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下松工業高校で保存されている石川島造船所製の小型機を、広田尚敬さんの本(保育社カラーブックス)で知りました。1988年、このベンケイが瀬戸大橋開通で沸く下津井電鉄でイベント走行しました。当初は本線走行を目論んでいたようですが、結局は下津井駅構内での運転に落ち着きました。客車があまりにもチープで、遊園地の遊覧鉄道みたいなのが残念!その後、北勢線をはじめ各地でのイベント走行や、江戸東京博物館での展示などですっかり有名になりました。瀬戸大橋に便乗し、3両編成の新造、児島駅舎の新築、自動閉塞化な
今日も快晴。気分が良いので、下津井に散歩に出かける。田之浦公園の駐車場に車を止め、旧下津井駅まで歩いてみることに。片道、恐らく、2キロと少し。正面、大きな建物の向こう側が、旧下津井駅です。ようやく、到着したところ、入口に丸ポストが。下津井で見つけたのは、三つ目です。多く残っていますね。旧下津井駅のホームの向こうには、車両が保存されています。ホームの中には、線路も残っています。ここから、下津井電鉄が、児島駅まで、走っていたんですね。踏切の信号機もありま
ゆっくりのんびり走るゆりぞーです先週の出来事書くの忘れてました💦先週は久し振りにQちゃん乗って下津井桜まつりへまた坂道か…と思ってたら下津井電鉄が昔走ってた歩行者自転車専用道路があると‼️風の道これは😀と張り切って行こうと早起きして準備さぁ出発と思いエアチェックなっなんと👀パンクしてる自転車屋さん開くまで待て🫷となりました…パンク修理して予定より2時間遅れで出発目的地は下津井城跡の桜まつりで下津井のタコ飯食べる〜気持ちよく走って茶屋町駅へさぁここからですまだ桜は早かった
今朝は、昨日に探訪した下津井鉄道の別の映像をリンクしましょう。1990年12月31日廃止されるまで、児島から下津井で運行されてローカル私鉄でした。瀬戸大橋のシーンでは、今はなきキハ181系の運用によるJRの気動車特急を観ることができます。YouTube/廃止間近の下津井電鉄
「なつかしの鉄道シリーズ」は4社目の紹介にまります。今朝は、平成2年に廃線になった下津井電鉄(岡山県の茶屋町駅~下津井駅)の映像をお楽しみください。YouTube/「なつかしの鉄道シリーズVOL.08」下津井電鉄
先週は日は曜にちょっとドライブのつもりで気がついたら志摩で天気悪いのに海を見ると言うおバカドライブをしていたfailinですが😰せっかくの景色も雨。春分の日は春は18切符旅🎵と言うことで、センセと岡山の児島へ向かいました。児島は瀬戸大橋の本州側の始点で、ジーンズで有名な街。電車に乗り、運行状況を確認•••あれ?瀬戸大橋線が児島止まりに。強風の為とありますが、まあ、あそこは風でしょっちゅう止まるしな、とりあえず児島まで行けるから良いかとうつらうつらしながら電車に揺られます。とりあえず児
下津井電鉄にありました、「鷲羽山」駅。倉敷市にあるものです。瀬戸内市にも車両が保存されているらしいですね。1990年または1991年に全路線廃止。駅メモというゲームにて、岡山県の廃止路線・廃止駅はこの下津井電鉄が指定されています。2024年2月の埼玉県の制覇に伴い、46都道府県、日本国を完全制覇いたしましたのでご報告いたします。晴れて新駅ハンターだ…!!
久しぶりの廃線巡りは楽しかったという想い出について、お話しします。旧太子駅(群馬県吾妻郡中之条町)前々回くらいのマイブームであった、廃線巡り。四国に引っ越して以来あまりできていないですが、やはり、廃線巡りは楽しい。鬩ぎあう人間の文明と自然、生命に吞まれていく人工物、それを保存しようとする住民たちの心に、無限に妄想を膨らませます。NKTIDKSG国内旅行mp.5【いや僕もう大いに廃線ですね編】NKTIDKSG国内旅行mp.5【いや僕もう大いに廃線ですね編】[その他]廃線巡
当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。○日本法令DVD「東京都と厚生労働省の助成金の比較でわかる活用の仕方」はこちら○中小企業福祉事業団DVD「助成金活用の第一歩!『事業内職業能力開発計画』作成のススメ」はこちら○助成金の無料診断、最新状況はこちら○メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」(無料)はこちら=================================================下津井電鉄株式会社岡山のバス会社です。今はバ
1990.12.31下津井電鉄【廃止当日の記録】下津井電鉄が廃止になるという事で…車を走らせ12.31の朝に到着しました。好きな鉄道が無くなるのは寂しいですね(´・ω・`)下津井駅では赤いクレパス号にさよならメッセージをみんな入れてます。なんかイタズラ書きをしてるみたいな写真ですが…( ̄▽ ̄)(笑)テレビ取材班も来てました。地元のおばちゃんが取材を受けてます。フジカラー広告の2両編成が到着。さよなら下津井電鉄のヘッドマークつき。半月ほど前に訪問しているので、走行写真はあま
あけましておめでとうございます(^_^)お正月を写そう♪フジカラーで写そう♪お正月はもう何年も撮影してないな…(^^ゞ昔は決まって江ノ電や大井川鐵道を撮りに行ってました♪フィルムもプリントもフジカラー♪年賀状もフィルムも利用者は減ってしまいましたね…(´・ω・`)時代はどんどん変わって行くのです( ̄ー ̄)なので、その時その時を大切にこれからも記録して行きたいと思ってます。普通の記録写真ばかりですが、今年もお付き合い下さい(^_^)1990.12.13下津井電鉄琴海~鷲羽山
1990.12.11下津井電鉄下津井駅当時の愛車は日産バネット「かっぱII」でした(^^ゞディーゼルターボエンジン。パートタイム4WD。エンジンが前、ガードやフォグランプが前、それでいてFR車だったので、ケツが浮いちゃって雪道は恐怖でした( ̄▽ ̄)(笑)排気ガスで真っ黒になるし…特別仕様車だったけど…いろいろ問題ありのワンボックスでした( ̄ー ̄)国道1号線→25号線→2号線で岡山まで行ってました(^^ゞ1990.12.12下津井電鉄東下津井駅赤いクレパス号が到着しまし
↑↑↑いつもたくさんのクリックをありがとうございますw!(^^)!2023年9月9日(土)の記録です。下津井電鉄線(しもついでんてつせん)とは・・・かつて岡山県倉敷市の下津井駅と都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅を結んでいた下津井電鉄の鉄道路線である。モータリゼーションの進行による乗客の減少のために、1972年4月1日付で児島駅-茶屋町駅間14.5kmが廃止され、また1991年1月1日付で下津井駅-児島駅間が
1990.12.14下津井電鉄下津井駅ちょーハマったナローゲージの私鉄(^_^)初めて訪問したのは高校一年の夏だったので…1983年かな?既に茶屋町~児島間が廃止になってました。先っぽが廃止になる事はよくあるけど、JRと接続している区間を廃止にした路線は珍しいかも(・。・)JRと接続していない児島~下津井間があっただけ。これは終点の下津井駅。12/31で廃止になると聞き、鉄ちゃんで混む前に懐かしの下津井電鉄を訪問した時のものです。まだ混み合う前の風景がありました(^_^)♪
児島ジーンズストリートは岡山県倉敷市児島味野にある商店街です。本四備讃線(瀬戸大橋線)児島駅から北西に1キロ程度、児島文化センター近くにあります。倉敷市や周辺の備前、備中地区は昔から繊維産業が盛んで、中でも学生服製造が有名ではないでしょうか。児島味野商店街は繊維業が下火になって寂しい商店街になってしまったようですが、近年「児島ジーンズストリート」なる商店街に生まれ変わり「ジーンズの聖地」ともいわれ、全国から集客があるようです。瀬戸大橋線児島駅周辺は塩田跡、ジーンズストリート周辺は
下津井電鉄の軌道跡地風の道阿津駅跡、鷲羽山駅跡から田土浦公園に下りて、デリカショップこばし経由で下津井港をグルッと廻ってみました。曇天でしたが、涼しくてとても気持ちのいいショートライドでした。
こんばんは🌙😃❗昨日に引き続き、9月に行ってきましたカターレアウェー応援珍道中の2日目の紹介をしてまいります。👋😃カターレアウェー応援珍道中(1)『カターレアウェー応援(1)珍道中編集中(97)Vol5627』こんばんは🌙😃❗9月に行ってきました初の、カターレアウェー応援珍道中を編集してまいりましょう。👋😃下山して富山駅に着いた私は、とやま駅ナカ酒BARで酒場放浪記…ameblo.jp※このブログは、昨日のものです。新大阪駅から岡山駅まで新幹線で到着した私は、カカフェバールマスカット
今回はホームページ更新のCM去る9月某日、残った青春18切符の最後の1枚を使うべく、下津井電鉄の廃線跡を訪ねてきました。ご存じの方も多いと思われますが、廃線跡は現在「風の道」という遊歩道に整備されていて、当時を思いながら散策することが出来ます。また瀬戸大橋を間近で見る事の出来る観光スポットでもあり、関西圏からは日帰り可能な場所でもあるというとても好立地にある地域なので、まだ訪れた事の無い方は是非。詳しいレポートはパソコンにて閲覧推奨の管理人のホームページに記載しています。よろしけれ
こんばんは。🌙😃❗先日行ってました初のカターレアウェー応援珍道中は、岡山駅を後にして瀬戸大橋線へ。👋😃降りた駅は、大島駅です。👋😃「児島だよ。(ノ-_-)ノ~┻━┻」と、アンジャッシュ児島さんが突っ込むかもしれませんが、JR西日本とJR四国の境界駅児島駅です。😌🎁🎂児島駅では、アンパンマントロッコが停車中でした。☀️😃❗こちらは、アンパンマントロッコの相方の車両です。😌🎁🎂「なんじゃこりゃ。」と、ジーパンがいっぱいですね。👖児島といえば、ジーンズの聖地で有名です。😌🎁🎂駅前には、
前回からの続き、この後、下津井城址からの一番の眺望が。下津井港です、そして下津井港といえば、旧下津井電鉄車両置き場をクローズアップ。すぎたトリミングのせいで、フォーカスがやや甘めですが、サービスカット。詳細は、↓定番の瀬戸大橋西の丸跡をやりすごしての、二の丸跡まで。次回、ここからの眺望から始めます。m(__)m
ポストを撮りに、旧下津井駅前まで来ました。駅敷地内には数両の車両がきれいな状態で保存されていましたので、撮りたいと思ってぐるりと回りましたが、入口はありませんでした。そこで外から望遠レンズで2枚だけ撮ってきました。もう31年も前の廃止なのに、大変手をかけて保存活動をされているようです。廃止されてから、無理しても行っておけばよかった路線の一つです。電車なのに架線柱がない空間にあるので、なんとなく変な感じがしました。奥のバケットカーも撮りたかったですが・・・。
撮影日2023.6.23撮影場所各写真に記載1991年に全廃された下津井電鉄は1913年に瀬戸内海沿岸の港町、下津井と国鉄宇野線の茶屋町を結ぶ為に開業した軌間762㎜の所謂「軽便鉄道」です。当初非電化で戦前には鮮魚台付きのガソリンカーを大量導入、戦後燃料難から電化を行いガソリンカーを電車化改造、その後新車も導入し軽便鉄道としては近代化が進んだ路線でした。しかし乗客減から1972年に茶屋町駅と児島駅の間を廃止し、国鉄と全く接続しない路線となりました。転機は1988
小学生の時以来、超久しぶりに下津井電鉄へ先日、下津井の保存車を見たので、思い出して再訪です『下津井の保存車』久しぶりのナローゲージ。下津井電鉄の保存車です現役時代でも状態はさほど良くなかったように記憶していますが、その割にはきれいに保存されています有蓋兼車掌車のホハ…ameblo.jp下津井駅跡です。瀬戸大橋開通時に増備したメリーベル号が見えます井笠鉄道のキハも保存されています。残念ながら公開日ではなかったので、再度訪問せねばなりません
高校2年生の夏休みがやってきました。今回も、1年前と同じように一般周遊券方式で旅に出かけました。2カ所の周遊指定地を巡って戻ってくる、あれです(^_^;)また、舞鶴線方面へ出かけています。今度は、福知山線やら加古川線など、結構込み入ったコースをチョイスしたようです。しかも、この旅。な、な、何と!同伴者がいます。クラスの友人が、鉄ちゃんでもないのに私があまりにも面白く一人旅の醍醐味を語るものだから触発されたようです。確か、一晩は「駅泊」をしました。今では防犯上の問題で、どの駅も駅員
下津井電鉄の旧児島駅舎を見に行ってみました。天満屋ハピータウン児島店の、すぐ近くにあります。交差点を渡ると、すぐに、見えます。角にあるのは、「両備バス」の建物のようで、その隣。道路を挟んで、正面から。中央にあるのが、下津井電鉄の旧児島駅舎のよう。入口の左手には、このような看板が。下津井電鉄の路線痕は、「風の道」ということで、整備をされているようです。入口、「こじま」の看板が。入口を入ると、左側は、このようになっています。これらは、鉄道の運行に使われ
昨夜、何とか6時半に仕事を終わらせて映画を観に行きました。毎日電車で通過している錦糸町(都内墨田区)のTOHOシネマ。ここに行くのは10年以上前のレ・ミゼラブル以来です。重病の友人のために倉敷の児島で遍路する少年を描いた「ちゃりへん」という映画です。ちゃりへんとは、チャリンコ遍路のこと。映画「ちゃりへん♪」公式HP映画「ちゃりへん♪」舞台は「児島八十八ヶ所霊場」charihen.wordpress.com昨夜は、上映前に監督と出演者がトークショー。登壇者(左から)大滝
今日から明日にかけて大雨の予報である。今日は長男の運動会で、午後から観に行った。どうにか天気は持って無事終了できた。体育委員で多忙でぼやいていた長男のメインイベントが終了した。今回からは2回だけだが、やくも遠征の続き。やくももないしJRもないが、今日は鉄道車両の話も出てこない。備中川面駅からずっと南下して瀬戸内海まで来た。目的地はこの写真の中にはないのだが、その地名を関する港が写っている。山陽マルナカで買った昼食をどこで食べようかと思っていたが、岡山県道21号沿いのこの景色を見なが
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下津井(しもつい)電鉄は、かつて岡山県倉敷市の下津井駅から児島、都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅を結んでいた全21.0kmの電化軽便鉄道(軌間762mm)路線です。下津井は古くから風待港と瀬戸内蛸漁で、児島はジーンズと学生服製造で知られる児島半島の要所であり、沿線には力士名にもなった風光明媚な鷲羽山という観光名所もありました。1914年に全線開通、1949年に電化。しかしモータリゼーションの進行による乗客の減少のため、1972年4月で児島駅-茶屋町駅間14.5kmが廃止されましたが、1
昨日のブログに書いた下津井電鉄、下津井駅前にある、小さなてつどう館かつての路線図児島経由で茶屋町まで現役時代の勇姿軌道の幅はJRに比べて狭い電車でGOはできません(笑)昭和42年当時の倉敷駅の時刻表当時、新幹線が岡山にはありませんでした。(この5年後に大阪方面から岡山駅まで延伸)急行電車がいっぱいありますね。そういえば昭和45年の大阪万博の時には、急行電車で大阪まで行きました。曲芸みたいな3人乗