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2025年8月31日ℹ️御城印情報ℹ️道の駅グランテラス筑西にて🏯関城,下館城、小栗城、久下田城、伊佐城、四保城🏯の御城印を販売してました城山八幡神社さん境内に下館城跡があります
さて、おなかもいっぱいになり、下館城に向かいます。途中にある板谷波山記念館。板谷波山さんの作品はすばらしいと思うし、むしろ好きなのですがまだ入ったことがありません。下館城址大部分は学校になっています。小貝川のそばの小高い丘の上にあります。御城印をいただきに、グランテラスに向かう途中にあった「定林寺」見事なイチョウ。秋にまた来たいこの銅鐘は県の重要文化財だそうです。そんなに大きくはなかったけど、つかせていただくとすごく音が大きく、響きもよ
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、久しぶりに歴史のお話です。このブログではこれまで、ここ茨城県筑西市の常陸下館七羽黑神社についてご紹介してきました。筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年(1481)、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したという羽黒神社が鎮座していて↓この大町の羽黒神社を筆頭に、水谷領内(下館)に複数の羽黒神社が建立され、それらが七羽黒と呼ばれたとされています。現在一般に言われる七羽黒は、①羽黒神社(大町)、②上羽黒神社(岡
下館城『別名』螺城、法螺貝城『所在地』茨城県筑西市甲611(城山八幡神社⛩️)『城主』水谷氏、松平氏、増山氏、井上氏、黒田氏、石川氏『遺構』曲輪、堀跡『城郭形態』平山城『駐車場』なし『歴史』下館城は、天慶3(940)に起きた平将門の乱(天慶の乱)を平定する為に藤原秀郷が上館、中館、下館を築いたとも言われています。文明10(1478)頃に結城氏家臣・水谷勝氏が下館城を築き、水谷氏代々の居城となりました。寛永16(1639)に水谷氏は備中成羽に移封となり松平
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、ここ茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、羽黒神社が鎮座しています。こちらが、下館(大町)の羽黒神社・拝殿↓同・本殿↓そして、この大町の羽黒神社を筆頭として、周辺に多くの羽黒神社が建立され、七羽黒と呼ばれてきました。七羽黒の起源について、一般にはこう説明されます↓「文明10年(1478)、水谷勝氏が下館に築城。文明13年には出羽国の羽黒大神(管理者注:羽黒権現)を勧請し、下館の羽黒神社を中心に、下館城の鬼門にあたる市野辺、風門の下岡崎、病門の外塚
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、以前このブログでご紹介させていただいた、茨城県筑西市の下館支部自治委員会による2枚のマップ「下館支部町界図」と「下館旧市内甲乙丙町界図」。「下館支部町界図」は旧下館市の市街地に残る大町や田町といった通称名とその境界を、「下館旧市内甲乙丙町界図」は正式な地名である甲乙丙の境界を示したもので、令和4年度の市補助金(合併振興基金活用事業)を受けて作成されました。下館支部自治委員会では更に今年(令和4年)も同補助金を受け、マップを元にした「下館支部自治会町
こんにちは、みなさんお元気ですか?少し古い話で恐縮ですが・・・昨年(令和3年)、茨城県筑西市にあるしもだて美術館へ「池袋モンパルナス-画家たちの交差点-」だったか「皆川末子布絵の世界展」を観に行った時に、ちょっと面白い地図2種類を発見しました。地図は(筑西市)下館支部自治委員会が作成したもので、「ご自由にお取りください」とあったので、いただいてきました。まず1枚目は、「下館支部町界図」↓下館支部町界図と言われても、それだけでは、ほとんどの方は全く意味がわからないかと思いますが・・・こ
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて本日は久しぶりに、歴史と文化財のお話です。ここ茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したとされる羽黒神社が鎮座しています。また大町の羽黒神社を筆頭に、水谷領内に多くの羽黒神社が建立され、七羽黒と呼ばれました。現在一般に言われている七羽黒は、①羽黒神社(大町)、②上羽黒神社(岡芹)、③下岡崎羽黒神社(下岡崎)、④外塚羽黒神社(外塚)、⑤竹島神社(稲野辺)、⑥口戸羽黒神社(
うっちーこと宇都宮芳綱です今回は久々の訪問ネタですちょっと前にこの方が話題になってましたが読み方はみずたにだと思っていましたが、本当はみずのやだったんですね実はそれより前に上武将で登場してますが、紹介文に生涯無敗を誇る武将とあるので、どんなに凄い人物なのか興味がありました水谷さんは結城氏の家臣で、城主を務めていた下館城や久下田城が、自分の住んでいる宇都宮から小1時間ほどなので、
こんにちは、みなさんお元気ですか?古い話で恐縮ですが・・・昨年(令和2年)1月13日に茨城県筑西市大町のだるま市を訪れた際に見学させていただいた、羽黒神社の文化財収蔵庫完成記念特別公開(縁起・本殿・旧拝殿)の記事の続きを書かせていただきます。羽黒神社には県指定を含む多くの文化財があり、それらを安全に保管するために収蔵庫が必要とされていました。そこで神社は平成30年度、市の補助を受けて収蔵庫を建設しました。こちらは完成記念文化財特別公開のパンフレット↓収蔵庫にはこの日、普段見ることか出来
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、5月はじめに、茨城県土浦市にある亀城公園に行ってきたので、ご紹介させていただきます。亀城公園は元々「土浦城」があった場所で、城の本丸・二の丸跡にあたる部分を公園として整備したもの。そのお城の濠(ほり)に、端午の節句(こどもの日)の5月5日まで、鯉のぼりが飾られていたのです↓鯉のぼりは、「土浦まちなか活き活き鯉のぼり事業」の一環として、土浦市が平成22年から飾っているとのこと。全長90センチ程の鯉のぼり約500匹が、訪れる人の目を楽しませていました。
しもだて美術館から羽黒坂を上り羽黒神社に参拝しました。藤原秀郷が平将門追討のために三館(上館・中館・下館)を築いたという伝承があり、後に上館が久下田城、中館が伊佐城、下館が下館城となったそうです。ちなみに下館城は水谷氏が1478年に築城。久下田城は水谷氏が宇都宮氏から下館城を守るために1545年に築城。伊佐城は伊達宗家初代当主伊達朝宗が築城との説があります。この久下田城から下館城周辺にに七つの羽黒神社があります。七羽黒巡りというものあるそうですね。七羽黒の筆頭が今回参拝した羽黒
下館城は、現在の茨城県筑西市にあった平城。1478年(文明10年)、結城家の客分であった水谷勝氏が初代城主として再建し3代勝之のとき完成、以来居城とした。1639年(寛永16年)、水谷氏が備中成羽に転封となり、松平氏、増山氏、黒田氏等による支配の後、石川氏による9代の支配を経て明治維新後に廃城。筑西市指定文化財(史跡)。現在は、城山八幡神社となっている。城山八幡神社
下館城は、現在の茨城県筑西市にあった城。別名、螺城、法螺貝城。1478年(文明10年)、結城家の客分であった水谷勝氏が初代城主として築城し、3代勝之の時完成。水谷氏の後、松平氏、増山氏、黒田氏、石川氏と城主が変わり、1869年(明治2年)、版籍奉還により廃城。現在は、下館小学校に二の丸東部、五行川沿いの崖、城山八幡神社に本丸跡として説明板等、当時の名残がある。筑西市指定文化財(史跡)。
江戸時代譜代大名のお城であった「下館城」(茨城県筑西市)は、940年代前後に「藤原秀郷」によって築城され、戦国時代には「水谷家」のお城になりました。1639年に「水谷家」が成羽に移封となった後に「松平頼重」が5万石で入城、その後は譜代大名の「増山家」→「井上家」→「黒田家」と替わり、1732年に「石川家」が2万石で入城してから幕末まで続きます。「下館城」の縄張り絵図が、「本丸」跡に由来とともに掲出されていました。下館城の縄張り絵図下館城址碑これを見ると、「五行川」の河岸
こんにちは、みなさんお元気ですか?ずいぶん前の話で恐縮ですが・・・以前記事にした空海と密教美術展を鑑賞後、同じ上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)にある不忍池弁天堂に行ってきたのでご紹介します。東京国立博物館を後にしたわたくし臣(しん)、公園内を不忍池に向けて散策です。途中、上野動物園、上野東照宮(国指定重要文化財)、上野大仏など見どころ一杯だったのですが、この日は時間が無く写真だけ撮って失礼しました↓みなさんは、上野に東照宮や大仏があったことをご存じだったでしょうか。ただし大仏
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市の岡芹に定林寺というお寺があります↓ここは、代々下館城主をつとめた水谷(みずのや)氏の菩提寺。以前紹介した水谷家歴代の墓(筑西市指定文化財)など、いくつかの指定文化財があります。そのひとつがこちらの銅鐘(茨城県指定文化財)↓青銅造の天平式梵鐘で室町時代の作、総高89cm、径49cm。永禄10年(1567)に第7代下館城主水谷兵部大輔勝俊公が寄進したもので、次のように記されているそうです。常州伊佐郡奥崎郷下館村