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今日は朝早くここを出発しこちらへ(京都府)お賀茂さん一日動き回りクタクタでも最高
本日、上洛いたしました❗️急性腰痛症で救急搬送され、腰が痛くて左足に痺れがありますが『上洛』です。今日から5月前半まで京都で暮らします。『今日から京のひと』どすえ〜♪(京ことばの使い方合ってますか⁉️)☟上洛どすぇ‼️☟雨☔️に煙る京都駅新居は想像通り、渋い町屋の造りでした。家具、家電、調理器具、食器一式は揃っていましたので、その他の日用品と食材を調達に出かけます。家の近くには鴨川が流れていますそぼ降る雨の中、丸太町橋から二条大橋三条大橋方向を望みます鴨川を渡りきった所に建つ
遡れば12周年の重大ニュースで「プロジェクトJ」というコードネームを公開し、昨年5月に晴れて情報解禁した新メニュー「上洛のみち」。しかしながら、2024年3月になってもいまだリリースできていません。その理由として…思いがけぬ壁が一つ出てきて現在その解決に時間がかかっていると昨年6月にぼやかして書きました。そしてそれ以来、ろくに続報も出さずにいました。とはいえ、概要を発表してからそろそろ1年経とうとしていることもあり、現在の状況を改めて報告させてもらいます。細かく書くと際限ない
3月16日(土)花粉の季節になりました花粉症の皆さん今日は凄く飛んでるみたいです僕とママさんは花粉症ではないから平気だけどパパさんはめちゃくちゃ反応してるよ主な症状はクシャミ、鼻水、目の痒みまぁ、全部だね…大きなクシャミを連発するから僕はいつもビックリしちゃうんだ薬を飲んだり、鼻うがいしたり、症状が軽くなるようにするしかないね花粉症の皆さ
3月4月(月)りゅう君らしく頑張れ受験生の皆さんお疲れ様です僕んちにはもう受験生はいないけど結果を待ってる時って落ち着かないよね桜が咲く人もいればつぼみのまま春を迎える人もいるどんな結果も受け止め方次第日々の努力に花が咲きますようにさてさて3月に入り上洛の日が近づいて、ママさんのわくわくはダダ漏れしてる相変わらずの弾丸ツアーだけど大相撲大阪場所
「天皇誕生日に、その覇気を感じて」夜空の満月が、雲に隠れたり姿を見せたり……。最も小さい満月"スノームーン"を明日に控えた、天皇誕生日の月です。昨日「雨氷」のついた樹木は、夜中からの雪に覆われて、寒々しい姿でした。車を走らせる道沿いに、国旗が掲げられていて祭日を再確認させてくれる家があります。子どもの頃の祭日は、もっと当たり前のように日章旗を掲げていた気がします。江戸後期の国学者、平田篤胤による平田派国学を夫婦で学び、尊王攘夷論に感化された「幕末の女傑」がいたそうです
明治の浮世絵研究家である飯島虚心が歌川広重伝で、その上洛を天保初年だとしていますが、いまではより正確に、天保3年(1832)、広重が36歳のときのことだとされています。というのも、空前の大ヒットとなる『東海道五三次』の序文に天保5年という出版年が記され、「御油宿」(愛知県豊川市)の絵の中に「一立斎」の文字があって、天保3年に彼が画号をそうあらためているからです。つまり、その年に彼が上洛し、翌天保4年の1年をついやして全55図を完済させ、天保5年に出版――そう考えるのが無難だから
「神戸ニニンガ日誌」(第3,090号)○東京へ行った。東京へ行くことは「上京」。首都なんで仕方がないか。上京する際に「江戸へ下る」と言う関西人がいるが、それも大人気ないような気がする。○そも列車や高速道路にも「上り・下り」があって、東京方面や路線の起点となる方へ向かうのを上りと称する。昇ったり下りたりする飛行機ではそのように言わない。「上り108便、下りました」では管制員がチョチョ舞って危ない。○明治2年まで天皇も居た京都に行くことが「上京」ではないか。と思いきや、京都人は「上洛」
先日の上洛の際、帰りに京都站構内のセブンイレブンさんでお買い上げの九条ねぎご飯だれ540円也。本日夕飯時にオープン。あかん、美味すぎる(爆)こま切れの九条ねぎがわんさか入っていて、それに味噌がからみ、くわえて生姜のピリッとした辛さもほのかに感じられる。茶碗一杯ぐらいはおかずなしで軽くいけてしまう。京都、畏るべし(意味不明(^^;))
一乗谷朝倉氏遺跡は、のどかな山間の遺跡だった。近くに町並みが無い。また戦国時代には重要なインフラであった湊も無い。なんでこんな所に朝倉氏は城を造ったのか、といぶかるほどの辺境の地だ。山城までは大変な山行ただ幅300メートルほどの谷間だから、谷の上下さえ守りを固めれば攻められにくいかもしれない。また冬季は雪に閉ざされるので、冬は自然の要害となる。織田信長の度重なる上洛、つまり家来になることの要請を断った朝倉義景には、守りに自信となったに違いない。ここに、盛期には約1万人が住み、
久しぶりにどうする家康見たな、何か家康はひと皮剥けて器が大きくなった感じがするな、そして秀吉はここから朝鮮攻めとかでだんだんおかしくなっていくんだな😐
この業界あるあるかもしれませんが、見た目じゃほとんど分からない、なんなら誰も気付かない地味な改修ほど労力がかかったりします。今日はそれをアピールする回、ではありません。“誰も気付かない”ほどではないものの、今月1日から城主争いに関する改修を実施しました。7月1日に、月替りのタイミングで「来月度の城主争い戦況」部分がリアルタイムに表示できない問題を解消するための仕様変更を行いました。ただ、それでもまだ月替りの10分程度がアクセスが集中してサーバーが逼迫していたので、9月1日に(こ
どうする家康(34)は豊臣の花嫁ですその前に今季のメジャー2戦目🏆はそして昨日は少し、オジヰ散歩を先日お邪魔の長久手古戦場すぐそば武蔵塚(むさしづか)ヘ🚘で森長可の戦死地とされ長可は武蔵守(むさしのかみ)という官位を授かっており官名にちなみ武蔵塚とよばれた勇猛果敢な武将として知られ「鬼武蔵」記念碑続いて色金山歴史公園ヘ家康が陣を張って軍議を開いたといわれる山長久手の戦いの慰霊碑床机石広場に向かう階段公園山頂の展望テラス展望テラスからの眺め長久手市役所方
家康の腹心として仕えていた石川数正が、秀吉のもとに仕えた。家康は秀吉に従うことへ抵抗があったため、数正の行為は寝返り・裏切りと取れるもの秀吉との戦を考える井伊直政らに対し、和睦を結び秀吉の支配下に入ることを主張していた数正が徳川家中で浮いてしまったための出奔でした秀吉との戦に障害が無くなったことで、秀吉との全面対決・・・になるところで関西を襲った天正地震。これを受けて信雄は家康に豊臣との戦を止めるように進言します。家康は秀吉が和睦ではなく戦を選ぶとし、妹との婚姻を条件に出しました。秀
娘よろこんでガイド。息子偵察、観察。まだまだまわりたいところたくさん!(❁´ω`❁)たのしかった!みやこあっついねぇバテずによくできた。旅の記録のちほど。18切符で駿河国まで帰りま~すあ、まだまだ旅は終わってないや。あと6時間ね。(˙ω˙)/
◇関屋佛教日曜学校〔西〕7月8日(土曜日)午後5時~6時◇御文章講座③-大聖世尊章-7月10日(月曜日)午後2時~3時10分頃迄◇仏教婦人会定例法座7月20日(木曜日)午後2時~3時半頃迄◇めぐみ会[仏壮]定例法座7月22日(土曜日)午後7時~8時半頃迄◇お寺deヨガ7月24日(月曜日)午後1時半~2時45分迄本堂での主な予定は以上となります☝※講座・法座等の講師はすべて住職です。・~~~~~~~~~~~~・そして、今月の関連行事7/7
年間100万遍くらい言いますけど、時が経つのは早いもので、今日で今年も半分終わります。信じ難い事実です。ということで、明日は7月1日、後半戦のスタートです(T∇T)7月1日から、先日予告した通り月初の城主争いの表示が変わります。知らなかったという人は、こちらの記事を読んで下さい。あと数時間で、城攻め後の城主争いの表示が下の画像のように変わることになるので、驚かないで下さい。例は“岡山城”ですが、3,000城すべてが対象ですのでご注意下さい。ちなみに、振り返ると去年
梅雨の合間の隙に、「お城巡り」に行きたくてウズウズしていた私は、一昨日(6/6)昼から小雨になるという予報があったにも拘わらず、朝一から出かけました。午前中は、「道の駅竜王かがみの里」でバスを下車して「星ケ崎城」跡に登城しましたが、天気はもってくれて無事下山しました。「道の駅」で昼食を終えた私は、11時44分の「野洲行」バスに乗り込み、5分程の乗車でしたが「辻町」で下車して「永原御殿」跡まで2.8kmの距離を小雨の中行軍しました。当初私の予定では、「辻町」からほど近い「桜生(
若葉風R1にて上洛す2023年5月30日(火)若葉風R1にて上洛す(いわきり秋月)(わかばかぜるーといちにてじょうらくす)【季語】若葉(わかば)初夏【子季語】朴若葉、藤若葉、若葉寒【関連季語】青葉、草の若葉、茂、新緑、新樹【解説】おもに落葉樹の新葉のこと。やわらかく瑞々しい。若葉をもれくる日ざし、若葉が風にそよぐ姿、若葉が雨に濡れるさまなどいずれも美しい。【例句】絶頂の城たのもしき若葉かな蕪村があります。【掲句】「青葉」という季語
4月6日に重大(10大)ニュースをリリースしてから、もうすぐ2ヶ月が経とうとしています。東海以西は今日梅雨入りしたというし、時間は刻々と進んでいきます。時の流れの早さと悪天候で、おのずからテンションも下降気味です。城の日以降、色々告知がとっ散らかっているので、今日は10大ニュースをベースにその進捗など、中間報告をしておきたいと思います。まず、城の日当日の告知(各種文字数制限の拡大など)については良いとして、直近に予定しているものとして、公式縄張図の件があります。こちら、リリ
今月15日(月)の北野天満宮松向軒の月釜を担当させて頂きます。松向軒の月釜は昔から毎月15日(7、8月はお休み)と決まっております。曜日が平日だろと変わりなく、15日です。今月は月曜日ですが、15日!越後から釜を掛けに上洛致します。どうぞ遊びにお越し下さい。皆さまとお会い出来ます事、心より楽しみにしております♪画像は月釜とは何にも関係無く、薄めの濃茶を頂いてひと息♪わかさん着物専門店いしかわや
大変遅くなりましたが、城の日の重大(10大)ニュースで近日情報解禁としていた「プロジェクトJ」について、その全体像を、今日発表します!新たに「ニッポン城めぐり」に実装される機能とは…“新メニュー【上洛のみち】”です!“上洛”の“J”でした(*゚ロ゚)///誰が“J”と聞いて“上洛”って気付くねんという話で、恐らくこれを予見した人はいないでしょうが、ではこの「上洛のみち」とは何か?今回はその概要をお知らせしましょう。「上洛のみち」は、スマホの歩数計
上洛編でございます。足利義昭や明智光秀も登場し、面白くなってきました。直垂もよく似合う家康でございます。
【本日の萌え言】『花洛(みやこ)でどうする!』狼と白兎の蜜月をもう一度編ドラマ所感『ほったらかしておいて、すまぬ。近々宴席を設ける。』松潤家康は上洛し、岡田信長様にも再会します…!岡田信長様、怖い雰囲気と繊細な優しさのギャップがたまらないですね♥今回は、岡田信長様の大プッシュ回だったねワイルドでかっこいいだけじゃない、岡田信長様の人間味溢れる可愛らしい行動や表情が、沢山観られましたね!(´。✪ω✪。`)✧*。魅力がさらに増し増しになっております♥『ふたりの弟よ
今日は、「どうする家康」信長の上洛、包囲網について書きます。一見すると、この信長の上洛と信長包囲網は、徳川家康と関係のない事項に感じると思いますが、実は、これは、徳川家康の三大危機の一つである「三方原の戦い」に大きな影響を与えています。信長の上洛と室町幕府の再興織田信長は、代々、「弾正」の家系であり、1568年に第15代室町幕府将軍・足利義昭の申し入れを受け入れて武力で畿内を支配していた三好三人衆を退け上洛し室町政府の再興を実現させ、「天下静謐」を成し遂げます。実は、信長は、
和歌山女子刑務所の管内放送に関する報道『刑務所ラジオ』ちなみに、前半に出演されているディスクジョッキーの先生は本願寺派布教使さまです。人はみな塀のうえを歩いていて、一風によりどちらに転び落ちるかわかりません。縁によりどうなってしまうかわからないのが人間であります。それにしても音楽(曲)が人にあたえる影響の大きさ!その深い想いが更生のきっかけとなりますように・ーーーーーーーーーーーー・某日、会合や野暮用があり坊守と上洛してきました東山に行ったので、尚子姉の墓所へ参拝。道路は大丈
2023って、もしかして素数ではないか?と思ったけれど、少し考えて、7で割り切れることに気付き、なぜか、ガッカリ。というわけで、1月14日(土)4回目のわくわくワクチンを打ってきました。わくわくし過ぎてドキドキしましたが、無事に接種が終わりました。1月15日(日)朝起きたらわくわくワクチンの副反応で肩がものすごく痛かった。しかし、今回、4回目にして初めて発熱しなかった。(今のところ)肩が痛い以外は特に異常を感じなかったので、昼からお出掛けしてしまいました。
今年初の上洛、久しぶりに東京駅から乗車、1号車は空いてますでも、品川・新横浜でほぼ満席、やはり世の中動き出していますねバスも鉄道も女性の働き手は増えましたね。しっかりてあ車掌室の鍵を閉めて任務終了。太平洋側は年末から良い天気だったので富士山の雪も少なめ😢
昨日は赤穂浪士討ち入りを記事にしましたが、ということは必然的に今日・12月15日は、吉良上野介(義央)の命日・没後320周年にあたります。1641(寛永18)年に高家旗本・吉良義冬の嫡男として生まれた上野介は、11歳にして将軍・家綱に拝謁。そして16歳の時に出羽米沢藩主・上杉綱勝の妹と結婚。翌年父と共に江戸城に出自すると、その3年後には幕府の使いの1人として上洛し天皇に謁見。22歳で2回目の上洛をした際には従四位上を賜っており、以後生涯に24回も上洛した彼は、使者職として
ヨシザワ想造建築の百済ですまた撮り溜めたネタを連投させて頂きます本日は、甲賀市の水口城ですこちらのお城は、三代将軍徳川家光さんが京都入りの際に宿屋として使用する為に造られた宿屋です宿泊場所を造るという発想もすごいですが、この宿屋は1度きりしか使われなかったのが驚きですそもそも2代目将軍が公布した武家諸法度によって築城の禁止、修復時は幕府に届出が必要という状況下で水口城の築城とは。。。笑仕事上、建築確認申請の業務をしているので当時の幕府への届出も気になるところ