ブログ記事12件
千葉県千葉市花見川区畑町2093に鎮座する子安神社の御朱印(2021/10/9)です。御祭神は、奇稲田姫命です。■下総三山の七年祭り下総地方を代表する寄合祭りである。船橋市三山の二宮神社を中心に7年目ごとの丑年と未年に行われるので、一般に「三山の七年祭り」として知られている。9月の小祭1日間と11月の大祭3日間にわたって行われる。この祭りの由来には、藤原時平の子孫が久々田(現習志野市津田沼の菊田神社)に流れつき、三山の神社(二宮神社)の神主として住みついたという伝承があり、周辺9社は
千葉県船橋市三山5-20-1に鎮座する二宮神社の御朱印(2019/7/27)です。祭神は、建速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)、櫛稲田比売命(くしなだひめ)、大国主命、藤原時平命、大雀命(おおささぎのみこと=仁徳天皇)、誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)です。御由緒当社の創立は、弘仁年間(810年~823年)で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられています。また、延喜5年(905年)に編纂された「延喜式」の「神名帳」にある「千葉郡二座(並小)」の一座である「寒川神
「時平神社」は、八千代市内に4社あります。2018年と2022年に2社ずつ参拝しました。今回は、いわゆる「時平4社」を一気にご紹介します。時平神社(ときひら)「時平」とは、公家・藤原時平を指します。(871~909年)【人を「神」として祀る】3つの系統に分けられます。①天皇を祭祀→天智天皇(近江神宮)、桓武天皇(平安神宮)、明治天皇(明治神宮)など②偉人を顕彰→吉田松陰(松陰神社)、乃木元帥(乃木神社)、東郷元帥(東郷神社)など③御霊を鎮魂(
こんにちは菊田神社(千葉県習志野市)外の公道で日向ぼっこをするトラ君発見しきりに顔を洗っていますずいぶん念入りですようやくすっきりしたのか寝入ってしまいましたかわいい何度か訪れた菊田神社創建は伝平安時代初期ご祭神は大己貴大神(大国主命)、藤原時平命【下総三山の七年祭り】の九社の内の一社です(二宮神社が「父」、菊田神社は「叔父」の役柄)です七年祭りは550年続く祭りで一言でいうと安産御礼の大祭です丑年と未年に開催しま
実籾・八幡稲荷神社(みもみ・はちまんいなりじんじゃ)社号:八幡稲荷神社(同名神社と区別するため地域名を付加しました)千葉県習志野市東習志野2-6-15祭神:誉田別命社格等:創建:450年前後にこの地に定住していた千葉氏によって建てられた御由諸例大祭:3月1日御朱印:-駐車場:-ご案内神社入口光の加減で鳥居が2色に見えますが朱色です。一の鳥居明神系笠木が黒です社額「八幡稲荷神社」
こんにちはJR総武線幕張駅から400mのところ、京成幕張駅の目の前青木昆陽の甘藷(サツマイモ)試作地が残っています甘藷は1732年の享保の大飢饉の際、米の代わりとして注目されたことから1735年八代将軍徳川吉宗は青木昆陽に甘藷の試験栽培を命じます昆陽は当地の他二ヶ所を試験栽培地として選びますが、関東で成功させたのはこれが初めてでしたその後甘藷の栽培法は全国に広まり多くの人を飢餓から救いました栽培地跡の向かいには秋葉神社と並んで昆陽神社が祀られていますなんか殺風景
大原大宮神社(おおはらおおみやじんじゃ)千葉県習志野市実籾1-30-1公式ホームページ祭神:「大原神社」の御祭神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)(男神)「大宮神社」の御祭神:伊邪那美命(いざなみのみこと)(女神)猿田彦命(さるたひこのみこと)(導きの神)三神を祀ることにより「夫婦和合の神社」「縁結びの神社」として知られています。社格等:村社旧実籾村の鎮守千葉県神社庁より第一次模範神社(各県1-2社
三代王神社(さんだいおうじんじゃ)千葉県千葉市花見川区武石町1-4創建:不詳主祭神:天種子命(あめのこやねのみこと)御由諸:承安の頃、千葉介常胤三男の武石三郎胤盛が城を構え崇敬されたという。社殿は天正・享保年代に修築を加え、宝暦年間「武石明神」と称し、寛政8年以来「三代王神社」称す・・神社庁下総三山の七年祭りの1社二宮神社をを中心に、丑年と未年にあたる年(数え7年目ごと)に開催される大祭各神社の役割「二宮神社」父「子安神社」
子安神社(こやすじんじゃ)千葉県千葉市花見川区畑町2094番地創建:延暦年間(782年~806年)建久4年(1193年)千葉常胤が社殿を造営し、祭典を執行した御祭神:奇稲田姫命(クシイナダヒメ)・・ヤマタノオロチを退治した須佐之男命の妻御由諸:口伝によれば、第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、この一帯を支配する豪族により築かれた子安古墳のお山を御神体として、五穀豊穣の神として創祀された。子安大明神と
子守神社(こまもりじんじゃ)千葉県千葉市花見川区幕張町2-990創建建久四年(1194)より前と推察される御祭神:建速素盞嗚命・奇稲田姫命・大己貴命(大国主命)御由諸:千葉介平常胤の四男、大須賀四郎平胤信がこの地に城を築き、源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に当社へ祈願し、良い成果が得られた。その御礼として社殿を造営した。当社名は「素加天王神社」とされていたがその後「馬加神社」、磯出神事の役割から「子守神社」となったようである。(境内の
大原神社の次は、二宮神社(にのみやじんじゃ)に行ってきました下総国二之宮の神社一の鳥居をくぐると、下りの階段があり、50メートルほど歩くと、上りの階段があります階段を上がり、二の鳥居をくぐると、拝殿と本殿があります御祭神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)・櫛稲田比売命(クシイナダヒメノミコト)・大国主命(オオクニヌシノミコト)境内には、境内社がありました他に、神楽殿もありますそして、子守神社・子安神社・大原神
二宮神社(にのみやじんじゃ)別名:「二宮大明神」「三山明神」「二宮明神」千葉県船橋市三山5-20-1御祭神:建速須佐之男命櫛稲田比売命大国主命建速須佐之男命櫛稲田比売命大国主命藤原時平命大雀命誉田別命創建:弘仁年間(810-823)嵯峨天皇の勅命により寒川神社として
検見川神社の次は、大原神社(おおはらじんじゃ)に行ってきました一般的には、大原大宮神社(おおはらおおみやじんじゃ)と呼ばれてるみたいです元々、大原神社があり、明治41年に大宮神社と合祀したそうです鳥居をくぐり、燈籠が並ぶ参道を歩いて行くと、50メートルほど先に、拝殿と本殿があります御祭神は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)境内には、境内社がありましたこの大原神社は、子守神社で紹介した、下総三山の七年祭り(
4/20に、千葉県の子守神社(こまもりじんじゃ)に行ってきました鳥居をくぐり、50メートルほど先に子守神社があります御祭神は、奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)本殿が、大きな本殿に守られてるような感じ境内には、境内社がありましたそして、厳島神社の前に錨が置いてありました幕張の海岸が埋め立てられる前から使われてた錨だそうです大きな御神木でも、枝が途中で切られて
2017年9月13日。京成幕張駅、もしくは総武本線・幕張駅から北西方向に約1kmです。県道57号線、交差点(幕張一丁目の出光のガソリンスタンドが目印)を北側に曲がって突き当たりです。鳥居くぐって右手、天神社の前に駐車場ありますが、月極めの所には停めないようにお願いします。※鳥居。※手水舎。※拝殿。※境内社の厳島神社。※同じく天神社。創建は1194年と伝えられています。御祭神は、クシイナダヒメ、スサノオ、オオナムチ。下総三山の七年祭りの
下総三山の七年祭りで有名な二宮神社へ千葉県船橋市三山5-20-1アクセスはJR津田沼駅(北口)バスターミナル4番乗り場京成バス二宮神社行き(津07)終点下車すぐです。さすが船橋?海からの風なのか、猛烈に風が強かった。被ってた帽子がコロコロ飛んで、危うくバスに引かれるとこだったわ( ̄▽ ̄)▼一の鳥居木造両部鳥居です。両部鳥居を見るとなぜかテンションあがる。鳥居をくぐるとまず、下り階段で下りる。谷になっているよう。小川の先に御手洗池がある。(柵があるから先に行けない)この御手