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戦国時代末期に石川(大井)氏の屋敷跡、近年まで石川氏の末裔が住んでいましたが、現在は資材ベースとなっており殆ど痕跡は残っていませんが西側に一部堀らしきものが残っています。土塁も現在はありません。堀跡この屋敷は石川(大井)氏の屋敷跡で秀吉の家来石川民部が松伏に移り住み家臣の大井氏がこの地を居としたことにはじまる金崎グランド近くの石川氏の墓所
昨年訪問した寺社巡りのつづき創建時期は不明ですが本堂が寛政11年(1799年)に再建との記録が残る真言宗豊山派の浅間山満蔵院西方寺山門境内水盤本堂ご本尊:不動明王石仏・供養塔他観音様と六地蔵尊歴代住職の墓
徳治元年(1306年)の銘がある棟札が見つかっておりそれ以前の創建と云われる西金野井の香取神社は、天正14年(1586年)に北條氏から寄進を天正19年(1591年)には徳川家康の寺領を与えられているという。別名:梶取明神昭和26年に江戸川に治水工事により北200mの所からこの地へ移転してきた。一ノ鳥居富士塚二ノ鳥居境内社務所手水舎拝殿御祭神:経津主大神・木花咲那姫命本殿(鞘堂[覆屋])本殿(徳治元年建立)檜皮葺一間社流造以前参拝したときの写真のがちゃんとしてた境内社
それぞれの創建時期は不明だが明治40年に浅間社・天神社・香取社・八雲社の四社を合祀して誕生した寳珠花神社。もともと東に300m程のところに鎮座していたが昭和22年の台風被害により江戸川堤防の改修事業が決り西宝珠花村全体がこの地へ曳家方法による移動をすることになり神社も同様に移転した。鳥居境内手水舎狛犬拝殿御祭神:香取社:経津主命八雲社:素戔男尊浅間社:木花開耶姫天神社:菅原道真公富士塚(三国第一山)水盤日本・印度・中国の三国で一番の山との扁額前回の参拝は20
この辺りは一色直高を祖とする蘆葉氏の館跡にあたりその中に東岳庵があります。ここは蘆葉家の墓所があったところですが。現在何処にあるのかは分りません。もしかしたら無縁仏の中にあるのかも・・・・石柱門本堂石仏など蘆葉(芦葉)家の墓もしかしたらこの中にあるのかも歴代住職のお墓蘆(芦)葉氏は幸手一色氏の支城で天神島城主だった一色直高が始祖になります。北条氏康が天文23年に古河公方の足利晴氏を攻めたとき天神島城も落城した。落延びて芦原に潜んだ直高が蘆葉姓を名乗ったのがはじまりという。蘆葉家は明
富士山信仰の流行と共に土を盛って富士山ににたとえ社殿を建てた浅間神社(この辺りは関宿城の城下町だった場所)鳥居水盤片方は関宿の豪商喜多村藤蔵家が奉納したもの社殿境内社柳剛流祖岡田先生の碑柳剛流は岡田奇良が柳の枝が風になびく野を見て編出した剣術岡田氏は一橋家の指南役も務める水神宮拝殿本殿青面金剛
曹洞宗東昌寺の隠居寺として建立された臨川庵境内には銀杏地蔵(幹の中に地蔵尊が彫られている)大銀杏(樹齢400年以上)六地蔵尊如意論観音臨川庵本堂ご本尊:聖観世音菩薩(胎内に阿弥陀如来)銀杏地蔵(子育地蔵)如意論観音供養塔東昌寺『六國山東昌寺[五霞町]』永享元年(1429年)に即庵宗覚が創建した山王山六国寺が始り永享11年(1439年)に足利氏の家臣簗田持助が関宿城を築いた父簗田満助の菩提を弔い為諸堂を再造営…ameblo.jp
創建時期が不明な江川地区の鎮守江川天満宮一ノ鳥居(天保15年建立)扁額参道狛犬手水舎御嶽塚社殿御祭神:菅原道真公天神池
観音堂のすぐお隣に鎮座する日𠮷神社もしかしたら山王観音寺が別当寺を務めていたのかもしれません。鳥居手水舎拝殿本殿御祭神:大山咋神境内社(稲荷社)観音堂『山王観音寺観音堂[五霞町]』葛飾坂東三十四箇所観音霊場の第二番札所にあたる真言宗豊山派の大士山山王観音寺。銀杏の大木と観音堂観音堂ご本尊:聖観世音菩薩境内の石仏など庚申塔地蔵尊辯才天境内…ameblo.jp
葛飾坂東三十四箇所観音霊場の第二番札所にあたる真言宗豊山派の大士山山王観音寺。銀杏の大木と観音堂観音堂ご本尊:聖観世音菩薩境内の石仏など庚申塔地蔵尊辯才天境内に隣接した場所には日吉神社があります
天福寺観音堂のお隣に鎮座する大福田天満社は元文3年(1739年)に天満宮を祀ったのに始り境内には天満宮の他に大杉神社・浅間神社と八坂神社などが祀られています。鳥居水盤天満宮御祭神:菅原道真公大杉神社(あんばさま)浅間神社八坂神社他境内『天福寺観音堂[五霞町]』明治の愚策廃仏毀釈によって廃寺になった真言宗豊山派の天福寺は現在観音堂が残るのみ。ここは葛飾板東三十四箇所観音霊場第三番札所。隣には大福田天満社があります。…ameblo.jp
明治の愚策廃仏毀釈によって廃寺になった真言宗豊山派の天福寺は現在観音堂が残るのみ。ここは葛飾板東三十四箇所観音霊場第三番札所。隣には大福田天満社があります。観音堂ご本尊:十一面天神本地佛大師堂
葛飾坂東三十四箇所観音霊場番外札所の真言宗豊山派の地蔵堂は利根川の幾度となく行われた河川工事や現在の堤防拡張工事によって移設を余儀なくされ最終的にこの地に移転してきました。地蔵堂ご本尊:地蔵尊と千手観世音菩薩地蔵尊は鎌倉時代のものされる宝篋印塔三社宮地蔵尊
遠くから見ると小さいけど大社造で立派に見える浦島神社只近くに行くと荒廃が目立ち境内にはソーラーパネルが張られ東屋には沢山の自転車が放置・乗捨てられた軽自動車や問われたトイレが・・・・悲しい感じ遠景門鳥居社殿夫婦亀石
葛飾坂東三十四箇所観音霊場は毎年3月中旬から4月中旬に開催されます。今回はその番外札所の一つ真言宗豊山派の蓮花庵蓮花庵は廃寺となっており現在では集会所が本堂の代りにもなっています。境内本堂(集会所)番外札所ご本尊:十一面観世音菩薩境内の石仏歴代住職のお墓
室町時代、古河公方足利氏の家臣野田氏の居城で徳川家康の家臣小笠原秀政が最後の城主になった下総國栗橋城(天正10年[1590年]廃城)江戸時代に権現堂川の掘削により分断され現在は五霞町側に堀や土塁の遺構が残るのみ城址遠景個人宅の入口(この奥に遺構が・・・)日蓮宗法宣寺の境内にも遺構があります堀跡土塁跡権現堂川と人工の浮島これも遺構かな(こんもり高くなってる)庚申塔栗橋城址にある法宣寺『正長山法宣寺[五霞町]』栗橋城址東側にある日蓮宗正長山法宣寺ここから堀などを見
徳川家臣伊奈忠次が開基となって天光大補大和尚が開山した曹洞宗佛棟山源長寺(本堂には伊奈忠次の位牌が祀られているそうです)伊奈忠次のお墓は鴻巣市の勝願寺にあります石柱門本堂ご本尊:釈迦如来地蔵堂安産子育地蔵尊地蔵尊石仏石塔塔歴代住職のお墓開山塔
創建の年代は不明ですが久田久太郎が開基となって大覚仏海禅師(寛文4年入寂)が開山したと伝わる曹洞宗月光山松源寺明和8年(1771年)の火災と大正12年の関東大震災の二度堂宇が被害にあってる。武州葛飾郡新秩父三十四箇所観音霊場第四番札所本堂ご本尊:釈迦牟尼佛(江戸末期造)観音堂石仏・石塔等社香取神社
全く情報がないが明和5年以前に開創された武州葛飾秩父三十四観音霊場の第一番札所真言宗豊山派の醫王山延命寺。現在は無住のお寺で併設された彩玉南霊園が運営されている石柱門山門本堂ご本尊:大日如来六地蔵尊庚申塔細井君招魂碑明治9年に徴兵令によって東京鎮台に入隊し翌年西南戦争に参加し命を落した細井卯吉さんの魂を鎮める為に建立された碑らしい宝篋印塔歴代住職の墓
慶長9年(1604年)に広川通光(久念)が開基となって創建した浄土真宗東本願寺派単立寺院の通光山平親院浄誓寺は平将門の首塚があります。山門境内開基の広川通光の妻は雑賀衆の鈴木孫一の妹だそうだまた寺の山号は名前から通光山が付けられている薬師堂鐘楼堂本堂ご本尊:阿弥陀如来平将門の首塚将門の本拠地と終焉の地は茨城の板東市あたりだったといわれ将門の乱の時に平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲の連合軍と戦い敗れている。将門の首塚は浄誓寺が建立される前よりこの地にあったとされ院号の平親院は将門に由来
鈴木内蔵之輔が開基で暁譽上人が開山した浄土宗鈴木山清光院松林寺本堂鐘楼堂(梵鐘はありません)仏塔・石塔歴代住職の墓石
圏央道の脇にひっそりと佇む日蓮宗穐光山妙法寺本堂
庚申塔が沢山建立されている真言宗豊山派の金剛寺本堂庚申塔十九夜供養塔地蔵尊首がない六地蔵尊(廃仏毀釈で首切されたのか?只の劣化か?)宝篋印塔歴代住職の墓古い墓石
真言宗豊山派の松林山地蔵院坊合寺のはじまりは文治3年(1183年)にこの辺りの庄司の行平の弟の政義が霊験あらたな夢をみて高野山より子育地蔵尊(慈覚大師作)を勧請し山西坊安置したことによる。その後この辺りの領主だった源親泰が荒れ果てていた坊にお堂建て松林山坊合寺と名付けている埼東八十八箇所霊場第十八番札所武州葛飾西国三十三観音山門永亨年間には一色頼氏の室(梶の戸御前)が子育地蔵尊を深く信仰し頼俊阿闍梨を招いて中興の開山とし松林山地蔵院坊合寺と改めたらしい鐘楼堂お堂本堂ご本尊:地
元々関宿に宥善が開山した不動院がはじまりとされる真言宗豊山派の瑠璃山満蔵寺は埼東八十八箇所霊場第十七番札所にあたる(現在の真言宗豊山派の開基は永範戸の記録が残る)石柱門境内本堂ご本尊:不動明王弘法大師聖観世音菩薩境内の石仏・石塔その昔、境内には薬師堂があり薬師如来が祀られていたそうだ
埼東八十八箇所霊場第十九番札所にあたる真言宗豊山派の虚空山眞乗院は小さなお堂(本堂)と墓地が現存するのみ石柱門本堂お堂庚申塔宝塔歴代住職の墓宝篋印塔
康治2年(1143年)創建の真言宗豊山派の大悲山観音院は一時荒廃していたが江戸時代に再興されたらしい江戸時代の庚申塔(青面金剛)が並んでいます山門門前の庚申塔など青面金剛群境内本堂ご本尊:不動明王大師堂観音堂(福聚海無量)宝篋印塔地蔵尊武州葛飾郡新板東三十三箇所霊場第二十八番札所
地域教育の場として文化年間の頃から寺子屋として使われていた真言宗豊山派の日照山東光院金剛寺は埼東八十八箇所霊場第二十番札所石柱門本堂ご本尊:大日如来本堂の天井は格天井になっており菊・牡丹・桜など鮮やかな絵がはめ込まれています正観世音菩薩石塔宝篋印塔歴代住職の墓参道の石碑・庚申塔六地蔵尊
関宿藩主の祈願寺として建立された真言宗豊山派の醫王山正福院満願寺仁王像本堂ご本尊:薬師如来(秘仏)江戸時代から伝わる仏像で12年に一度(午年)にご開帳されます(本堂には千手観音様もいらっしゃいます)子育地蔵尊あやかりさん地蔵尊石碑石燈籠↓追加2022.10.17↓山門宝篋印塔
大永5年(1525年)に開基されたと伝わる真言宗豊山派の薬王山蓮花院(中興開山は祐章[明和6年没])は埼東八十八箇所霊場第二十一番札所にあたります本堂ご本尊:聖観世音菩薩薬師堂?地蔵堂?宝篋印塔六地蔵尊境内の石仏など観音六地蔵尊如意論観音地蔵尊