宿としてた寺院次
おはようございます。3月もあとわずか。ここ何年かで、一番桜の開花が遅く、待ち遠しさは増幅します。六角堂のしだれ桜過年のものです桜桜、いつ咲くのでしょうか。と、この桜の名前、どうして桜というのでしょうか。【桜の名前の由来】桜の名前の由来は、諸説ありますが、これといった決定的ではありません。そのいくつかの説をご紹介します。①「木花開耶姫」説堂本印象作木花開耶姫大古事記展より古事記や日本書紀に登場する神話の美しい娘「木花開耶姫(このはなさくやびめ)」の「さくや」が「桜」に転
二区のどのあたりで抜くか混戦になるか、烏丸紫明あたり(3キロ前後/4キロコース)かと京都教育大学付属小学校前で待ってたらなんのなんのもう一位でした。あっという間に走り去ったです。感激しました。ドルーリー選手も見ました。前半飛ばしすぎたせいで勢いはなかったけど、これから期待。
不審庵で茶会。和服のマダム入っていかれました。どこか試走してるかと思ってだけど虹が、そのあと雨に降られてびしょびしょ。田中のぞみさん頑張ってもらって兵庫久しぶりに優勝、いやどこが優勝でもかまわない。皆さんけがなく、
先日から報告しているNHK「日本庭園」DVD版の中に、一般的には拝観できない珍しい庭園が収録れていた。上京区小川通寺之内通上るは茶道の聖地である。表千家は千利休を祖とする茶道の流派「三千家」の一つである。千利休には2人の息子がいたが、このうち嫡男の千道安は先妻との子供で、利休死後の1594年に堺千家と言う流派を創設。しかし道安には後継ぎがなく、1607年に彼が死去した事で堺千家は断絶。もう一人の千少庵は利休の後妻の連れ子で、後に利休の娘と結婚して彼の婿養子となる。この少庵の
今日は千利休の跡を辿りたいと思います。以前、たまたま小川通の不審庵の前を通りかかって、すごく興味が湧いて色々調べるうちに、千利休は天才だと思いました。私は茶道は、職場の昼休み同好会的なもので少し教えてもらったことがある程度で、全くの素人ですが、、、、。四条烏丸スタートで、まずは不審庵目指して小川通を真っ直ぐ上がって行きます。本能ノ辻子(ズシ)。閉まっていたような気がしますが、通り抜けできるそうです。本能公園。今は寺町通に移っていますが、元々はこの辺に本能寺があったんですね。公園に百日紅の
お稽古初めてから初の夏!風炉点前はもちろんですが、割蓋や、義山、袱紗金魚など夏らしい変化のあるお道具やお点前が楽しいです。お着物は洗える薄物でお社中の方が譲って下さいました。有難いそして許状というのを頂きました。習う事を許されただけで、こちらをこれから何年もかけて習得していくべく精進していくのですね。気張り過ぎる悪い癖でメンタルや体調崩したりするので、あくまで長期目標として。今は一緒にいると楽しいお社中さんや、厳しくも素敵な先生との時間を楽しみにしながらお稽古に励んでいます。さて、
たまたま歩いていて入ってみた本法寺の美しいこと。何の予備知識も持たずブラブラと京都を散歩するのは楽しいですね〜。さて、本法寺を出て小川通を下って行きますが、京都に素敵な通りはたくさんあれど、この小川通、ピカイチに素敵です。私の中では1番です。ただの通りではない雰囲気。背筋の伸びる研ぎ澄まされた美しさというか。あ、今日は祝日ですね。何の建物でしょう?千利休の遺跡、不審庵覗いて見ると。千利休はお茶の人、そう言えば裏千家学園茶道専門学校が、妙覚寺を曲がって小川通に入ったところにありました。
表千家不審庵に伝わる信長印判書状によると、利休が鉄砲玉を信長に工面した。利休は、その家業と共に権力との密着によって維持された事を物語っている。ただそれは反面として家康に上手く乗り換えられず道安が継いだ堺の千家がすぐに消滅となる。私見捕捉)私は以前から、利休は権力に近づき過ぎたため切腹するハメになったと考えていますが、根っこには政商としての側面があったのが良くわかる記述だと思いますね。
令和4年12月22日(木)は底冷えがする京都でも比較的穏やかな日になった。今年は利休生誕500年を迎え、かねてから訪ねたかった千利休ゆかりの京の町を歩くことにした。行く先は樂美術館を始めに堀川通りを北上して晴明神社に寄り、茶道資料館と近くの今日庵、不審庵を見て北大路通りにある大徳寺大仙院を訪ねる。午後からは北山通りの京都府立植物園前にある古田織部美術館を最後に訪れた。※このマップはJR東海ツアーズの現地スタッフ作成の資料を使わしてもらった。【樂美術館】
昨年は江岑宗左三百五十回忌にあたり今年大徳寺では追善法要と茶会が行われましたそれにともない表千家北山会館では特別展三千家のはじまり江岑宗左千家茶道の確立を開催していました表千家を学んできましたが今年新たな先生と出会いそこで歴代のお家元の名前と順番すら知らない自分を知りました北山会館では表千家の同門会の会員証を見せて割引していただきながら表千家に戻ってきたことがとてもうれしかったですまず表千家不審菴歴代を確認初代利休宗易
京都妙顕寺を出て、すぐ西にある小川通りへ小川通りのこのあたり、昔は川が流れててそこに架かってた百々橋ってとこは応仁の乱の戦場やったらしいです。で、最近見つけたこの通り普通やないです表千家の不審菴これは門で茶室は中にあるんやろなぁ・・・・千利休さんから始まった千家ですね入れないけど外からパシャっと石畳茶道の道って言うんかなぁなんかすごく高級感・・・
【食育クイズ:Vol.1021】「京都府」の「茶室文化」おさらいクイズ!「千宗旦」の次男「一翁宗守」興した「武者小路千家」の茶室名は?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1020】(「京都府」の「花かんざし文化」おさらいクイズ!「舞妓さん」がつける9月の「花かんざし」とは何の花?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「京都」の「舞妓さん」は、まだ暑さの残る「
京都で唯一保有していた区分マンションを売却してきました。契約&売却を、即日行いました。立地はよかったし道路付けもよいので、リフォームして自分で暫く自家使用する予定でしたが、遠方ということもあり面倒になって売却することにしました。リーズナブルな価格設定にしていたのですが、半年以上、売却に時間がかかりました。キャピタルロスが、出ても良い覚悟でしたが、かろうじてプラス。購入される方は、市内に住まわれる方でリフォームして自宅として住むそうです。その足で、同じ不動産
妙顕寺を出て、寺之内通りをちょっと西に行くと右手に小さな広場「百々橋ひろば」ってのがあります昔々、ここに小川が流れてて、それに架かる橋が百々橋応仁の乱の時、この橋を界に東軍と西軍が対峙してたとかなんとか。。。それはともかく、そっから北へ向かう道他の道とは明らかに違う風情のある道ここに突入してみますお初です。通りに入ってすぐ右手にデッカイ日の丸揚げた変な門なんやコレ・・・・ゲッ不審庵て・・
前回からの続き(12月4日のこと)です妙覺寺を出て、小川通りを下って(南下して)行きます最初に見かけたのは一願地蔵尊道幅は車1台分ですが、京都らしい景観です😊その通りに面して本法寺があります今回は飛ばしますが、次回にそのことをアップしたいと思いますちょっと先の紅葉したとこと微かに本法寺の山門🤣そこから下ると、左手に石碑があったので近寄ってみました千利休居士遺蹟不審庵住所・京都市上京区小川通寺之内上る東側表千家流家元の茶室千利休切腹後、継子少庵が豊臣秀吉から千家復興を許され
京都在住のブロ友さんが小川町あたりをよく歩かれていて三千家や茶道に関連したお店があると知り行ってみました市営バスの堀川寺の内バス停で降りて少し歩くとあっありました御菓子司『俵屋吉富』の本店お歳暮で『雲龍』を含む和菓子セットを買ったことがありますが店舗は京都と関西にしかないのでね道路の向かいには百々橋(どどばし)の礎石かつてここを流れていた小川(こかわ)にかかる木橋の礎石が保存されているもので応仁の乱ではこの橋を挟んで東軍西軍が戦いました
娘が秋から再開したお稽古のもう一つは、お茶。娘、小2で海外へ行き中2で戻ってきましたが小1の一年間と中2で帰国し、大学へ行くまでの数年間表千家の先生にお稽古をお願いしておりました。高校での茶道部は裏だったため時折混乱することもあったようですがお茶は、いつも楽しかったようです。今回も、以前お世話になった表千家の先生にご指導いただくことに。先生、90歳くらいでいらっしゃいますが大変お元気で、お稽古後の会話もとても楽しいそうです。帰国中のみという期
赤を消すほどの緑必要な情報を得るために表千家同門会のHPをたびたび拝見します。そこにはお茶室や露地の写真が出ているのですが、私はどこもかしこも緑である露地の写真が好きです。下記は、中露地の残月亭前の写真です。表千家同門会表千家同門会:伝統継承、茶道普及表千家同門会の公式ホームページ。www.omotesenke.net露地を見てお茶を点てると、お茶の世界とは、最期は切腹してしまった千利休こと利休さんの血という赤を消し去るほどの緑色で囲まれていると思うのです。うま
不審庵歴代茶杓型のご紹介です。黒田宗玄千家十職号不審庵箱裏側の宗玄印・・・・・・櫂先節・・・櫂先節・・・・・・二段の箱に14本の茶杓が入っています。(そのうちの一本には、銘がありません。)400年もの間脈々と継承されてき
うろ覚えで、なんとなくしか、、、理解出来てなくて、、、(ToT)ここで、キチンと覚え直したいと思います。ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ーわたしの覚書その2・歴代家元編の続きです。『表千家流不審庵の継承』八代啐啄斎8歳で、父如心斎と死別し、不審庵八代を継ぎます。1788年に、屋敷を焼失するが、見事に復興され62歳で隠居して「宗旦」と名乗ります九代了々斎久田宗渓の長男で、啐啄斎の養子となり不審庵九代を継ぎます。この頃になると家元制度や点前の様式も確