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登場人物:・六左(太田資長のち道灌)・・・扇谷上杉家家宰・五郎(上杉定正)・・・扇谷上杉氏ある夜、五十子陣の詰め所にて―「眠れないのですか?」「...あぁ、六左か。」「明日も早う御座います。眠られませんとお身体に堪えます。」「...。」しばしの沈黙ののち、定正はつぶやく。「星が...星が綺麗だと思わんか?」夜空を見上げた資長が答える。「えぇ、今宵の星空は一段と綺麗に御座います。」二人はしばし、満天に広がる星を見続けた。
午前中一杯ふうこの枕になってたので、ついでに新九郎、奔る!も読んでしまうことに。とりあえず第13巻~第16巻まで読破しました最新巻は18巻だったと思うので、完全読破までもう少しですねさて、例のごとく以下の記事はこのBGMを掛けて読むことをお薦めしますね文明14年(1483年)、ついに古河公方と幕府との和睦が成った(都鄙和睦)これにて30年の長きに渡った関東の争乱である享徳の乱は一応の終結をみる古河公方には関東の統治権が再び任されたが、堀越公方の
買ってから長く読むのが途絶えていた新九郎、奔る!もようやく12巻まで読み終えました。亡き義忠の遺言状を偽装し、幕府に龍王丸の守護位継承を認めさせた糸・新九郎をはじめとした伊勢家現状代行として駿河国を治める小鹿新五郎範満にも、交渉の末龍王丸の元服後には駿河の守護の座を龍王丸に返上する旨の起請文を得た新九郎これにて揉めに揉めた今川家のお家騒動は一応の終結を見る一方で関東の情勢は複雑怪奇を極めていた古河公方・成氏が太田道灌に接近し、かつての忠臣・千葉氏討伐の軍
新九郎、奔る!9巻と10巻を読了しましたこの記事は以下のBGMを掛けて読むことを薦めます主君・上杉顕定から山内上杉家の家宰になることを拒絶され恨みを募らす長尾景春ここに至り勢力を糾合し兵を挙げ、五十子陣を襲撃。俗に言う長尾景春の乱の始まりである。彼等の軍勢は要塞化された五十子陣を散々に破壊したが、肝心の顕定は上野国へ取り逃すここで当時の武蔵国の情勢を書いた上杉方の拠点は江戸城と河越城だったが、豊島氏が景春方となった為に連絡を阻害される危険が生じ
--------------------------------------------2024年人の感情はさまざまだ。それをどうこうすることはできない。2023年10月20日--------------------------------------------よいことをして、恨まれる。なんて世の中だ。2022年10月20日--------------------------------------------つべこべいうと憎悪の念を持たれますよね。愛蔵版戦
2023年12月23日--------------------------------------------どの時代にも暗殺の対象になる人がいる。どんな人か。疎まれる人、人望がある人、憎まれる人。争いはなくならない人の世界。2022年12月23日--------------------------------------------太田道灌の臨終の言葉。主人上杉定正に暗殺されたのですね。怖い時代だったのですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾ
2023年10月20日--------------------------------------------よいことをして、恨まれる。なんて世の中だ。2022年10月20日--------------------------------------------つべこべいうと憎悪の念を持たれますよね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
今回は、現在の神奈川県伊勢原市にあった城、丸山城です。丸山城跡の一部は現在、丸山城址公園として整備されていて、伊勢原駅北口から徒歩20分、または神奈川中央交通のバスに乗って粟窪入口バス停から徒歩5分くらいで行くことができます。伊勢原駅北口。小田急電鉄の小田原線(東京メトロ千代田線直通含む)が乗り入れています。神奈川県中部に位置する人口約10万人を有する伊勢原市の中心駅で、通勤準急の起点駅となっています。丸山城址公園の入口。この奥に駐車場があります。丸山城址公園の駐車場。15台ほど
後世に江戸の繁栄の礎を築いたと考えられ、主君・上杉定正に暗殺されたことで悲劇の名将として扱われた太田道灌。しかし、道灌については江戸城を築城したことと、風呂場で暗殺された際「当方滅亡!」と叫んだこと、足軽軍法と呼ばれる戦法に取り組んだり和歌への造詣を物語る山吹の里伝説以外はあまり知られていない(若年層ほど知らない)のが道灌の実情ではないでしょうか?(自己紹介乙)本書は道灌について図解を加えながら割と少ないページ数で詳述した図説です。その死についても、特に定正が保守的だったり、道
太田道灌の臨終の言葉。主人上杉定正に暗殺されたのですね。怖い時代だったのですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
「鳴く音に潮の満干をぞ知る」つべこべいうと憎悪の念を持たれますよね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
2021年12月28日、辻堂駅へ。江ノ電バス、ではなく、辻堂駅北口から神奈中バスに乗車。小糸バス停で下車し、住宅地を東へ行くと、小山が見えてきました。大庭城(おおばじょう)です。大庭城の遠景城がある山の西側には小糸川。鴨が泳いています。山の東側にある引地川と共に、堀の役割を果たしていました。山の南端の近くに、舟地蔵があります。扇谷上杉氏が居城する大庭城は沼地に囲まれていた。戦国時代初期、北条早雲の軍が大庭城を攻め落とす際、この地に住むボタ餅売りの老婆に
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、宜しくお願い致します。ということで、2020年8月下旬の休日、千葉県浦安市に出かけて来たレポをアップしますね。というのも、浦安に出かけて見学できなかった歴史的建造物の内部を、見学して来よう!と思い立ったからなんです(^^)東京メトロ東西線浦安駅から、まず向かったのは、こちら。「旧宇田川家住宅」。旧宇田川家住宅の前回レポ『宝城院と、旧宇田川家住宅と、旧大塚家住宅と、旧濱野医院と~千葉県浦安市の寺
2020年6月中旬の千葉県の行徳・浦安散策の続き。「清瀧神社」をお参りした後は、「旧宇田川家住宅」に向かいました。清瀧神社のレポ『清瀧神社~千葉県浦安市の神社』2020年6月中旬の千葉県の行徳・浦安散策の続き。行徳の「おかね塚」を見学し、浦安に移動して「新橋」「境川」「旧浦安町役場跡」を見学した後は、「清瀧神社」に…ameblo.jp「清瀧神社」のすぐ隣に、お寺があるようです。こちらは「宝城院」。時間が遅かったので、境内に入れず…(涙)
関東がまた乱れた。長尾景春は、主君上杉顕定に関東管領の家老職を奪われたことを深く恨み、また、太田道灌へのライバル心も加わって、1476(文明8)年に反乱を起こした。長尾景春の挙兵に相模、武蔵の豪族たちが呼応し、上杉氏を危機に陥れた。妻が長尾景春と兄妹である豊島泰経は、これに味方して、立ち上がった。豊島氏は桓武平氏の流れを汲む武蔵国の豪族だ。本拠は石神井城(東京都練馬区)。太田道灌が目と鼻の先の江戸城を築城しており、豊島泰経からすれば自分たちの権益を侵されたと考えていたのだ。こ
毎日のように利用しているコンビニ店での出来事。お昼に冷やし中華を購入したところ、レジで「温めますか」と聞かれました。すぐに誤りに気付いて「熱くしては怒られますね。でも、この先冷たくしないでください」。茶目っ気のある店員さん(笑)。さて、前回は大山道の脇にある「上行寺」を訪ねましたが、隣接して「洞昌院」があります。少し前に「太田道灌公首塚」を記事にしましたが、こちらは「胴塚」ということになるのでしょうか。ここにも道灌公のお墓がありました。道灌公の事績を記した案内板。英語に翻
おはようございます元号が令和となりましたが平成時代のことです東京にある荒川をさかのぼりここに行ってきました
前回訪れた上杉定正館址は小高い丘の上にあって、見晴らしのいい場所に位置しています。寄り道ついでに、渋田川とは反対側へママチャリで丘を駆け下りました。(↑)「七人塚」太田道灌公が謀殺された折、身を挺して主人の危難を防ごうとした太田家家来7人が祀られていました。謀殺の舞台である上杉館は間近に見える丘の上。家来衆は今どのような思いで、遭難場所を見上げているのでしょうか。寄り道を終えて、渋田川に戻ります。建設工事中の新東名高速道路付近では護岸工事が進んでいましたが、そのわずか下流では一転して
伊勢原市内を流れる渋田川、下流に向かって進むうちに「新東名高速」と交差する地点に辿り着きました。川面よりもずいぶんと高い位置に橋梁が建設中。この付近は東名高速と連絡する「伊勢原ジャンクション」と、新たに設置される「伊勢原北インターチェンジ」との中間あたりになります。畑の向こうに見えるのが、現在工事中の「伊勢原ジャンクション」。新東名高速道路は、既に海老名から厚木南までの区間は開通していますが、今年度中更にここまで延伸されるとのこと。この先の伊勢原北インターまでの完成はもう少し先にな
岩付太田家の「太田資武」は道灌が暗殺されるとき、「当方滅亡」と言ったと書き残しています。この、「当方」とは、「扇谷上杉家」であるとされ、道灌はそれほどに扇谷上杉に尽くしていたとされています。しかし、こうした表現を本当にしていたとしたら、その言い方はやはり当主定正を刺激するものだったと思いますが、どうでしょうか。もともと定正が扇谷上杉家の当主になれたのも、家宰道灌の決定からでした。すでに道灌はキングメーカーだったのです。そして「空想」にしかすぎませんが、その
(元の記事はこちらです)扇谷上杉定正の正室は山内家宰長尾景信の娘です。そして、道灌の母の姪に当たる方です。であれば、長尾景信の姉か妹から生まれた道灌の正室に扇谷家の姫が降嫁してきてもそうおかしくはありません。そうだとしたら。上杉定正が、暗殺を考えるほどに道灌を警戒した理由はそこにもあったのかもしれません。つまり、道灌と定正正室は「いとこ」なのですが、仮に「持朝の娘」と道灌が結ばれていたとすれば、二人は「兄妹」となるのです。「嫡子誕生が望めないような女
上杉家ゆかりの「七沢城址」に相対するように盛り上がった高台に、(扇谷)上杉定正公のお墓があります。(↑)七沢「徳雲寺」このお寺さんにも何度か訪れていて、やはり一部焼き直しのブログになりますが、ここに太田道灌さんの主人である定正さんが眠っています。(↑)徳雲寺本堂お墓を写すのは遠慮して、その替わりに本堂を写メしました。ちなみに定正さんの墓石は堂々とした立派なものです。(↑)七沢城址案内板上杉定正さん、太田道灌さん、そして北条早雲さん。ともに神奈川県を拠点に活躍
⚫☆謹賀新年☆あけましておめでとうございます♪本年もどうぞよろしくお願い致します!⚫↓♪こちらからどうぞ♪↓豊富な品揃え!!ショッピングモール☆FREEDOM☆入口↑こちらをクリック↑入口★1月のおすすめ商品★【折れ脚式プリンセステーブル】『ゴージャスで猫足でハーブティーでも♪』折れ脚式プリンセス猫足テー…¥14,200(税込)折れ脚タイプなので、使わないときはスッキリ収納できます◎カラーはピンク、ホワイト、ブラックの3色ご用意。サイズ…¥14,200【サッシ用防犯
常時半開きにしている、自宅トイレの窓と網戸との間隙に「ハクセキレイ」が巣作りを始めました。トイレに入る時にはドアをそっと開閉させたり、灯りが届かないように窓の内側に段ボールの切れ端を置くなどして様子を見守っています。前回の続きです。七沢城址をあとにしてペダルを漕いでいくと、間もなく伊勢原市との市境付近に。大山が水田に美しく映えるのんびりとした場所。ここが「実蒔原古戦場」になります。(↑)由緒書によれば、上杉家一門の勢力争いといったところでしょうか。それにしても、5倍もの敵勢を打ち
厚木・伊勢原市域にある「由緒書」の多くに「上杉定正」公の事跡が記されています。(↑)七沢温泉から少し山に入った「観音寺」もそのうちの一つ。ご本尊「馬頭観音」は定正公の愛馬を祀ったことによるものとか。(↑)観音寺全景。以前のブログで「上杉定正は家宰である太田道灌を謀殺したことで完全な憎まれ役。私はそれ以上に、その昔NHKで放映されていた人形劇「南総里見八犬伝」における、敵役としての憎々しげな印象を強く持っていて、今も持ち続けています。」と書いたことがありました。(↑)七沢「徳雲
伊勢原市内には太田道灌の墓が2つあり、もう一つのお墓にカステラくんたちとやって来ました上糟屋のお墓は太田道灌の胴塚と言われているのに対して、こちらは、太田道灌の首塚と言われているようです。伊勢原市下糟屋の大慈寺の向かいという事だったのですが、実は少し戸惑いました。案内も何もないので。それで、しばらく見回していたら、ありました、案内が。こちら↓これは気づきませんでした(笑)。去年(2016年)夏にこうだったのは、立て直されているのでしょうか??ここから渋田川という川沿い
先日、弘法山から高取山、聖峰へとハイキングした時(http://ameblo.jp/castella-kun/entry-12272324275.html)に、山から麓を眺めていて、去年、伊勢原の太田道灌のお墓を訪問したのを書いてないことを思い出しました2016年7月8日のこと(のよう)です(http://ameblo.jp/castella-kun/entry-12178605845.html)。上糟屋の洞昌院の裏手にありましたここは太田道灌の胴塚と呼ばれています。また、公
「伯母様橋」を過ぎ、バス通りを渡ってちょっとした勾配を昇り降りすると「千石堰用水路」に突き当たります。(↑)左手が用水路。伊勢原市内を流れるもう一つの川「渋田川」の支流になります。どうやら、先ほどの昇り降りの地点が鈴川と渋田川の境をなす「分水界」だったようですね。(写メは1月時点のものを再掲しました。)(↑)「七人塚」。渋田川の領域に入ってすぐの場所にあります。由緒書きによれば、主君上杉定正による太田道灌謀殺の際、身を挺して道灌の危難を防ごうとした家来7人のお墓だそうです。(↑)
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。(今回より伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)早雲は伊豆国で善政を施行すると、国人や民が続々と早雲に従ってきました。そんな早雲に接近してきたのが扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の上杉定正(うえすぎさだまさ)殿でした。扇谷上杉家の家紋早雲と扇谷上杉家とは、かつて今川氏の家督争いで対立した過去がありました。今の今川氏の当主・今川氏親(いまがわうじちか)さんと小鹿範満(おしかのりみつ)さん