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赤丸:内山旅館黄丸:開月旅館内山旅館開月旅館
殿居郵便局八角形の塔屋が特徴的な木造平屋建ての洋風建築で大正12年に竣工した。これを建てるため、地元の大工が上京し、洋風建築を見学して勉強したという。昭和52年には県の有形文化財に指定された。〈豊北町·昭和50年代·提供=谷山昇氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)参考下関市豊田町殿居1111−2
現在、下関市豊田町の殿居には、小学校も閉校となり、中学校も高校も存在しない。西市高校殿居分校昭和23年、殿居中学校の校含舍の一部を仮校含として開校した。同29年に独立校舍が完成。定時制で農業科と家庭科を設置していた。同50年に閉校している。〈豊田町殿居,昭和35年,提供=杉村辰子氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)参考殿居小学校維新分校
桜も藤も終わってしまって、なんだか空虚な日々を送ってしまってるうちに、気づけば5月も早半ば。新緑が深緑になってしまう前にせめてドライブでも、と某所を目当てにまたまたガソリンの無駄遣い💦で、こんなところに来てみました。下関市豊田町にある「一の俣桜公園」。その名の通り、春ともなれば桜が咲き誇る景色が見られたはずなんですが、もちろんその時期は過ぎてまして・・。でも、この公園を昨今有名にしてるのは寧ろこの池。ちょっと上高地にも似た雰囲気ですよね♪とは、言い過ぎかな?笑緑色の池の中を水没林
山口県百名山堂ヶ岳豊田町今出地区からミツマタを眺め、尾根道を辿る山口県百名山(中島篤巳著)山口県下関市豊田町にそびえる堂ヶ岳今出地区を出発、ミツマタの花を眺めて尾根道に入ります登山途中では急登になりますが、途中の伐採地からは豊田湖やゴルフ場等の展望が広がります再び急登を乗り越えれば二等三角点の置かれた山頂に到着します山頂周囲は樹林の背が高く展望はありません
令和2年から見ると、別世界です。最近は雪そのものを見なくなりました。雪だるま作成中(下関市豊田町·昭和20~30年代)田んぼのなかで雪だるまを作って遊んでいる子どもたち。(保存版「ふるさと下関」より)(彦島のけしきより)
1月4日(土)午後から下関市豊田町へ🏃♀️離合不可能な「崖っぷち」を走るルートを避けて道の駅きくがわ〜みのりの丘経由で登山口まで今回は「奥の院」には行かず蕎麦屋さんを優先くるそんざん名物の「田楽味噌」はテイクアウトした胡麻豆腐につけて家でも美味しくいただきました♪
漁港も造船も華やかであった昭和38年山口国体が開催され、下関市では秋式庭球、高校の硬式野球、ウェイトリフティング、バドミントン、クレー射撃などの競技が繰り広げられた。(下関・豊浦の100年より)(彦島のけしきより)豊田町の国体歓迎アーチ豊田町の豊田湖で漕艇競技が行われた。〈豊田町西市·昭和38年·撮影=藤井勝利氏〉国体旗が行くのどかな田園風景を背に国体旗バレードが行く。沿道には大勢の歓迎の人たちが詰めかけている。〈豊田町西矢田·昭和38年·撮影=藤井勝利氏〉(下関市の昭和より
なつかしの長門鉄道(豊田思い出写真館より)(彦島のけしきより)参考旧長門鉄道(参考)『旧長門鉄道、西市駅と小月駅』昭和20年代、C231蒸気機関車、長門鉄道は明治43年に計画され小月-西市間で大正7年に開通。写真は西市駅を発車間近かの立山重工業製C231蒸気機関車。昭和3…ameblo.jp
日が落ちると風が涼しくなってきたホッとする明日は買い物の予定です写真は鶏の溶岩焼き〜
下関市豊田町木屋川のホタルを観賞し、ホタルが光り輝きながら舞い飛ぶ姿を撮影してきました。近くの”道の駅蛍街道西ノ市”の駐車場130台は満杯で県外からの車やバスが多く人気のスポットですね。下関市豊田町に流れる粟野川と木屋川では、水温の差により5月下旬から粟野川流域、6月上旬から木屋川流域であわせて約1ヵ月間ホタル観賞が出来、観賞場所としては6箇所あるそうです。この地域はゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル等9種類のホタル数万匹が天翔けています。また平成3年から日本で初め
現在は、『初夏、乗ってみたい舟』長年、恋焦がれていますが、梅雨時期の6月に帰省する事がないので、この舟に乗ることができません満席だったらしいのですが、町のInstagramによる…ameblo.jp蛍舟が運航している時期ですが、私が帰省した時期は、5月下旬で、まだ運航されていなかった(大人気で飛び込みでは無理らしいけど)しかし現地に行けばちょっと気が早い蛍が観られるのではと、行ってきたんですよ30分ほど車を飛ばし、
6月に突入まだ暑さに慣れません(⌒-⌒;)とりあえず日陰で活動できる場所を求めて下関市豊田町に向かいました珍しく山の麓にある重兵衛茶屋が空いていたのでおやつ代わりにササッと蕎麦と田楽をいただき狗留孫山に入山いきなり鹿と遭遇🦌かわゆ今年2度目の登頂🙌15時頃にスタートし、17時過ぎには下山所要時間は休憩を含め約2時間10分でした〜私たち夫婦には、ちょうど良い感じ◎山頂の木々が伐採され前回よりも見晴らしが良くなった「狗留孫山」周辺の道路が細くて自力で行くのは困難
西市の町並み西市招魂場から撮影。手前は長正司地区で、付近に現在、豊田総合支所が建っている。〈豊田町長正司,昭和30年,撮影=藤井勝利氏〉(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)参考現在の西市(豊田町)忠魂碑下関市豊田町大字殿敷忠魂碑昭和38年の西市(豊田町)と招魂碑(赤丸)
阿座上~西市間を走る長門鉄道のガソリンカー長門鉄道は大正7年に小月~西市間で開業し、昭和31年に廃業するまでの38年間、地域の経済発展に貢献した。長門鉄道の廃止が現実味を帯びてきて、記念に残すために撮られた写真。後方は雪の華山。〈豊田町矢田付近·昭和29年·撮影=藤井勝利氏〉駅員と家族の記念写真長門鉄道小月駅、ガソリンカーの前で。〈小月駅·昭和24~27年,提供=北條秀一氏〉菊川町の田部川鉄橋を渡る長門鉄道のガソリンカーが鉄橋を行く。正式名称は「吉賀川橋梁」で、13メートルの3径間で、
なつかしの長門鉄道(豊田思い出写真館より)(彦島のけしきより)参考
【静寂のなか佇む古刹「神上寺」】高野山金剛峰寺派真言宗の山岳霊場として約1300年前に開山された華山に佇む古刹「神上寺」🍃古来より朝廷諸将藩主の尊崇篤く、毛利藩主の保護寺として300石が奉納されました。仁王門や無明橋、雪舟庭園のほか、曼陀羅といった宝物も伝えられており、多くが国重要文化財や県指定文化財に指定されています😌苔生す参道には、幽玄な世界が広がり、悠久の時を感じさせます。また紅葉も見事で、巨木のモミジやイチョウが深く色づくさまは、多くの人の心を惹きつけてやみません🍁○名称神上
徳仙の滝下関近辺には渓谷が少ないので滝が珍しいが、それでも市内には長府石槌神社と勝山の大王寺に小さいのが見られ、市外では菊川町の中山渓に、また豊田町では徳仙の滝、石柱渓の滝が有名であり、北九州市小倉には菅生の滝がある。そして中山渓の滝、徳仙の滝、石柱渓の滝はみな木屋川の上流である。さて滝を訪れるのは、新縁の濃い夏もよいが、やはり紅葉の秋が最高である。山電バスで豊田町の石町に下車し、川沿いの舗装された道を山手に向かうと、途中で道が二つにわかれ、右は神上寺へ通じ、左をたどると二十分くらいで華
人生初の、貴重な体験をしました!詳しい詳細は、金子君のブログにて・・・。数年前、高校時代の後輩から誘われてホタル舟に乗ったのが最初で、今年で3回目。生徒さんや友人を誘って、4人で乗りました。皆さん喜んでくださって、私も一緒に楽しみました。ホタル舟から下船した時「浴衣が素敵ですね!」と、実行委員の方から声をかけて頂きました。色々とお話をしているうちに、良かったら演奏者として舟に乗ってみませんか?とお声をかけて頂き、乗船させて頂きました。楽しかったので、今度は金子君を誘
下関市豊田町の風物詩ホタル舟初めて、行ってきました。幻想的✨神秘的✨美しさと儚さ。生命を感じました。
今日のお昼はわらじ海老天うどんまるい細麺ですがコシは強め出汁がとても美味しい◎3時のお茶は下関市豊田町にある大好きなカフェにて♪私はキャラメルミルク🥛にしました自家製キャラメルシロップをたっぷりかけて…自家養鶏卵を使ったプリン美味しかった〜手入れの行き届いたお庭も素敵癒されて帰宅🏠
娘不在の週末退屈だー🥱午後から山奥へ(下関市豊田町)まずは鹿さんにご挨拶狗留孫山修禅寺の本堂に到着!以前、ご近所さんと一緒に来た時は最後尾でヒーヒー言いながら皆さんについて行った記憶があります今日はわりと余裕でした\(^^)/それにしても休憩室での「お接待」は有り難いなぁ…🙏長門市から来ていたご夫妻からここに松潤が来たのよ!と教えてもらいました写真も貼ってあります👍今回は頂上ではなく奥の院まで歩いてみました〜下山途中丸太に乗ったら滑って派手に転んでしまいまし
こんにちはりんご狩りにはちょうどいい気候になってきました明日、豊田のみのりの丘にてふるさと祭りが開催されます当園のりんごも一袋500円で出品します数に限りがありますのでなくなり次第終了となります。ご了承ください秋映もりんご園にて販売しておりますお待ちしておりますひめりんご
こんにちは今日も暑いですね…台風も無事去ってくれましたが、新たな台風がまた…9月は台風が多いので毎年ハラハラしております台風でりんごはすぐに落ちてしまいます。落ちてしまったりんごはすぐに傷んでしまうので廃棄してしまうことが多いです只今、ひめかみが食べ頃です台風の時期でもありますが完売も早いのでお早めに
(ふるさとのこぼれ話豊田町文化協会)今出の開祖石仏さま私たちの遠い先祖は、男女の持っている「陰」と「陽」の道具を祭って、たいせつにしてきた。それは子孫をつくる子どもが生まれるということは、人間の力ではとうていおよばない神仏か、天からの「さずかりもの」と信じていたからであろう。女がひとりでも男だけでも、子どもを生むことができない神秘性を信じ、人間が生きていくための食糧となる稲やくだもの、動物などすべての生きものが、陰と陽の2つが結ばれてできることのふしぎを思い、また、男と女の抱擁によるク
(ふるさとのこぼれ話豊田町文化協会)横田先生の教育幼名菊治郎の稗田雪崖先生が、横田先生について勉学をはじめられたのが8歳ぐらいのとき。塾の名は尚義館とはいえ、寺小屋風のものだった。横田先生は、生徒にこの塾を稽古場と呼ばせ、自分を師匠さまというようにしつけられた。どのように、この稽古場で教育が行なわれたのだろうか。そのようすを、後年雪崖先生が詩に詠んでおられるので、一部を引用しながらふれてみよう。生徒の学習が少し進むと、たちまち論語とか孟子など、たいへんむずかしい本になる。これらの本は仮名
先日100日動画を撮り終え、一旦習慣形成トレーニングの課題が終了しました。その課題の中で、やり終えた自分にご褒美をプレゼントしましょうと言う事で、随分色々と考えましたが、私はアフタヌーンティーを経験したことが無く、一度やってみたいと思っていました。そこでカフェをされている生徒さんのMさんに相談して、お力を借りる事にしました。私と生徒のIさん&Oさんの3人でお邪魔しました。テーブルに並べられた数々のお料理!!それを前にして100日目の動画を撮りました。無事に撮影が終わっ
(目で見るふるさと豊田の歴史と文化)(彦島のけしきより)
忘れ得ぬあの時(豊田思い出写真館より)(彦島のけしきより)