ブログ記事52件
おはようございます。今日、2月8日、上徳寺で世継地蔵尊の大祭が行われます。【上徳寺】慶長8年(1603)に徳川家康の側室・阿茶局と息女の泰栄院の菩提を弔うために創建されました。平安時代、「源氏物語」の源融(みなもとのとおる)が邸宅の六条河原院で塩焼をしたり、貴族たちが詩歌や管弦を楽しんだ河原院跡の地にあります。通称「世継地蔵」「京のよつぎさん」とも呼ばれています。天明、元治の大火で焼失し、現在の本堂は明治期に永観堂の祖師堂を移築したものです。境内にある世継地蔵に祈願すると良い世継ぎが授か
すっかり放置してました紀行ツアーズの続きです😅四条河原町の喧騒から少し離れて裏通りを歩くこと約15分上徳寺*1603年徳川家康公によって建立子授けのお寺さんとしてよつぎ(世継ぎ)さんと呼ばれ地元の方から親しまれ、全国各地から参拝者が訪れるそうご本堂や客殿には入らなかったんですけどねがいの塔に願掛けをしてきましたこちらには阿茶局の墓所、家康の養女泰誉院と秀忠公の供養塔も祀られています。外から手を合わせてお別れして更にここから1㎞以上歩きます。方広寺そうですここから紀行ツア
2023−10−15アンカーさんたちを見かけたので、小急ぎで歩いてますトコトコトコ〜佛光寺も少し進むと開いてましたお邪魔しま〜すご挨拶します手細めトコトコ〜本覚寺う〜ん源実朝、豊臣秀吉、源融…情報多すぎて訳ワカメて、入れねーじゃん(元々コースのスポットではないので仕方ない)次行きます上徳寺2メートルもあるお地蔵さんがいるらしい…ご挨拶に入ったけど、お堂の中まで入れば良かった…あと、徳川家康の側室の阿茶局のお墓があるんだって〜ここでお仲間さんに「後ろにまだ何人
【10月14日】京都市下京区にある浄土宗上徳寺さんへ。京都浄土宗寺院特別大公開で公開されていました。
京都浄土宗寺院特別大公開下京区の浄土宗のお寺が並んでいますが、10月14日の限られた時間での公開です。☺️極楽寺⑳本覚寺㉑新善光寺㉒連光寺㉓上徳寺㉔徳林院㉕御朱印なしになってましたが、書き置きを頂けました。
こんばんは京都のkojiro(小次郎)です今日は2023年10月1日日曜日10月になってしまいましたね。2023年になってから9か月間も過ぎてしまったのかと思うと『ゾッ』としますね(そんなことを思うのは歳を取ったからでしょうか…?)。京の街は先日までとは打って変わって朝晩には涼しさを通り越して寒さを感じるようになりました(最低気温が20℃ってこんなにも寒く感じる気温なのでしょうか…)。明日の気温はもっと下がるそうなので、明日から衣替え(半袖のワイシャツをやめて長
鞭崎八幡宮(草津市)鞭崎八幡宮は、源頼朝が鞭で指して神の名を訪ねたことから「鞭崎」という名がついたという社。伝承によると・・・木曽義仲の近江進軍により、心を悩ませていた多くの民を救うため国主が鞭崎八幡宮に参籠すると・・・八幡神が現れて西方極楽浄土の教主である我を彫刻するよう告げたのだそうです。この話を聞いた仏師快慶も八幡宮に参籠。すると、西方の三尊が現れました。そして、この三尊を彫刻すると、悩む民を救うことができたのだとか。上徳寺(京都)上徳寺は、1603年(慶長8年)、徳
4月4日に古文化保存協会のシンポジウムに参加しその時に特別公開の招待券を頂いた。それでその中の一つの西念寺を訪れた。国の重要文化財に指定され、修復が完了した佛涅槃図を見るのが目的。西念寺付近河原町五条あたりは小さなお寺が点在し一般の家の間にあって、知らなければ見落としてしまう。先日訪問した上徳寺もごく近いそれと私の修論の中心となった酒井重綱が活躍した旧稚松小学校の学区でもある。涅槃図は、思ったよりも大きく立派なものだった。平安寺時代に描かれたものを修復
宗仙寺から五条通に出て富小路通。少し下って塩竈山上徳寺慶長八年(1603)徳川家康によって、側室・阿茶局が開基となり創建された浄土宗寺院。開山は阿茶局の叔父・伝誉蘇生上人。ブログでは何度かご紹介していますね。今回は「京の冬の旅」初公開で、本堂・客殿拝観及び地蔵堂内部も見学できるとあって訪れました。宝暦三年(1753)建立の永観堂の祖師堂を移築した本堂。天明・元治の大火で諸堂を焼失しているため、明治期の移築になります🤓。本堂拝観
ご覧いただきありがとうございますしばしお仕事の話題をお休みして旅行記を書いていきます写真で旅に出た気分になってください書いている人Rie(東京在住)高校の修学旅行で訪れた京都のトリコになる一緒に行ける人がいなければ一人でも、お金がなければ夜行バスででも、毎年必ず京都に通い続けること通算40回以上!平安遷都1200年の年には年間6回の京都旅行を強行!!現地で道を尋ねられても案内できる程に成長この度、息子が学校の宿泊行事でいない期間を利用して過去にないくらい長
前回からの続き(1月9日のこと)です冬の旅でやって来たのは、何回か訪れたこちらがでした上徳寺住所・京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556通称世継地蔵御本尊阿弥陀如来札所通称寺こちらは秋にも訪れています→上徳寺『世継地蔵というお地蔵さまが居られるお寺(上徳寺)』前回からの続き(10月15日)のことになります徳林院のすぐ隣に以前伺ったことがある上徳寺がありますこちらも令和4年度浄土宗寺院特別大公開の一つとなっていたの…ameblo.jp歴史など(駒札より)塩竈山と
こんばんは今朝はWBCを見入ってしまってブログはおろかメイク💄をする手まで止まってしまいお仕事前にバタバタと慌てました世界一が決まる瞬間をリアルタイムで観れて普段野球⚾️を観ない私でもさすがに歓喜しましたよ話は変わって〜パート先の20代女子が妊活中だそうでそれなら私がお参りに行ったいいところがあるよーということで子宝祈願について教えてあげました今日は子宝祈願のおはなしです24歳で結婚して30歳まで子供はまだまだいらないねーなんて言いながら毎年海外旅行に出
3月19日日曜日清水五条周辺でパン活をした後は『上徳寺』へ向かいました『京都パン活☆桜並木と屋上テラス』3月19日日曜日清水五条駅近くにある『上徳寺』の内部が初公開されているということで拝観に行くことにしました(この日が特別公開の最終日でした)京阪電車で…ameblo.jp2023年1月7日~3月19日の期間、京都の15の寺院で普段は見学できない庭園、仏像、襖絵、建築など様々な文化財が特別公開されていましたこの時期毎年行われている企画で、今年で57回
「世継地蔵」で知られる家康ゆかりの寺ということで、京の冬の旅2023特別公開されるということで訪れました。事前情報によると、本堂内などほとんどの場所で撮影可能との事でしたので期待して行きましたが良かったです。本堂以外に見れたのは書院、ここの枯山水庭園は良い感じでした。貴族の邸から移築されたと伝わる書院造の客殿は、紅葉や桜を描いた江戸後期の円山派の絵師による襖絵なども見事でした。<上徳寺の基本情報>拝観時間:09:00-17:00(寺務所開館時間)拝観料
「世継地蔵」で知られる家康ゆかりの寺ということで、京の冬の旅2023特別公開されるということで訪れました。事前情報によると、本堂内などほとんどの場所で撮影可能との事でしたので期待して行きましたが良かったです。訪れた時は桃の節句の少し前でしたので、寺事務所に雛飾りもありました。今回の特別公開では様々な場所で撮影OKだったことがうれしかったです。そして、寺宝と思われる涅槃図などをどんどん撮影してくださいという案内さんの言葉に甘えて撮影しました。☆涅槃図☆☆徳川家康の肖像画☆☆阿茶の局(家康
お天気が良かったので以前、漢方薬の方に教えていただいた世継地蔵さまにお参りして来ました漢方薬の方曰く、漢方薬と世継地蔵さまにお参りして授かったと報告くださる方が多いとか、、、京都市五条富小路下る上徳寺実は昨日、娘と行ったけど今朝もなんだか行きたくなり娘を送った後ひとりで行って来ましたこんな可愛い地蔵さんも願いが叶う塔と佛足跡もありますぜひ京都に来た際、寄ってみてください
河原町五条交差点からさほど遠くない寺町通沿いにある上徳寺(じょうとくじ)。世継地蔵(よつぎじぞう)という通称があり、子授け・安産の寺として有名です。京都には「通称寺の会」というのがあり参加されています。京の通称寺通称寺の会公式ホームページ世継地蔵上徳寺京の通称寺通称寺の会公式ホームページです。通称で呼び親しまれた京都のお寺が宗派を超えて集まり昭和59年11月に「通称寺の会」が誕生しました。ユニークないわれや歴史を持つお寺が多いです。京都の町の人達に身近に親しまれたお寺ばかりです。tu
冬の旅の最後上徳寺世継観音で有名。写真はどこでも可だった。徳川家康の側室の阿茶の局を開基として創建された。徳川秀忠肖像画阿茶局肖像画徳川家康障壁画本尊阿弥陀如来立像修復中で見られず通例の阿弥陀像とは違う特徴があるそうだ。一つには唇に朱が塗られ水晶が貼られているそうだ。世継地蔵横から2mの石像。
泰栄院殿徳川家康の側室宮崎筑後守泰景(信州駒場村に住み、その先祖は木曽氏、小笠原氏に属す。後に武田氏に仕う)の娘と言われています。名を「お仙」ともいう。天正年間に徳川家康に召し出され奥勤めを始める。一説には13歳とも言われているが、定かではない。家康の没後の元和5年10月25日(1619年11月30日)、駿府にて死去。静岡県藤枝市の「浄念寺」に埋葬されたが、後に信濃の駒場(現在の阿智村)の浄久寺に埋葬されている。浄久寺は後に火災や山崩れなどの災害にあったために、現
塩竈山(そうえんざん)上徳寺住所京都市下京区富小路五城下ル本塩竈町(パンフレットより)「塩竈山」という山号は、この(👆の住所)五条の地は嵯峨天皇第21の皇子、従一位左大臣源融公が、河原に庵をつくり、池をほり、毎日、潮を30石ばかりを入れて海底の魚貝などを住まし、陸奥塩釜、千賀の浦の景色を模し、海士が塩屋の煙をたて、趣を賞でたという史跡により、当山に塩竈明神を鎮守として祀り、塩竈山上徳寺と号して、鞭崎八幡から移した阿弥陀如来立像を本尊に安置した。
ご訪問くださりありがとうございます。とっても嬉しいです。2月23日、冬の特別公開がされている上徳寺(京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556)へお参りに行きました。上徳寺は徳川家康の側室だった阿茶の菩提を弔うため建てられました。山門本堂本堂は永観堂から移築した物らしく、阿弥陀如来を安置しています。本尊は昨年11月に「重要文化財指定」となり現在は東京に出張中でした。涅槃図徳川秀忠、阿茶、家康の肖像画堂内の極彩色の柱は見事で螺鈿で飾られている柱とともに必見です。客殿貴族の屋
「福山城」に行った時に「福山」の駅で見つけたパンフレットを今冬の企画ももうすぐです終わりですが💦久しぶりにパンフレットに目を通してみると、やはり今年は※徳川家康と戦国武将ゆかりの地※親鸞聖人が誕生850年立教開宗800年※弘法大師が誕生1250年真言宗立教開宗1200年などの見出しがあります。2019年にこの冬の企画を知り、2021年と2回ほど京都を知るきっかけにしたりしています。今回はこの上徳寺に行ってきたのですけれど、「京の冬の旅」では初公開とのこと、
京の冬の旅のスタンプラリーで初めて知った上徳寺へ、行ってみることに…お天気も良くポカポカ陽気で暑いぐらいの日でした。上徳寺は、観光寺院ではないからあまり知られてないけど知る人ぞ知るって感じのお寺かな?京都駅から充分歩いていける距離でした…烏丸通を五条で曲がり、五つめの通りを入って直ぐのところにありました。京都タワー出発こじんまりとしたお寺です。本来なら中央にいらっしゃる阿弥陀如来様の像が、昨年重要文化財に指定されてただいま東京に
ということで京都冬の特別拝観の旅、2日目の午前中は醍醐寺の三宝院や理性院などの特別拝観に続いては、京都五条にある上徳寺へ行ってきました。場所はこちら。https://goo.gl/maps/XKhsQVtPXKpU4LMH8醍醐から東西線で三条まで行き京阪で五条へ。五条大橋を渡った先に上徳寺があります。ちなみに五条大橋では牛若丸と弁慶が戦っておらず、実際には清水寺で戦ったらしいです。上徳寺は、1603年徳川家康の側室阿茶の局が家康の娘・泰誉院とその生母・上徳院の菩提を弔うため
塩竃山上徳寺▶浄土宗▶御本尊:阿弥陀如来▶京都市下京区富小路通五条下る本塩竃町556当地には平安時代に源融が陸奥国塩竃の風景を模した河原院と呼ばれる邸宅があり、その跡地に建つのが上徳寺です。山号はそれに由来します。開基は徳川家康の側室で、才知に長け奥向きの諸事を任され、大坂冬の陣では和議の成立に尽力した阿茶局です。叔父の伝誉一阿を開山として建立し、御本尊には近江国の鞭崎八幡宮から遷された快慶作と伝えられる阿弥陀如来像が祀られています。現在の本堂は明治時代に永観堂の祖師堂を移築して
上徳寺は京の冬の旅初公開です。号は塩竈山(えんそうざん)、浄土宗に属します。本堂天明、元治の大火で焼失し、現在の本堂は明治期に永観堂の祖師堂を移築して再建されたものです。「塩竃山」の扁額1603年、上徳院殿(家康の側室・阿茶の局)が開基となり、徳川家康が伝誉蘇生上人を開山に招じて建立したお寺です。側室・阿茶の局は聡明な方で、大阪冬の陣では家康の代わりに和議の交渉を行ったと伝わります。家康公が最も愛し、信頼した女性だったそうです。その阿茶の局の菩提を弔うために建立し
京都の冬は寒い!寒くなると京都では通常非公開の寺院に…侵入いやいや特別拝観出来ま〜す東寺五重塔内部に入れたりもします!ただ、内部の仏像は🚫撮影禁止🚫ざ、残念…。今回巡った2023年京の冬の旅で公開された寺院は東本願寺上徳寺東寺妙心寺仁和寺今回初公開の上徳寺は穴場でした。大通りの五条通り付近だからか周りは居住地…。見事な枯山水庭園の借景がマンション?いやいや、目線を下げて下げて…(-_-;)こちらは徳川家康側室、阿茶局と深い繋がりのある寺院。阿茶局の力
こんばんは🌆HappyBloomです✨いつもありがとうございます♪お茶:シナモンティ&アップルビネガーお菓子:台湾からの冬瓜糖台湾からのお土産。冬瓜の砂糖漬け。クセがないからお茶とまたすごく合います❤️さて✨今日にいいこと三つ✨を発表しまーす♪①寒くても上徳寺にお参りに行って、阿茶局さんのことを学べました❤️通常この寒さは、家で寝込んでることが多いのですが、タイから帰ってきてからもなんだか順調❤️それもめちゃ嬉しい😆大河ドラマファンの私なので、やっぱり今年の徳川
おはようございます。今日は伊藤若冲の生誕日です。【伊藤若冲】出典Wikipedia伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716年3月1日(正徳6年2月8日)-1800年10月27日(寛政12年9月10日))は、江戸時代の画家。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事がありますが、その使用例は見出されていません。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号します。伊藤若冲といえば、今から7年前2016年