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日本の話芸で「鴻池の犬」を聴いたので、三井越後屋のことにも触れないといけません。一番ポピュラーなのは「三井の大黒」ですが、圓窓師匠が創作された「三井の貸し傘」というか噺があります。この噺は2015年(平成27年)に開催された「三越劇場開場88周年記念」の落語会に向けて書き下ろされ、初演されました。『噺枕(三井の貸し傘)』【三井の貸し傘】商売が上手く行くために、とても重要なのが、「知名度」だと思います。作ったり、売ったりする側の名前を、買って使う側に知ってもらうこと、存在を認知…amebl
昨日お開きになった第24回樂醉寄席。次の5月の第25回のチラシを作りました。次回は第25回の区切りなので、師匠創作の噺を考えています。「二つの空き缶」と「三井の貸し傘」・・・。「三井の貸し傘」のこと-乱志&流三の落語徘徊先日の国立名人会での「三井の貸し傘」について、師匠がブログでコメントされていました。言い伝えにある三井の貸し傘を題にしてこの噺を作ったのが、2007年の夏だったから、あれから八年経つこと...ranshi2.way-nifty.comこの噺を創作した師匠の思いを語
2011年3月11日(金)14時46分。東日本(東北地方)が大きく揺れました。忌まわしい「東日本大震災」・・・。震災では1万5901人が亡くなり、いまだ2519人が行方不明となっています。私は、虎ノ門のオフィスの自席でデスクワークをしていました。突然の大きな揺れでしたが、幸いオフィスが入居するビルは免震構造で、物が倒れたり、停電や断水にもなりませんでした。大地震-乱志&流三の落語徘徊物凄い災害になってしまいました。【マグニチュード8.8】だなんて・・・。学生時代に宮城県沖地震を
自分に残された時間の長さ(短さ)を実感するようになりました。落語しか能がない(落語の能もない)私が、唯一真面目に向き合えそうなのは、噺を覚えることだと思っています。圓窓師匠に師事した15年間に、持ちネタも増え、「樂醉寄席」ではそのお浚いのように、間もなく50席口演に到達します。昨年、僭越と思いながらも恐る恐る挑戦した「芝浜」が、予想外に上手く出来た?のに味をしめたこともあり、もっと噺を覚えようと・・・。目下の目標は、やはり大ネタにチャレンジしていくことです。「百年目」だとか「妾馬」だと
3月弥生になりました。自室で、久しぶりに、私の持ちネタを聴きました。◇「三方一両損」古今亭志ん朝長屋の職人二人が絡むこの噺は、志ん朝師匠の滑舌とリズミカルな語りで、とても楽しく聴くことが出来ます。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be私は、ベースは三笑亭夢楽師匠の音源を参考にし、圓窓師匠からのアドバイスでオチを変えて演っていますが、志ん朝師匠にも
立川談幸師匠のSNSの正鵠を得たコメントに同感。さほど浚わずに出来る噺と常に浚わないと出来ない噺がある。何故このような差が出るのであろうか?かけた回数の違いではない。考えてもみるにセリフとしてより噺全体がリズムとして入ってるか入ってないかの違いではないだろうか?セリフは頭だがリズムは体だからかもしれない。全くその通りです。圓窓師匠が、常々「落語は活字で覚えちゃいけない」と仰っていたのと同じだと思います。どれだけ自分のリズムで、自分の言葉で刷り込まれているかどうか。それが、浚わず
世の中は3連休のようですが、私にとってはいつもの朝。今日は稽古会がないので、自室で聴きました。◇「阿武松」五代目三遊亭圓楽-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be今年、王楽師匠が七代目を襲名したばかり。五代目が亡くなったのは、2009年10月29日ですから、十七回忌です。圓楽師匠は、昭和後半の四天王と言われましたが、私も学生時代に師匠の音源を参考にさ
SNSで偶然見つけた、アマチュア落語会のチラシ。出演者によく知った名前がありました。圓窓師匠から指導を受けていた仲間の一人「天祖亭媛堵」さん。彼は、豊島区の大塚地域文化創造館を拠点に活動している「天祖亭」のメンバーで、今は圓窓師匠のお弟子さんの萬窓師匠から指導を受けています。積極的に他流試合(各地の落語コンクール)にも出演して、優勝をした実績もあります。時々、我が三流亭の稽古会にも交流稽古ということで参加してくれています。この落語会のことは、ちょっと前に聞いたことがあります。今月1
千駄木能舞台での三遊亭歌彦・萬都二人会「高知の男ぜよ」の後、団子阪交差点に戻り、三崎坂を谷中に行きました。ご命日も彼岸も過ぎてしまいましたが、谷中に眠る二人の噺家の墓参に行きました。まずは、全生庵の三遊亭圓朝墓へ。三崎坂(谷中)辺りを散策する人もチラホラ、外国人も見かけました。圓朝の墓所は、金色に輝く観音像の下の墓地の奥にあります。通いなれた圓朝居士の墓。圓朝の命日は1900年8月11日です。墓前に手を合わせて、最近演じた圓朝噺の報告とお礼を・・・。全生庵を出て、三崎坂をさらに少
No.0851(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『落語漫遊記』近い将来、私自身が落語の旅を趣味にするためのガイドブックにでもなればと思います。(笑)タイトルは……「落語漫遊記」。落語の「縁(ゆかり)」を書き留めたいです。今日ご紹介する「縁」は乙宝寺[新潟県]乙宝寺(おっぽうじ)新潟県北蒲原郡中条町。(現・新潟県胎内市乙1112番地)真言宗智山派如意山乙宝寺と言います。インド僧婆羅門(バラモン)僧正は、当寺にお釈迦様の左眼を納めて乙寺(きのとでら)と名づけたといわれています
AIに写真をイラスト化してもらって来ましたが、ふと「そうだ。師匠とのツーショットはどんな感じになるだろう」と、またまた遊び心が出て来たので。今回は、GeminiくんとCpilotくんに違う写真を1つずつリクエストしました。まずはGeminiくんに。「演読亭落語会」の後でのツーショット。実は、これはかなり気に入りました。特に、師匠の表情がとてもいい。それで、さらに私のメガネと卓上のコップを消してもらいました。扇子がちょっと広がっちゃいましたが、なかなか満足。ここから、師匠の部分だけ
深川三流亭が昨日無事に盛会でお開きになった次は、休むことなく「第9回演読亭落語会」です。9月7日(日)午後1時、ダンスカレッジ古(要町)で。圓窓師匠が亡くなった9月の会なので、「圓窓五百噺を味わう・ありし日の師匠を語る」というサブテーマで開催します。同じ圓窓チルドレンで稽古仲間だった、三遊亭萬都さんもお楽しみ出演してくださいます。私は、「藪入り」を考えています。14年前に演った噺で、先月の「樂醉寄席」で再演したばかり。師匠が改編したのを演ったのを、また元のストーリーに戻して演るつもり
三遊亭萬都さんのSNSで、若手大喜利出演の投稿がありました。人気番組ですから、ここに出られるというのは、相応に存在感が出て来ているということだと思います。まことに結構なことだと思います。顔と名前が知られるチャンスです。個人的には、大師匠の圓窓師匠もそうでしたが、やはり三遊亭の存在感とは違う色もありますから、良い意味で適当な距離感を保って欲しいと思います。他の協会や一門とは違うという矜持で。
8月17日(月・祝)に開催する「第26回深川三流亭」。開催まで2ケ月を切っていますが、私の演目だけが未定。他のメンバーの演目は既に決まっています。「饅頭怖い」「お菊の皿」「夢の酒」、トリ「文違い」ということで。昨年は「ねずみ」を何度か演りましたが、今年は「藪入り」に注力しようと思っています。ところが、9月7日の「演読亭落語会」にネタ出ししていて、お客さまが被る可能性があるので、別の演目を演らないといけない。そこで、ふと思いついたのは「甲府ぃ」。かなり長い間演っていないので、これ
今年の暮れは「芝浜」にチャレンジしようと思います。ずっと憧れていたものの、「まだ自分に演じる力はない」と考えていました。しかし、年齢を重ね、私に残された時間・体力を考えると、未熟ながらも挑戦してみるタイミングだと思い始めました。屈指の人気持つ「芝浜」は、多くの噺家さんがやっていますが、私が挑戦するとなると、参考にする噺家さんは限られて来ます。最近の"芝浜人気"で、老若男女の噺家さんが、それぞれ細かな舞台設定や感情移入を行い、様々な演出で演じられているようですが、私はプレーンな形でやりたい
圓窓稽古グループの千川亭の方から、師匠の「権助提灯」と「紺屋高尾」の高座本がないかと問い合わせあり。師匠から(勿論有料で)いただいた高座本蔵書にあったので、お貸しすることにし、本日郵送しました。
13~4年前のことでした。師匠には、噺の稽古をつけていただくだけでなく、その合間に、様々な話を伺いました。時には、落語界のことや、かつての名人上手のことなど・・・。そんなある時に師匠が、「流三さん、人情噺を演るんだったらね・・・・」と、私の、当時稽古していただいていた「薮入り」を聴いて、話してくださいました。人情噺をするには、正面を向いて、形を崩さず、マクラは眼の表情だけで語らなくてはならない。日本古来の着物を着ているのだから、着物の美し
稽古から帰宅して、暫くボーッとしていると・・・「そうだ!」。テレビ番組予告を見て、あまり好きな内容でなかったら・・と思って確認すると、とんでもない。先月の「学士会落語会」に来ていただいた「入船亭扇辰」師匠でした。元々、先代の扇橋師匠から、好きな一門でしたが、直に色々お伺いして、ますますファンになっていましたので、こりゃ外せません。演題は「さじ加減」です。圓窓師匠の高座本にもあって、師匠のを聴いたことがありました。とても長い噺です。冒頭の説明で扇辰師匠が、「この噺は講談から来ているの
一転蒸し暑くなって来ました。寒い風雨もですが、晴れて蒸し暑いのも、引き籠りしたくなるもの。「お江戸あおば亭」の動画を視聴してみました。第19回お江戸あおば亭は、コロナ禍がやっと小康状態になり、落語会の再開第1回でした。『第19回お江戸あおば亭』浅草ことぶ季亭で、「第19回お江戸あおば亭」を、3年ぶりに開催することが出来ました。午前中は雨が降り始めて心配しましたが、幸いすぐに上がってくれました。今回…ameblo.jp再開の落語会なので、あまりキャパの大きくない「浅草ことぶ季亭」を
上野鈴本演芸場の5月下席は、二ツ目の昇進披露が行われます。前座修業を無事勤め上げ、5月下席より三遊亭二之吉改メ三遊亭仁之吉、林家さく平改メ林家咲太朗、林家ぽん平以上3名が二ツ目に昇進いたします。(落語協会HP)このうち、咲太朗さんは林家たい平師匠、ぼん平さんは林家正蔵師匠の息子さんです。また、咲太朗さんとぼん平さんには、学士会落語会に出演してもらったことがあります。仁之吉さんは、三遊亭吉窓門下で、圓窓師匠の孫弟子です。圓窓一門では、昨年の萬都さんに次ぐ二ツ目昇進です。聞くところに
今度の日曜日、5月25日に迫った「第19回樂醉寄席」。当日のプログラムを作りました。途中コロナ禍で3年近い中断を経てしまいましたが、何とか19回まで続けて来られました。今回は、「牛ほめ」と「人情八百屋」をネタ出ししています。「人情八百屋」が圓窓師匠が、唯一立川談志師匠に稽古をつけていただいた噺ということなので、圓窓師匠のコメントを紹介しました。
今日も部屋の書架を覗いて。昨日の落研草創期に続き、1965(昭和40)年から平成初期くらいまでをカバーした「仙都に笑いを〜創部50周年号」をチラ見。2005(平成)年に、創部50周年記念号として、私も執筆や編集に携わりました。巻頭に、落研がずっとお世話になって来て、来仙の回数も一番多い三遊亭圓窓師匠に寄稿していただきました。師匠もご快諾くださり、創部直後の先輩が、人形町末広の楽屋に師匠(当時は二つ目)を訪ねて来て、落研への指導の依頼を受けたことなど・・。私も、在籍していた4年間の思い出
9月7日(日)に、要町の「ダンスカレッジ古都」で開催する「第9回演読亭落語会」のチラシも作りました。年2回の公演ペースで、師匠がお亡くなりになった9月(秋)は、「圓窓噺を味わう」というサブテーマで開催しています。師匠に稽古をつけていただいた、師匠が創作した、師匠が改編した・・など、師匠との関わりのある噺を演っています。まだ演目は決めていませんが、「藪入り」あたりを考えています。
自室に引き籠って書架を眺めて、同じ新書本が3冊あるのを発見。その中の1冊を手に取ると、2009年に師匠が出版した「日本人が忘れちゃいけないこの落語」の初版返本でした。この本には、師匠が落語のことをフリーに語っている本ですが、この中に私と新しいオチを考えたという部分があります。「あたしのところに稽古に通っている流三さんと相談して・・・」、「三方一両損」のオチを考えたことが書かれています。日本人が忘れちゃいけないこの落語-乱志&流三の落語徘徊時々は宣伝しないといけない師匠の著書。師匠
圓窓一門の後援会「窓門会」の会員更新の返礼品が届きました。「三遊亭仁之吉」という・・・知らない噺家さんの手拭いです。窓門唯一の前座、吉窓師匠のお弟子さんの二之吉さんが、5月に二つ目に昇進して「三遊亭仁之吉」を名乗るそうです。昨年の、萬都さんに続いて、一門2年連続の吉報です。5月25日(日)の萬窓師匠の独演会のチラシも同封されていました。残念ながら、当日は「樂醉寄席」なので、聴きに行くことは出来ません。
部屋の書架の隅で、古い古い高座本を見つけました。手書きの「藪入り」。ややこれは!学生時代のトラウマの「藪入り」の高座本。1975(昭和54)年3月10日(土)に、仙台の日立ファミリーセンターで開催した「卒業生追い出し落語発表会」で口演した時のものです。薮入り-乱志&流三の落語徘徊思い出深い噺です。「藪入りや何にも言わず泣き笑い」・・・実は、学生時代の最後に演って、見事に口が回らなくなってつっかえて、大失敗をして大泣きに泣いた、トラウマの噺なんです。でも、とても好きな噺でも...
三遊亭萬都さんの独演会(勉強会)の「一席萬笑」。南池袋の「minaikeZa」で、今日が3回目の公演です。年度初の寒い日にも拘らず、萬都さん本人も驚く満席になりました。今回は、三遊亭の噺というテーマでした。◇「おはぎ大好き」三遊亭萬都◇「百川」三遊亭萬都◇「なめる」三遊亭萬都「おはぎ大好き」は、圓窓師匠が民話から改編された噺で、三遊亭というより圓窓一門の噺かもしれません。他の2席は、最近はどの一門の噺という垣根がなくなって、昔ほどの色はありませんが
「樂醉寄席」に毎回欠かさず来てくださったり、最近では「深川三流亭」や「お江戸あおば亭」にも足を向けてくださっているご贔屓の「Nさん」には、今までも演目のリクエストをいただいていて、全てではありませんが、何席か演らせてもらっています。先日(3月30日)がお開きになった時に、「流三さん、『妾馬』をお願いします」とリクエストされました。球速160キロのストレートが来ました。大谷翔平としては、豪速球でも逃さずにホームランを打ち返さないといけません。「『妾馬』・・・・ですね。分かりました」と、力強
昨日の「樂醉寄席」で演った、三遊亭圓窓作「救いの腕」。二十歳のお花が姉のお里を訪ねてきて、亭主の善吉の愚痴を言う。善吉はお花より十歳上で、「毎日決まって暮れ六ツ(午後六時)には帰ってきて、何を聞いても返事は“ああ”だの“うう”・・、固い本を夢中になって読んでいるばかりで張り合いがない」とこぼす。姉の亭主が何日もどこかで遊んで来て、帰って来ればぶったりぶたれたりの喧嘩ばかりなのとは大違い。お花はそんな姉夫婦が羨ましくて仕方がない。実はお花には、忘れられない(心に決めた)人がいた。お花が
今日も手当たり次第に手にした落語本を斜め読み。三遊亭円窓著「圓窓-楽屋裏はなし家ちょっといい話」。1980(昭和55)年・PHP研究所刊・980円。筆まめな圓窓師匠の、まだパソコン通信などを始めるずっと前です。師匠の著書は、何冊か持っていますが、その中の一冊。「前座修業」「楽屋人情」「噺家列伝」の3章に分かれていました。その「楽屋人情」の章の最初に。二ツ目だった「三遊亭梅生(後の圓好師匠)」さん。昭和53年の春に、圓生師匠のお付きで仙台に行ったのですが、この時に、圓生師匠の足袋