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こんにちは(*・∀・)ゞ山笑う頃も終わり、青々と山滴る季節へと変わりゆく・・・頃となりましたが、まだアケボノツツジの花弁が散らばる兜岩に居ますwというか、取り残され感が半端無いです前回の「石ヶ山丈藪漕ぎ線?で兜岩へ」から続きます『石ヶ山丈藪漕ぎ線?で兜岩へ』こんにちは(・∀・)ゞ暑くなりましたもう6月になってしまいましたねご訪問頂きましてありがとうございます前回の「1年振りの別子銅山」から続きま…ameblo.jp昼食休憩後、12
こんにちは(・∀・)ゞ暑くなりましたもう6月になってしまいましたねご訪問頂きましてありがとうございます前回の「1年振りの別子銅山」から続きます『一年振りの別子銅山』こんにちは(`・ω・´)ゞ5月8日の日曜日世に云ふGWも今日が最終日なのかな?赤石山系のアケボノツツジ今年はどうなんだろう?昨年4月25日に東平か…ameblo.jp標高121mの龍河神社からスタートして現在地は標高842mの上部鉄道石ヶ山丈駅跡の索道場ここまで約4時
こんにちは(`・ω・´)ゞ5月8日の日曜日世に云ふGWも今日が最終日なのかな?赤石山系のアケボノツツジ今年はどうなんだろう?昨年4月25日に東平から兜岩を経て西赤石山、旧別子を巡った時にはアケボノツツジは西赤石山北斜面の蜜洞岩辺りまで上ってきておらず石ヶ山丈尾根ルートの標高1388mピーク西側斜面がピンク色に染まってた『兜岩・西赤石から銅山越へ』2021年4月25日、臨時休業中のマイントピア別子東平ゾーンの一般駐車場にパジェロをデポ一本松駅から
明治22(1889)年、欧米巡察から帰国した別子銅山支配人の広瀬宰平は先進諸国の鉱山などを視察し、鉱山事業の有望性を確信するとともに、鉱山鉄道の有効性を目の当たりにし、別子鉱山鉄道敷設計画の実現に着手しました広瀬の計画は以下の通り別子鉱山鉄道上部線は、角石原(海抜約1,100m)〜石ヶ山丈(海抜約850m)間、5,532m石ヶ山丈〜端出場(海抜約156m)間は、高架索道で連絡する。延長は1,585m別子鉱山鉄道下部線は、端出場〜惣開間、10,461m明治24年に下部
時刻は、もうすぐ正午になります現在地は、大正5(1916)年に旧別子の東延から採鉱本部が移ってきた東平の第三広場昭和5(1930)年に採鉱本部が東平から端出場に移ってからも東平は昭和43年まで賑わいました昭和43年の東平撤退後は、木造の施設は撤去後に植林され自然に還りつつありますその自然の中に煉瓦の遺構、石積、通洞などが残存しており、別子銅山の歴史を証言する近代化遺産を目にする事の出来る観光施設として整備され、東洋のマチュピチュと呼ばれるようになりました東平街道(第
日本列島を東西に貫く中央構造線中央構造線は、私が住んでる四国中央市内でもすぐ近くを通ってますが、高圧の変成作用や構造の変形などの地殻変動に見舞われた大規模な変成岩帯です変成岩への変化にともなって生み出されるのが金、銀、銅、亜鉛、硫化鉄などの金属鉱脈・・・愛媛県新居浜市、および宇摩郡別子山村(現新居浜市)に広がっている別子鉱床群は中央構造線の帯状の範囲にありますこのあたりの地殻変動は複雑で、石鎚山脈と、その北側に法皇山脈が縦走しており、海岸線までの短距離の間に2つの断層があって
正月休みも既に遠い過去の事となりました新千歳空港でキャンセル待ちの孫と爺ちゃんはもう北海道を脱出できたのかなぁ〜ご訪問有難うございます平成最後の元日のマチュピチュ探訪は遭難対策と言う訳ではありませんが、登山ポストを兼ねた様な計画を、大晦日に慌しく立て、帰還報告を加えて結果だけの無味乾燥な投稿となりました元日は仲持道を東平(マチュピチュ)へへ写真も沢山撮ってますので、あらためて平成31年1月1日まで時間を戻してみたいと思いますw6:53午前6時には出発する計画
新年あけましておめでとうございます本年もよろしくお願い申し上げます紅白を観ながら登山計画書を書いておりますwwですから、まだ新年にはなって居ない訳で…年賀状と同じですね明日の朝、無事に出発の運びとなった折に、登山ポストを兼ねさせて頂いて投稿する予定です年末はバタバタしていたので、特に正月の予定は立てずじまいでしたJRの切符も買っていないし、読書でもしようかなと思いましたが・・・天気も良さそうなので近くで計画を立ててみました一昨年の元日は別子銅山
お立ち寄り頂きまして有難うございます長くなりました今回で第4回目になりますえんとつ山(標高144.7m)から生子山城址(標高300.47m)、立川尾根をたどり、犬返(標高579m)のピークで鐘を鳴らし休憩そして前回、犬返の険を下り、三角点種子川山(標高538m)を経て石ヶ山丈の藪尾根に取り付き、石ヶ山丈沈砂池(標高729m)を探訪、百年以上前の産業遺産を目の前にして先人たちの知恵と技術力の素晴らしさ、仕事に対する思いが肌に直接伝わって来ました次にどんな産業遺産が現れ
前回は生子山城址の標高300.47mの板ノ本ピークから猿兵の追っ手を振り切って、立川尾根を犬返(標高579m)までやって来ました9時58分に到着して十分(25分)な休憩をとり、そろそろ出発です10:23南側の尾根はかなり低い所から続いているようですが、こういうのをキレットって言うのかな10:25ここからが犬返の真骨頂「犬返の険」だ~(;^_^A10:27ロープが施設されているのでルートを外しませんでも、帰りには気が付いたら外れてたσ(^_^;)10:33
昨日と打って変わって快晴の朝朝は涼しくて気持ちいい夜が明けるのが早くなりましたさあ!今日も頑張るぞ💪なかなか手強そうな草の波今日も7時までの朝の2時間無事終了し市場へ新しいチップソーのお陰もあって順調に3分の1近くまで進んだかな今月半ばの防除作業までには片付けなければならないけど、今度の日曜休めるかな明後日だけど、梅雨の中にもかかわらず天気は申し分ないらしいこのチャンスには、是非とも前回にも触れたえんとつ山(生子山)から尾根伝いに犬返し(イヌカ
旅行するなら、どこに行ってみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう休みが50日くらいあれば四国八十八ヶ所を通し打ちしたいですね8:40今日は市場が休市だったのでいつもの倍以上の午前9時前まで草刈8:40おかげでこの畑の草刈り終了月・火・水と3日かかりました(5時間弱くらいかな)before昨日before一昨日生ったままにしておいたレモンも収穫して来ましたぶくぶくに太ってるw明日の早朝も別の畑の草刈りに
こんばんは昨日3月26日の日曜日に、以前から一度は行きたいと思っていた別子鉱山鉄道下部線を歩いて来ました予報では今日はあいにくの雨ですが、来週の日曜は紫雲出山の予定なのでモンベルのレインダンサーとゲイター持参で新居浜へ(^▽^;)彼岸過ぎましたが、また冷え込みまして豊受山、赤星山白くなってます7:14発の普通列車で伊予寒川駅から新居浜へ向かいます7:04列車交換の為、下り特急いしづち103号が2番線へ入線退避します7:07電車と気動車のツーショット
こんばんは午後2時35分、どうにか無事に2時間7分に及ぶ上部鉄道跡(第一岩井谷〜角石原駅)の探索を終えて銅山峰ヒュッテに立っております今回探索できなかった石ヶ山丈駅〜第一岩井谷までは積雪の無い時に訪れて見たいですそれにしても、100年以上も前に標高850〜1,100mのアクセス道路の無い山中に膨大な石積みを築き上げ、煉瓦積みの橋台と橋脚で蒸気機関車の走る事が出来る軌道を5,532.2mに渡って通し、第一通洞を通って山の向こうの東延地区までアクセスしていたとは、その技術力の高さに
こんばんはいよいよ時間との闘いになって来ました上部鉄道跡を一本松駅から石ヶ山丈駅へ向かって谷を3ヶ所越えて第一岩井谷まで進みました第一岩井谷I時刻は12時51分、ここで引き返せば角石原経由で15時30分までに東平まで帰る事が出来ると判断しました時間に余裕はありません、早速一本松へ向けて自分の付けた足跡を辿ります12:56H第ニ岩井谷は手すりのワイヤーが張られているので、折り返しは恐る恐る橋を渡りました12:58F次の中型の橋台朽ちた一本の
こんばんは現在地は第三通洞前の東平採鉱本部跡で、目の前には第三通洞が、左側には第三変電所がありますちなみに第三というのは地名になっております(推測ですが三番目の通洞として第三通洞が出来てそれからここを第三と呼ぶようになったのではないかと思います。したがって変電所が3か所あるわけではないです)A現在地、拡大してみましたA第三通洞の左側から銅山越へと続く登山道第三通洞(標高約760m)のすぐ左の柳谷川に沿って続く登山道は、途中で馬の背、柳谷ルートに分かれて、標高1
こんばんは現在、元日の午前8時50分、気温3度県道47号線、東平へのアクセス道の河又線との分岐付近の足谷橋横の広場に駐車中ですさて、河又線は東平エリアの休館に伴い関係車両以外進入出来ません②ここから東平までは河又線を約5.5km登って行かなければなりません計画では午前8時には東平の第三通洞横の登山口を出発するはずでしたが、余裕があるので、大山積神社、物言嶽トンネル、端出場と随分寄り道して1時間以上遅れているのに、更に余分に5.5km、往復で11kmプラスは結構キツ
こんばんはあらためまして、新年あけましておめでとうございます平成29年1月1日日曜日快晴の元日の空の下、新居浜へ向けて出発です07:17今日のメインは明治26(1893)年に日本最初の山岳鉱山鉄道として開通した住友別子鉱山鉄道上部線跡ですそうだ、東平(とうなる)へ行く前に実際に上部鉄道を走ったクラウス製別子1号機関車の実物が大山積神社境内にあるとの事なので拝んでおこう07:46大山積神社クラウス製別子1号機関車松山市を走
こんばんは昨日の元日、予定通り別子銅山の東平、上部鉄道跡を探索して来ましたが、今年も最初から予定通りに事は運びませんでした(。>0<。)まず東平エリアの観光施設が冬期休館の為、アクセス道路の市道河又線が関係車両以外乗り入れできなくなっていました②県道47号からは東平エリア迄は5.5kmありますが、この間もウォーキングに追加ですもう一つは上部鉄道跡の積雪が予想より多く、特に谷渡りにおいては足場となる岩の上に数メートルも堆積しており、踏み抜くと身体まで埋まってしまいます
あけましておめでとうございます元日は天候も良さそうなので、別子銅山の嶺北エリアを攻めてみたいと思います東平まで車で行き、第三通洞から馬の背を標高1,100mの銅山峰ヒュッテ(角石原駅跡)まで駆け上がり上部鉄道跡を標高850mの石ヶ山丈駅まで辿り、一本松駅まで折り返して東平に下りますその後、第三変電所、インクラインなど東洋のマチュピチュを探索して、帰りに新居浜市内の本屋で新居浜検定の本を買って帰る予定です上部鉄道跡は角石原から石ヶ山丈駅まで等高線に沿って22ヶ所
こんばんは前回は快晴の秋空の下、蘭塔婆で休憩したのち目出度町の鉱山街を後にして、元禄3年(1690)に銅鉱石が露出しているのを見つけたという歓喜坑、明治14年に目出度町まで延伸した牛車道を経て銅山越に至り、更に尾根ルートを東進して天満山にて昼食休憩しました十分な休憩をとり、時間もまだ昼まえ、午後からはいよいよ楽しみの上部鉄道(別子鉱山鉄道上部線)探訪です鉄道廃線跡を歩くⅨの巻頭に宮脇俊三さんの「廃線探訪・住友別子鉱山鉄道」の記事がありました宮脇さん、ついこの間の様な気がし