ブログ記事196件
こんにちは昨日まで晴れて、めちゃ暑かったのに、今朝は雨がポツポツ、湿度高くて蒸し暑いです17日から1泊2日で、東京方面にひとり旅に行ってきました~方向音痴で心配だけど、Yahoo乗換と、Googleマップあれば大丈夫かなり強行で回ったので、写真いっぱい撮ったので、長くなりますが見ていただけると嬉しいです朝6時前に出発、順調に川越駅に到着川越駅からバスに乗って、川越氷川神社に向かいます川越氷川神社可愛い~一年安鯛おみくじ大吉以外が出ても、お持ち帰り下さいね他にもいろんなおみくじ
あんにょん😊実は今日から3連休(旦那)2泊3日でキャンプに行く気満々で取った有休だけど、あいにく明日から雨☂️←嬉しい私wwてなわけで、天気が良かった今日はデイキャンプに行ってきました(写真はないww)BBQしてお腹いっぱい家でじっと過ごすことを好まない旦那…元気でないと出来ない事なので、元気なうちは頑張って付き合わなきゃです😅ツラ💧そんなわけで、明日はどこへ行くのやら〜また旅日記のネタが増えそうです😅さて…GW後半の旅日記もいよいよ終盤です3日目は、草津から、4月に完成
立派な御朱印頂きました。近くの池に人面魚?鯉は全部人面魚にみえる〜(笑)三芳野神社でも御朱印頂きました。じゃ〜〜〜!
三芳野神社https://vt.tiktok.com/ZSY1bwXUA/https://blog.goo.ne.jp/n_h_r_c_2018/e/50cfd89936833797331de12ca6b3d032
三芳野神社の御朱印御朱印は氷川神社にて拝受🙏わらべ唄『通りゃんせ』発祥の地三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、後の城主酒井忠勝によって再建されたという⛩️この天神様は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれています😄川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が歌われていると伝えられています☝️♪♪通りゃんせ通りゃんせここはどこの細通じゃ天神さまの細道じゃちっと通して下しゃんせ御用のないもの通しゃせぬこの
『中院の桜(3月30日)』からの続きですさて、満開づくしの中院をたっぷり楽しんだところで、ここからすぐ近くの喜多院に行こうと思います卍出店が並び春まつりの準備が着々と進むも、主役のソメイヨシノはまだほとんど咲いていませんやはりここでも枝垂れ桜が頑張っていました敷地の南端、南仙波東照宮の鳥居付近に咲くこちら今度こそソメイヨシノかなと思うも、エドヒガン桜だそうです🌸そして”とうりゃんせ”の三芳野神社にやって来ました⛩せっかくなので参
今日の一言「百名城」滞っている3月の旅ですが娘と孫3人と一緒に旅行に出かけた2日目、小江戸川越の散策の続き蔵造りの町並みから川越城本丸御殿へ川越城中ノ門堀跡敵の侵入を防ぐために設けられた堀日本百名城の一つ「川越城」へ川越城は、長禄元年(1457年)に上杉持朝の命により、家臣の太田道真道灌親子が築いたといわれています本丸御殿は嘉永元年(1848年)に造営され、現在は玄関・大広間・家老詰所が残っていますその隣りにある三
2月4日の木の芽春立つ日に開催したサイバー鈴木の『小江戸川越開運ツアー』今日は、あのわらべ歌の発祥の地とされるこちらの神社さんをご紹介します⛩️『三芳野神社』ご祭神素戔嗚尊奇稲田姫命菅原道真公品陀和気命三芳野神社の創建は平安時代の大同2年(897)といわれ、古くから鎮座していました。室町時代に太田道灌がこの地に川越城を築城したため、三芳野神社は川越城内に入ってしまい“お城の天神様”と呼ばれ、一般庶民はお詣りすることが出来なくなりましたが、信仰が篤いことから時間を区切って
こんにちは先日川越に行く途中に🚙目に入った大きな看板「カンパチ歯科」看板には大きな魚の絵だけインパクトあり過ぎ〜😱魚好きの方?魚釣りの好きな方が経営されてる?・・・で気になりますよね調べたら環状八号線にある歯医者さん環状八号線は略して環八…カンパチと呼ばれているので環状八号線にある歯医者さんだったのでした絶対忘れない名前ですこの間のブログの続きですが駐車場から、川越の小江戸に歩いて向かう途中にあった「川越城本丸御殿」折角なので寄ってみました…
季節外れのぽかぽか陽気に誘われて、小江戸川越を訪ねます。川越大師として有名な「喜多院」です。(左多宝塔、右上本堂「慈恵堂」右下客殿の枯山水)喜多院は、天台宗の寺院で天長7年(830)に創建されましたが、川越大火(寛永15年1638)でほぼ全焼してしまい、三代将軍家光の命により、江戸城の一部を解体、移築して客殿•書院が再建されました。その後、江戸城は火災•震災で消失したため、これらは現存する唯一の江戸城の遺構ということになりました。客殿には「家光誕生の
“木の芽春立つ日”開催サイバー鈴木&ゆだぽんと行く🌸小江戸川越開運ツアー2024🌸今までで最多の12名様にご参加いただき、大盛況にて楽しく賑やかに終了いたしました❗️、川越駅で皆様と待ち合わせ♪バスに乗車🚌川越城跡へ到着♪☆川越城本丸御殿説明をする鈴木さん♡☆三芳野天神社☆浮島稲荷神社☆昼食☆仙波東照宮☆喜多院☆熊野神社☆川越八幡神社記念撮影ご参加いただきました皆様❗️おかげさまでとても賑やかで楽しいツアーとなりました♪ありがとうございました💖ツアーの様子
順光で三芳野神社本殿前にて場を移して氷川神社に向かいました。願いをかけたお札がたくさんキツネ君たちと本殿前は初詣客で大賑わい裏に回って
桜ゆりかさん川越本丸御殿前にてそして三芳野神社初詣の雰囲気の中で見事大吉でしたいいことがありそうです。
未来さん晴れ着姿の続きです。和装なので後ろからも撮らしてもらいました。すぐ隣の三芳野神社に場を移し、参道での光景を
本日はイベントのご案内をさせていただきます⭐️2月4日(日)立春サイバー鈴木&ゆだぽんと行く小江戸川越開運ツアー2024集合場所:JR川越駅改札口集合時間:10時会費:3000円(ゆだぽんプチ鑑定付き)※交通費・昼食代は各自でお願いしますコース(予定)川越八幡宮→仙波東照宮→喜多院→三芳野神社→川越城本丸御殿→川越市立博物館ゆだぽん主催イベント『神人和楽』ファミリーのお一人、また「邪馬台国の会」の理事でもいらっしゃる、サイバー鈴木先生の川越開運ツアーを今年も開催い
テクテク♪散歩道も・・・住宅街をクネクネ♪標識通りにとうりゃんせの唄発祥の地?三芳野神社へ行ってきました~♪そうらしい♪大楠に関するご説明神社からのお向かいには川越城本丸御殿立派や~♪誰もおらん休憩所で・・・チョメチョメ退散し駅を目指します☆途中に川越大師喜多院へ店じまいの準備をしてました♪さて♪笑顔で
富士見櫓跡から、再び住宅街を歩くこの辺りは、既に旧川越城は城内、天神曲輪になります公園に参道らしきものが先に朱色の社殿だろうか脇の看板に、三芳野神社とある石畳の歩を進めると石鳥居がそして、手水舎の木立に佇む、境内社の蛭子神社と稲荷神社対する広場に、境内社の大国主神社三芳野神社は、川越市郭町にある神社川越城築城以前の大同年間に大宮氷川神社を勧請して創建その後北野天神社を勧請したとも伝えられ・・・太田道真・道灌父子が河越城築城の際に、当社
初めての川越ですまずは路線バスで氷川神社さんへ太田道灌父子によって築城された川越城跡の近くにあります主祭神は素盞鳴尊様縁結びの神様として信仰されてきたそうです一年あんたい安鯛みくじ釣り竿で釣るのかな夏風鈴で有名ですが、今は絵馬がかけられていますね~境内に柿本人麻呂神社直系の子孫が戦国時代に川越に移り住んだご縁だそうです氷川神社から徒歩すぐ川越城跡の目の前に三芳野神社さん童謡とうりゃんせの天神様です川越城内の神社だった為参拝には許可が必要で帰りに厳しく調べられた為「行き
『三芳野神社』平安時代初期の創建で、川越城の鎮守で天神様が祀られている学問の神様。こちらの参道は童謡「とおりゃんせ」の発祥の地。神社は川越城内にあったため一般の人の参拝はなかなか難しくその様子が歌われていると伝えられている。♪♪~とおりゃんせとおりゃんせここはどこのほそみちじゃてんじんさまのほそみちじゃ~♪♪御朱印いただきました~(書置き)川越城本丸御殿そこそこ歩いて~暑かった(;'∀')しばし休憩。冷えてる芋羊羹&芋大福
ヤフーニュースでとうりゃんせ発祥の地についての記事を見た。川越の三芳野神社と小田原の菅原神社、山角天神社は天神様を祭祀している神社で、それぞれ境内にとうりゃんせ発祥の地の石碑があるという。三芳野神社は807年の創建で、川越城内にあったことで、警備上特に帰りは厳しく調べられたという。菅原神社と山角天神社は、関所の厳しさを表現しているという。三芳野神社には行ったことがあるので、その時の写真を。この神社の参道が、わらべ歌「とうりゃんせ」の舞台と言われている。この社は、川越城築城によ
つぎは、川越城跡の隣にあるわらべ唄発祥の地らしい神社三芳野神社とおりゃんせとおりゃんせここは何処の細道じゃ天神様の細道じゃ♪行きは良い良い帰りは怖い。。。怖いながらもとおりゃんせとおりゃんせ帰りは怖いって高級寿司屋さんを想像しちゃったよ安心してください神社です。って事で御朱印です!お昼に食べたオムカレー焼きそば想像通りのお味でした。つづく。。。
通りゃんせ通りゃんせここはどこの細通じゃ天神さまの細道じゃちっと通して下しゃんせ御用のないもの通しゃせぬこの子の七つのお祝いにお札を納めにまいります行きはよいよい帰りはこわいこわいながらも通りゃんせ通りゃんせ皆さんの中で通りゃんせを知らない人はいないでしょうし、皆さん何気なく口ずさむこともできるでしょうが、改めて歌詞を見ると、童謡にしては謎めいた歌詞だなと思ってるのは、きっと僕だけではないでしょうこの唄の由来には諸説あるようですが、実は最近書き続けている川越
※2023年5月21日訪問※《埼玉県指定文化財》に指定されている三芳野神社の【本殿・弊殿・拝殿】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造り、屋根は柿葺形銅板葺。この社殿は寛永元年(1624)酒井忠勝(後の川越城主)が幕府の命を受けて造営した。明暦2年(1656)修造を加えさらに弘化年間に瓦葺となり、大正11年銅板葺に改めた。本殿、拝殿ともに入母屋造りで、社殿各部の均整は申し分なく、妻飾り、斗きょう間の蟇股、太い木割等に壮麗な桃山時代の気風が反映されて
※2023年5月21日訪問※埼玉県川越市の【三芳野神社】さんを訪れました川越城の本丸御殿からすぐ見える【お城の天神さま県指定文化財三芳野神社とうりゃんせの唄発祥の地】という大きな看板この看板から進むと、公園のようになっている場所に多くの石碑が並んでいました✨【わらべ唄発祥の地】この石碑は、童謡の『とうりゃんせ』が、この三芳野神社に参拝する様子を唄った物だとされる事から建てられたそうですここで、童謡『とうりゃんせ』の歌詞を確認しておきましょう✨通りゃんせ通りゃんせここはど
※2023年5月21日訪問※本丸御殿を見学し、本丸の東側の【天神曲輪跡】へと向かいます✨藩政時代から鎮座する三芳野神社、そして、小さな公園として現在は利用されているようです✨本丸との間は【土塁】で仕切られていたようですが、この土塁の一部を現在でも見る事が出来ますね✨生い茂る木々に埋もれてしまっていますが、結構な高さの有る土塁です◆武蔵国・川越城(初雁城)天神門跡/埼玉県指定史跡◆に続く
三芳野神社(天神様)は約1200年前の平安時代初めに創建された神社。童謡「とおりゃんせ」の発祥の神社だと聴いていて1度お参りしたいと思っていた。が今回行くことが叶った。まだ、お城があったころは庶民が三芳野神社は城内にある神社で一般庶民は普段は訪れることができなかった。庶民が城内に入り、参拝できたのは年の一度の大祭の時か、七五三お祝いの時だけ。当時、神社までの道は薄暗く警備も厳しく大勢の警備員がいたそうです。その中を道を間違えないように帰ってくるのが大変だったようで
通りゃんせ通りゃんせここはどこの細道じゃ天神さまの細道じゃちっと通して下しゃんせ御用のないもの通しゃせぬこの子の七つのお祝いにお札を納めにまいります行きはよいよい帰りはこわいこわいながらも通りゃんせ通りゃんせ天神様の細道を行く。とおりゃんせ~の童謡は、確かに、子供の頃、歌っていたが、「意味」を、まったく、考えずに歌っていた、、、(*'▽')川越城址の一番の外辺に、「三芳野神社」が建っておりました。神社への通路案内に、「とおりゃんせの唄発祥の地」と言う事
わらべ歌~とおりゃんせ~発祥の地三芳野神社
2022.5.4鳥居①三芳野神社は川越城のすぐ隣にあります。②社殿1624年(寛永元年)に酒井忠勝により再建=三芳野神社=創建807年(大同2年)祭神素戔嗚尊奇稲田姫命社格県社三芳野神社は、807年(大同2年)の創建で、太田道真・道灌父子により川越城の鎮守とされました。現存する社殿は、1624年(寛永元年)に徳川家光の命で、川越藩主酒井忠勝が造営したもので、1623年(寛永2年)には天海大僧正を導師として遷宮式が行われ、これ以降、喜多院・仙波東照宮と共に江戸幕府直営社