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おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます木挽堂書店編集責任・劇評第22号2024年01月Instagramと同内容になりますが#木挽堂書店編集責任・発行・発売#劇評2024年01月号応援している方の芝居が誉められるのはやはり嬉しいもの#明治座【#大杯】は梅玉さんのお役と芝翫さんのお役との因縁と再会に私好みの萌もあったので映像としても残してくれていたらならなと思う🌸#中村芝翫#上村以和於#中村梅玉#紀伊国屋#澤村藤十郎連載五回目【茶話む
上村以和於氏による。明治座百五十周年記念公演。私が気になったのは、初世左團次に当てて黙阿弥が書いたという大杯觴酒戦強者「芝翫が骨太のタッチで豪放な快男児のす型を顕然させ快打一番」とある。3月の歌舞伎座の花の御所始末畠山満家も大きさと存在感があって、なかなかの出来だった。そして、この劇評。確実に一歩前に進んだ感じがする勘三郎、三津五郎がなくなり大御所の下の世代にポッカリと穴が空いているから、芝翫の好演は、一筋の光明に思えた。見にいった友人によると、入はイマイチの模様。私
上村以和於氏による。上村氏は、「一種の穴場」なのであると書かれているが、まさにそのとおりだと思う。特に今月は、又五郎、孝太郎といういま盛りを迎えつつあるお二人。又五郎丈については、ワキでは、この方がいると舞台が締まって実に上手いと思っていた。主役になると、何か足りないような気もしていた。しかし、先日の盛綱陣屋の時政は、圧倒的な存在感を放ち、光っていた。そして、今月の六助。情もあって、実直で、真っすぐで、強い、という素晴らしい六助を演じられた。苦手な毛谷村が、大好きになるぐら
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます歌舞伎専門誌【演劇界】が休刊し歌舞伎劇評はどうなってしまうのか、と不安に感じていたところ木挽堂書店さま編集責任で「あくまでも次の新たな『演劇界』ができるまでの「つなぎ」ということにしたいのです。」という、お心で【劇評】という小冊子を発行してくださいました。歌舞伎についてのあの先生この先生居てくれて嬉しい。特別寄稿の方々や読者投稿の常連さんたち…木挽堂書店さんの紡いでいる絆というのはすごいなあと感動。つなぐ想い。バトンを渡す
上村以和於氏による。国立劇場歌舞伎鑑賞教室100:回記念となる義経千本桜忠信又五郎静五膳高麗蔵河連法眼橘三郎妻梅花義経歌昇上村氏によると、又五郎は、六代目の型をお手本として演じていて、それが、正統派の整然とした演技ということ。わたしも、六代目の型のものは、かつて、團十郎が三役すべて演じたときと、菊五郎でみたことがあるが、回数的には、おもだか屋のものが圧倒的にお
Amebaさんからのお知らせで…3年前の素晴らしかった舞台を…思い出していました…世の中は…クリスマスと言うのに…家族を放って…連日…演舞場通いをしていたのですね…千秋楽夜の部のラストは…感動のプログラムだったのですね…千秋楽のお芝居…通し狂言『よかったです‼️千穐楽の「忠臣蔵」は…⁉️』あのまんまのお芝居を…今回は…見たいと思っていました…昼の部は…一点も崩しませんでした…夜の部は…里見さんと対峙する傘のシーンで…「若いのう…」「そちらにはか…ameblo.jp千秋楽昼の部
上村以和於氏による。「お祭佐七」のことを、大人の芝居と位置付けたのは、大人の芝居が少ないことの裏返し?菊五郎、時蔵、左団次、楽善、団蔵という菊五郎劇団の香りを知っている役者のたち。かれらが、この芝居を伝えようとする気迫を間近でみたかったなあ。10月は、私事で忙しく、芝居も国立劇場だけだったし、コンサートもチケットを何枚か無駄にした。実際には、観ることができなかったが、劇評を読むことによって、色々想像できるのも楽しいことである。玉三郎の「二人静」は別世界の趣という言葉は、どう解釈すれば
上村以和於氏による。上村氏は、まんべんなく批評するが、今回の劇評でなるほどと、思ったのは、勧玄くんへの「あっぱれの舞台ぶり」児太郎への「品格・格調共に備わっている姫御寮」夜の部については、知盛と忠信は無難、筋に綾の多い「鮨屋」が難しいのはやむを得ない。海老蔵をささえるスタッフの健闘をたたえていたが、本当にその通りだとおもう。
上村以和於氏による。今月も菊五郎と吉右衛門による「鈴ヶ森」と、仁左衛門による「実盛物語」というお手本とすべきものの上演がある。上村氏の思いは、「ベテランの思いひしひしと」という見出しになった。「これだけの舞台が今後見られるか」ということばにはまったく同様の思いである。わたしがとっても嬉しかったのは、歌六の瀬尾についての「赤っ面の敵役の性根を踏まえながら類型に堕さず、隠していた善心に返るモドリの演技に情愛の深さをにじませる工夫」というところ。自分のブログでこういうことが言いたか
上村以和於氏による。上村氏のポイントは、代替わり。弁天は、次代を担う二人。それぞれ違う演じ方で。(犬丸治氏の指摘と同じだと思う)判定は、引き分け。盛綱陣屋は、仁左衛門にとっても一代の名品と書かしめる出来のようだ。秀太郎の微妙がみられるだけでも幸せ。小四郎の勘太郎が天晴れの好演と。あっぱれとは、すごいな。猿之助の吃又のお徳についても、「このお徳は、よきものである」と。まことに、よきものであった。夜の部は、千秋楽なので、待ち遠しい。猿之助の弁天にも行こうかなと思ったが、行
上村以和於氏による。「すし屋」について、明快で分かりやすい舞台とある。古典の今日的在り方とも。確かに、分かりやすく、楽しく見ることができた。古典の本来の在り方とは、どういうものなのだろう。二代目松緑の権太は、生ではみていないが、テレビで観ても素晴らしかった。先年の仁左衛門の権太も。こちらは歌舞伎座で生でみた。それと、今月の四代目の権太の違いはなんだろうと考えるのだが、やっぱり、役のとらえかたなのだろうか。封建的社会の中の生き方が当然と思う世代と、そうでないのが当たり前の世代?歌舞
上村以和於氏による。「若手伸張、新時代を予感」という見出し。わたしは、まだ観ていないが、NHKの初芝居中継など踏まえて、上村氏の評を読むと、面白いのは、白鸚の「一條大蔵譚」だろうか。吉右衛門の光秀は、良いのはわかるが、またがみたいな印象。白鸚の大蔵卿は、47年ぶりというのも、興味をひかれる。テレビで観た感じも、大蔵卿のおおきさみたいなものが感じられた。16日が楽しみ。夜の部の猿之助、七之助の共演は、演目として面白いたところに目をつけたのかもしれないが、テレビで観る限りは面
平成ということが、クローズアップされているが、元日の朝刊では、ついに、平成の「ベスト5」という記事がでた。伝統藝については、劇評でおなじみの上村以和於氏。幸いなことに、全部みている。一位の歌右衛門の建礼門院は、後白河院に新国劇の島田正吾をむかえてということで、印象にのこっている。妙に歌右衛門が美しかった。寂光院に後白河院が訪ねる場面は、しみじみとしてとてもよかったと思う。なぜ、歌舞伎俳優でなく島田正吾だったのか?松緑も、幸四郎(初代白鸚)もいなかった。もちろん、勘三郎も。17代
上村以和於氏による。「玉三郎学長の下、歌舞伎大学の趣」という言葉につきるかな。ここ何年か、12月は、玉三郎指導で若手が大役に挑戦しているが、ことしは、難役と言われる阿古屋。壱太郎は、玉三郎の出世役でもあるお染の七役。これは、観た友人によると、大成功だったようだ。上村氏のこの劇評のなかで、いちばん気になったのは、「(文楽の人形に学んだくふうをみせるが、)玉三郎自身の個性も隠れてしまうのは凝っては思案に能わずか」というところ。なるほどともおもう。25日に実際に見て、どう思うのかな。
上村以和於氏による。「若返った配役で、それ故の新鮮さや期待度の反面、つい先人達と見比べられてしまう辛さもあるだろう」という上村氏の言葉通りの結果。橋之助が頑張ったのは、わかる。新悟については、努力賞とあるが、わたしには、玉砕したようにみえた。まあ、頑張ったのは、わかるよ、でもまだまだだねと解釈すべきなのかな。松江、橋吾については、同感。論評はなかったが、清盛館で、梅花、京妙のやり取りや、座っているだけで雰囲気をつくつてしまうのに比べると、若手は、まだまだという感じ。そういえば、福之
上村以和於氏による。わたしは、昼はまだ見ていないが、夜の部に関しては、おっしゃる通り。白酒売が天秤棒をさばく型は、14世守田勘弥から勘三郎に伝わったものということにびっくり。追善と芸の継承ということは、誰もがかんじることであった。吉野山についても、「きっかり踊る」と。「ふくらみが加われば本寸法」とも。そうそうと、相づちを打ちながら、この劇評をよんだ、昼の部もとってもたのしみである。とにかく面白かったから、入りもよい。みんなよくわかっているのだな。
六菖十菊の感は、あるのだけれど。日経は、上村以和於氏。切り取っておいて忘れていたのを、あえて載せるのは、上村氏の言っていることが何れも尤もと感じたから。「緩急自在自在な円熟の芸をベストメンバーと言ってよいワキの役々と共に堪能する」「幕切れの船を見送る表情に肚をにじませる風情」「特に歌六・魁春・吉三郎・京妙と揃う序幕質見世は後世への手本」「病気休演中だった福助が久々の出演」「長男の児太郎が大役雪姫を演じきる」「(鼓童との共演で)別天地を作る」引用ばかりになったが、ごもっともそ
上村以和於氏による。こちらも「出世太閤記」。「海老蔵の目指すものは何だろう?」と上村氏は書いているが、私には、明確なように思える。自分しかできないエンターテイメントとしての歌舞伎の創造だとおもう。市川宗家という立場から、江戸歌舞伎の全盛期のようなものを目指しているのでは?馴染みの薄い場面も変化にとんで面白く見せているのは、上村氏の指摘通り。「脇も役の大小に関わりなく気が揃っている」というのは、海老蔵への賛辞の裏返し?獅童が加わることで、渥美が増したのはたしか。「源氏物語」について
上村以和於氏による。冒頭から、「昼は音羽屋、夜は播磨屋のモードに切り替わる」と。これって、結構痛烈な皮肉?大御所がそれぞれ自分のやりたいものを出して、相互交流がない。菊之助の長男の寺嶋和史君のお目見えの時は、仲良くでていたじゃない。昼の部については、妹背山の松緑が「演じ重ねて役を、我が物とした」に共感。顔が白すぎるとの指摘にも納得。「文屋」の菊之助は、「喜撰」よりも仁に叶っていると。これもたしかに。「野晒悟助」をいま、菊五郎があえて演じた心をくみ取るべきとあるが、それは、どういう
上村以和於氏による。4月の演目について、まんべんなく。「西郷と勝」について、松緑が膨大なセリフをよくこなして満場をひきつけたとあるが、たしかに、松緑の熱気が伝わってきた。「錦之助の勝もややたじたじの体」については、まったくそのとおり。錦之助に精彩がなかったのは、たしか。「裏表先代萩」については、菊五郎が柄でないはずの仁木も役者ぶりの見事さで見せるとあるが、まことに、「役者ぶり」をみせつけられたよう。「絵本合法衢」については、「仁左衛門ぶ」りの颯爽さとは別の行き方も可能だろうという言
上村以和於氏による。四世中村雀右衛門追善の演目で、当代が「恋の手習い」をじっくり踊ると書かれている。確かに、恋の手習いは目立っていた。みんなそう思ったんだな。「国性爺合戦」については、やっぱり、秀太郎、東蔵の実力が目立つということ。これは、どうしようもない。本当に秀太郎は、よかったから。玉三郎の功績として、「新派古典と歌舞伎の境界を取り払った」こととある。そう、考えたことはなかった。たしかに、玉三郎によって、天守物語、日本橋、夜叉ヶ池、婦系図、鶴八鶴次郎などが演じられた。
更新を…待ちに待っていた…歌舞伎の評論でお馴染みの上村以和於さんのサイト…今月の演舞場のパンフレットにも…書いてくださっています…演劇評論家上村以和於公式サイトが…更新されました…随談第602回歳末あらかると新橋演舞場のところだけ…抜粋させていただきました…新橋演舞場の舟木一夫公演で「忠臣蔵」を昼夜通しという、相当の意気込みが感じられる舞台を見せている。映画や舞台で昭和の初期から演じ継がれてきた「時代劇」というジャンルと、それが培い、伝承してきた芝居作りのメソッドは、新
上村以和於氏による。「新歌舞伎の発展につとめる」ことも、国立劇場の創立の理念だそうだ。上村氏は、「初心に帰るかのよう」と述べている。そういう風にこのえんもくをとらえると、地味な演目もそれなりということか。「坂崎出羽守」の松緑は、六代目の潔癖直情な表現を受け継ぎ、芸風にもあっているという。せめて、もう一本は、明るい、救いがあるような出し物にしてほしかったなあと思う。個人的には、新歌舞伎なら、三島由紀夫の「椿説弓張月」をみたい。もっとも、この作品には、たくさんの登場人物が必要だから、
上村以和於氏による。見出しは、「菊五郎、極め付きの美学」と。「五横綱揃い踏み」の盛観とあるのは、確かにその通りだけれど、私が観た11/9の昼は、三階左は3人、二階の右桟敷もがらがら。4人の人間国宝が絡むのは、東蔵と吉右衛門の奥州安達原、菊五郎と東蔵の直侍。幸四郎(人間国宝ではない)に仁左衛門が付き合うぐらいか。その辺りが満席にならない理由?吉右衛門が袖萩を兼ねないから猿之助のような面白さがなかったんだとなっとく。菊五郎に対する上村氏のご意見には、諸手を挙げて同感。東蔵が、格調ある
上村以和於氏による。「仁左衛門のスケールと色気」とのみだし。「出演者それぞれが演じる役柄と古典劇の俳優として身につけた自身の持ち味を渾然とさせ南北劇の醍醐味を発揮している」と結んでいるのが、印象的。華やかな若手がいなくても、流行りの現代的な解釈をしなくても、ということ。これは、この芝居が、まっとうな歌舞伎であるということ。もちろん仁左衛門の二役の、違う悪人の造形の見事さもあるだろうが、錦之助が、「ピントコナ」風の和事味が出せる役者になったこと、歌六、又五郎などの実力者が自分の活躍の
上村以和於氏による。「吉右衛門含蓄あるセリフの妙」というのが、見出し。坂田藤十郎氏を絶賛した犬丸治氏とちがい、秀山祭を意識した論評なのか、どうなのか。14日にいくから、しっかりと確かめてこよう。初代吉右衛門と当代を重ね合わせているのは、初代を知らないわたしでも、そうなのかと思わせる。「歌六、歌昇等の子分一同等、チームワークもよろしきを得た」との一文に、拍手。観ていなくても、そうだと思う。吉右衛門の若手を育てる姿勢、若手が吉右衛門を慕う様子をみていればね。「再桜遇清水」につい
上村以和於氏による。「中車、芯の通った好演」という見出し。7月の中車は、歌舞伎の(黙阿弥の)台詞を自分のものにしたと感じたが、その好調は、今月も続いているようだ。好、不調というよりも、歌舞伎役者になったということか。一番地味な一部の「刺青奇偶」が面白いらしい。坂東好太郎、吉弥追善の「修善寺物語」について、「(弥十郎の)誠実な演技は好もしいが、狷介な芸術至上主義という作意とはややすれちがう」という上村氏の言葉は、重く受け止めるべきもの。これは、実際に見てどう感じるかだな。「桜の森の満
上村以和於氏による。「取り立てて派手な冠のつかない」という冒頭の言葉につきる。その中で、大立者が、得意なものをみせたというくくりか。吉右衛門弁慶上使仁左衛門御所五郎蔵幸四郎鎌倉三代記一本刀土俵入どれも、何回も観たことある、みたいな中で特筆すべきは、「正にレジェンド。今や自在の境、…今回が一番すぐれているのも凄い」との一文。でも、たぶん、今月は歌舞伎座にはいかない。早々と行った友人によると、「弁慶上使の又五郎、高麗蔵が、行儀よくて素晴らしかったとのこと。」「米
上村以和於氏による。上村氏の劇評は、対象の芝居を網羅して一言でも触れるという姿勢。梅幸と羽左衛門の追善に加えて、彦三郎襲名の今月、「全幕を通して流れているのは、菊五郎を盟主とする劇団ならではの親密な和気」という上村氏の言葉が象徴的だ。わたしは、まだ夜の部しかみていないが、対面における和やかさ、先代萩におけるアンサンブルをみると、歌舞伎は、一人ではできないということを強く感じる。上村氏も同じように思われたのではないたろうか。新彦三郎と亀蔵は、実力があって、襲名をきっかけにやっと正当
上村以和於氏による。「伊勢音頭恋寝刃」について、大きくとりあげている。染五郎と猿之助を中心に若手(梅枝松也隼人米吉)とベテラン(秀太郎萬次郎京妙橘太郎)の調和もとれていると。確かに、初役ということもあって、新鮮!ということが前面に出たのだな。「正統的な演技での成果であるところに値打ちがある」と。この言葉は重いと思った。私は、染五郎の貢にもうすこし、大きさを期待していたし、声がかれていたみたい(染五郎にはよくあること)なのも気になったのだが、《初演と正統的な