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2022年12月16日栃木県佐野市並木町の二柱神社に参拝しました。彫刻が多いため、3つに分けて掲載します。・栃木県・二柱神社その1/3拝殿・幣殿・栃木県・二柱神社その2/3胴羽目・栃木県・二柱神社その3/3脇障子・腰羽目本殿右面に3枚の胴羽目彫刻右面の胴羽目:玉巵弾琴玉巵は西王母の娘で、太真王の夫人であった。玉巵は琴の名人で、一弦琴を弾ずれば、百禽の鳥が飛来したという。また時には、白龍に乗り四海を周遊したとも伝えられる。右面の胴羽目
2022年11月10日群馬県伊勢崎市宮子町の宮子神社に参拝しました。由緒健保元年(1213)9月23日、三浦介義澄によって創建されたと伝えられていますが、創建当時の社地は明らかになっておりません。元徳元年(1329)、当時の国司である新田義貞が現在の地に遷し社殿を修理して八坂神・稲荷神・菅原神の3神を合祀しました。現在の社殿は嘉永元年(1848)に造られたもので、彫刻が非常に緻密で壮麗です。代々の赤石城主の崇敬厚く、明治に至って氏子持ちとなりました。伊勢崎という地名は古くは赤石の郷と云
2022年9月6日栃木県小山市南小林の東箭神社に参拝しました。由緒応安元年(1368)、小山義政が出陣の際、平将門討伐で名高い祖先の藤原秀郷伝来の箭(矢)を奉納し戦功を祈願したことから、現在の名になったと伝えられています。本殿の装飾彫刻は、日光東照宮五重塔再建の彫刻大工棟梁、後藤周次正秀によるものです。鳥居拝殿笑顔な狛犬笑顔で社殿を守っています覆屋右面は隙間がありません。節穴から少し覗けます。覆屋左面と背面は窓から覗けます本殿彫刻師:後藤周次
「神仙道誌」清水南岳先生王母が武帝に靈寶五嶽眞形圖を授けたるに、上元夫人は其幸領するところの六甲靈飛左右策精致神之符の授受に関し上元夫人と小童大君との御問答は殆ど御対等の礼有る経緯、また上元夫人の西王母を呼称するに「阿母」の親称を以てせる等の御関係を推して惟ふに、幽事治め給ふ大物主神の妃たる元始天尊高皇産靈大神の御女三穂津姫神に坐さずやと窺はるるなり。清水先生は、この稿で須勢理姫神の西王母に坐すことは平田先生も之を考証せられ、其餘の霊的資料にも照して論なきことと覚ゆと書いてお
今回は、上元夫人とは何れの女仙なのか。平田篤胤先生、清水南岳先生のお考えを紹介します。「赤縣太古傳」平田篤胤著女眞の言に、靑眞ハ是阿環入火ノ弟子也とも有れば、小童君も火に入る術は、此女眞に受たる此女眞は、王母にこそ下れ、既に王母の語にも是三天上元之官。十万玉女之名籙ヲ統領スル者也。と見えたれば、甚高貴なる女眞なれども、誰神と云こと、神典にては未思ひ得ず。「神仙道誌」清水南岳先生大國主大神の和魂神と坐す大物主神の妃配として高皇産靈大神の命以て賜へる三穂津姫神の彼地に於ける御消息や如
二回に渡り、「漢武帝内伝」にある上元夫人の靑眞小童君に関する御言葉を紹介しました。今回は、「漢武帝内伝」から上元夫人について紹介します。帝因って王母に問ふ。上元は何の真なるを審かにせざるなりと。王母の日く、是は三天上元の官にして十方の玉女の名籙を統領する者なりと。()俄かにして夫人至る。亦た雲中に簫鼓の声を聞く。既に至るに従官は文武百余人にして、並びに是れ女子年皆な十八九許、形容明逸、多く青衣を服し、光彩目を耀やかす、真に霊官なり。夫人は年二十余り、天姿精耀、霊眸絶朗、赤
先日、平田篤胤著「赤縣太古傳」から靑眞小童大君少名彦那大神について紹介しました。靑眞小童君ハ太上大道君之司直。元始天王入室弟子也。形嬰孩之貌有リ。故ニ仙宮ニ小童ヲ以テ號ト爲ス。其ノ器爲ルヤ。環朗洞照ニシテ。聖周万變。玄鏡幽鑒ニシテ。才眞俊爲リ。扶廣ニ館シテ始運權リ。玄圃ニ遊テ。僊職ヲ治ム。亦號テ金闕上相大司命東海王靑華小童君ト日フ。亦東華大神方諸宮靑童道君ト日フ。亦泰一小子ト日フ。此れは私が最も好きな道書「漢武帝内伝」にある上元夫人の御言葉です。今回は、「漢武帝内伝」にある上元夫人の靑眞
8月12日(水)丁亥四緑下弦前回「漢武内伝」から私が漢武帝を羨ましく思っている1話を紹介しました。今回も同じく私が漢武帝を羨ましく思っている話を紹介します。前回は、上元夫人の話でしたが、今回は私が最も敬慕する太眞西王母の話です。王母の曰く、此の子、心を勤むること已に久しく、而して良師に遇()はず、遂に其正志を毀たんと欲す、当に天下必ず仙人なしと疑ふべし。是の故に我れ閬宮()を発し、暫く塵濁に舎()り、既に其仙志を堅からしめんと欲し、又た化に向ひて惑はざらしめんと欲するなり
8月11日(火)丙戌五黄明日ライオンズゲートが閉じられるらしい。何の事かよくわかってないのですが…。先日「仙境異聞」から、仙童寅吉の私の大好きなお話を紹介しましたので、今回は2回に渡り私の最も大切な書の漢武帝を羨ましく思っている箇所を紹介したいと思います。なんたって明日ライオンズゲートが閉じられるんですから…。今回は上元夫人のお話。明日は、西王母のお話を紹介します。「漢武内伝」帝因って王母に問ふ、上元は何の真なるを審かにせざるなりと。王母の曰く、是は三天上元の官にして十万の玉女の
7月30日(木)甲戌八白鉄胤云く浪花人松村完平、その頃来合せたるに依て寅吉が事を少々聞書せる一冊あり、屋代輪池翁その聞書にはし書して云く、虎吉岩間山にて、白石丈之進といふものの子となりて、白石平馬と称す十月十七日発足して山に入り十一月三日暁ここに来り此度は嘉津間と改名せしといふ、三字名を付くるは階級進みし由なり、故に此一冊を嘉津問答問と題す、また完平自ら聞書の後に書そへて云く、さてかく記し畢へたるを師に見せ奉れば虎吉童子に読聞かされたるに、我が云へる事をたがへず、よく書取り給へども
6月3日(水)丁丑五黄平田篤胤著「赤縣太古傳」泰皇泰一ニ問テ日ク。天地人事三ノ者孰レカ急ナル。泰一ノ日ク。愛精。養神。内端ハ。天ヲ希フ所以也。靑眞小童君ハ太上大道君之司直。元始天王入室弟子也。形嬰孩之貌有リ。故ニ仙宮ニ小童ヲ以テ號ト爲ス。其ノ器爲ルヤ。環朗洞照ニシテ。聖周万變。玄鏡幽鑒ニシテ。才眞俊爲リ。扶廣ニ館シテ始運權リ。玄圃ニ遊テ。僊職ヲ治ム。亦號テ金闕上相大司命東海王靑華小童君ト日フ。亦東華大神方諸宮靑童道君ト日フ。亦泰一小子ト日フ。靑眞小童君を或は眞靑小童君とも有れ
5月29日(金)壬申九紫「無病長生法」行者若し心兀々として無聊に苦しむこと有らば須く神遊観に入りて、心神を壮快にすべし。神遊観とは曾て遊べる名山長川瀑布靈泉、通邑大都、帝郷仙域、神地佛境、荒村古驛等すべて清浄閑雅なる勝概の地に心神を到り遊ばしむる法なり。其の仕法は静處に盤坐すること法の如く、固握して膝の上に安じたる儘、心攝めて此の想を爲すべし。今此の居處を離れて、某の處に到り遊ばむと、即ち此の村を出で、彼の驛を過ぎ、今は某の山を越え、某の川を渉り、彼の岡邊より此の渓間に下り、左に某の峰を
5月27日(水)庚午七赤「無病長生法」更に再び此の想を爲すべし。彼の浸々として潤下せし仙薬が、下半身に積り湛へて暖め蘸す事、恰も世の良醫が種々妙香の薬味を調合し、此を煎湯して、浴盤の中に盛り湛へて、我が臍輪以下を漬け蘸すが如しと。此の想を凝らす時に、不思議にも心の作用にて鼻は杳かに希有の香気を聞き、身は俄に妙好の輭触を受けむ。是時身心調適する事遙かに二三十歳の時に勝れり。此時に當りては、從前の積聚を底を拂うひて消融し、腸胃も微妙に調和し、皺延び毛黒くして肌膚光澤を生ずるを見む。若し其れ勤