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下総國一之宮香取神宮御朱印香取神宮の拝殿。元禄年間に綱吉の命により幕府が造営。重要文化財。本殿のご祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。香取神宮奥宮御朱印奥宮の説明香取神宮奥宮。経津主大神の荒魂をお祀りしています。香取神宮要石御朱印要石の説明。囲いの中に要石地震を起こす大鯰を鹿島神宮と香取神宮の要石で押さえつけているのだそうです。参拝時のブログは下記を参照願います。香取神宮の朱の鳥居『下総國一之宮
Instagramの投稿を、こちらでも共有させていただきます。当ブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。天眞音・クルール(アマネ・クルール)今野眞樹子です。メニュー・料金│アクセス│ご予約・お問合せこっそりシャー活@千葉県この投稿をInstagramで見る在り方をととのえる・今野眞樹子(@amane.couleur)がシェアした投稿2023.04.28~Instagramより4月に入ってボチ
元々香取神社であったが明治42年に周辺の六社が合祀され松伏と改めた松伏神社。昭和57年に当地へ。鳥居扁額境内狛犬(安政5年建立)手水舎拝殿御祭神:経津主命庚申塔成田山不動明王伝統の獅子舞『ささら獅子舞』が伝わっている境内から見た古利根川
元和9年(1623年)に明海上人によって開創。開基は石川民部の先祖である道忠の真言宗智山派の定水山壽量院静栖寺。石川民部家の菩提寺で末寺二十一ヶ寺を擁した民部寺の本山にあたる。山門境内鐘楼堂本堂ご本尊:阿弥陀如来石祠六地蔵尊石仏・石塔地蔵尊石川民部家の墓所石川民部家の五輪塔・宝篋印塔30基以上(石塔群)なかには一石五輪塔も宝篋印塔民部寺(覺性寺)『雨寳山神護院覺性寺[松伏町]』松伏の豪族石川民部家が建立した静栖寺を本山とする末寺23寺院のうちのひとつ真言
ご本尊が室町時代末期の金剛界大日如来坐像であることからそれ以前の創建と思われるが記録がなく不明の古刹真言宗豊山派の松華山寳珠院多聞寺。門前山門わらべ六地蔵尊本堂ご本尊:金剛大日如来宝篋印塔弘法大師像歴代住職のお墓
永享2年(1430年)に僧祐覺が開創したと伝わる真言宗豊山派の香取山無量壽院觀音寺。江戸時代には末寺に三寺も擁していたらしい。境内本堂ご本尊:地蔵菩薩(末寺宝光院[廃寺]からの客佛として迎えられた。定朝作と伝わる)弘法大師像大師堂(弘法大師と遍照金剛)六地蔵尊不動堂(波切不動明王)五輪塔地蔵尊如意論如来不動明王百日紅
文明元年(1469年)に開創。長蓮社観譽祐宗上人が開山した浄土宗寳鏡山護念院源光寺。祐宗上人は鎌倉の光明寺九世法主になった方らしい。石柱門境内大師堂六地蔵尊鐘楼堂松と本堂本堂ご本尊:阿弥陀如来法然上人像帰依仏塔[正安3年(1301年)]
関東八十八箇所霊場第七十七番札所で創建時期は分らないが天和元年(1681年)に僧元良が中興開山した真言宗豊山派の赤岩山東陽寺。参道と不動堂大師堂七地蔵尊参道仁王門(山門)仁王像風神雷神境内手水舎本堂ご本尊:日限不動尊大師堂子育観音弘法大師像宝篋印塔歴代住職のお墓庚申塔
今回は参拝しなかった下赤岩地区の香取神社。ここはもともと下赤岩地区に鎮座していた香取四社と他の社を合祀して誕生した香取社でありそのうちの一社の別当寺だったので真乗院。現在真乗院跡には岩島組集会所が建つ。この辺りには同じく廃寺になって集会所として存在している寺院跡があります。・源性院跡(岩尾組集会所)・地蔵堂跡(岩岸組集会所)
寶光山地蔵院延命寺の末寺で僧宥儀が開山、天正年間に戸張西卜が開基したと伝わる真言宗智山派の福壽山寳性寺参道供養塔阿弥陀三尊種子板碑六地蔵尊と地蔵尊・・宝篋印塔お堂と大師堂本堂ご本尊:虚空蔵地蔵尊(運慶作?現在もあるのかな)庫裡境内
武蔵國三十三箇所観音霊場第三十三番札所にあたる曹洞宗霊亀山東泉寺は通峯全達師によって草創され徳外文堯によって開山されたお寺。参道山門お堂(板碑)(観音様?)六地蔵尊無縁仏地蔵堂観音堂(聖観世音菩薩)薬師堂本堂ご本尊:釈迦牟尼佛境内
寶光山地蔵院延命寺の末寺で江戸時代この辺りを伊奈氏が開発していた頃に創建されたとされる真言宗智山派の吉祥院。本堂は廃屋状態。本堂ご本尊;阿弥陀如来?内部は廃屋の様六地蔵尊石碑大師堂と境内社(稲荷社)祠庚申塔(青面金剛)宝篋印塔
旧小名保村の鎮守で香取社と称していたが明治4年に武輝神社と社名を変え明治45年には他の10社が合祀された。鳥居手水舎境内社殿御祭神:経津主命稲荷社石祠
正和2年(1313年)に日蓮聖人の高弟日朗上人によって開山された日蓮宗妙法山蓮福寺。開基は日善上人.檀家は石川家山門題目碑六地蔵尊手水舎本堂ご本尊:三寶祖師常香炉鬼子母神堂寺宝として多くの絵馬がありますまた鬼子母神像は日蓮聖人作と伝わる
旧上内川村にあった女体権現社の四社を合祀して誕生した女体神社がはじまりで、その後明治・大正期に合計二十八社の合併で誕生した内川神社鳥居水盤石燈籠狛犬社殿力石浅間神社庚申塔と石祠
松伏の豪族石川民部家が建立した静栖寺を本山とする末寺23寺院のうちのひとつ真言宗智山派の雨寳山神護院覺性寺本堂庚申塔青面金剛観音様と六地蔵尊・・・宝篋印塔民部寺のひとつ常金寺『青龍山常金寺[松伏町]』江戸時代松伏を開拓した石川民部が創建した寺院のひとつで魚沼観音と呼ばれている真言宗智山派の青龍山常金寺、開山は自光大和尚寺標石柱門本堂ご本尊:聖伝如意輪観音大…ameblo.jp
中川沿いに鎮座する旧魚沼村の鎮守さま魚沼香取神社鳥居水盤庚申塔拝殿御祭神:経津主命本殿雷電社(♡マークが)天神社金比羅社イチョウの木訪問した時期にはイチョウの落葉が黄色いじゅうたんに
旧妙音寺は真言宗豊山派の寺院跡で現在はお堂と関農民センターが建ち墓地が残る十一面観音菩薩がご本尊だったかもしれないが今は無いようだ。
松伏町の名の由来になったとされる松のひとつが境内にある真言宗豊山派の山王山妙楽寺山門寺標鐘楼堂本堂お堂六地蔵尊境内の石仏宝篋印塔など歴代住職のお墓?蓮池(花の時期に来たら凄いかも)多行松(アカマツ)町の名の由来写真にはないけど延宝年間の庚申塔があります(町内二番目に古いらしい)
平安から鎌倉時代の豪族大河戸氏が開基創建したお寺天文2年(1533年)に仏山祖直が曹洞宗に改宗した参道寺標山門(鐘楼門工事中)完成したら参拝したいね本堂ご本尊:釈迦三尊客殿帰依仏塔正安年間に建立された板石塔婆(板碑)元から渡来した一山一寧の書を写したものと云われる(帰依仏)帰依仏塔と六地蔵尊六地蔵尊聖観世音菩薩石仏石塔宝篋印塔この辺りには大河戸氏の館跡とも云われている
弘安5年(1282年)に僧侶俊禅によって創建された真言宗豊山派の室生山常楽寺境内には源義家が御三年の役の際に奥州へ下向する途中にこの寺に立寄り休息して駒をとめたという駒どめの松がある。かやぶき屋根の山門境内薬師堂鐘楼堂天神宮本堂ご本尊:阿弥陀如来銅造阿弥陀如来坐像(応永27年)市有形文化財弘法大師像境内の石仏・石塔末寺の西蔵院『薬王山西蔵院[春日部市]』常楽寺末の真言宗豊山派の西蔵院。小さなお寺ですが赤い屋根が目立ちます。山門本堂ご本尊:阿弥陀如来不動明王如意
常楽寺末の真言宗豊山派の西蔵院。小さなお寺ですが赤い屋根が目立ちます。山門本堂ご本尊:阿弥陀如来不動明王如意輪観音歴代住職のお墓
光誉上人のよって開山された浄土宗普照山光明院東國寺石柱門参道本堂ご本尊:阿弥陀如来勢至菩薩六地蔵尊境内の石仏・石塔歴代住職のお墓板碑
真言宗智山派の道性寺、境内は南さくらい霊園になっています本堂六地蔵尊お堂近くの真言宗智山派の飯胡山妙善寺は現在本堂の建替え中で今回は参拝を見送り妙善寺本堂
前回の訪問では富士塚に登らなかったので今回は山頂まで・・・富士塚頂上からの景色頂上から見た社殿一風変った階段のついた石燈籠石燈籠の獅子百度石の猿前回の訪問時『寳珠花神社[春日部市]』それぞれの創建時期は不明だが明治40年に浅間社・天神社・香取社・八雲社の四社を合祀して誕生した寳珠花神社。もともと東に300m程のところに鎮座していたが昭和2…ameblo.jp
真言宗豊山派の東光山大王寺別院は西寳珠花の寳蔵寺と合併した旧観音寺にあたります。境内本堂水盤不動堂不動堂のご本尊は大日如来と倶利伽羅竜王が描かれた板石塔婆年一回(3月28日)ご開帳されます。普段はこの様に見ることはできません。(南北朝時代の板碑)境内の石仏六地蔵尊大師堂大王寺(旧寳蔵寺)『東光山大王寺[春日部市]』真言宗豊山派の東光山大王寺は明治42年に塚崎の永福寺と宮前の地蔵院の併合によって誕生した西宝珠花の宝蔵寺に昭和17年に西親野井の観音寺に深輪の地福院を併合し
永正元年(1504年)に僧侶永尊が開山創建した真言宗豊山派の岩磨山正覚院能満寺。石柱門鐘楼堂(梵鐘がありません)六地蔵尊本堂ご本尊:虚空蔵菩薩大師堂観音堂地蔵尊宝塔
松伏町築比地の不動堂は寳蔵院のほど近くにあり個人の持佛を祀るために建立されたお堂だそうです。江戸期から昭和初期の絵馬や額が多数奉納されています。有名な絵馬では不動明王の禁酒絵馬があります。不動堂
日本画家後藤純男(S5〜H28)ゆかりの真言宗豊山派の八幡山寳蔵院は江戸時代初期に開基と伝わり榮賢によって草庵が草創されたと伝わる山門門前のお堂石橋供養塔十九夜観音大師堂(弘法大師)境内観音さまと六地蔵尊本堂ご本尊:聖観世音菩薩阿弥陀堂供養塔歴代住職の墓碑大日如来布袋尊
この真言宗豊山派の栄光院も情報がありませんが本堂の周りを囲むように縄文時代の常光院貝塚が取囲んでおります昭和29年の発掘調査により竪穴住居跡や道具なども出土したそうです本堂ご本尊:不動明王弘法大師像