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【函館本線上砂川支線】1918(大正7)年11月5日専用線として開業1926(大正15)年8月1日旅客営業開始(函館本線支線に)1994(平成6)年5月16日廃止砂川駅-下鶉駅-鶉駅-東鶉駅-上砂川駅※鶉駅の名の由来は福井県坂井郡鶉村(現在の福井市鶉)の出身者が中心となって入植・開拓されたことに由来する。当初は、三井鉱山合名会社が保有する三井砂川炭鉱からの石炭輸送を行うために、三井側が土地を鉄道院へ寄付し、なおかつ三井側の資金により鉄道院が敷設した国鉄所属の専用線。192
上砂川町上砂川町は旧砂川町(上砂川町の分離後に市町村合併により砂川市)を母町として、1949年砂川町(現:砂川市)と歌志内町(現:歌志内市)の一部が分離独立し、開町旧砂川町よりパンケウタシナイ川の上流にあたることから「上砂川」と命名された。砂川の由来はアイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」(砂浜・についている・川)を意訳したものであり、これを音訳した地名が「歌志内」である。[三井炭鉱(鉱山)の歴史]1872年神岡鉱山の経営権を取得1886年効率的な経営のために神岡の全鉱山を買収18
函館本線上砂川支線は砂川と上砂川を結ぶ7.4キロの路線で1994年6月で廃止。平成の廃止だったので意外に何回も乗車する機会はあった。廃止後10年経った2004年の雪融け後に歩きとおして見たが、痕跡は至るところに見ることが出来た。現役当時、上砂川駅横のホッパーを冒険した思い出が昨日のことのように思い出される。砂川駅の長い跨線橋は味があってよかったなあ。駅構内も隔離された感があってそこだけ時間が止まっていた・・・ここからはあまりにも昔すぎて場所が思い出せないので
今日は四枚D511127上砂川支線、上砂川駅構内にて1975.8.12貨車引き出しの為連結される1127号機貨車引き出しを始めた1127号機列車組成完了、出発待ちに。出発まで、しばし休息おしまい
今日は四枚D511127上砂川支線、上砂川付近にて1975.8.12渡道二日目は上砂川支線。戦時型1127号機が行ったり来たりでしたが、実は歌志内線も、丘を越えてかけ持ちました。D51297歌志内線、場所失念1975.8.12上砂川支線より丘を越えてかけ持ちました歌志内線ですが...撮影場所をすっかり忘れてます。当時のSLダイヤ情報とかを保管するべきでした。D51561歌志内線、場所失念1975.8.12上砂川支線より丘
今日は三枚1975年8月12日函館本線、上砂川支線のフィルムから夕刻の上砂川駅を発車する貨物列車をピックアップ機関車はD51の561号機貨物は、当然ながら石炭専用列車...自然光撮影限界の時刻でこの日最後の撮影列車でした三井鉱山砂川砿の施設が右奥に写ってますがこの駅から専用線となって、複数の側線がありましたこの561号機...群馬県に居る事を最近、ネットで知った自身です...おそまつさま~おしまい
なんか面白い絵柄ですねえ・・・宇宙に向かって何か飛んでいるような・・・昔は、函館本線上砂川支線というのがあったそうな・・・
おばんです🐧2019年夏‼️北海道遠征🚃のつづき札沼線‼下徳富駅~新十津川駅を最初で最後の乗車‼『Suicaペンギン「札沼線‼下徳富駅~新十津川駅を最初で最後の乗車‼」@北海道の旅2019夏』おばんです🐧2019年夏‼️北海道遠征🚃のつづき初‼ファーム富田‼ラベンダーEAST‼超ひろ~い畑にラベンダー『Suicaペンギン「…ameblo.jp札沼線🚃乗車の余韻も冷めないまま相棒Suicaペンギン
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、こんにちは!前回のブログで函館本線上砂川支線の下鶉駅&鶉駅跡の訪問記をUPしました。(前回のブログもチェックくださいませ)平成6年に廃止された函館本線上砂川支線の下鶉駅&鶉駅跡を眺めてきた。上砂川支線は石炭輸送を目的に大正7年に敷設された貨物専用線を大正15年に客貨用に転
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、こんにちは!鉄道の「廃線跡」に魅了されてる方、きっと多いのではないでしょうかね?鉄道が廃止される理由…モータリゼーションの進展によるモノも一部にはありますが、大半は利用者が減少したことによる赤字対策です。こうして消えた鉄道路線の中には廃止からウン十年が経過したのに遺構が残
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、こんにちは!JR北海道には現在、408の駅があるそうです。昭和50年代末頃は700近くありましたから、この40年間に300駅ほどが姿を消したわけですね。純粋に駅が廃止されたり路線が廃止されたりと理由は様々ですが、駅好きの皆さんはきっと、国鉄時代に駅巡りを楽しみたかったと思
鶉駅は、空知郡上砂川町西端にある駅でした。開設は遅く戦後の昭和23(1948)年(上砂川支線自体は大正15(1926)年開業)。しかし、平成6(1994)年に、函館本線上砂川支線の廃止とともに廃駅となりました。駅名の由来は福井県坂井郡鶉村(現福井市北西部)出身者が入植したことによります(『北海道駅名の起源』、昭和48年、国鉄北海道総局より)。鶉地区は上砂川町の西大半を占めていて、上砂川支線では、砂川方より下鶉、鶉、東鶉と3駅が連続していました。開設時より一面一線の構造でした。駅舎は
1975年8月12日函館本線、上砂川支線を訪ねた。D51-1127がその日の担当機関車でした。下鶉付近上砂川付近蒲鉾ドームがよく分かる同上上砂川駅気さくな乗務員さんだった☝上砂川駅、発車乗務員さんが、撮ってくれました🙏おっさんも若かった😁(ボかしてみた😅)上砂川から、丘をひとつ越えると、歌志内線の文殊付近に出られた❗実は❗掛け持ちをしたんです、できたんです。疲れるけど😅室蘭本線や、宗谷本線、石北線、等々有名撮影地は、人人人でした。だから、おっさんは穴場をねらい、ゆっ
ヨーグルトに何をいれて食べるのが好き?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようはちみつ🍯それも✨はちみつレモン🍯🍋そんな感じであります。今日5月15日は🚃鉄道で言えば🚃25年前の1994年の今日🚃JR北海道の函館本線🚃上砂川支線(砂川~上砂川)この区間の最終営業日であります。そして‼️沖縄が本土に復帰した日‼️これは忘れてはいけない‼️では🚙行って来ます🚙
JR北海道わがまち入場券の旅は続きます砂川駅(砂川市)1891年7月北海道炭礦鉄道空知線岩見沢~砂川~歌志内間の開通時に開業しましたかつては歌志内線(1988年3月廃止)、上砂川支線(1994年6月廃止)の乗換駅でもありました炭鉱の閉山により支線の廃止が進みました砂川市はすながわスイーツロードで頑張とか。。。新千歳空港のお土産でもお馴染みの『北菓楼』のほか、多くのスイーツ工房があるとか。。。北菓楼はまなすの恋フラワーボックス20枚入ギフトプチギフトプレゼ
平成6年廃線の函館本線上砂川支線。廃線跡が建物(砂川市の交流センター)の中へ。建物を出た後にも。最後はここにたどりつく路線でした。こうした残し方もすばらしいです!
最近、ヨーグルト食べた?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日はヨーグルトの日ということでオイコスストロベリー🍓オイコスパッションフルーツ☺そして~ヨーグルトの日の産みの親明治のブルガルアヨーグルトケーキ(ブルーベリー)これにしてみました。今日の給食でも~ヨーグルト出たんですけどねえ~全然関係ありませんけど~このブログの前に✏今日5月15日は🚃函館本線上砂川支線が廃止された日🚃そう言いましたけど~上砂川支線の終点『上砂川駅』は『昨日、悲別
平成6年廃線の函館本線上砂川支線終着駅。観光地案内は味わいたっぷり。ここにはこんな駅名標も。ドラマで有名な駅でもある。昭和61年廃線の富内線。すぐ横には沿線の駅の駅名標もある。富内駅の見どころはこの天に向かうレール。駅名標といえば白と黒。それだけでグッときてしまう。
上砂川支線の終点だった旧上砂川駅を訪れたことで、映画「駅STATION」に登場した5つの駅すべてをまわることができた。しかし駅舎には悲別駅という看板が出ている。これは倉本聰の脚本のテレビドラマ「昨日、悲別で」の舞台になったことに由来している。放送は昭和59年(1984)というから映画の3年後になるが、ロケ地としてはテレビの方が断然有名のようだ。ドラマのロケ地巡りに来る若者が多いからか、それとも偶然かわからないが、いずれにしても駅舎は残された。テレビドラマは観たことがないが、そのお蔭で
上砂川支線は大正7年(1918)三井鉱山の砂川炭鉱専用線として開業したが、8年後に旅客営業を開始。その後、函館本線に編入し上砂川支線となった。映画「駅STATION」が公開された頃は貨物列車が画面に映り込んでいたが、昭和62年(1987)貨物列車の運行を終了し、平成6年(1994)には全線廃止となっている。(写真/北海道らしいサンマート屋根の建物とひまわり畑)上砂川支線には起終点駅を含めて5駅があったが、そのひとつの駅舎が残っている。それはちょうど中間にある鶉(うずら)駅。道道115号に
地図上では近いだろうと踏んでいた妹背牛(もせうし)駅も、実際には案外遠く、通りすがりの人に道を尋ねながらようやくアプローチする。国道から折れて、通りの正面にそれらしき姿を認め写真に収める。ところが駅舎だと思っていた建物は、妹背牛幼稚園の園舎で、実際の駅は、さらに左に折れた場所にある。その駅舎は味気ないもので、倉本聰が、失われる木造駅舎を嘆いたというのがよくわかる。妹背牛駅の名前の由来は、アイヌ語で「イラクサが茂る場所」によるようだ。線路の脇にあるのが、果たしてイラクサかどうか
砂川から、隣町の上砂川駅へ。1994年までは、函館本線上砂川支線が上砂川まで走っていました。道道115号線を上砂川に向かって走らせると、今でも左手に廃線跡と思しき痕跡が見られます。旧上砂川駅へ。駅舎は、向きを90度変えて、現役時代は南向きだったのが東向きで移転保存されています。「悲別駅」の看板がかかっているのは、1984年に放映された倉本聡脚本のドラマ「昨日、悲別で」のロケ地として使われたから。同ドラマは、倉本聡作品らしい、トーンの暗い作品でしたね。テーマソングが「
【函館本線上砂川支線】※平成6年5月16日廃止↑(砂川駅方面)-【函館本線】下鶉駅跡(平成30年4月25日)鶉駅跡(平成30年4月25日)東鶉駅跡(平成30年4月25日)上砂川駅跡(平成30年4月25日)TOPへ