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20251026静岡の街道「全体図」(1)静岡の街道-Googleマイマップ静岡の街道www.google.com静岡の街道として、13筋あげた。東海道(記述済)姫街道下田街道根府川通り矢倉沢往還(記述済)御坂路(記述済)中道往還(記述済)若彦路(記述済)身延路(記述済)秋葉街道(青崩峠)(記述済)秋葉街道(掛川・相良)秋葉街道(浜松)秋葉街道一部(袋井)街道地図は下記クリック静岡の街道-Goo
2025年1月26日(日)静岡の街道「下田街道」(3)静岡の街道として、13筋あげた。東海道(記述済)姫街道下田街道根府川通り矢倉沢往還(記述済)御坂路(記述済)中道往還(記述済)若彦路(記述済)身延路(記述済)秋葉街道(青崩峠)(記述済)秋葉街道(掛川・相良)秋葉街道(浜松)秋葉街道一部(袋井)街道地図は下記クリック静岡の街道-Googleマイマップ静岡の街道www.google.com今回は、「下田街道
(その17からの続き)-蓮台寺(15:15発)-伊豆急下田(15:56着)伊豆急最難関駅間を越えて稲梓駅へ、川沿いを南に進んで蓮台寺駅へ向かいました。蓮台寺駅に着きました。かつては特急も止まっていましたが、現在は普通列車のみ停車の無人駅…ですが、駅舎には喫茶店が入居しています。ホームは1面2線の島式。次は終点の伊豆急下田です。いよいよ今回最後の駅間。まずは稲生沢川を渡りました。国道を歩けば伊豆急下田駅前まで一直線ですが、
湯ケ島国有林(小班140わ)江戸末期の下田街道。長さ130m、幅約1.8m。及びこの道に沿う掘割がある。天城越えの経路は室町時代から現在にいたるまで、幾たびか変遷を繰り返しているが、幕末下田に黒船が入港したころ、歴史に名をとどめる多くの人物が往来した下田街道(天城路)の一部分である。国道414号線から大川端へ向かう道の右側から本谷川沿いに下流部へ、遊歩道を200mばかり歩いた所に、天城旧道の説明板が設けられている。その辺りのゆるい坂道の部分が、少なくとも150年前の道の面影をとどめてい
2023/12/27踊子歩道を歩き、下田を目指します。河津七滝釜滝エビ滝蛇滝初景滝カニ滝出合滝大滝河津ループ橋小鍋峠古道を歩きました。蓮台寺駅ペリー艦隊来航記念碑伊豆急下田駅伊豆急下田駅から伊東駅まで、サフィール踊子に乗って帰りました。
2023/12/21道の駅伊豆月ヶ瀬最寄りの「矢熊橋」バス停から歩き始め、天城トンネル先の「登尾」バス停まで歩きました。道の駅伊豆月ヶ瀬狩野川道の駅天城越え道の駅天城越えからは、踊り子遊歩道を歩きました。旧天城トンネル旧天城トンネルの先は、工事中で歩行者も通れませんでした。引き返して、新天城トンネルを通りました。新天城トンネル今日の気温2℃登尾バス停帰りの伊豆急行から見えた、伊豆大島
2023/12/11下田街道を歩きました。三島大社をスタートして、道の駅伊豆月ヶ瀬まで歩きました。三島大社駿豆線と富士山伊豆の国市大仁の長嶋茂雄ロード道の駅月ヶ瀬
一昨日静岡県・伊豆半島の東海岸を走る伊豆急行線の伊豆高原駅から下田道を歩いて伊豆大川まで旅人気分でウォーキング旧下田街道曾我物語発祥の舞台河津三郎祐泰の血塚バクチノキ古木群赤沢・浮山が眺めた。明後日日本プロ野球のドラフト会議が行われるので明日指名予想を掲載予定♪===運営中のサイト======ランキングサイト==
静岡県伊豆の国市南條NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人の伊豆の国市再びのつづき・・・蛭ヶ島公園でお蕎麦を食べた後この日のお宿へ向かいました。下田街道を南に・・・途中旨そうなソフトクリームの看板を発見!一度通り過ぎてしまいましたが、二人とも冷たいものが欲しかったのでUターン!伊豆長岡駅近くのお洒落なコーヒースタンド「Tanagocoro(たなごころ)」さん。芸人さんの色紙が飾ってありました。早速ソフトクリームを!しっかりとした渦が見事に巻かれ、旨!
大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行で放送されなかったので紹介します。伊豆一宮三嶋大社前から、南に一本の街道があります。伊豆半島の下田に行く下田街道です。下田街道沿いには、源頼朝に関する場所が幾つかあります。伊豆蛭ヶ小島に流された源頼朝、いつの日か必ず平家を討ち滅ぼし源氏再興を誓い伊豆一宮三嶋大社に祈願していました。手無地蔵三嶋大社から蛭ヶ小島に帰る途中、頼朝の背後に怪しい気配が…それから毎夜、頼朝が通ると怪しい人影が付けてきます。女性でした。*頼朝は三嶋大社からの帰りは毎回、暗くなっ
三嶋大社の近くにある、源頼朝ゆかりの間眠神社。通称まどろみさん。まどろみさんと呼ぶのは、近隣の人や古くから住んでいる地元の人達だけかなぁ…桜が綺麗に咲いていました。大河ドラマ草燃えるプレートがありました。1979年(昭和54年)1月7日から、12月23日まで放送されました。駐車場は無いので、三嶋大社参拝したときに徒歩で行くようにして下さい。*道幅狭く生活道路になっています。三嶋大社から、徒歩10分。詳細は、下記ブログを参照して下さい。↓3月29日の静岡新聞朝刊
2021年9月9日(木)「東海道と下田街道の追分」(15)三島大社の鳥居前のT字路が「東海道と下田街道の追分」直進が東海道。ここが、下田街道の起点。左折、南下するのが下田街道。(GSV)下田街道は、下田街道は、三島大社を起点に、伊豆の国市韮山・大仁・伊豆市湯ヶ島を通り、天城峠を越えて河津町梨本に至る。さらに小鍋峠を越え、下田市箕作・河内を経て下田に至る路、伊豆(北伊豆)と奥伊豆(南伊豆)とを結ぶ幹線道路であった。江戸時代には下田路と呼ばれた(2011年4月
ただいま和歌山県にて柿の摘蕾(てきらい)の仕事をしているので、写真のストックが切れてしまいました。よって何時ものように古い写真をテーマ別に載せる予定です。仕事の疲れから枚数が10枚位に成るかもしれません。今回は「富士山の見える風景」を載せてみました。2018年1月2日撮影静岡県函南町畑の「第二丹那橋」より2018年1月2日撮影静岡県函南町畑にて国道136号バイパス2018年1月2日撮影静岡県田方郡函南町塚本にある「伊豆ゲートウェイ函南」より愛鷹山と朝焼け富士2018年1月2日撮
私と夫は2日目は下田街道を南下して湯ヶ島温泉の湯本館に宿泊しました。文豪川端康成さんが執筆の際の定宿にしていた有名な旅館です。狩野川沿いに建つ日本秘湯を守る会のお宿です。上の写真は映画「伊豆の踊り子」で主人公の一高生が踊り子を座って見ていた階段です。館内全体が非常に風情のある佇まいです。玄関上の鏝絵は縁起の良い、鯉の滝登りです。湯本館の隣には共同浴場の河鹿の湯があるのですが外来者お断りの看板が出ていました。残念ですが、仕方ないです。チェックイン
ハンセン病慰問公演の写真発見鳥取の市民劇団、寄贈を検討山陽新聞鳥取市の市民劇団「鳥取演劇集団」が1950年代、瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・長島愛生園と邑久光...この記事は会員限定です。電子版にご...漫画『よつばと!』最新巻が2年10か月ぶり刊行決定読み返すたびに発見がある作品の魅力Yahoo!ニュース新年早々嬉しいニュースだ。読むたびに発見がある『よつばと!』の魅力.あずまきよひこさんが2003年から『月刊コミック電撃大王』に...「シャネルの5番」「
12月5日この日は法要のため、静岡県三島市の実家に帰省しました。コロナのため一年振りの帰省です。一泊二日の滞在です。礼服の他に3回分のランセットを持参しました。法要後には兄たちと久々に外食しました。三島のうなぎは絶品です。ちなみに、三島でうなぎは獲れません。調理するだけです。新型コロナ第三波の最中なので、関東から来ている私への警戒は強く、母は消毒を常備し、線香を手渡しする時や食事の前後など、私のあらゆる行動の度に除菌を促してきました。さて、昼から外食してしまっ
これは10年前の11月に旧下田街道を歩いた時の写真です。天城峠の下の天城ゆうゆうの森入口バス停です。ここで修善寺駅から乗ってきた河津行きの路線バスを下車しました。旧下田街道は国道414号線に並行して整備されています。緩やかな下り坂の道を修善寺を目指して行きます。所々には石畳も。下田街道は天城街道にもなっています。天城街道は旧天城トンネルをくぐる踊子と川端康成が歩いた道なのです。途中、道の駅天城越えの前を通過。道の駅は街道歩きにも良い休憩場所です。国道と合流しま
伊豆一宮三嶋大社前から、南に一本の街道があります。伊豆半島の下田に行く下田街道です。下田街道沿いには、源頼朝に関する場所が幾つかあります。伊豆蛭ヶ小島に流された源頼朝、いつの日か必ず平家を討ち滅ぼし源氏再興を誓い伊豆一宮三嶋大社に祈願していました。手無地蔵三嶋大社から蛭ヶ小島に帰る途中、頼朝の背後に怪しい気配が…それから毎夜、頼朝が通ると怪しい人影が付けてきます。女性でした。*頼朝は三嶋大社からの帰りは毎回、暗くなった夜。平家方に監視されています。ある夜、女性が声を掛けてきました。
宿を出て下田に向かう。下田では伊豆大島に帰る、踊り子一行とお別れだ。河津の浜までやってきたが、下田街道を歩かず険しい山道を行く。登り坂でも学生は早足だ。ほかの者たちとはずいぶん離れてしまったが、踊り子だけはつかず離れず付いてくる。学生が立ち止まって話しかける。踊り子も止まって微笑みながら、返事をするが近づこうとはしない。二人は山頂に着いてようやく一緒になった。踊り子は学生の袴のすそを払って「お掛けなさいまし。」と声をかける。「どうしてあんなに早くお歩きになりますの。」と聞くと学
「天城越え」と聴いて一番に思い出すのが石川さゆりの情念たっぷりの演歌であるなら、よほど歌謡曲の好きな方。あるいは川端康成の「踊り子」だったら、学生と踊り子が天城トンネルで出会い、下田街道を一座と旅し、そして悲しい下田港での別れのシーンを思うだろう。もし、松本清張の小説の方を頭に浮かべた方はミステリー好きな人かもしれない。ただミステリーではあるが、この小説にはトリックは一切でてこず、犯人が跳梁跋扈、もしくは名探偵が大活躍するようなテレビドラマ向きの話しでもない。謎は謎なの
おとといの写真です。その日の夜には東京では大雨で雷が鳴り、初夏や立夏とバッチリ合い、夏が始まった。ま、本格的な夏になる前には梅雨があるんだけどね。うちも昨日は、在庫してあった扇風機が売れた。スクーターに乗っても、近所なら半そでのまま行けるようになったし。いよいよ好きな季節が始まります。新コロが終息して、走れるようになったら行きたい所、第4弾!パチパチパチ。なかなか実現は難しいかもしれないが、走りたいとずっと思っているのは、伊豆半島を縦断する、下田街道です。
現在は田舎にいるために写真のストック終わってしまったので、今まで撮った写真の中からテーマ別に分けて載せてみました。今回は富士山の見える風景です。富士山2018年1月2日撮影静岡県函南町畑の「第二丹那橋」より伊豆縦貫自動車道2018年1月3日撮影静岡県函南町大土肥にて新川橋2018年1月6日撮影静岡県函南町間宮の「大場川」に架かる橋下田街道2018年1月6日撮影静岡県函南町間宮を通る国道136号線の通称下田街道に架かる「大場川橋」より狩野川2018年1月6日撮
現在は田舎にいるために写真のストック終わってしまったので、今まで撮った写真の中からテーマ別に分けて載せてみました。今回は富士山の見える風景です。三浦大根畑2017年12月10日撮影神奈川県三浦市初音町下宮田にて、三浦半島から相模湾越しに見える富士山葱畑2017年12月12日撮影横浜市瀬谷区宮沢4丁目にて。この辺は自分が若かりし頃住んでいた場所の付近江の島2017年12月13日撮影鎌倉市七里ガ浜東2丁目より、七里ヶ浜と「小動岬(こゆるぎみさき)」の先に見える富士山湘南銀河
★全曲リンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「踊子」とらカラ032作詞:喜志邦三、作曲:渡久地政信、唄:三浦洸一、カバー:とらじろう昭和32年(1957)8月発売。(レーベル:日本ビクターレコード)三浦洸一(本名:桑田利康、昭和3年(1928)1月1日生まれ)は、神奈川県三浦市出身の歌手。持ち歌は文芸を題材にした「文芸歌謡」が多く、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)卒で歌唱法が実直である。この曲は川端康成の『伊豆の踊子』をモチーフにした作品。最近の
どうも、北海道はでっかいどう、キューマちゃんです。私は昨日から実は一泊2日で伊豆半島に旅行をしました。その際にあったハプニングや出来事を今からお伝えします。まず、到着してからチェックインをして、泊まる部屋に行きました。其処は部屋の中にも小さなお風呂がありました。私はまずアフタヌーンティーを飲みに3Fの食事処に行きました。其処はパンケーキ、ヨーグルトが出されました。とても美味しくて満足できました!!!!!そして私が泊まったホテルは温泉がすごいんです!1日ごとに男女入れ替え制に
記事の引っ越し先はコチラ。【ロングライドの記録第10弾】伊豆半島ロングライド10月の週末は天気が悪く予定していたロングライドがことごとく中止に。中央本線は復旧に時間がかかっていて交通も不便だし、台風で山の峠道は相当荒れている。こんなときは無理して出掛けて想定外のトラブルに巻き込まれるのもイヤなのでまあ自粛と思っていtokutoku-bike.com
下田街道歩きでこの小鍋峠を越えました。ここは下田市と河津町の境界です。この場所は国道414号線の下田市北ノ沢で、稲梓川を渡る北ノ沢橋の手前を左に入るのが旧下田街道です。国道はこの先、遠回りをして湯ケ野に出るのです。すぐ手前には北ノ沢バス停があります。当時の北ノ沢橋はコンクリートの欄干でしたが、現在は架け替えが行われているようです。しばらく行った先で左の道に入ります。その先、車道はぐるっと左に回るが、農道でショートカット。ここから山道の上りです。良
荒れ模様の土曜日から一転…台風一過のような晴れやかな青空になった16日の日曜日は、前日に続いて、静岡地区のさわやかウォーキングに参加しました。向かったのは、伊豆・修善寺。三島から伊豆箱根鉄道に乗って終点まで…ローカル電車の旅です。乗ってきた伊豆箱根鉄道の車両です。なんか、すごいラッピング電車ですよね。「HAPPYPARTYTRAIN」LoveLive!かなアニメでしょうけど…あまり詳しくなくてよくわからないです。駅のホームの手洗い所が、タイル張りですっごくレ
【静岡県・三島市】三島ViewthispostonInstagram佐々張ケン太さん(@sasabarikenta)がシェアした投稿-2019年Mar月11日pm8時50分PDT三島大社の門前町と同時に東海道の宿場町でもあった静岡県三島市に来ている。前回はザックリと遊里について触れたが、来たからにはやはりお参りに行かねばと思い、再び駿豆線に乗り次の駅へ向かう。今回は一日券を購入してあるので、思い切って乗り倒そう
三嶋大社から、旧下田街道を南へ行くとあります。まどろみさんと呼んでいます。間眠神社稲荷神社の祭神である豊受姫命を祀る。治承4年(1180)伊豆に流されていた源頼朝が、三嶋大社に源氏再興の願掛け参詣途中、この神社にある大きな松の木の根元で仮眠したことから間眠神社と言われる。笠縫いの里と称され、菅笠を編み三嶋大社例祭には奉納。「ふるにつけ照るにつけてもこの神のめぐみにぞ着る三島菅笠」六代目間眠の松遂大願成就之所三嶋大社へ源氏再興百日祈願をして、韮山山木判官を攻め滅ぼす。石橋