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落語名人寄席其之壱DATE:26/02/05THU噺家:四代目三遊亭圓遊収録時間:47min鑑賞:CD
小満Mayゆらゆらムードの熱帯魚淋しい熱帯魚/WinkOfficialMusicVideo【HDRemaster】WINKMEMORIES1988-199630thLimitedEdition-OriginalRemastered2018-https://lnk.to/hX8Gw3Gj1989.07.05リリース5thシングルナショナル「パナソニック・ヘッドフォン・ステレオ」CFソングアサヒ飲料「WON...youtu.beNHKラジオ
※今はなきヤフーブログにアップした記事をアーカイブとしてこちらへ掲載いたします。当時の情報なので現在では違った解釈もあろうかと思いますが、訂正せずそのままの掲載といたしました。また、初出の掲載年月日を併せて記載いたします。2016/9/9(金)午後11:04掲載時代小説を読んでいると「後生が悪い」という表現が出てまいります。「後生」とは、【死後ふたたび生まれ変わること。また、後の世。来世。】と辞書にはあります。料理屋が人間の腹を満たすために、魚や鳥に殺生を行なうことなどを戒
前回の続き噺家の三角関係を紹介する前に、三代三遊亭圓遊(鼻の圓遊ステテコの圓遊竹内金太郎)のおもしろエピソードを紹介します。圓遊はどうやら夢遊病というか、寝ぼけ癖が強かったようでその逸話を幾つか……。圓遊が三島の有栖川邸に招かれたおり、夜更けて小用に起きたまま足袋裸足で庭木戸から外に出て、一里のあまりもあぜ道をたどって三島の町へ来て、始めて目が覚め、帰るに道は遠し、夜は更けたり、無據(よんどころ)なし女郎屋を叩き起こすと女郎屋の雇い人どもは宮家のお定紋付きの提灯を見て、上
No.0005(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『馬鹿いっちゃいけねぇ』落語家さんの話や、情報、裏話、落語にまつわる面白い話を東西に関わらず、紹介したいと思います。今日は「三遊亭圓朝とステテコ」『成田小僧』東京文京区に本郷春木町という地名があります。この地名は、伊勢の御師春木太夫の旅宿があったことにちなんでつけられたものだそうです。伊勢では、外宮鳥居前町の本町に居を構えて、徳川家を受け持っていました。今日ご紹介するのは、この本郷春木町の塗り物問屋の小僧が主役の噺です。最
今回、番外編ということで少々実験的なレイアウトにしてみました。お見苦しい点多々あるかと存じますが、混迷で御容赦を(by『高砂や』)鼻の圓遊が時流落語(あるいは落語漫談)へと代えてしまった『船徳』ですが、その後時代に耐えうる噺へとどのように変化していったのか、探ってみたいと思います。目次参考にした速記扇遊亭金三の船徳三代小さんの船徳五代三遊亭圓生の船徳参考にした速記参考にした『船徳』の速記六本を年代順に記します。1914年(大正3年)金三の落語(三芳屋書店)扇遊亭金三
今回で世に広く知られている『船徳』は最終回になります。次回、番外編として黒門町の桂文楽が『船徳』に残した偉大な足跡が間に挟まり(わかるかなぁ~?黒門町お馴染みの口上です)『お初徳兵衛』の(下)をお送りする予定です。どうにかこうにか船を出せた徳さん。船上の様子とサゲまで一気に書きたいと思います。まずは圓遊から、船は出たが棹を流してしまった徳さんは客に棹を川からとってもらいます。そして唐突に「柳橋を小舟で急ぐ、ってのを知ってますか」と客に尋ねます。これは端唄♪柳橋から小舟
無事(?)船頭になって当日を迎えた徳兵衛ですが、腕が伴わないので客がつかきません。折しも船が大忙しの日にも徳さん一人暇しております。と、そこへ現れたのが船宿の常連客、何とか船を出してくれと女将に懇願いたします。そこから船が出るまでのあらすじをそれぞれ記します。まずは圓遊からです。船宿へやって来た常連客が連れに話しかけます。「オイ竹内(たけのうち)」「ハア」「お前は鉄道馬車や赤馬車が贔屓で車が便利といっているが、屋根船の二人船頭で柳橋の腕っこきの芸妓を呼んでお互いにデレデレ
めでたく船頭(古い速記では「舟子」と表記されることも多いです)になることを許されました若旦那の徳兵衛。さっそく二階へ若い衆を呼んでもらって船頭宣言をいたします。現行の『船徳』ではここがクスグリ沢山で最初の笑い所となります。圓遊の速記から見てみましょう。箇条書きでお届けします女中が市ヶ谷の油屋の名を知ってるかと言うから、笹屋だろうというと女中が「ヤアトコセエ」と言って踊りやがるからどういうことだと聞いたら「ササヤアトコセエ」だって言いやがる女中が、三階建ての鉄道馬車が出来たと
圓喬と圓遊、そして圓朝とも比較などという身の程を知らない暴挙に出たため苦しんでおります。だいたい一つの噺でさえ満足に書けないのに、三つ比較するなんざ身の破滅もいいとこです。でもね、恐らく二度と圓喬全集は筆耕しないと思いますから悔いのないように一席入魂、精一杯書きますよ。お前の精一杯はその程度かよ!というお小言は甘んじて受け入れます。(^^)この『船徳(お初徳兵衛)』長くなりそうなので何回にも分けます。四代橘家圓喬の『船徳』あるいは『お初徳兵衛』の口演速記は四本確認できています。『舟
【船徳】落語には、芝居や講釈、場合によっては長講の落語の一部を切り出し、くすぐりの多い滑稽噺として語られているものがあります。(これから申し上げる)「船徳」という噺も、元は「お初徳兵衛浮名桟橋」という人情噺の一部を、明治時代の落語四天王と言われる初代三遊亭圓遊が、面白おかしく創作したものです。元の噺を聴いてみると、「ほんの一瞬語られただけの場面が、こんなに肉付けされたのか」と、感動を覚えるものです。しかし、「お初徳兵衛浮名桟橋」は、笑いの少ない人情噺ですから、「船徳」しか聴いたことのない
題名は、『高座の落語』として御座いますが、端物の講釈も含まれている『岡村書店』が1917年発行した速記本です。序文には、三遊亭圓朝の『牡丹燈篭』や松林伯圓の『安政三組盃』は、尾崎紅葉や幸田露伴が霞んで見える位の大傑作!と、褒めている。そして、圓朝も伯圓も、分かりやすく老若男女に好まれる大衆性があり、無駄に哲学的だったり倫理の押し売りをしないのが宜い!と、言う。本は、其々名人の速記を残す為に、岡村書店主催の高座を設けて、そこで披露された名人たちの逸品を収めたものである。えぇ〜、一席申し上げ
2日目のネタ帳🌸私は「やかん」講談帳が好き✨トリの圓遊四肢は「肝つぶし」夜席は寿限無からですね☺️
🏁浅草演芸ホール昼席🏁4/21〜25まで出番頂いてます。主任は三遊亭圓遊師匠✨11:45〜15分間勉強させて頂きます!ご来場有難うございます✨思ったよりたくさんいらしてくださり、感謝🌸笑ってくださる良い空気🍀寄席は昼席夜席入れ替え無し!一日中居て泊まって明日も一日居てそれから夜行でお帰りになってもよござんすよ✨✨✨✨
国立演芸場14日(水)1時~用事が済んだので、急に出かけました。入りは、4割ほど◆ネコは、いつも通り上手最前列から鑑賞。*楽輔師匠の、笠碁は得意ネタか良い出来。紅師匠の講談は、今日3月14日が江戸城松の廊下人情事件の日。で、南部坂雪の別れ★トリの圓遊師匠の紺屋高雄は、花魁の描写が良かった!米福師匠、てれすこ久々のめずらしいネタでした。ブログで、独り言
明けましておめでとうございます300話を目標に本年も書き続け、落語愛好者の少しでも役に立つ「落語小事典」を目指したいと思っています。ただ、なにぶん老体の身ゆえにこれまでとは投稿ピッチが落ちるかと思いますが、よろしくお付き合い下さい。さて、本年の第一回目は商家の正月風景を面白くかつ目出度く描写している「かつぎや」(別題「七福神」、上方では「正月丁稚」)を鑑賞しよう。呉服屋の主人・五兵衛さんは人一倍の“縁起担ぎ”である。元日の朝の仕(し)来り(きたり)である“若水汲み”を飯炊
冬場は暖を取るために火を使うことが多く、どうしても火災が増加する。私の子供時代、冬休みになると夜に、子供達で町内を回って火の用心を喚起する慣わしがあった。拍子木を叩きながら「火の用心、マッチ1本火事のもと」と掛け声を発して町内を回るというものであった。とにかく寒かったが煌々とした満月に照らされて家々の屋根が輝いていたのを懐かしく思い出す。社会に役立っていることを意識した有意義な体験であった。最近では、あまり見なくなった光景ではなかろうか。子供が被害者となる事件が多い昨今、冒険という社会体験を
四代目三遊亭園遊師匠の落語です。園遊師匠は笑点に出演されていた三遊亭小園遊師匠の師匠です。一時期は落語から離れ幇間をされていたとのことでその経験からかとても陽気な噺をされる師匠であった…と様々な所で記されています。今回は志の輔さんのラジオ番組で聞かせていただきました。確か番組の中でも「聞きやすい」と言われていたと思いますがアナウンサーの方のように一つ一つの言葉がきれいに話されていたと思います。朝起きて頭がまだぼーっとしているそんな時でもすーっと入って
四代目三遊亭圓遊師匠の落語です。歌丸師匠のライバル(?)小圓遊師匠の師匠です。なんと一度廃業されてます。幇間をされていてその後に落語家に復帰なさっています。とてもにぎやかで明るい噺をされる師匠だったとか。お弟子さん(小圓遊師匠)が圓遊師匠より早く(圓遊師匠がお亡くなりになられる4年前に)亡くなられています。43歳という若さで…師匠、おつらかったでしょうね…〈花見小僧〉調べてみると「おせつ徳三郎」という噺の上(前半)ということです。こうやって小僧さんに