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今回もオリジナル万葉和歌九首を新たにご紹介します。私自身未だ修行中の身ですので、おかしな点があるかもしれません。ご了承くだされば幸いです。今後しばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が詠んだ和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳の順でお送りします。また、今回詠んだ九首はいずれも二句切れか四句切れとなります。それで
奈良時代以前の記紀万葉の歌の言語は平安時代のかな文書言語とは異なる。つまり言語断層が明らかにある。しかし、国文学では奈良時代以前のものを上代日本語として、あたかも言語が連続しているかのような解釈をしてきた。これは科学的態度ではない。8〜9世紀にかけてその前後に書き残された言語は異なっており、この理由が何なのか、突き止める必要がある。また地方言語はほとんど文書化されておらず、どのような変遷をとったのかは不明である。
今回もオリジナル万葉和歌九首を新たにご紹介します。私自身未だ修行中の身ですので、おかしな点があるかもしれません。ご了承くだされば幸いです。今後しばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が詠んだ和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳の順でお送りします。また、今回詠んだ九首はいずれも二句切れか四句切れとなります。一部例外
引き続きオリジナル万葉和歌九首を新たにご紹介します。私自身未だ修行中の身ですので、おかしな点があるかもしれません。ご了承くだされば幸いです。今後しばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が詠んだ和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳の順でお送りします。また、今回詠んだ九首はいずれも二句切れか四句切れとなります。それ
杉本つとむ『日本語再発見』社会思想研究会出版部〈現代教養文庫〉、1960年。「上代日本語は、シナ語である」「地方の方言を、中央語に統一していったのが日本語」大和朝廷、奈良方言を土台に、「インド仏教の経典」翻訳での「インド発音を漢字で表記する方法」を、日本語に応用して、「万葉仮名」を発明しながら、『古事記』『日本書紀』の記述を実践しながら、日本語が、短期間で、中央政府によって、開発・完成していった。だから、それ以前への日本語の探究は、ナンセンスである!大野晋
引き続きオリジナル万葉和歌九首を新たにご紹介します。私自身未だ修行中の身ですので、おかしな点があるかもしれません。ご了承くだされば幸いです。今後しばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が詠んだ和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳の順でお送りします。また、今回詠んだ九首はいずれも二句切れとなります。それではやって
【和歌】万葉歌・末の戀ひ【オリジナル】|TOSHI‘sdiaryに引き続きオリジナル万葉和歌九首を新たにご紹介します。私自身未だ修行中の身ですので、おかしな点があるかもしれません。ご了承くだされば幸いです。今後しばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が詠んだ和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳の順でお送りし
前回の【和歌】万葉歌六首【オリジナル】|TOSHI‘sdiaryに引き続きオリジナル万葉和歌六首を新たにご紹介します。ブログ記事が短くなるので、始めに前回掲載の和歌三首を載せておきます。拙いド素人が道楽で詠んでいる和歌なので、至らぬ点もあるかと思います。ご了承くだされば幸いです。これからしばらくは「末の戀ひ」と題したオリジナル和歌をご紹介します。「末」には未来、最後といった意味が込められています。「戀」は恋の旧字体で、「戀ひ」は連用形が名詞化された形となります。私が
本日はオリジナル和歌の万葉歌六首を詠んでみたのでご紹介します。本日慌てて作った和歌であるのと、現代語訳を無理くり和歌にしたのでおかしいところがあるかもしれません。ご了承くだされば幸いに思います。私が詠んだオリジナル和歌は青色で表記いたします。書き下し文→万葉仮名→現代語訳和歌の順でお送りします。それではやっていきましょう。空を思ひて作れる歌三首打(う)ち渡(わた)す天(あま)つみ空(そら)は限(かぎ)り無(な)く澄(す)み渡(わた)りたり心(こころ)の
前回の橿原市の万葉歌碑を巡る旅の続きとなります。『萬葉集』を巡るその二十三【橿原市】|TOSHI‘sdiaryもしよろしければこちらもご覧ください。長いですので無理なくご覧いただければと思います。それでは続きを見ていきましょう。飛鳥川沿いの風情ある街並みの中に、まちなみ交流センターがあります。こちらの建物も和洋折衷な雰囲気があって美しいです。それではこちらに設置されている万葉歌碑を見て参りましょう。【万葉集197】明日香川(あすかがは)しがらみ渡(
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は、「一旦まとめ」これまでの記事を振り返って、筆者が発見した上代日本語のいくつかの法則をより詳しく解説していこうと思います。(以下、本文は常体で続きます)出典:東映アニメーションhttps://share.google/mp2agHJDmd5ipjrxD一反もめん-キャラクター|新番組「ゲゲゲの鬼太郎」-東映アニメーションhttps://share.googl
今回は橿原市にある万葉歌碑を巡ってきましたので、ご紹介したいと思います。数が多いので二回に分けてお送りします。無理なくお読みくださればと思っております。それではやっていきましょう。橿原市にある竹田神社にお邪魔しました。こちらに万葉歌碑があるということで見ていきましょう。【万葉集760】うち渡(わた)す竹田(たけだ)の原(はら)に鳴(な)く鶴(たづ)の間(ま)なく時無(ときな)しわが戀(こ)ふらくは打渡竹田之原爾鳴鶴之間無時無吾戀良久波見渡す竹
僕が通っていた中高一貫校では、中学3年間の教科を2年間でやりあげ、高校3年生になると、すべての教科で大学入試過去問を解くというかんじでした。そんな中、高校3年生の現代国語の授業で、当時の担当の先生が、急に、「万葉集の音読再現」の授業をされたときの想い出を書きます。先生は、長く「上代日本語」の研究をされておられ、特に、「万葉仮名」の研究をされておられた。ということで、長年の成果をやっと、まとめた「万葉集再現音読」の録音テープを聞かせて頂けた。その前に、先生は、例えば
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます今回は上代におけるア行音についての独自説です。(以下、本文は常体で続きます)法隆寺中門金剛力士(阿形)出典:Wikipedia※画像と本文には直接の関係はありません。以前、「いつの」の回『【日本語上代14】「いつの」考』こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は以前保留にしていた「いつの」
今回は梅の花を題材にしたオリジナル万葉和歌をご紹介したいと思います。拙いながら頑張って詠んだので、ぜひ見ていただければ幸いです。ブログ記事を書き進めながら詠んでいるので、おかしかったらごめんなさい。間が開いてしまったので、私のオリジナル万葉和歌についてご説明します。基本的には上代日本語(奈良時代の日本語)を使用しています。そうでない場合もあるかと思いますが、その場合は中古日本語から語彙を借りています。今回は長歌一首、反歌二首をご紹介します。長歌は句切りを意識していませんが、短歌
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は「さばへなす」記紀の、特に神代に見られる表現です。(以下、本文は常体で続きます)辞書などで見ると「五月蠅なす」という表記が一般的だ。陰暦の5月頃に騒ぐ蠅のようにうるさい様子とされる。記紀では悪神や邪神が騒ぎ立てる様子を表現している。現代でも「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読むが、最初に当て字したのは夏目漱石らしい。ちなみに筆者はハエの漢字を「蝿」だと思っていた
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は以前保留にしていた「いつの」の解釈です。※上代の音韻については筆者の独自説を含みます。(以下、本文は常体で続きます)「いつの」を取り上げる経緯については『【日本語上代8】「ちわきちわきて」「ちわきにちわきて」考』こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は天孫降臨でニニギノミコトが「威風
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。松が取れてもうすぐ鏡開きということにちなみ今回は「かがみ」物を映す鏡の語源についてです。※一部に筆者独自の音韻説を含みます。(以下、本文は常体で続きます)【伊勢宮忠】【神鏡白銅鏡+特上彫り雲形台2寸】直径6cm神棚神具神鏡台鏡台台鏡かがみ神祭具彫刻楽天市場「かがみ」の語源は諸説ある。しかし、これといって決定的な定説はない。
ある日の放課後。補習の後、私は先生に呼ばれました。先生「トシロー君、ちょっと。」私「はい。」彼女は教科書などを片付けながら、私に言葉を続けます。先生「今日は先生用事で行けないのよ。」私「えぇ?じゃあこの後の勉強はなしってことで?」先生「先生いなくても勉強はできるでしょ?」私「まあ、そうだけど……。」私は先生と過ごせる時間がなくなったことでショックを受けていました。テンションが一気に下がっていくのが自分でもよくわかります。先生「あの子に教えてあげてくれる?」私「あの子って一
※画像は本文の内容と直接の関係はありません。こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は「あをによし」の従来とは違った解釈をお届けします。(以下、本文は常体で続きます)「あをによし」は奈良に掛かる枕詞だ。国内(くぬち)に掛かる歌が1首だけあるが、これは例外といって良い。表題の見出し括弧にある上代とは、我が国で現存する文献の最古の時代を指す。おおむね奈良時代あたりをいう。また学術論文では無いので、文章をそのまま
今回はこれまでに行けていなかった奈良市内の万葉歌碑をご紹介したいと思います。残り四ヶ所で奈良市内の万葉歌碑はコンプリートとなります。それでは紹介いたしましょう。【万葉集1424】春(はる)の野(の)にすみれ採(つ)みにと来(こ)しわれぞ野(の)をなつかしみ一夜宿(ひとよね)にける春野爾須美禮採爾等來師吾曾野乎奈都可之美一夜宿二來春の野にすみれを摘もうとして来た私は、野があまりにもなつかしいので、一夜寝てしまったことだ。こちらは福祉施設の前に建てられた万葉
私は恋の苦しみに耐えかねて、女子の意見を聞きたいと、先生との恋について語り合うチャットルームへとアクセスしました。私の近状報告も兼ねて、私が先生の前で見せてしまった反応が、果たして気持ちを知られてしまう要素になるのか、訊きたいと思っていたのです。ネコ「こんばんは。」私「こんばんは。」ギャル文字「やほ。」私「やあ。」この日の夜にいたのはネコとギャル文字の二名だけでした。ちょうど女子の意見が聞きたかったので、この二人に尋ねてみることにします。私はまず、特訓の後で食事に連れて行って
冬休みが明けました。冬休み自体は二週間ほどと短く、古文と現代文の補習と特訓に参加していたので、私にとっては有って無いようなものだったような気がします。とは言え国語だけ受けていたのと、好きで学校に通っていたわけで、半分遊びに行っていたような感覚だったのでしょう。冬休みが明けての最初の登校日。先生との再会は三、四日ぶりくらいだったかと思います。先生に会うのが楽しみだったわけですが、突然顔を合わせるとうろたえてしまうものです。教室で顔を合わせるものだと思って心づもりをしていたところ、
ある日の昼休みだったかと思います。グループの連中と徒党を組んで、学校内を歩き回っていた時のことでした。そんな時、一年生の女子二人組が私たちのところに寄ってきました。RZだけは煩わしいのか表情を変えずに二人組をじっと見据えていましたが、他の野郎どもは嬉しそうにしています。私はというと禁煙パイポをくわえたまま、他人事のようにその様子を眺めていました。すると女子たちが口々に尋ねてきました。女子たち「女いますか?」最初に訊かれたRZは「いる。」とだけ答えてそれから何の反応も示しませんでし
山の辺の道にある万葉歌碑を巡る旅の続きになります。『萬葉集』を巡るその十九【天理市】|TOSHI'sdiary(ameblo.jp)『萬葉集』を巡るその二十【山の辺の道】|TOSHI'sdiary(ameblo.jp)過去記事のリンクも貼っておきますので、もしよろしければご覧くださいませ。それではやっていきましょう。桧原神社から南に行ったところに神武天皇像がありました。この先に歌碑が残されていますので紹介いたしましょう。【古事記歌謡2
【まえがき】これまでお読みくださっていた皆様へ。続きを公開するまでに二年もかけてしまい、大変申し訳ございませんでした。多忙という点もあったのですが、それ以上に内容が過激だとされたために、ブログ公開で引っかかるという事態が発生してしまいました。どうしても史実通りに書き上げたい気持ちと同時に、アメブロを利用する以上は、アメブロのルールに従わなければならないその葛藤に悩んでいました。私は過去に別のアカウントで、何度かブログ記事が表示されなくなるということがあり、新たに作成したこのアカウ