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こんにちは相変わらずの古新聞下関市長府の紅葉の名所は功山寺だけではない覚苑寺もまた、紅葉の名所中に入って行くと対称形でお出迎えここには乃木大将の銅像がある乃木大将の顔は優しい映画「二百三高地」で乃木大将を演じた仲代達矢さんはホントにこの銅像にそっくりこの場を借りて、仲代達矢さんの御冥福をお祈りしますではでは
潮干狩り(大正年代)長府海岸での潮干狩り。昭和七年、長府楽園地ができると、この光景はなくなったであろう。(しものせきなつかしの写真集下関市史別巻より)(彦島のけしきより)参考長府楽園地(昭和八年)現在の神戸製鋼所㈱長府工場の地に昭和七年に開設。演芸館·大汐湯.食堂などがあった。同十三年に工場建設で閉鎖。(しものせきなつかしの写真集下関市史別巻より)(彦島のけしきより)
136△豊浦藩知事任命辞令(上)137△豊浦藩知事免職辞令(下)明治2年(1869)6月、版籍奉還が決定されると、長府藩は豊浦藩となり、毛利元敏は豊浦藩知事に任命された。さらに明治4年(1871)7月の廃藩置県により、元敏は豊浦藩知事を免じられ、藩政に幕が下りることとなった。(下関市立歴史博物館常設展示図録より)(彦島のけしきより)参考①豊浦藩最後の殿様、毛利元敏(もうりもととし、コトバンクより)1849-1908幕末-明治時代の大名,華族。嘉永(かえい)2年5月3日生ま
長府の金屋町から金屋浜町あたりは旧山陽道を中心として再開発され、また、その他の庶民の住むあたりは昭和22年の大火で昔の佇まいは失われ、建物の更新もあり、普通の住宅地となっている。金屋金屋の浜は細い路地が入りくんでいて、長府の町でも庶民の生活のにおいが濃い。せまい路地にそって建てこんだ倉や風呂屋や軒の低い家並みが、肩をよせるように重なっている。しかし狭い道ながらも、表通りにはないある種のなごやかな零雰囲気がある。(古舘充臣長府の四季より)(彦島のけしきより)参考①金屋浜町下関市長
長門国分寺跡(下関市·明治末年)国分寺は天平13年、聖武天皇の勅願により、国ごとに建立された。明治23年に長府から現在の南部町に移転した。昭和20年の戦災で消失したが、重要文化財の十二天曼荼羅図·不動明王立像」は奈良に疎開していて助かった。(保存版「ふるさと下関」より)(彦島のけしきより)下関市長府宮の内町7−8参考長門国分寺(参考)『長門国分寺、下関市長府』国分寺跡-こくぶんじあと-、下関市長府宮の内町天平13年(741)聖武天皇が国家の平安を祈り、全国に建立した寺を国
少し間が開きましたが長府散策の続き今日で最後で~す古い街並みの中灯りが見える格子窓を見つけたその下によく見ないと分からない板書きの看板がありカフェのようここが入り口なんだ~古い家屋がそのままカフェになっています庭木の間から見えるカフェの入り口この感じ好きだな~中はどんなカフェなんだろう?とワクワクしながら入ってみるといきなりこんなお席外から
今日は先日からご紹介していた長府(ちょうふ)散策の続きを~長府には有名な神社やお寺庭園などが点在していてその中の功山寺を参拝道路からすぐの所にとても大きな門がありそこから眺める景色がいきなりの侘び寂びでまるで絵画のようでした樹齢を感じる大きな木が並んでいて下の方は濃く深いグリーン光のあたる上の方は明るいグリーンそんな緑の下を通っていると感じる特別感階段を上がると壮麗な山門
歩くのが楽しい長府(ちょうふ)散策↑道の右側は水路になっていてそこに大きな穴がぽっかり空いています穴の奥は大きな土管につながっていたのできっと石垣は崩さずにその奥は現代風に工事してあるのでしょうね上級武士が住んでいた侍町はどこまでも土塀が続き今は舗装してある道もかつては土で馬やかごに乗ったお侍さんが通っていたのかな~と想像を膨らませるのも容易ですこちらの土塀は瓦
下関市の南西側にある長府(ちょうふ)は歴史の舞台に幾度も現れる風情たっぷりの城下町江戸時代の雰囲気が今なお残る所ですそんな江戸時代のお武家様のお庭やお屋敷が残る通りを歩くと歴史的情緒の中に建つお洒落なショップの建物が目立ちますそんな建物をスケッチするように楽しく撮ってみました通りから建物のある高台へと続く階段のタイルと壁のタイルの色調が同じ可愛いお店?そのすぐ左側にはかなりの樹齢がありそうな大
鯨館昭和33年に開設した鯨館の前で。下関水族館が下関大博覧会の主会場となったのを機に建設されたものである。高さ15メートル、長さ27メートルの鉄筋、鉄骨コンクリート造で、鯨や捕鯨に関する資料を展示していた。〈長府黒門東町·右:昭和39年·提供=小笠圭子氏、下:昭和37年,提供=長谷川かおり氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)参考くじら館(参考)『くじら館、下関市』長府外浦町にあった旧下関市立水族館とくじら館手前には旧長府遊園地(現下関市立美術館)があった。現在、水族館は唐戸の
豊浦小学校昭和54年に長府小学校ができるまで長府町唯一の小学校であり、戦中には既に2,700人もの児童がいた。戦後の昭和33年には児童数3,500人を超えており、全国でも随一のマンモス校であった。当時、給食のパンは校内にある工場で作られていた。〈長府亀の甲·照和49年,撮影=グループSYS〉豊浦尋常高等小学校寛政4年(1792)開校の藩校敬業館と元治元年(1864)開校の集童場の流れを汲み、明治6年の学制に伴い、第一番豊浦小学校として開校した。その後、分割、合併が繰り返され、同17年
通りぬけ(横枕の小路)宮の内の通りからこの道をぬけると、忌宮の裏手にでる。乃木神社の横にあるこの通りぬけは、落付いた土塀と真砂土の道である。土塀に、冬の弱い陽ざしがとけこみ、暖かみをふくんだ色となって、手で触れてみたくなる。緑といえば、土塀にまつわりついたオオイタビの色だけである。夏には、うっそうと繁る木陰の道も、いまは明るく冬の陽がこぼれている。(古舘充臣長府の四季より)(彦島のけしきより)参考下関市長府宮の内町1−38横枕小路
長府高校の運動会明治33年、豊浦高等小学校に付設された女子補習学校がはじまりである。同44年には豊浦女学校が創立され新校含が落成する。昭和23年、学制改革により長府女子高等学校校として発足し、豊浦高等学校校と統合して東高等学校となったが同29年に分離して長府高等学校となっている。写真は1年2組による仮装行列のようす。《長府亀の甲昭和29年,提供=原田宏氏》(下関市の昭和より)創立50周年(長府高等学校六十年史より)(彦島のけしきより)参考下関市長府亀の甲2丁目3−1
本日は有志たちが明日の譲渡会準備(掃除・会場作り)をしてくれました💛みなさん、お疲れさまでした!ありがとうございます!明日、1匹でも多くの犬猫たちにお申し込みがありますように🙏
長府苑⑥家の造りがおもしろいですね。今の時代にも、建築に取り入れてみたいですね。窓枠や欄間など、日本らしさが伝わってきますね。今の住宅事情からは、程遠いのでしょうけど、少し角度を手間をかけてみては如何なものでしょうか?こういうのが本来の日本の住宅なのではないのかな?そして、なにより癒されますよね。今は、気候の問題もありますが、気密性とかいわれてますが、それはそれで問題があるのではないでしょうか?電ドラなどで簡単に出来る家とは、大違いですよね。・。+☆+。・゚・。+☆+。。+
もう別世界でしたね。
長府苑長府苑の敷地は約1万6千平方メートル。正面の「大手門」を通り、木々に囲まれた坂道を登り切ると、重厚な日本家屋の旧田中隆邸が建っていた。船主などの賓客の接待に使われる客間や、山桜の巨木とモミジがシンボルとなっている中庭など贅(ぜい)を尽くした造りとなっている。いよいよ足を運んでみます。期待でドキドキ💓します
天気が良いので久しぶりに長府駅から石鎚神社まで歩きました。途中、ジョウビタキがいましたよ(笑)こちらの鳥居から参道です。四王司山登山は左の道です。今回は山には登りません(^^)/『四王司山①松小田コース』1年ぶりに下関の四王司山に上りました。暑いのに。なんとなく毎年、夏に1回登っています。今回は長府駅から松小田コースを上がり、勝山御殿跡へ下りました。長府駅…ameblo.jp樹木に覆われた参道を進むと立派な本殿があります。三寶荒神社です。役行者像もありま
『下関市長府宮崎町の櫛崎城跡石垣』櫛崎城跡厚東氏により築城されたもので大内氏の家臣内藤隆春(ないとうたかはる)の居城として使用されていました。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いにより、毛利氏は防長二州に減封され現在の山口県萩市に本藩を構えます。そして同年11月2日現在の下関市長府に支藩として長府藩が成立します。初代藩主は毛利秀元。当時36200石(後に5万石)。居城として櫛崎城(雄山城)を再築しました。しかしながら、1615年(元和元年)閏6月13日、幕府による一国一城の令
今回は急に行き先を決めた旅だったので選択肢はあまり無かったのですが…ラッキーにもまた訪れたいと思える宿に出会うことが出来ました関門海峡を望む下関温泉・風の海心のこもったおもてなしとセンスがひかり清潔に整えられた室内丁寧に作られたお料理と三拍子揃ったところに更にお部屋から見える途絶えることなく船が行き交う関門海峡の風景はいつまでもみていられる癒しの時間下関市長府ホテル全景ロビーお部屋大浴場はありませんが各室に温泉が引かれてます浴衣とは別にパジャマ有り
令和6年9月15日(日曜日)もかくうママが立ち寄ったJAふれあい市にてバスツアーの申込みを目にして申し込んでたらしい当選したら、現行価格の半額でツアーに行けるという企画なんと!当選したとかで一緒に行くことになったこのツアーの魅力は出発地が中津駅なのだ有り難い(˘³˘)♥近場から出発するツアーなんてほとんど無いもん正規で申し込むと1万程の旅行代しかし、この企画に当選したので我
アンティークのお店で貴重なお宝の数々を見て楽しんで奥のカフェスペースへ静かな空間緑豊かな窓辺可愛らしいアンティークの品々淹れたてのアイスコーヒー格別な時間でしたトップページアンティーク&オールディーズ英国立時計技師(BHI認定)が運営する西洋アンティーク輸入販売店。アンティークウォッチ、クロックを始め、照明、ガラス工芸品、磁器陶器、アンティーク建材まで幅広い品揃えです。オーナーのハートを射抜いた美術品も多数置いております。海外オークション代行のことならお任せ下さい。ご購入
下関市長府の萬寿庵でランチ。駐車場もありますよ。お手軽な値段で食事できますよ。カツ丼と蕎麦のセット(牛とじ丼、親子丼、うどんも選べます)蕎麦が美味しいです。おろしそば(2023-04-02)
忌宮神社一七〇〇年祭これは豊浦宮(忌宮神社)の一七〇○年祭の写真である。つまりこの祭りは二五年毎に行われるもので、昭和二年、二七年、そして一昨年の五二年に行われたわけである。しかもこの写真は鳥居が前のところにあって埋め立ても行われていない時期である。いかにも昔を偲ばせるものがある。長府琴の浦鳥居より干珠島を望む(写真集明治大正昭和下関より)(彦島のけしきより)参考①大正時代の長府鳥居前から昭和時代の埋め立て後赤丸:1920年(大正9年)の鳥居前昭和3年頃電車道が開通した
薬研堀豊浦高等学校の校庭に小さな池がある。今は蓮の花が咲いて、ただの池にしか見えないが、ここは薬研堀の跡で、昔は海まで続いていたのだそうである。校庭から外れた民家の庭先きにも石垣がのこっており、長府毛利藩のお舟手あとの面影がある。(古舘充臣長府の四季より)(彦島のけしきより)参考北から南に見下ろす豊浦高等学校の校庭と薬研堀跡薬研堀跡(グーグルマップ)下関市長府宮崎町1−1豊浦高等学校(グーグルマップ)
川端壇具川も水添橋のあたりから、いちだんとその美しさが増してくる。長府の見どころのひとつといえよう。ときおり、橋の下で洗濯物をすすいでいる人がいて、このところ久しく見なかった情景だけに、心がなごむ思いであった。川端の石の橋この川筋には石の橋が、ここともうひとつある。石の桁の上に横に石を並べてあるこの橋は、現在ではもう、貴重な部類に入れなければならないのであろう。歩くとコトコト、石の当る音がする。石の橋と、そのむこうに続く石の段々、左右の土塀からにじみ出てくる暖かい色合い。この物質文明の
長府地区シャーランド夫人の墓名刹長府功山寺は史跡の宝庫といってもいいほど、余りにも見る所が多くて戸惑うくらいである。特に参道から仏殿裏にかけての広大な墓地には、大内義長や長府毛利家藩主および家族、そして家老、勤皇の志士、学者、教授、医者、僧侶、文人、画家、書家、市長、外人など、数多くの有名人が眠っており、ちょっと数えるだけでも、百人近くの著名な人名録をつくることができる。墓地のいちばん奥まった左の高台に、高さ六〇センチ、幅五四センチほどの外人の墓碑があり、御影石の表に「シャーランド夫人之
下関市長府といえば長府製作所を思い出します行って初めて城下町と知りました最後に訪問した下関市立歴史博物館モダンな建物来館記念に購入御朱印帳に収めました半日長府地区を周って疲れたのでお茶したくて博物館すぐ前の昭和の香りがするママーズカフェに入店ベルギーワッフルショコラケーキコーヒーコーヒーも美味しく頂き元気で帰ることができました世話好きな優しいお店でした
長府八幡川橋梁山陽本線の列車が走る八幡川橋梁前から北西方向を望む。左を流れるのは八幡川で現在は暗渠化されている。奥に見える山は四王司山。〈長府八幡町·昭和42年,提供=町田一義氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)参考下関市長府八幡町