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明日米国ニューヨークで世界王者へ挑む阿部麗也。構図的には中立国開催だが、実質はアウェー。過去米国で王座獲得した我が国ボクサーは?西城正三:1968年9月ロサンゼルスWBA世界フェザー級王者ラウル・ロハス(米国)に判定勝ち柴田国明:1973年3月ハワイホノルルWBA世界ジュニアライト級王者ベン・ビラフロア(比国)に判定勝ち上原康恒:1980年8月デトロイトWBA世界ジュニアライト級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)に6RKO勝ち三原正:1981年1
8日有明アリーナ興行の翌日米国で行われる注目の試合シャクール・スティーブンソンVS吉野修一郎本来ならば勝敗云々を論ずるべきカードではないのだろうが、期待も込めて「予想」こと勝敗予想となればシャクールの大差判定勝ち。それこそフルマークに近い差が出ると思われる。ただそんな中、吉野の番狂わせの芽は?吉野並びに陣営は技巧派攻略の一丁目一番地「相手の嫌がることを徹底的にやる」フェザー級上がりのシャクールに対し、アマではウェルター級を戦場としていた吉
先日寺地拳四朗が2022年度RING誌年会最高再起賞へ輝いた。世界に多種メディアがあり、各項目でボクサーを表彰しているが、やはりRING誌表彰は別格。過去RING誌年間表彰に輝いた選手は?※一部敗戦で相手が表彰というケースもあるが・・・。年間最高再起賞:1980年度大熊正二、2022年度寺地拳四朗年間最高試合賞:2019年度井上尚弥VSノニト・ドネア年間最高KO賞:2018年度井上尚弥VSファン・カルロス・パヤノ年間最高新鋭賞:1968年西城正三、
寺地、京口に続き何と井上尚弥&拓真も米国修行。恐らく初めての試みだ。場所はロスのワイルドカードジム。父親の真吾トレーナーも帯同しており、変な癖や影響は受けないかな?競技は違うが、昔賞金王を取り国内無双を誇ったプロゴルファーが米国へ渡り、周りの選手の余りに高い飛球を目の当たりにし、打ち方を変えた。途端調子を崩し低迷続き。あの美しいスイングを有する彼が・・・と関係者は驚いた。米国修行で最も開花した選手は、西城正三。6回戦時代にアゴを骨折13勝(2KO)3敗
ボクシングマガジン休刊を受けて国内専門誌唯一の存在となった「ボクシング・ビート」持ち前の速報性と独自企画でしぶとく生き残って欲しい。アマ記事充実と競技者拡大に向けての企画は必須(キッズボクサー記事。ジム探訪他)。マガジンオンリー読者からのオーバーライドにも期待したいところ。そのビート最新号(2022年8月号)表紙は井上尚弥。左腕に輝くのは、オーデマピゲ「ロイヤルオーク」推定2500万円!PFPNO.1に輝く井上に相応しい。あとは車か。地元
今年復帰50周年を迎えた沖縄県。過去この拳闘の島から生まれた世界王者は9名具志堅用高上原康恒渡嘉敷勝男友利正新垣諭浜田剛史平仲明信江藤光喜比嘉大吾何れも闘争心溢れる選手。基本的に闘争心なきものは、世界王者にも慣れないのだろうが、特にこの9人の戦士たちは闘争心旺盛。やはり沖縄ボクサーはこの部分では抜きん出ている。強さの秘密?一時はやはり【ハングリー精神】実は浜田などは実業家の父を持つ裕福な家庭に育ち、理解の
1976年10月山梨県での具志堅用高世界王座奪取は、上原に火をつけた。世界王座奪取した具志堅は沖縄で凱旋パレード行ったが、両サイドを務めたのは上原兄弟。当然内心は面白くなく、10月の同じリングで敗戦を喫していた(対吉田秀三)フリッパーは、乗車直前まで渋っていたらしい。フリッパーと具志堅のモヤモヤは、あるTV番組企画で氷解するまで長年続いた。再びボクシングへの思いに火が付いた上原康恒は、具志堅初防衛戦以降10連勝(9KO)。自身の持つ日本王座(JL級)防衛テープも7度
沖縄で大人気を博していた上原兄弟。兄康恒が歌う「沖縄の星」はレコード化され、発売20日間で1万枚を売り切ったほど。ただその後のリング生活は、苦難が続く。念願の世界挑戦(1974年8月ハワイ)もベン・ビラフロアの強打に一閃される(2RKO負け)その後、国内選手相手には無敵を誇った上原だが、副業に収入源を見出し、ボクシングに身が入らないようになる。北原謙二や橋幸夫らの前歌に呼ばれ、ワンステージで30万円と本業の稼ぎ以上の金を手にする。ただそんな上原を本気にさせる大きな
電撃プロ入りで騒動を起こした上原。たださすが金平御大。右翼団体が来てもその手の大物に仲立ちを頼み、手打ちと相成った。その条件は1:上原は国内ではデビューをさせない。2:世界王者になるまで日大の敷居を跨がせない。3:日大は当面沖縄出身の選手を入部させない(具志堅争奪戦に日大は加わらなかった)。この条項は後に協栄入りした弟フリッパーへも適用された。海外デビューする上原は、ハワイのスタンレー伊藤の下へ預けられ、腕を磨いていく。(※フリッパーはロスのノリ隆谷の下
高校ボクシング界で名を挙げた上原兄弟は、そろって日本大学へ進学する。大学へ進んでも快進撃は続き、兄康恒は全日本ライト、ライトウェルター級を制し、弟晴治(フリッパー)も同フェザー級を制した。当時の日大はあの柴田勝治&川島五郎体制。後にそれぞれJOC委員、日大理事長(柴田)、日本ボクシング連盟会長(川島)を務める大物だった。部員から「王様」と呼ばれていた柴田の寵愛を一身に受けたのが上原康恒。何と柴田家の養子に入るという話も有ったとか?事実柴田夫人葬儀の際に遺影をも
元祖沖縄の星上原兄弟。時代背景もあるが、とにかく強烈なエピソード満載。主に兄康恒のエピソードをザッピング兄と言っても康恒は12人兄弟の4男(フリッパーは5男)。実家は後に具志堅用高の下宿先となった銭湯(若松湯)まず空手家の兄(三男は小林流空手師範)がボクシングに魅了され、脱衣所にサンドバッグを吊るし、営業時間外は「ボクシングジム」と化していた。「ボクシングをやれば家賃、食費はタダ」の誘い文句に、後に平仲明信を育てた仲井真重次が下宿をする。また同ジムには後の世界王
不世出の世界王者ロッキー・マルシアノ自分も大好きな選手。拳闘を見始めのころよりも、永く観戦歴を重ねた今の方がロッキー・マルシアノの強さを理解することが出来ている。その偉大なるマルシアノから学生時代に「君は強い。プロになれば良い」と声をかけられた日本人ボクサーがいる。その男は見事世界王者にまで上り詰めた。イメージ的には藤猛辺りの時代を想像するが、答えを聞くと腑に落ちる。今年復帰50周年を迎えた沖縄出身の上原康恒。格闘技好きの父親の影響というか半ば強制で幼
今年は沖縄が日本へ復帰して50年を迎える。先日NHKBSにて放映された「わが沖縄~具志堅用高とその一族~」40年以上前に放映されたアーカイブ。具志堅一族はかって琉球王朝へ仕えた名門だが、廃藩置県で没落し沖縄各地方へ散り、苦労しながらも逞しく生き抜いた。具志堅用高とその一族らのヒストリーを紹介した好番組。ボクシングファンから見ると貴重な映像が盛りだくさん。まず具志堅が両親を初めて呼んだV8戦(ロペス)具志堅が尊敬していた王貞治の顔も見える。V9の
先日発表された2021年度RING誌各賞。過去受賞者で日本人絡みの受賞者は?【年間最優秀選手】受賞者なし。【年間最高試合】2019年井上尚弥VSノニト・ドネア【年間最高ラウンド】受賞者なし。【年間最高KO賞】(1989年~選定)1992年モーリス・イーストVS平仲明信2018年井上尚弥VSファン・カルロス・パヤノ海老原VSポーン、トーレスなどは評価に値する。【年間最高番狂わせ】(1970年~選定)1971年アルフレド・マルカノVS小林弘
ある程度予想していたとはいえ、いざ目の当たりにするとショックだった中谷正義の完敗。本当に40年前の日本人世界戦の再現となってしまった。技術向上著しい我国のボクシング界も、いざ世界トップの技巧の前では、大人と子供。中谷は何も出来なかった。ロマチェンコの技巧はそれこそ、向こう数十年後でもトップクラスの技巧。その昔「蝶のように舞い蜂のように刺す」とアリは吠えたが、ロマチェンコのそれは「蜂の様に動き、蜂のように刺す」だ。前後左右、上下にホバリングし、それこそ相手の裏側
敵地ウズベギスタンでの岩佐の敗戦。旧ソ連で勝利を挙げることは、未だ正規世界戦での勝利がないタイ国で凱歌を上げる事に匹敵するほど困難な作業だろう。ましてコロナ禍。岩佐並びに陣営に相当な圧があったことだろう。改めて海外(敵地)で勝つための要素を考えてみた。実にシンプルだが、やはり決定力。サンプルで上げるとタイ国でムアンチャイを斬って落としたユーリ・アルバチャコフ(当時海老原)の右ストレート(輸入ボクサーだが、例えとして実に明確)。既に海外で3勝(3KO)の井上尚弥の
今回は緊急事態宣言と料理の写真を撮り忘れた事もあり書くのを躊躇った内容。昨年大晦日、井岡VS田中の極上の試合を堪能した後、恩人兼友人○○さん、ジムメイトSさんとあるお店で至福の一時を過ごした。それはこちら↓渋谷にある元WBAJライト級王者上原康恒さんのお店、ちゃんぴおん。店内………と言うより上原チャンプのお宅にお邪魔するようなアットホームな雰囲気。チャンピオンベルトが2本飾られてある。そう、上原さんと言えば赤いベルト。壁には興味深い写真が飾られ見てて飽きない。お料理は沖縄創作料
以前も記した覚えがあるがその昔は「所得番付」が一般紙を賑わしていた。昨今では、個人情報、防犯の観点から「廃止」されたが、芸能人やスポーツ選手はこの番付に載ることが、ステイタスとされていた時代が有った。記憶では「具志堅1億円越え」など誌面を賑やかしていた。納税の公平性を喚起する面では、アリだと思うが、過剰な迄な「個人情報印籠」を出されるとね・・・。我国ボクシング界での「長者」というか高額試合報酬を思いつくままに。※井上尚弥は除く。白井義男:間違いなく歴代最高。現在の貨
その昔格闘技界では、いわゆる「禁断の試合」が存在した。有名なところではアンドレVS前田のガチンコ。放送がお蔵入りとなり、画像の粗い「裏ビデオ」が高額で出回った。我ボクシング界では、何故か再放送されなかった「大場政夫VSフェルナンド・カバネラ」「上原康恒VSサムエル・セラノ」らがこれに当たる。大場VSカバネラなどは、帝拳が再放映を許さないなどという噂があったが、大場のコンデションは良く「ベストファイト」のひとつだ。そして上原VSセラノ。米国での奇跡のKO戴冠劇。
いつもお世話になっている恩人兼友人◯◯さんから素晴らしいお宝を戴いた。まずは元祖沖縄の星元WBAJライト級王者上原康恒氏からの逸品↓A4の写真にサインを戴きました。ありがとうございます。書かれている言葉「練習に泣いて、試合で笑う」、至言ですね。会社員の私からすると「仕事で泣いて、ボーナスで笑う」………全然、重みが違う。ノンタイトルで現役世界王者リカルド・アルレドントを破り、アメリカでWBAJライト級王者サムエル・セラノを6ラウンド右一発で逆転KOした上原氏だからこそ、説得力の
先日脱走したサーベルキャットが飼い主の所に無事に戻りましたけど、身体も大きいですから“豹紋柄”も大きくて迫力ありましたね。ヒョウ柄と言えば人気のベンガルねこヒョウ柄と言えば・・大阪のおばちゃん^^我が家の豹紋柄・・バンビちゃんそしてそして、ヒョウ柄と言えば(本日のメインにやっと辿り着いた笑)元祖沖縄の星元WBA世界Sフェザー級王者上原康恒様敵地アメリカで、チャンピオンのサムエル・セラノを一発KOで仕留めたよ今も語
1974年8月24日米国・ハワイ州・ホノルルインターナショナルセンターWBA世界ジュニアライト級タイトルマッチベン・ビラフロアVS上原康恒ベン:52勝(29KO)5敗4分け※王座1度防衛中上原:10勝(8KO)1敗比国の強打者ベン・ビラフロア。一度柴田に判定でタイトルを手放したが、再戦で見事な1RKOでリベンジ。アポロ嘉男の挑戦、丸木孝雄(天熊丸木)とのノンタイトルを経て、新鋭上原康恒の挑戦を受けた。※7戦連続して日本人ボクサーとの対決。沖縄の星。上原兄弟
1977年12月。協栄ジム・金平正紀会長を中心に、ヨネクラジム・米倉健司会長、金子ジム・金子繁治会長、熊谷ジム・小坂克己会長ら、ボクシング界の発展を願う有志13人によるボクシング研究会が発足。78年初頭、金平代表は、WBA世界スーパーフェザー級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)陣営からオファーがあった、同級8位上原康恒(協栄)選手の挑戦試合の日本開催の是非を研究会に諮ったが、反対多数で上原選手のセラに挑戦は見送られた。時期を同じく研究会の有志から声が上がったのが、日本ウェルター級チャ
岩佐亮佑の暫定王座獲得。ニューヨークで強敵相手からのTKO勝利。見事なフィニッシュシーンも相俟って非常に価値がある勝利。正に快挙と言っても良いが、翌日の国内マスコミの扱いは決して大きくなかった。私の定期購読している一般紙は休刊日。購入したスポーツ紙(日刊スポーツ)の扱いも非常に簡素な物。これは「暫定王座」故の物と信じたいが・・・。ただ前途の様に暫定であっても非常にドラマチックな内容で、快挙には違いない。簡素と言いつつ日刊スポーツでは「米国で王座獲得した日本人
お世話になっている渡嘉敷さんのジム主催で開催されたプロボクサー井上尚弥さんのお父様でトレーナーの井上真吾さんの講演会パーティーで歌わせていただき大橋会長と井上真吾さんとパチリ。ボクシング好きの私にとってはたまらない時間でした!パーティーには片岡鶴太郎さんなども出席され顔ぶれも豪華!!二次会、三次会にも呼んでいただきたっぷり交流させていただきました具志堅用高さんが憧れていたという元J.世界ライト級チャンピオンの上原康恒さん渡嘉敷さんと新人王を争った元中日本級ライトフライ級新人王の伊藤富士
16日、東京・新宿の京王プラザホテルで協栄ボクシングジムOB会が開催された。先代の金平正紀会長に育てられた選手をはじめ、多数のボクシング関係者が集合。楽しいひと時を過ごしました。下写真左から上原康恒氏、渡嘉敷勝男氏、宮下政氏、佐藤修氏、柴田国明氏。上原氏の隣は当時珍しい学士ボクサーとしてスカウトされた山村若夫氏。右端は協栄ジム会長も務めた高橋勝郎氏。元WBC世界スーパーフェザー級王者リカルド・アルレドンド(メキシコ)をめぐり因縁ある二人。柴田氏は最初協栄ジムに入るつも
元WBA世界スーパーフェザー級王者の上原康恒(協栄)氏が、想い出の地ハワイに師匠であるスタンレー・イトウ氏を訪ねた。五輪出場の夢が絶たれた上原氏は日大を中退し、1972年11月プロデビュー。協栄ジム先代会長の金平正紀氏は、破格の契約金1000万円をかけて獲得した金の卵を、ハワイのスタンレー・イトウ氏に預け、上原氏は同地でプロデビューを飾っている。プロ9戦目でWBC王者リカルド・アルレドンド(メキシコ)をノンタイトル戦で破り世界入りした上原氏は、74年8月にホノルルでWBA王者ベン・ビラ
1980年8月、米・デトロイトでサムエル・セラノ(プエルトリコ)を6ラウンド豪快なKOで破り、WBA世界スーパーフェザー級王座を獲得した、元祖”沖縄の星”・上原康恒(協栄)氏が経営する、お酒&お食事、ランチ&喫茶・「ちゃんぴおん」にお邪魔した。元日本ライト級1位石戸唯男氏と、石戸氏が勤務する築地魚河岸の勇士の面々と、元ボクサーが集合した。「ちゃんぴおん」は、中野区本町5-13-8エンドウ歯科ビルの2階。ゆっくりくつろげる、我が家のリビング風の店内内部。石