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◯『醍醐寺:霊宝館』を見終わった時、すでに13時を過ぎていた。何処かで昼食を取りたいと思っていたところ、霊宝館の仏像棟の帰り道、『フレンチカフェル・クロスゥルスリジェ~桜の樹の下で~』と言う、お洒落なレストランがあるのを見付けた。◯まさか、醍醐寺に、こんなお洒落なフレンチレストランがあるとは、思いもしなかった。まさに、渡りに舟である。上醍醐の帰りで、相当疲れていたので、喜んで店に入った。◯12月も20日で、それも火曜日で平日だから、店内は空いていた。メニューに、「薬膳カレー薬膳ハ
◯醍醐寺拝観の最後に、霊宝館を見学した。何しろ、醍醐寺は国宝・重要文化財の宝庫である。見飽きるほどの文物が並んでいる。醍醐寺のホームページが案内する霊宝館は、次の通り。霊宝館国宝や重文だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると、約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵。彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料が収蔵されています。春と秋に特別展を行っています。上醍醐から下醍醐を含めて約200万坪に及ぶ広大な寺域をもつ醍醐寺には、京都で最も古い天暦5年(951)建立
◯京都伏見の醍醐寺へ参詣したのは、2022年12月20日のことだった。今日は2024年4月14日だから、もう、一年半くらい、昔の話である。毎日、ブログを書いてはいるのだが、なかなかブログが先に進まない。それでも、丁寧に書いて行くしかない。◯京都駅から京阪バスの乗れば、一本で、醍醐寺へ行くことができる。醍醐寺到着は9時13分だった。その後、仁王門へ行き、入場券を購入して境内に入る。そこで9時21分だった。◯一通り、下醍醐を見学して、上醍醐の入口となる女人堂に着いたのが10時2分だった。ここから
◯醍醐山の山頂に建つのが、如意輪堂と開山堂になる。上醍醐でも、最も奥に位置する。開山堂前には、次の案内板が建っていた。重要文化財開山堂最初延喜年間に建立され次いで寛治六年(一〇九二)に改築されたが、其後二回にわたり祝融にあい、現在の堂宇は慶長十一年(一六〇六)豊臣秀頼の再建されたもので、雄大な桃山時代調をよく発揮した山上最大の建造物である。其の様式に於ては注意を要する点が多々あるが、外観に於ては、側面前端の間の扉で、ここでは縁が切断されており、扉が
◯醍醐山の山頂に建つのが、如意輪堂と開山堂になる。上醍醐でも、最も奥に位置する。如意輪堂前には、次の案内板が建っていた。重要文化財如意輪堂此の堂宇は、開山入師が准胝堂と共に自己の如意輪観世音菩薩を祀った由緒深いものであるが、再三焼失の其の都度再建され、現在の建物は、慶長十一年に豊臣秀頼により再建されたものであるが、その木造りは大阪に於いて行われたものである。醍醐寺新要録によれば『結構華美前代の堂に十倍す』とあり、此の堂の再建当時の美麗と、昔
◯上醍醐は、寺務所から醍醐水、清瀧宮、准胝観音堂跡を経た先に薬師堂が存在し、それから更に登って行くと、やっと五大堂・如意輪堂・開山堂の醍醐山山頂に達する。その一番手前に建つのが五大堂になる。◯上醍醐の五大堂前には、次の案内板が設置してあった。五大堂醍醐天皇御願により、延喜七年(九〇七)に建立された五大堂であるが、再建の都度に祝融にあい、慶長十一年豊臣秀頼再建の様式を伝え、昭和十五年に再建されたものである。お祀りしてあるのは不動明王、降三世夜叉明王、軍荼利
◯上醍醐を訪れ、ブログ『上醍醐』『准胝観音堂』『西国三十三所第十一番深雪山上醍醐准胝堂(醍醐寺)』『醍醐水』『清瀧宮本殿及び拝殿』と続けて来て、やっと『薬師堂』である。准胝観音堂から醍醐山山頂に建つ開山堂へ行く途中に存在するのが薬師堂になる。◯現地には、次の案内板が設置してあった。国宝薬師堂此の堂の創立は、延喜七年で開山聖宝理源大師の時に遡るが、現在の堂は保安二年(一一二一)に再建なったもので、山上伽藍に於て最古の建造物で数少ない平安時代の遺構として貴
◯本来、上醍醐の中心を成したのが醍醐水なのではないか。その谷の下に、寺務所が存在し、寺務所の左上手に清瀧宮拝殿・本殿が存在し、醍醐水を挟んで、右上手に准胝観音堂跡が存在する。それがもともとの醍醐寺の原型だったような気がする。◯と言うのも、大峯奥駈道に小笹の宿があって、そこに三宝院の奥宮が存在する。修験道を極めた理源大師聖宝が建てたものと思われる。その三宝院の奥宮がまさに上醍醐と同様の様相を呈しているのである。◯山上で生活するのは、大変である。最も大切なものが水であることは、言うまでもない。大
◯京都、醍醐寺の上醍醐を訪れ、ブログ『醍醐寺:女人堂』『醍醐の花見』『不動の滝』『上醍醐』『准胝観音堂』『西国三十三所第十一番深雪山上醍醐准胝堂(醍醐寺)』と続けている。今回は『醍醐水』について。◯理源大師聖宝が醍醐寺をこの上醍醐に開いたのは、当然、この醍醐水が存在したからに他ならない。住むのに、水は必需品である。それもできれば上等の水が。そういう水がこの山には存在した。それが醍醐水である。◯そのことを端的に示しているのが、上醍醐の伽藍配置である。上醍醐の中心にあるのが醍醐水なのだから
◯2022年12月20日、京都の醍醐寺、上醍醐へお参りして来た。もう一年五ヶ月も前の話である。なかなかブログが先に進まなくて、随分前のことを書いている。ただ、いい加減に済ませるわけにもいかない。それで長々と綴っている。◯この日、女人堂を10時過ぎに出発し、不動の滝で、ちょうど10時30分だった。女人堂前の案内板に拠れば、女人堂⇒三宝院:0、7Km12分女人堂⇒山頂・開山堂:2、6Km60分女人堂⇒准胝観音堂:2、2Km51分女人堂⇒不動の滝:1、1Km21分と
◯前回、ブログ『上醍醐』を案内し、その中で、醍醐寺のホームページが案内する上醍醐が次のようであることを案内した。上醍醐醍醐寺はこの地から始まりました。登山口の女人堂から小一時間ほど険しい山道を登っていくと、醍醐寺発祥の地、上醍醐へ到着します。更に歩みを進めていくと、874年の開創以来、今もこんこんと湧き続ける醍醐水が参拝者の喉を潤してくれます。醍醐水を飲んだ時の“醍醐味”は実際に登ってみると、より一層深く味わうことができます。
平年より開花が遅れていた桜も、やっとあちこちで開花の便りがありました。各地の桜の名所は、今週末に一気に満開になるようなので、花見客ですごい人出になりそうです。混み合う前に花見に行こうと、5日金曜日にヨメの希望で、京都の桜の名所のひとつ醍醐寺に向かうことにしました。🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸京都地下鉄醍醐駅から歩いて10分ほどで、醍醐寺の総門に到着。平日で9時の開門してすぐということもあり、思ったほど人は多くありません。ここかしこで中国語が聞こえてくるのは、もう慣れた風
◯2022年12月20日、醍醐寺上醍醐にお参りに出掛けて来た。醍醐寺は二回目の参詣だが、一回目は三宝院へお参りしただけだった。それで、機会があれば、上醍醐まで、お参りしたいと思っていた。醍醐寺は、やはり、上醍醐まで行かないとお参りしたことにならない。そんな気がしていたからである。◯それは、醍醐寺の始まりが上醍醐であるからに他ならない。醍醐寺には金堂や三宝院が存在し、そこが醍醐寺の中心みたいに思われている節があるが、そうではあるまい。醍醐寺の開山、理源大師聖宝が祀ったのは、あくまで、准胝観音であ
◯上醍醐は『成身院(女人堂)』から始まる。参道には案内標柱が設置してあって、それも「丁」で案内されていた。女人堂脇の案内に、女人堂⇒三宝院:0、7Km12分女人堂⇒山頂・開山堂:2、6Km60分女人堂⇒准胝観音堂:2、2Km51分女人堂⇒不動の滝:1、1Km21分とあった。◯女人堂から五丁のところに、『醍醐の花見』の案内板があった。前回、それを案内した。さらに参道を進んで行くと、十丁のところに、『不動の滝』が見えて来た。ここが准胝観音堂までとの、ちょうど半分に
◯上醍醐の始まりは、『成身院(女人堂)』から始まる。醍醐寺の受付は仁王門で済ませるが、上醍醐の受付は別で、女人堂脇で受付を済ませる。同じ醍醐寺のはずなのに、何故か、別々になっている。◯女人堂を入ったすぐ先に、史跡醍醐寺境内の大きな標柱が建っていた。いよいよ山道に入る雰囲気である。しかし、道はなだらかで、歩き易い。参道脇には、あちこちに外灯と思しきものも存在した。標高450mとあるし、約一時間を要するとの案内もあったから、心して登ることとする。◯少し行ったところに、三丁の案内標識があ
◯醍醐寺へお参りし、ブログ『醍醐寺へ』から『醍醐寺』、『下醍醐』、『大伝法院』続けて来て、やっと、今回が『醍醐寺:女人堂』になる。醍醐寺では、下醍醐と三宝院は受付が一つだが、上醍醐は別になっていて、女人堂脇で受付できる。◯もっと凄いのは、境内が別になっていることではないか。一旦、下醍醐の境内を出ると、もう下醍醐境内へは帰れないようになっている。醍醐寺と言う寺のはずなのに、少なくとも境内は、まるで別になっている。◯その上醍醐の入口が女人堂になる。そのことは、醍醐寺のホームページでも、次のように
◯醍醐寺へお参りし、ブログ『醍醐寺へ』から『醍醐寺』、『下醍醐』と続けている。今回の醍醐寺参詣の主目的は、あくまで、上醍醐なのだが、なかなか上醍醐まで行き着かない。と言うのも、醍醐寺は大寺であって、そんなに簡単に案内出来るものではない。◯下醍醐の最も奥まったところに、日月門が存在し、そこから先は、『大伝法院』と呼ばれ、醍醐寺の中でも、特別なところとなっている。実際、醍醐寺で頂戴したパンフレットの説明は、伽藍エリア霊宝館エリア三宝院エリアに分かれて説明されている。◯その伽藍
◯ここまで、ブログ『醍醐寺へ』、『醍醐寺』と書いている。もう十分と言う気もするが、醍醐寺は大寺である。まだまだ説明は尽きない。それで、『下醍醐』」と題して、もう一つ、書いておきたい。◯繰り返しになるけれども、ウィキペディアフリー百科事典は、醍醐寺について、次のように案内している。醍醐寺醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派の総本山となる寺院。山号は醍醐山(深雪山とも)。本尊は薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、西国三十三所第11番札所で本尊は
◯前回、ブログ『醍醐寺へ』を書いたばかりである。続けて、ブログ『醍醐寺』を書くのも、何かと思うが、やはり、必要だと思うので、書くしか無い。◯醍醐寺のホームページが案内する醍醐寺は、次の通り。醍醐寺について歴史・縁起総本山醍醐寺200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、静かに1,100年以上の時の流れを語り伝えています。京都御所の東南、東山を越えると山科盆地がひろがり、この地は古くから大和・宇治・近江を経て遠く北陸に到る幹線道路があり、平安京の東南近郊
◯2022年2月2日、すでに、醍醐寺へは参詣済みである。その話は、次のブログに書いている。・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『醍醐寺』・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『三宝院』◯ただ、この時は醍醐寺の三宝院を訪れることに目的があったので、下醍醐のみを訪れ、上醍醐である醍醐山まではお参りすることができなかった。何しろ、醍醐山は標高450mもあるので、上醍醐まで出掛けると、それこそ、一日掛かりとなってしまう。◯そのことが、前々から気になっていた。それで、2022年12月20日に
上醍醐を目指して出発したねんけど〜分岐を間違っちゃったみたいで💦上醍醐には行けず…でしたが〜滝とかみながら〜楽しいコースでした!この一番上のコースのはずやったねんけど〜💦苔のうえに雪が残ってるところがすごくきれいでした💚❄こーいう道がだいすき♡たまにやってくるこーいう道を母と私はごほうびの道って呼んでます親孝行とまではいかないかも…ですが…私が山歩きをはじめてから母と過ごす時間が増えたし次はどこ行く〜?なんて話したり母と共有できる時間が増えましたmayは子ど
2018春の旅宇治醍醐黄檗坂本(3/26~30)その173/29(土)④さて、醍醐寺を後にし、来がけに見えた「法界寺」の看板が気になって車を走らせるが、国宝というお堂は外観だけ、外から覗いておくに留めた。境内に入るのが有料だったからだ。またの機会のために取っておく、という解釈も出来るが。「ひのやくし」と石柱が立った門からは、檜皮葺らしい二層の屋根の、実に優美なお堂が見えた。「ひのやくし」法界寺の門門から覗くと優美な姿のお堂この近くに「日野誕生院」があり、
2018春の旅宇治醍醐黄檗坂本(3/26~30)その143/29(土)①一夜明け、テントから這い出た目に映ったのがこの光景である。桜は満開、眼下に鳳凰湖が望める、これ以上ないテントサイト実にいいテン場が見つかったものだと思う。こういうのを“一発逆転”と常々言い表しているが、まさに大逆転の今回だ。夜中にダム対岸の道で走り屋がタイヤを鳴らしていたようだが、難点はそれくらい、まことに見事な桜が咲き誇り、昼夜を問わず花見が出来るというおまけもつく。ダムのイルミネーションは
最近の趣味は歴史街道巡りで、当ブログでもたまに紹介させていただいています。古都・奈良住みなので、歴史街道、神社・寺院に恵まれている環境が幸いしています。さて、寺社巡りをされている方とブロ友で繋がっているので、各地の寺社の詳細などを拝見させていただいているのですが、一つ私には理解できないことがあります。それは、御朱印集め「御朱印ガール」という言葉もあるようで、アートな御朱印が女性の心を掴んでいるのかもしれません。統計などは調べていませんが
お久しぶりです。マルボロです。大丈夫...生きてますよ(笑)。えっと...本日の竹生島です。夏日の暑さと聞いておったのですが、どっこい朝の琵琶湖北部は寒かった...。革ベストを装着しておいて良かった(笑)。まあ...ブログはほとんど閉店状態ですな...。それもこれも...こいつらのせいです(笑)...。ブログなんか、書いとる暇は無い訳です(笑)。まあ、仕事が忙しいってのもあるのですが...。いや...でも巡礼は続けてますよ♪以前同様..
9月13日その2
地下鉄東西線醍醐駅から上醍醐へ。往復約8kmだった。以前、世界遺産である醍醐寺を訪れたとき、上醍醐登山口にある女人堂まで来ていた。いつか上醍醐に行ってみたいと思ってたので、京都一周グランドトラバースをリタイアしてパワーバッテリーが30%を切るものの、上醍醐へ向かった。私は女人堂の左サイドから登ったのだが、正面から登拝すべきだった。急峻な坂を70歳くらいと思われるお年寄りが続々登られていたことに驚く。よくもこんな急坂を、てぇてぇなあ、、、。と、感心してるところでもなかろう、
先に本来の三十三観音霊場だった上醍醐を過去写真で見ましょう。2019.10ですね。長引いた台風影響の山やお堂の荒廃にやっと目途がついて上醍醐に上がれるようになってしばらくの頃です。こういう出口、懐かしいですね。今も現役の様に見受けました。鳥居が架かります。左奥に女人堂。そこでさらに登拝料を支払います。下醍醐が特別月間?で1500円、ここでさらに600円。異常気象時代の治山を考えると山の方は妥当かなと思います。まだ復旧工事
昨日、『上醍醐寺』にとある用事がありまして行って参りました。本当は別の用事があったのですが、急遽変更になり昨日となりました。公式以外のご登録の方にまだ特典をお渡してなかったなと気付き急遽、その方に必要エネルギーを送らせていただきました。『開山堂』前日までは五大力様がやられるとおっしゃっておったのですが、当日に理源大師様がやられることとなりました。以前、下醍醐寺で五大力様にやっていただいたからなのか選手交代となりました。頂上にある『開山堂』にてその方に必要なエネルギーを送らせていただき
②『上醍醐②』①『上醍醐①』2022年3月12日、醍醐寺の上醍醐へ参りました。山号は深雪山、准胝(ジュンテイ)堂が西国三十三所第11番札所ですが、平成20年に雷でお堂…ameblo.jpの続きです。残念ながら上からの視界は悪かったです。花粉か黄砂かわかりませんが。