ブログ記事39件
このところ、色々な車両のPCPフィニッシを行っていますが、魅力的な大夕張のDL55型が仕上がりましたので、ご覧くださいませ~PCPフィニッシュ後です・・・・メ-カ-オリジナル完成品の状態です・・・・メ-カ-オリジナル完成品の状態です・・・・PCPフィニッシュ後です・・・・台車周りのディティ-ルがハッキリ・クッキリと良い感じです・・・施工前です・・・・PCPフィニッシュ後です・・・・重厚感が何とも言えませんねぇ~施工前です・・・・施工後です・・・・やはりDLはエクゾ-ストからの屋根
間が開きましたが夕張ドライブの続きですここもずっと来たかったの南大夕張駅跡地三菱石炭鉱業大夕張鉄道線で実際に使われていたラッセル車などが展示されているんです客車内も見学できるとのことで楽しみにしていたのですが。。車両はブルーシートに覆われていました冬季休業中だったようです(ちゃんと調べてから来ないとこうなります)チラリズムなお姿でも。。やっぱりカッコイイ苗穂工場の文字に嬉しくなる私えっなんか倒れてるんですけどー雪の重みで倒れちゃったのかな💦駅名標もなかったし色々と残
炭鉱鉄道の切符2025/02/03撮影1枚目は昭和47年、2・3枚目は昭和46年に訪問したときのものです。大夕張はC56タイプのテンダーを付けた9600を撮りたくて訪問しました。大夕張鉄道の動画は下記で。https://www.youtube.com/watch?v=c9KxyqnwkHU
せっかく夕張まで来たので、旧南大夕張駅まで足を伸ばしてみました。美しい茶色の旧型客車が保存展示されています。私の記憶に間違いかなければ、昭和57年に南大夕張駅まで乗りに来ています。O塚君が喜びそうな旧式バス驚いたことに客室に入れます。懐かしい!と感じてしまう私はお年寄りの仲間入り子供の頃、旧型客車の一部はまだ木の背もたれでした。母にねだってわざわざ古い客車に移動したことを思い出します。昭和57年当時の写真がどこかにあるはずですが、3軸ボギーに驚いたことを覚えています。私が乗りに
ダンナ様が見たかった夕張。まずは、三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡。廃線後、駅舎は解体されましたが、国内最古の石炭貨車やラッセル車などの6両が、保存されています。次は、シューパロ湖と夕張シューパロダム。夕張シューパロダム竣工と同時に、農業用ダムだった大夕張ダムは水没しているそうで、ダムにダムが埋まってるということか。。。館内の画像はありませんが、夕張市石炭博物館も見学してきました夕張市の炭鉱の歴史を学ぶことが出来ます。財政破綻、超高齢化、人口減少の街、なんとか活性化してほし
かつての通学路。三菱大夕張鉄道の下をくぐって高校へ。ここを通ってタイムトリップできたらたくさんの人が来るに違いない。
上芦別の9200がまもなく全滅すると聞いたのは1963年の秋だった・・・の書き出しで始まるKEMURIPRO.のボ-ルドウインは生きていた「上芦別ものがたり」は、北のOLDAmericanが活躍していた炭鉱鉄道大好き人間にはバイブル的存在ですね(1969年刊S.L.No2)そしてその上芦別の9200がHOj1/8712mmでモデルワ-ゲンから製品化されたのが、なんと今から29年前の1992年5月のことでした・・・・そしてなんと趣味友から制作を依頼されて以来20数年熟成してしま
2020年7月29日(水)第4回炭鉄港カードの旅【栗山町~夕張市】の続き※今回炭鉄港カードの旅で通しているが、カードの入手はなし。夕張市石炭博物館の見学を終え、次の場所へ【旧夕張駅】石勝線夕張支線の終着駅2019年3月31日をもって廃止した。元々駅と同居していたcafe&sweet和が継続して営業中である。そろそろ昼食の時間前回は夕張駅の横にあるゆうばり屋台村(バリー屋台)でくろラーメンを頂いたので、今回は、夕張のご当地グルメ「カレーそば」を頂くことにした。老舗そば処
清水沢駅を去る前に、稀少価値の高い鉄道遺産に寄り道です。それは清水沢駅に接続していた三菱大夕張鉄道(1911年~1987年)の「旭沢橋梁」。これは珍しい・・三角形を繋いだトラス構造が橋桁の下部に設置されている。千年町(ちとせまち)駅~明日町(あかしちょう)駅間にあるトラスド・ガーダー橋で、ダム湖のシューパロ湖畔にあるため、渇水期のみ姿を現す、半ば幻の鉄道遺産!普段ここに立ち入ることはできないが、今年(2020年)9月「ダムに沈んだまちを散策するイベント」が初めて開催され、間近での遺産巡りが
シューパロ湖の湖底散歩の続きです。飽きてきたかと思いますが、個人的に好きな題材ですので、あと数回引っ張ります。前回に紹介した「旭沢橋梁」と並んでいる車道の橋(旭橋)のプレートです。三菱大夕張鉄道の跡地です。錆だらけの看板が何気なく転がっていました。「明石駅」跡…プラットフォームかも。鹿島地区の入り口の町です。地下歩道がありました。駅の裏側に「夕張東高等学校」があり、学生たちはこの地下歩道を歩いて通学していたようです。まだまだ続きますよ。
シューパロ湖の湖底散歩2です。三菱大夕張鉄道の「旭沢橋梁」です。歩いて渡れそうです。ちよっとだけ、心の底から冒険心が湧き出てきました。続く。
三菱大夕張鉄道・南大夕張駅構内に大夕張ダム本体えん堤工事資材取卸しの目的をもって昭和33年11月、803米の開発岐線を設置。昭和37年5月ダム工事完了に伴い撤去する迄4ヶ年に亘り使用した。この間ダム本体工事資材のセメント4万3千屯、鋼材800屯をはじめとし、移設工事資材等輸送のため、昭和34年・35年の2ヶ年に亘り美唄鉄道より5号蒸気機関車を15号として借受・使用した。海砂をセキで運んでいたようです。「大夕張国営かんがい排水事業記念誌」より
じゃじゃ~ん!映画「スターウォーズ」のダースべーダーを彷彿させる、この風貌!一度見たら、忘れません。※写真1:かつて夕張で活躍した強者。詳しくは後ほど・・午後0時11分、列車は清水沢駅に到着。まずは清水沢駅の「ありがとう夕張支線記念切符」をご紹介します。JR北海道さん発行の「わがまちご当地入場券」風ですね。JR北海道・夕張市・ありがとう夕張支線実行委員会さんが作成・発行したと思いますが、夕張市内で夕張支線に関する記念グッズを購入した時、幸運にもお店からいただきました。ラッキ~
南大夕張駅跡の汽車は多くの人の「思い出」と共にルピナスに包まれています。新型コロナの流行は終息していませんが、三菱大夕張鉄道の保存車両は通常公開しています。・ホームはルピナス等の野花に彩られています・客車内のノートには思い出や感想が綴られています・懐かしい客車内・・南大夕張駅跡の保存車両
不鮮明ですが三菱大夕張鉄道の遠幌駅前にあった「遠幌」の三菱バスの停留所標識。上に書かれているのは「急行夕張行」「特急札幌行」の文字でしょうか。1962(昭和37)年10月の南部=南大夕張・明石町間道路開通時にバスの運行回数、停留所の設置場所について当時清水沢・南部間にバスを運行していた夕張バス=後の夕鉄バス(夕張鉄道)と三菱側の調整は難航したといいます。結果三菱バスは大夕張から南部以遠は急行・特急バスの運行だけになりました。1965(昭和40)年頃の写真ですが、停留所の表記はその名残りで
写真は全て2000年頃の撮影です。旧南大夕張駅付近の木造貨車・ワ1形。最近は結構朽ちて来ています。・旧南大夕張駅跡近くに残る木造貨車2000年頃撮影・ワ1車輛竣功図表シューパロ湖沿いの道路が開通する前まで「陸の孤島」と呼ばれた大夕張(夕張市鹿島)。三菱鉱業大夕張鉄道には4両の木造貨車が在籍し、物資の搬入にはこれらの木造貨車がワフ等と共に活躍しました。何時までも残って欲しい大夕張の遺産のひとつです。
南大夕張駅は夕張市南部大宮町にあった駅。1911(明治44)年に大夕張炭坑が開発され、大夕張炭鉱専用鉄道が敷設された二股地区。その後、二股駅は大夕張駅と改称され、更に昭和初期には炭鉱の北部移転により南大夕張駅となった(字名は南部)。それまでの専用鉄道は1939(昭和14)年地方鉄道(三菱鉱業株式会社線)に改組され、南大夕張駅に隣接する土場から延びる下夕張森林鉄道も開通、戦後は遠幌寄りに北夕、北菱鹿島炭鉱も開坑されたが、南部地区は林業集落としての色彩が強かった。・1950年頃の南大夕張駅舎
小学校3・4年生の社会科授業には郷土学習があった。夕張市では1959(昭和34)年3月に夕張市教育研究所より社会科福読本「わたしたちの夕張」が発行され、その後「ゆうばり」と名前を変え幾多の改訂を経ている。・社会科副読本「わたしたちの夕張」昭和39年増補版・社会科副読本「ゆうばり」昭和48年全面改訂版・社会科副読本「ゆうばり」昭和61年全面改訂版・夕張市社会科副読本昭和39年増補版の地図には夕張線、夕張鉄道、三菱大夕張鉄道、北炭真谷地専用鉄道の鉄道路線に(1)丁未小学校(2)市役所
高倉健さんと夕張といえば「幸福の黄色いハンカチ」(松竹・1977年)ですが、1975(昭和50)年4月公開の「大脱獄」(東映監督・石井輝男主演・高倉健、菅原文太、木の実ナナ)にも出演しています。・北炭真谷地専用線でのシーン・北炭真谷地専用線での列車走行シーン・ポスターには24号がストーリは二人の脱獄囚の友情と脱走。SL列車の走行シーンは1975(昭和50)年2月9日に国鉄客車を借入れ北炭真谷地専用鉄道で行われたが、清水沢駅でも列車の乗換えシーンが撮影され、夕張線の気動車と共に三菱
1978(昭和53)年公開の松竹映画「皇帝のいない8月」(監督・山本薩夫主演・山本圭、渡瀬恒彦、吉永小百合)の撮影が同年8月に三菱大夕張鉄道南大夕張駅構内で行われています。・南大夕張駅構内に登場したブルートレイン1978年8月・南大夕張駅構内に登場したブルートレイン1978年8月・・爆破シーンは別のセットで寝台特急「さくら」の爆破シーンで、当然国鉄の協力は得られず、三菱大夕張鉄道の明治生まれの客車に14系寝台に見立てた張りぼてを付けて撮影しました。写真を見るとクーラーの部分等に
「デレッキ」、「ジュウノ(十能)」、「ロストル」。若い人たちには理解不能な石炭ストーブには欠かせない用語。現在でも火力発電所や製鉄等の工業用原料として大量に輸入され、消費される「石炭」だが、今の日常生活ではほぼ目にすることは無くなった。・昔の教室を再現した展示栗山町開拓記念館しかし、懐かしき昭和の時代には冬季の暖房には鋳鉄製の大型のストーブが駅待合室や公共施設、学校の教室等に鎮座、小型のストーブは家庭で活躍し、列車暖房でも使用され1987(昭和62)年廃止の三菱大夕張鉄道が北海道最後の「ス
三菱鉱業株式会社線(大夕張鉄道)唯一の自社発注客車のナハ1(後のナハフ1)。・南大夕張駅構内のナハフ11980年頃・三菱大夕張鉄道ナハフ1形式図明治時代に大夕張炭鉱の専用鉄道として開業した三菱大夕張鉄道だが、昭和10年代に入ると夕張岳山麓の森林資源開発を目的とした森林鉄道も開業し、1939(昭和14)年4月20日に「三菱鉱業株式会社線」として地方鉄道に改組、営業を開始した。地方鉄道化に際し、1937(昭和12)年9月日本車輌東京支店製の半鋼製2軸ボギー客車・ナハ1が新製された。それ
シューパロ湖は夕張市東部にある人造湖。シューパロ川とパンケモユーパロ川合流点に、1962(昭和37)年に竣工した大夕張ダムによって形成された(現在の国土地理院地図にシューパロ川の名称は無い)。1960(昭和35)年12月に大夕張ダムの湛水が開始され、1961(昭和36)年12月にはダム呼称選考委員会により湖名を「シューパロ湖」と決定された。・シューパロ湖(道立自然公園)夕張市観光絵はがき1963年頃1962(昭和37)年2月には「富良野・芦別道立自然公園」として指定された。シューパロ湖
三菱石炭鉱業大夕張鉄道DL55形ディーゼル機関車。1973(昭和48)年に三菱重工業三原製作所で製作された55tクラスの液体式ディーゼル機関車で、No.1-No.3(現車には「DL-55NO.1」のように標記された)が在籍した。動力性能は国鉄DD13形の111号機以降と同じであるが、台車がDD13形のものとは異なり、中央部に砂箱を装備しアングルで構成された三菱重工オリジナルのものである。1976(昭和51)年1月無線装置が設置された。・DL55№1南大夕張駅1980年頃このディー
大夕張は夕張市東部、シューパロ川の沿いの河岸段丘に、1929(昭和4)年の三菱鉱業による大夕張炭鉱開発により建設された炭鉱街。最盛期の1955(昭和30)年には2万人近くの人口を数えた。・大夕張駅上空9200形SLを先頭にワフ、客車4両、そして長い石炭車が続く1958年・同上拡大幼稚園、鹿島小学校、鹿島東小学校(奥鹿島分校)、鹿島中学校、夕張東高校や図書館分館等の教育機関、警察、消防、郵便局、大夕張営林署などの行政機関、拓銀支店・信金・労金の金融機関、一般商店、三菱購買会、大夕張生協、
4月12日より南大夕張駅跡の保存車両の公開を開始しました。新型コロナでストレスも溜まりますが、人混みを避け夕張岳麓・シューパロ湖周辺の自然と美味しい空気を堪能下さい。・南大夕張駅跡2020年4月12日
C11形蒸気機関車は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が1932(昭和7)年に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。1944年(昭和19)年7月に、C1101(日本車輛製造・製造番号1331)が雄別尺別専用鉄道に入線、直後の1944年11月三菱鉱業大夕張鉄道に譲渡され、1972(昭和47)年に廃車となるまで、混合列車のけん引や入れ換えに活躍した。愛知県・長島温泉SLランドに保存後解体された。国鉄夕張線でも一時期登川支線で運用された時期があった。・三菱鉱業大夕張鉄道C1101大夕張炭山
9600形蒸気機関車は、日本国有鉄道の前身である鉄道院が1913(大正2)年から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車けん引用のテンダー式蒸気機関車である。軸配置は2-8-0(1D)、「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。・石炭専用列車の活躍状況夕張駅北海道炭礦汽船絵はがき1935年頃夕張線では昭和40年代前半には登川支線への入線などD50、D51形と共に活躍した。D51
三菱大夕張鉄道の列車で大夕張に向かうと、遠幌・南大夕張間の駅でも無いところで、線路が突然分岐して石炭積込のポケット(ホッパー)が建っていた。戦後、傾斜生産方式により「製鉄」「石炭」に政府資金が投じられたが、大夕張鉄道沿線でも中小炭鉱の開発が始まった。「北夕炭鉱」は札幌鉱山株式会社が北夕鉱業所を開坑、1949(昭和24)年9月より大夕張鉄道線清水沢起点5.4km地点に専用岐線とポケットを新設、石炭の積出開始した。1952(昭和27)年3月夕張炭砿株式会社北夕鉱業所と社名変更して、最盛期には年間
•9200形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道作業局が、1905(明治38)年にアメリカ合衆国のボールドウィン社から50両を輸入した、テンダ式蒸気機関車である。軸配置は2-8-0(1D)であった。全50両のうち、30両を満州で、20両を内地で使用することとしたが、1916(大正5年)年3月の9206,9207,9242-9244の転属を最後に、全車が北海道に移った。•上の写真は1918(大正7)年、夕張駅でオテセを従えた石炭列車の様子。9200形は戦前に4両、戦後に1両の計5