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いつもご覧いただきありがとうございます🙇第59回「上武鉄道日丹線(後編)」を公開いたしました。また同記事のブログ版も解除・公開いたしました。よろしくお願いいたします🙇Youtube版こちらになります。ブログ版こちらになります。
いつもご覧いただきありがとうございます🙇第58回「上武鉄道日丹線(前編)」を公開いたしました。また同記事のブログ版も解除・公開いたしました。よろしくお願いいたします🙇Youtube版こちらになります。
探索日2017/10/09八高線丹荘駅と西武化学前駅を結んでいた6.1kmの非電化路線廃止は1986年12月31日丹荘駅に上武鉄道現役時の写真が掲示されている丹荘駅脇に残る貨物側線跡上武鉄道はここからむこうへのびていくここが廃線跡橋梁跡道路になった上武鉄道跡ここから遊歩道になる神川中学校前駅跡ホームは当時のもんらしいけど、こんな短かかったのか?標識が残るまた普通の道路になる
続きです。今日もここで折り返し。来た道を引き返します。下界はまだ真夏ですが、御荷鉾スーパー林道標高1000m付近は確実に初秋から秋に季節は進んでいます。林道を下がって行くと花々も色々咲いています。帰り道に神流川頭首工へ。地元では寄島の堰と呼ばれています。我が家の畑の農業用水はここから取水しています。今年は上流下久保ダムの貯水率が例年より低下してますが、確実に農業用水として供給されています。感謝です。神流川頭首工寄島の堰付近に日本ニッケル鉄道の寄島駅跡
先日、埼玉県北西部をドライブ~上武鉄道の廃線跡散策をその帰りに立ち寄ったのが~【美里町にある松久駅】単式ホーム1面1線の駅美里町の玄関口となります駅舎の前にあるのが…ログハウス風の駅前情報館【駅前にある案内看板に注目】上武鉄道としっかり表記ここでは鉄道がまだ残っています
先日埼玉北西部をドライブ~行ってきたのが神川町上武鉄道の廃線跡散策1986年(昭和61年)に廃止に1973年まで旅客営業もしていました【ホーム跡が残る寄島駅】ホーム1面で1両程度の短さこの鉄道は1942年(昭和16年)に日本ニッケル専用鉄道として開通この線は丹荘から西武化学前まで6.1㎞の短さでした【踏切跡が残っていました】唯一の線路跡が残っている場所道路に埋められた線路がいつまでも残ってほしいものです【遊歩道・健康緑道の終点に】竹林の先に鉄橋跡が残ります廃線
先日埼玉北西部をドライブ~行ってきたのが神川町上武鉄道の廃線跡散策1986年(昭和61年)に廃止に1973年まで旅客営業もしていました【起点となる八高線・丹荘駅を出発】廃線跡は遊歩道に途中に信号機発見🚥【このあたり青柳駅です】駅跡の痕跡は見つかりませんでした遊歩道は健康緑道と呼ばれています。この先から道路に変わります~【道路に転用された廃線跡から】こんもりした丘が見えます青柳古墳群が見えます。6世紀のものだそうでー。【細い小高い築堤が】ここから上州の山々を眺める
先日、埼玉県北西部をドライブ~行ってきたのが神川町上武鉄道の廃線跡散策1986年(昭和61年)に廃止に1973年まで旅客営業もしていました【起点となる八高線・丹荘駅を出発】転用された道路から~遊歩道に変わります途中に駅跡発見【神川中学校前駅です🏫】ホーム跡が残ってますしかも、駅名標と説明版が~短い1面だったようで【ホーム跡の隣はバス停】駅と同じ名称の停留所です旅客営業末期は1日1往復だったようです上武鉄道廃線跡散策は続きますへ
今日は梅雨の中休みか?雨が降らないのでモンキーで出かけてみました。何時もの散歩では飽きるので、ちょっと遠出にしてみました。まずは、何時もの所でコーピーを購入。散歩コースを進みます。高校の野球練習場で関東自動車さんの貸切車が止まっていたので許可を得て撮影し話し込んでいました。東野交通さんと合併後のニューカラーで9m車です。因みに後ろのバスは同じ関東自動車さんの旧色貸切車です。一般道を走り、目指すは世界遺産の高山社です。到着して見学しようとした
金鑚神社を参拝後、50mと離れていない場所にある金鑚大師に参拝しました。大光普照寺が正式な名称になります。還暦に手が届こうとする今になって見れば、鉄道撮影に出向くことは、ごくごく稀になり、神社や仏閣の参拝に行くことに生きがいを覚え始めています。それにしても、35年以上前には魅力的な車両や鉄道風景、列車などが、至るところに見られました。現在はメンテナンスの効率化のため、鉄道全般が画一的になったことがその大きな要因ではないかとも思います。まだまだ当時に撮影したネガが大量に
平成時代の初め、廃線跡の探索をよくやりました。これは平成9年5月に埼玉県神川町の上武鉄道跡を探索した時の写真です。この鉄道は八高線の丹荘駅から南西方向の西武化学(現朝日工業)までの貨物線として昭和17年に開設、戦後には旅客営業もしていたが、昭和61年に営業を中止した鉄道でした。現在の廃線跡はグーグルマップを見ると大部分が道路や遊歩道となっているみたいだが、その後は再訪問していないのでわからない。丹荘駅の跡。ホームが残っていました。丹荘駅跡から西にを見ると草むらにボックスが
八高線の非電化区間、高麗川~北藤岡間は1990年当時からあまり変わってない駅がほとんどです。その中である駅の面白い写真があったので載せたいと思います。八高線埼玉県内の最北駅、丹荘駅です。駅自体は何の変哲もない駅ですが、ホーム跡のようなものが見えますね。張り紙のある樹木の写真もあります。この張り紙を見ると、「栗を採らないで下さい」とあり、その下に「上武鉄道」と書かれてました。上武鉄道はこの丹荘駅から西武化学前までの6.1kmの鉄道で1986年まで営業していた超ロー
八高線の丹荘駅はかつて、上武鉄道という私鉄が接続していた駅。元々は日本ニッケルという工場と丹荘駅を結ぶ工場専用鉄道として、昭和17(1942)年に開業。戦後は旅客輸送も行ったのですがバスや自家用車の発達により利用者が激減。昭和47(1972)年に旅客営業が廃止され、貨物輸送は、昭和61(1986)年に丹荘駅の貨物取り扱いの廃止に伴い、そのまま路線廃止になったそうです。現在の丹荘駅は八高線自体の
上武鉄道の最終回は、終点の西武化学前の風景です。現在も朝日化学として盛業中です。1982年当時、守衛所で許可をもらった上で入場し、更に事務所で記帳した記憶があります。一企業の工場内への立ち入りのため、許可を得ることは勿論、工場内で解体予定の国鉄車両には絶対にカメラを向けないことを約束した上での入場を許可されました。恐らく情報が漏れて鉄道関係の全国誌に載せられた際の、部品の盗難を危惧されてのことであったかと思います。現在は構内には当時の名残りはないものと思いますが、マナーだけは守って頂く
上武鉄道特集第2弾です。今回は丹荘駅でのDB102の姿と、駅間を走行中の姿をお送りします。八高線丹荘駅のホームで待っていると、踏切の警笛が鳴り始め、DB102牽引のワ厶+トラの貨物列車が進入してきました。DB102は運転席が線路と並行しているので、バック運転も問題なく行えます。残雪の中をゆっくりと進みます。西武化学前方に連結したDB102です。丹荘駅を出発したDB102牽引の下り貨物です。先程入線してきた上り貨物の編成と同じような気がします。
その昔、埼玉県の北西部の丹荘から群馬県の神流湖方面に向けて、小私鉄が走っていたのを知っている人は既に少ないのではと思います。昔は日本ニッケル、その後経営形態が西武化学に移り、上武鉄道と名を変えて、1980年代の初頭まで活躍していました。途中、旅客営業をやめて貨物専業となりましたが、廃止数年前の夏と、残雪が残る時期に訪問しました。その後、廃線後かなり時が経った2008年頃、親の遺伝子を見事に引き継いだ、当時小学生の次男坊とともに訪れました。また神流湖畔にあるレコーディングスタジオに、会社の
今回は、埼玉県北西部の神川町を走っていて、八高線の丹荘駅から分岐して西武化学前駅までの間を結んでいたものの1986年に廃止された上武鉄道日丹線(丹荘~西武化学前)の廃線跡について簡単に紹介します。上武鉄道日丹線は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に、現在の朝日工業埼玉事業所の位置にあった若泉製鋼所(神流川の対岸・群馬県側には多野鉱山とニッケル精錬所がありました)と丹荘駅を結ぶべく日本ニッケルが敷設した貨物専用鉄道が前身です。戦後の1947年には旅客営業も開始し(地方鉄道への転換)
撮影日2017/10/09八高線丹荘駅停車しているのはキハ110系気動車2番線は使用されなくなったため跨線橋も閉鎖されているこの駅から分岐していた上武鉄道の往時の写真が掲示されている
近年、箱根駅伝の中継で耳にするようになった大学で上武大学というのがあるが、この大学名を初めて聞いて私が連想したのは上武鉄道という鉄道路線だ。上武鉄道といっても、西武や東武のような大手私鉄とは違う。調べてみると会社は西武鉄道の系列だったようだが、路線自体はかつて埼玉県北部で運行していた短いローカル線だ。上武鉄道は第2次世界大戦中、国鉄八高線丹荘駅と日本ニッケル(後の西武化学工業)のニッケル精錬工場(のちに肥料工場を併設)との間に開業した。当初この路線は専ら日本ニッケル工場の原材料や製品を
上武鉄道。八高線・丹荘駅から伸びていたローカル鉄道。訪問当時、既に旅客営業は廃止、貨物列車が時折走っていたようだが、姿を拝むことは叶わなかった。。今はほとんど遊歩道に。。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E9%89%84%E9%81%931980