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前回記事に続きまして「2023年夏美濃近江旅」と題して、7月中旬のドライブ旅の物語を紹介します。前回記事の「関ヶ原合戦場」から、北西方向に車で15分。ここからは岐阜県を離れて、滋賀県米原市に向かいました。(2017年2月新幹線乗車中に撮影)今回は日本百名山で滋賀県最高峰「伊吹山」のふもとにあるお城を登城します京極氏館と上平寺城を登城これから向かう「京極氏館」「上平寺城(じょうへいじじょう)」は、「CT名城」にして国の史跡。伊吹山の登山口と同
【問題】上平寺城とは、次のうちどの館の詰の城として機能した城郭か?【選択肢】大内氏館京極氏館武田氏館北畠氏館【正解】京極氏館【解説】上平寺城(滋賀県米原市)とは、京極高清が伊吹山南麓に館を構えた際に、詰の城として整備された。現在、館跡や弥高寺跡とともに国の史跡に指定されている。
全国旅行支援の情報収集に忙しく、城巡りプランがたっていませんでしたが、本日休みなのに1日ごろごろしているのはよくないと思い、7時すぎにきのう見つけた清水山に向けて家を出ました。いつもと違って次の城が決まっていませんでした。清水山城(10:33-11:40)車に戻って、途中で買った焼きサバ寿司を食べ、次にどこへ行こうか考えました。家を出る時は滋賀県の南の方の城を考えていましたが、お昼を過ぎてしまったので、復路からあまりそれない城、上平寺城と長比城を選びました。
昨日は、25年くらい振りに、伊吹山に登ってきました😅(昔の記録・写真等は無し…記憶だけね)朝、5時半に出発して・・・駐車場、一番乗り!('◇')ゞ(6時20分スタートね)右側(東)の、上平寺ルートを行きます👍(前回はメジャーに表登山道ね、当時は三合目までリフトあり(乗り)ました…)🚶神社横から山道となります・・・京極氏館跡・上平寺城跡を経て・・・駐車場から、1時間20分ほどで・・・ヤッター!ヽ(^o^)丿弥高山83
山城(上平寺城)の紅葉画像を紹介遺構などはまた後日記事にする予定↓見事な絨毯に包まれた竪堀↓連続する竪堀が赤と黄に染まって赤い絨毯に包まれた竪堀の先は黄色く染まって↓切岸も優しく包まれて↓曲輪も憩いの場に変身↓優しい虎口から・・・↓畝堀も↓優しく染まった土橋↓曲輪を守る土塁も背後の尾根の堀切↓弥高寺の大門付近
【9月26日(土)】京極氏館の背後の「詰の城」です。後に浅井氏が北近江の支配を確立すると、近江と美濃の国境を警備する「境目の城」となりますが、織田信長の侵攻により国境の国人たちが織田方になると境目の城としての役目がなくなり廃城となったようです。上平寺城は要所を堀切・竪堀・畝堀によって防御された連郭式山城で、土塁を屈曲させて虎口の防御を強化しています。所在滋賀県米原市弥高・藤川・上平寺①城郭南側の竪堀②伝三の丸下段から上段へのスロープ③伝三の丸から伝二の丸への虎口、土橋と横堀で
上平寺城A4サイズ完成
上平寺城A4サイズの縄張り
朝焼けの東京を駆け抜ける。先週まで天候がイマイチだったが、今週はオッケーのよーだ。(実は先週もぶらりを予定していたのだが、中止となったんだよね)よーやく天候も安定してきたね。冬の始まりってことですね。米原到着。たくさんのビジネスマンが降車される。こちらは今も昔も交通の要衝ということですね。京都まで行かず、こちらで降車されるということは、北陸方面にでも向かわれるのでしょうか?ハイ、そーです、本日は平日ですわ。汗。ソレガ、ナニカ?汗。またまた江州の旅ですね。好きですねー、江
エイエイオ~~~~戦国時代の甲冑姿で登場した今週のびわ湖放送『キラりん滋賀』HimariStudioはゲストに「近江のろしの会」副会長の谷口康さんをお招きしてお届け。ご紹介したのはコチラ11月23日(土祝)に開催される『琵琶湖一周のろし駅伝』。今年で18回目となるこのイベント。今回は湖南市の三雲城からスタート。このポスターの左下に注目!ほら、佐和山の写真にはいしだみつにゃんもそのときの模様はコチラhttps://ameblo.jp/7-v-7/ent
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家の原一六四(ひろし)です。本日は「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りします。と、その前に歴史動画「歴史の裏側教えます!!」動画版やってます!!是非、見てね。「歴史の裏側教えます!!」動画版の最新版を見てくれる方はこちをクリックしてね。前回の続きです。北近江を支配する京極氏。だが家督をめぐって内紛が起きていた。京極家の当主として幕府から認められた京極政
9/15~9/16西美濃&近江城巡り続き京極氏上平館跡の上には詰めの城があります。上平寺城(刈安城)滋賀県米原市弥高京極高清が築いた城。普段は麓の京極氏上平館に居住し上平寺城は詰めの城として築かれました。大永3年(1523)家臣の浅見、浅井氏が反乱を起こし京極高清は上平寺城から尾張に逃れ、その後浅井氏が戦国大名化になっていくに伴い京極氏は衰退していきます。元亀元年(1570)浅井長政が織田信長に反旗を翻すと防衛線として上平寺城を改修して長比城と共に備えています。しかし鎌刃城の
週末更新できなそうなので、連投になりますが今日も更新します。アーカイブスネタで、登城は2009年10月です。滋賀県米原市弥高にある上平寺城跡です。ここは短い間ですが、佐々木道誉(高氏)以来の名門・室町幕府四職の一家、京極氏の本拠地であったところです。今では城下の庭園跡も含めて国指定史跡となっています。私が登城したのはもう8年も前の事ですが、整備はその後いかがなんでしょうね・・・。持っていた資料も少なく、地図とかにも古いのには載っていなかったので、登城までは苦労しました。
島左近の墓-1-関ヶ原で討ち死にせず!遠く対馬に墓あり!|地図付アメーバブログ島左近の墓は対馬の山中にあります。発見難易度※右地図はこれ以上拡大できないので、お伝えしづらいですが、右マーク位置に近いカーブした...4108水野家墓(京都市左京区黒谷町121・黒谷金戒光明寺会津藩墓地)酔いどれJohnny4108水野家墓(京都市左京区黒谷町121・黒谷金戒光明寺会津藩墓地)-水野家之墓。陶岳院白誉良道居士。徳川秀忠の墓東京湾観光情報局徳川将軍家の菩提
平成24年11月29日前から行きたいと思っていたとこに行けました。北方謙三氏の「道誉なり」を読んでずっと行きたいと思っていましたが、やっと嫁の了解を得て行けました。滋賀県の米原市というもう隣は岐阜県の関が原というようなところにあります。ここは南北朝時代に足利尊氏に協力して、室町幕府でも重職に付いた佐々木道誉の佐々木氏(京極氏)の菩提寺です。京極家22代高豊が整備をしました。一番左は道誉が植えた道誉桜と言われています。季節的に枯れ枯れだったのですが、その代わり紅葉がきれいでした。裏の山には柏原