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一、二、三…。姫からのいいね👍️の数が増えてる。😍姫、ようこそ仙桃院へ。🤗これは、私が長年夢見てきた理想の道院。😊この話はまた。寄り道してるとまた姫達がいなくなっちゃうんで。前回コップ即神神即コップという話をしましたが、ここで、先日突如現れたバーバーパパの水筒の出番。逆光…。😑これは、神仙が私に与えて下さったお題、ヒントだと思っています。アニメによるとバーバーパパが最初に変身したのは、カタツムリ🐌のようですが、バーバーパパが水筒に変身したら、バーバーパパではなくなるでしょう
…なんか最近、姫達のいいね👍️が若干減ってるような気が…。😑今回のブログその流れに拍車をかけてしまうような気が…。😱今回のブログ、姫達に“出た。相当強めの奴だ”と思われるかもだけど、😱今ブログを始めてから最も大切な話をしていると思ってるし、本当の事なんで構わず書きます。😗常連さんが、しら~とフェイドアウトして行っても新規の姫達が増えますように。😍それでは、恐る恐る参ります。😑2、3年前になるでしょうか?🤔私は、それまで持ち続けていた願望を全て手放し、全てを神仙に委ねる決意をしました。そ
前回の続き、市杵島姫命と瀬織津姫命は同神か?について書きたいことがあるのですが、“無有”の話に戻します。今回は、私が外出時の在り方について参考にしたことを私の座右の書から紹介します。「兵法家伝書」木人花鳥に対するが如し。人として竹木のごとくにあるべからず。花を見るとて、花見る心をあらたに生じて見ざる也。ただ常の心にて無心に見るをいへり。「不動智神妙録」花紅葉を見る心は生じながら、其所に止らぬを詮と致し候。慈円の歌に柴の戸に臭はん花もさもあらばあれ、ながめにけりな恨めしの世や
「荘子」応帝王篇不測に立ちて、無有に遊ぶこの“無有”について姫達と考えていきたいと思います。🤗無有は、この他に庚桑楚篇にも出てきます。天門とは無有なり。訳は、岩波文庫ではこの世の存在にとらわれない世界ちくま学芸文庫は無となっています。応帝王篇は、岩波文庫、ちくま学芸文庫共に書き下し文は無有なのですが、庚桑楚篇のほうは、ちくま学芸文庫では有ること無きとされていますが、訳は共に無となっています。無有、有ること無き。どちかが正しい書き下し文なのかは分かりませんが、🤔私は、無
それじゃ姫、😍今回こそ誰も知らない湖に一緒に行きましょう。😉また、邪魔が入るといけないんで。😤誰も邪魔しちゃいねぇよ。てめえで勝手に寄り道してるだけだろ。😱これが寄り道ですよね…。始めます…。😔私は、自分が神仙に近づけば近づく程世間様のお役に立てると信じ、本気で神仙の美しい御神姿を拝し、神仙界の楽の音を聴こうと必死で修法を重ねてきました。自分の心に神仙の御神姿を映そうとしてきました。本当は、最も崇拝する御山、手箱山の裾野に架空の美しい湖を想像したかったのですが、🥰富士山のほうがイメージし
全てを神仙に委ねるとはどういうことか?それを知る為にヨガニードラ、マインドフルネスのボディスキャンを学んでいるのですが、ボディスキャンの最後の段階にとても気になる箇所があるのよさ。😶「マインドフルネスストレス低減法」J.カバットジン著頭のてっぺんに鯨の噴水孔のような穴があいていて、そこから呼吸しているというイメージを作って下さい。頭のてっぺんから入ってきた空気は、体全体を通って足の先から出てゆき、今度は足の先から入った空気が頭のてっぺんこら出てゆく、一方からもう一方の端へ、体全体で呼吸して
私には、小学生の頃大好きな先生がいました。🥰定年間近の女性の先生でしたが。その先生が「先生あのね」に花と会話したことを書いた子を褒めたので、😳その先生に好かれたくて私も下校時に花と会話したことを日記に毎日書きました。😊花と会話出来ないのに…。😑どうせそいつも出来てねぇんだろうけど…。😒私は、神拝後も神仙界に居るつもりで美しいものだけ見て生きてきました。木や花、小鳥🐦️や蝶々🦋そして女性。😍前回「兵法家伝書」から好きな箇所を紹介しましたが今私は“無心に見る”そして先日紹介した「老子」第
今回は先ず私の座右の書「不動智神妙録」「兵法家伝書」の中から好きな箇所を紹介します。「不動智神妙録」花紅葉を見て、花紅葉を見る心は生じながら、其所に止らぬを詮と致し候。慈円の歌に「柴の戸に匂はん花もさもあればあれ、ながめにけりな恨めしの世や。」花は無心に匂ひぬるを、我は心を花にとどめて、ながめけるよと、身の是れにそみたる心が恨めしと也。見るとも聞くとも、一所に心を止めぬを、至極とする事にて候。「兵法家伝書」木人花鳥に対するが如し。是龐居士がこと葉也。目は花鳥にむかひ居たるがごとくと也
前回、友清歓真先生の昭和四年一月二十八日神示を紹介しました。その中で特に私が大切にしてきた神示はこの三つ。うべなひかたきことをうべなひ。なしとげかたきことをなしとげ。しのびかたきくるしみをしのべよ。くるしきわけをひとにしらすな。かみはみてをる。ちからのかきりをつくせばひとにしらる。ちからのかきりをこしてつくすときかみにしらる。かみはみてをる。たかやまにをるものみじかやまにをればみじかやまをたかやまにする。かみはみてをる。私は二十歳の頃から知花敏彦先生の教えを信じ“我神なり”と瞑想
昭和四年一月二十八日神示ひとのきたなきこころをおもふな。ひとのあしきおこなひをせむるな。おのれのあかきこころをみるな。おのれのよきおこなひをひとにしらすな。かみはみてをる。ひとをたかくしておのれをみじかくせよ。ひとをさきにしておのれをうしろにせよ。かみはみてをる。おのれのいさををひとにしらすこころわくときかみにはなれる。かみはみてをる。うべなひかたきことをうべなひ。なしとげかたきことをなしとげ。しのびかたきくるしみをしのべよ。くるしきわけをひとにしらすな。かみはみてをる。ちからのかきり
私は出雲大社の先生に大変よくして頂きましたが、先生に会えたのは、母のお陰。😊初めて先生にお会いした際“あんた神様に繋がっとる。離れるな”と言って頂きました。😳私は時間と体力の許すかぎり御神前で修法を重ねてきましたが、御神前を離れた後も常に神仙から離れないよう胎息をしたり、得仙秘文を唱えたりしてきました。清水宗徳先生は宮地神仙道修真秘訣の中で道は須臾も離るべからず、離るべきは道に非ず調気胎息を念とするに於ては四六時中一呼一吸と雖も是れ修真の要道に係るを思ひ粗略にせずと書いておられま
前回「不動智神妙録」から私が大切にしている言葉を紹介しました。😚“思はしと思ふも物を思ふなり、思はじとだに思はしやきみ”思うまいとも思わない?😬じゃあどうすれば…。😑ということで🙃私はその答えを「不動智神妙録」「ラムサ」から見出だしました。🤗「不動智神妙録」には“前後際断”とあります。その意味は前の心を捨てる。前と今との間を切り心を止めない。私はこの言葉を“今この瞬間”と解釈しています。同じく私の座右の書「ラムサ」には“神とは、たったいまのこの瞬間のことだ。とあります。
私は、ブログの最後にいつも“女仙様の御心のまにまに”と書きます。😊“貴方の願いは私達の願い”と女仙様に言われた気がした🤨経験が私を完全に変えてしまってん。🤗私の願いではなく女仙様の願いを叶えて頂く為全てを手放し、全てを女仙様に委ねました。しかし、私にとってはそれで事足れり。😁ではありません。😶女仙様の願いを叶えて頂く為に足かせになるもの、邪魔となるものはなにか?🤔それは、“私”です。😬私にとって「弓と禅」「兵法家伝書」「不動智神妙録」は、仏教系の書とはいえ、神仙道道士
冬休みに入ってから、子供達が楽しそう。😊お母さんとお昼をマックⓂ️🍔🍟で買ってかえったり、クリスマスケーキ🍰を買って急いで家に帰るお父さんがうま🐎らやしい。…なんか一文字違ったような気が…。😶俺にも好きな人と一緒になって家族の為に生きる道があったのかなぁ。😔私は、今年女仙様の御心を我が心として生きる為、思いを持たず、己を捨てきる。そしてラムサの言葉を信じ常に今にただ在り続けることを意識し続けました。結局これまでと何も変わりませんでしたが…。相変わらず、綺麗な😍人妻と綺麗な😍歳の離れ過ぎた
私の曾ての“全国の産土神社への野望”のお話。前回で終わりにします…。😶私は、宮地神仙道の数々の秘伝をお授け頂いた神恩、師恩、そして先輩道士方に恩返しをしたくて、自分を一歩でも女仙に、我が家を何処より女仙界に近づけるため何年も毎日限界まで追い込んできました。が…15年以上祈って何もなければ、産土大神の御心に適わず。その任にあらず。😱と考えるのが普通ですよね…。😔女仙から“貴方の願いは私達の願い”と言われた気がしたんだけど…。女仙の願いを叶えて差し上げたくて全てを手放したんだけど…。
先日、私が大切にしている事を「不動智神妙録」から紹介しましたが、今回は同じ内容の事を「兵法家伝書」から紹介します。木人花鳥に対するが如し。木で作りたる人の花鳥にむかひ居るがごとくと也。目は花鳥にあれども、心花鳥にうごかざる也。木人とはたとへなり。花を見るとて、花見る心をあらたなに生じて見ざる也。ただ常の心にて無心にみるをいへり。弓射る時、弓射る心をあらたなに生じて射ざる也。常の心にて射るをいへり。常の心を無心とは云ふなり。私は、美しいものが大好きで🥰、美しいものだけ見てきましたが🤪、宮
今回は、美しいものだけを見聞きしてきた私が今最も大切にしている事を「不動智神妙録」から紹介します。花紅葉を見て、花紅葉を見る心は生じながら、其所に止らぬを詮と致し候。慈円の歌に「柴の戸に匂はん花もさもあらばあれ、ながめにけりな恨めしの世や」花は無心に匂ひぬるを、我は心を花にとどめて、ながめけるよと、身の是れにそみたる心が恨めしと也。見るとも聞くとも、一所に心を止めぬを、至極とする事にて候。是とほぼ同じ事が、「兵法家伝書」にもありますので、次回…😶“な⁉️”😳今女子高生の集団が私を
私は、以前出雲大社の先生に「あんた、神様に繋がっとる。離れんようにせぇよ」と言われましたが、神拝時だけでなく四六時中女仙を意識しています。🥰外出時も常に女仙方が、傍らに居て下さっていると思っており、美しいものを見つける都度“アッチョンブリケ”😳「女仙様、あそこにあんな綺麗な花が」と話しかけて😊…べっぴんさん方、心の中でですよ…。😶とにかく美しいものが大好きで美しいものだけ見て、美しいものだけ聴いてきました。子供の頃から綺麗な女性😍とばかり縁がありますが、化粧したら私のほうが確実に
「不動智神妙録」仏法の向上の段より見れば、臍の下に押し込めて余所へやらぬと云ふは、段が卑しき、向上にあらず。修行稽古の位なり。敬の字の位なり。何処なりとも、一所に心を置けば、余の用は皆かけるなり。一方に置けば、九方は欠けるなり。心を一方に置かざれば、十方にあるぞ。柳生宗矩先生は沢庵和尚の教えを受けておられますので、「不動智神妙録」と「兵法家伝書」はまるで同じ書のように内容が一致します。私の好きな箇所はまだあるのですが、今回は心の置き所について書いていきますので、一旦ここで「不動智神
今回は、山岡鉄舟先生の剣術について書く予定でした。今回の一番の目的は山岡鉄舟先生の剣術と川合清丸翁の「無病長生法」にあり、「不動智神妙録」の紹介ではなかったのですが、読み返してみて、素晴らしい本であることを再確認しましたので、もう少しこの本の紹介を続けたいと思っています。私は、宮地神仙道道士として生きていく覚悟を決めた際、それまで大切にしていた本をほとんど手放しましたが、この本はどうしても手放せなかった本の内の一冊です。因みに長嶋茂雄氏の本棚にもこの本がありました。というわけでもう少し「
前回の予告通り「不動智神妙録」から沢庵和尚のお言葉を紹介します。臍の下に押し込んで余所へやるまじきとすれば、やるまじと思ふ心に、心を取られて、先の用かけ、殊の外不自由になるなり。このお言葉に対し、或る人が然らば則ち心を何処に置くべきぞ。と問われますが、その問いへの答えに心をば総身に捨て置き、所々止めずして、其所々に在て用をば外さず叶ふべし。というお言葉がありいつこにも置かねば、いつこにもあるぞ。と沢庵和尚は言っておられます。この沢庵和尚の教えを基に柳生宗矩先生は「兵法家伝書」を
前回に引き続き、「兵法家伝書」から私の座右の銘の一つ“水月”に関する記述を紹介します。意の速かなること水月鏡像の如しただとをき天の上から、間もなくそのままうつると云ふ心也。鏡にうつるかたちも、何にても物がむかふとはやうつる也。すみやかなと云ふたとへなり。人の物にうつる事、此の如き也。とろとろまどろみ入るよとおもへば、千里の外の古郷へも夢は行く也。か様に心のうつりゆく事を、水月鏡像にたとへて仏は説き給ふと也。「兵法家伝書」の中に柳生宗矩先生は法の師の示しをうつけてここに記す者也。とあ
心心って、心ばかりでじゃかしいわっと思われた方、すみません。じゃかしい=うるさい心はときに、迷わすものであったり、また迷わされるものでもあったりしますが、何事にも動じない心、臨機応変に対応できる心、執着しない心は、人を苦しみから遠ざけると言われるように、身体が心を迷わせたり、心に身体を迷わされそうになったら、目を瞑って、深呼吸しながら、自分の呼吸にだけ意識を集中させる時間を作るようにしています。
今日・12月11日は、〝たくあん漬け〟で皆様にお馴染みであろう、臨済宗の名僧そうほう沢庵宗彭師の命日・没後375周年にあたります。1573(天正元)年、但馬国の武家に生まれた沢庵禅師は、父の奉公先・山名家が豊臣秀吉に滅ぼされたため10歳の時に出家。師・薫甫に付き従って京都・大徳寺に入った後、宗彭に改名。1604(慶長9)年に沢庵の法号を得て、その3年後に大徳寺首座、更に2年後には第154世住持となるも、その僅か3日後に大徳寺を
不動智神妙録(1638頃)諸仏不動智「心は動き度きやうに動きながら、卒度も止らぬ心を、不動智と申し候」〔八十華厳経‐一七〕〘名〙不動智(読み)ふどうち仏語。本来、衆生にそなわっている仏の智慧。限りなく活動しながら不動である正しい智慧。不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)は、江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である。とらわれた心私はアルコール依存症で元極道の修行僧である。現
坐禅会のホームページを立ち上げました。Zazen-kai坐禅会LatestNewswww.clevelandzazenkai.net
月曜日の休日MemorialDay、戦没者追悼記念日を加えて久しぶりの三連休を自宅摂心に励んでいるつもりです。改めてお師匠の動画提唱沢庵禅師「不動智神妙録」を拝聴し実に素晴らしく有難いと感謝しております。江戸幕府三代将軍徳川家光の兵法指南役、剣豪柳生但馬守宗矩に請われて沢庵禅師が剣道の極意を授けたと伝えられる「不動智神妙録」。冬休みに帰国して12月の摂心に参加するために仏子庵安穏寺に到着し、坐禅堂に入るとちょうどこの動画撮影が始まったところで驚きました。
5月17日(日)庚申六白日光東照宮春祭此処まで「夜船閑話」から、一身の元気をして臍輪気海丹田腰脚、足心の間に充たしめる事の重要性を紹介してきましたが、この事に関し、白隠禅師が白幽子に質問されます。予が曰く、謹で命を聞いて、且らく禅観を抛下し、努め力めて治するを以て期とせん。恐るゝ所は李士才がいはゆる清降に偏なる者にあらずや、心を一処に制せば、気血或は滞碍することなからむか。「不動智神妙録」にも臍の下押込んで余所へやるまじとすれば、やるまじと思ふ心に、心を取られて、先の