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本日、おおぶ文化交流の杜allobuにて、デジタル紙芝居『三山道中記』上映会と講座を開催、無事終了しました。会場のセッティングは、早くいらした参加者の方が手伝ってくださいました。有り難いです🙏これまでの展示会で使用したパネルも一部展示しました。開始時間までの時間潰し用です。直前に予約がバタバタっと入り、当日参加の方も含めて16名の方にご参加いただきました。大半は知り合いですが、それでもわざわざ時間を割いて来ていただき、本当に有り難いです。まず紙芝居上映です。少し音声が小さかったよ
愛知県大府市にかつてあった大苻村。そこの農民13人が文政6年(1823)に、白山・立山・富士山を巡る三禅定の旅に出ました。その時の記録が『三山道中記』として残されており、令和8年3月25日に、市指定有形文化財となりました。この道中記は大苻村の農民・平七さんによって書かれたのですが、その御子孫は仲間の12人の子孫探しをしていらっしゃっいました。そして、ようやく全員の身元が判明したらしく、今朝(令和8年7月29日)の中日新聞知多版に掲載されていました。200年前のことで、既に移
令和8年3月25日に、大府市歴史民俗資料館蔵『三山道中記』が市指定文化財へ。合わせて、その時に建てられた巡拝塔も指定文化財となったが、かなり劣化が進んでいたので文字確認のために本日、採拓を行った。来週25・26日は大倉公園・桃山公園でつつじまつりが行われるが、すでに満開。来週にはしぼんでいないか心配だが、本日は美しい景色を堪能できた。7年ほど前には、巡拝塔周りは割とスッキリしていたが…。今は周りの樹木が鬱蒼としていて、枝を避けながらの作業。今日は、うっすらと「立
令和8年3月25日、新たに平七著『三山道中記』が大府市指定文化財となった。『三山道中記』とは、文政6年(1823)に、大苻村の13人の農民が、白山・立山・富士山を巡拝した時の参詣記録。◯◯家文書の中の一つというわけではなく、農民による単体の参詣記録が指定文化財になるというのは、珍しいのではないだろうか。この三霊山を巡拝する山岳信仰は「三禅定」と呼ばれ,江戸後期から昭和初期にかけて尾張・三河・美濃で盛んだったもの。三霊山の他にも,日光・江戸・鎌倉などを51日間かけて巡っており、現存する三禅
立山博物館には「まんだら遊苑」という屋外施設がある。12月から3月末までは休苑となるので、この時期に書くのもどうかと思うが…ここは立山曼荼羅の世界を芸術作品・効果音・証明・香りなど五感(見・聴・香・触・空)で表現した施設。文政6年(1823)に白山・立山・富士山を巡拝する三禅定の旅に出た大符村の一行は、険しい禅定道を歩いて登拝したわけだが、ちょっとそこまでマネ出来ないため、こちらの施設で立山禅定体験をしたいと思う。3年前に行った時の画像になるが、ザッと紹介を…。立山博物館から閻
文政6年(1823)に三禅定(さんぜんじょう)の旅に出た大符(おおぶ)村の13人が宿泊した相真坊の隣には、立山中宮雄山(おやま)神社がある。明治以前の日本は、神仏習合といって神と仏が一緒に祀られているのが一般的だった。立山の芦峅寺も、立山権現社と立山中宮寺で一つであった。芦峅寺集落にある現在の雄山神社は、かつての立山権現社になる。正面鳥居の両脇には樹齢約500年の杉木立。大符村の平七らが訪れた時にも見守ってくれていたはず。現在の祈願殿は、明治維新までは根本中宮の講
立山登拝の入口・岩峅寺(いわくらじ)集落から立山の麓にある芦峅寺(あしくらじ)集落までは約2里(約8km)。しかし、文政6年(1823)大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』では、岩峅寺から芦峅寺まで1里となっている。一体、どこからの距離のことを言っているのだろうか…。富山地方鉄道で岩峅寺から芦峅寺へ向かう途中の横江駅付近には、個性的すぎる事で有名な立山サンダーバードという家族経営のコンビニがある。覗いてみたかったが、そんな時間は無いので千垣(ちがき)駅で下車。参拝に鉄道が利
立山には里にある岩峅寺(いわくらじ)と山裾にある芦峅寺(あしくらじ)と2つの集落がある。立山禅定道のルートは一つしかないため、まず岩峅寺へ寄らなければならない。文政6年(1823)大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』でも、富山から常願寺川を渡って岩峅寺へ向かっている。文中には「此間ニ四十八せ川有橋無」という記述がある。この「四十八せ川」は川の名前ではなく、常願寺川のこと。常願寺川は流れが速く、地形が変わりやすい川だったようで、橋もなく渡るのが大変だったことから「四十八瀬」と表現している
大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』では、永平寺へ寄り道した後、丸岡(福井県坂井市)から金沢までは北国街道、金沢から加賀街道(越中道)を通って富山へ行っている。富山の部分には、以下のような記述がある。「川有船橋〆七拾五そふあり/せにいらず」これは、富山城下にあった神通川の船渡のことと思われる。浮世絵にも描かれているが、神通川では船を並べて板を渡した橋があった。その長さは430mほどあったらしい。寛文元年(1661)の時に64艘だったと記録にあるそうなので、『三山道
今年2025年は、福井県勝山市の国史跡白山平泉寺にて33年に一度の御開帳が5月23日(金)~25日(日)の3日間行われた。大符村の農民13人の三禅定参詣記録『三山道中記』の白山禅定では、美濃馬場から山頂を目指し、越前禅定道で下山している。せっかくだから、行ってみるか!と初日の23日に勝山へ。普段は勝山駅から白山平泉寺へのバスの本数は少ないのだが、御開帳期間は臨時バスが往復しているので、いいかな~と思ったのだが、全く浅はかな考えだった。駐車場から歴史探遊館まほろばの方へ向かっ
文政6年(1823)に書かれた大符村の13人の農民による三禅定の参詣記録『三山道中記』では、美濃禅定道の拠点・白山中宮長滝寺(現在の長滝白山神社)で宝物を見た後に阿弥陀ヶ滝に向かっている。私が阿弥陀ヶ滝を訪れたのは2021年7月18日で、まだコロナ禍の最中だったため、「2m離れて!」の立札があった。石畳の道を歩いていく。これじゃない。阿弥陀ヶ滝は、白山信仰の霊場として修験者たちが滝行など行っていたようだ。見えてきた~。現在の阿弥陀ヶ滝は、日
江戸時代の知多半島では大流行していたけれど、今では知っている人がほとんどいない山岳信仰「三禅定(さんぜんじょう)」のパネル展が、大府市歴史民俗資料館にて開催されます。9月6日(土)中日新聞朝刊の知多版でも、『大府の三禅定』パネル展と、あいばまさやす氏の新作紙芝居の紹介が掲載されていました。新作紙芝居は、大符村の13人の農民が、白山・立山・富士山を巡拝する「三禅定」に加えて、日光・江戸・鎌倉などを旅した51日間を描いた超大作歴史紙芝居です。登場人物の数がハンパないです。
尾張・三河から行く三禅定では、白山から巡るか、それとも富士山から巡るかで、もめ事なども起きていたようだが、大符村の『三山道中記』では、白山から巡る右廻り。白山への道は、岐阜県側からの美濃馬場(ばんば)と、福井県側からの越前馬場と、石川県側から行く加賀馬場と3つある。尾張・三河からの場合は、美濃禅定道を利用することがほとんどだと思う。江戸時代の美濃馬場には白山中宮長瀧寺があった。神仏習合で神社と寺は一緒になっていたので、同じ敷地にどちらもある状態。今でも同じ敷地に神社も寺
三禅定で巡拝する三霊山のひとつ・白山について学ぶために美濃禅定道の拠点へ。ということで。だいぶ前になるが、2021年7月18日に「白山信仰の仏たち」の展示があったので白山文化博物館へ行ってきた。近くの長滝白山神社に、中尊寺ハスが咲いているという事だったので、つぼんでしまう前に見に行った。チラっとしか咲いていなかったけど、これは800年の眠りから覚めた古代ハス。奥州藤原氏の遺体に収められていた供養の品々の中にあったハスの種から育てたものらしい。博物館に行く前に、ごはんを
大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』(文政6年)の2日目、勝山(岐阜県・坂祝町)の次に「関」へ向かっている。勝山は中山道沿いにあるが、関は中山道からは外れる。郡上街道で郡上へ向かうために、関へ向かったと思われる。平七らはもちろん徒歩だが、私は長良川鉄道で向かう。長良川鉄道のドアは自動で開閉するわけではなく、ボタンを押さないと開かない。無人駅も多いので、慣れていないとなかなか戸惑う。しかし、色々な外観(内装もそれに合わせて違う)の列車があるので、次は何が来るかな~という楽しみがある。
岐阜県加茂郡坂祝(さかほぎ)町の岩屋観音堂を参拝した後は、岩屋観音がある勝山(城山/じょうやまともいう)の山頂にある猿啄(さるばみ)城展望台まで行ってみることに。猿啄城は応永14年(1407)頃に築かれた山城。永禄8年(1565)に織田信長の美濃攻略の際に家臣である河尻秀隆が城を攻略し、城名を「勝山城」と改めている。その後、天正2年(1575)に秀隆が岩村城へ移ったため、勝山城は廃城となってしまった。大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』が書かれた文政6年(1823)時点では、廃城とな
大符村の三禅定参詣記録『三山道中記』では、名古屋から犬山へ行き、2日目は木曽川の向こうにある勝山(岐阜県加茂郡坂祝町・さかほぎちょう)に宿泊している。勝山に関しては宿泊先が「坂井屋」だった事しかわからないが、勝山には岩屋観音堂がある。という事で、行ってみた。岩屋坂を上っていると視界の開けた場所があり、正面に木曽川が見えた。その先へ行くと、右手にお地蔵様。左手には坂祝駅開設記念碑や岩屋坂碑などが並び、さらに奥へ進むと手洗石が見えてきた。その先に、岩屋観音堂が
昨年2024年9月に大府市歴史民俗資料館にて、「大府の三禅定(さんぜんじょう)」パネル展を開催した。『「大府の三禅定」パネル展、無事終了~♪』9月13日~16日、大府市歴史民俗資料館にて開催した歴史パネル展「大府の三禅定」も無事終了した。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。この企画展、資…ameblo.jp細々とやっている個人的なパネル展のため、入場者は少ない。だが、しつこく今年も開催する。大府の三禅定『三山道中記』現在ではすっかり廃れてしまっている山岳信仰
今回は、知多半島の三禅定において重要な地・常滑市小鈴谷(こすがや)について。常滑は知多半島の南部に位置し、常滑焼やセントレアで有名なところであるが、その中心部から10kmほど南にある小鈴谷には、何人もの偉人や実業家を輩出した鈴渓(れいけい)義塾があった。その鈴渓義塾を創設したのは、盛田家11代目の盛田久左衛門。世界のSONY創業者・盛田昭夫氏のご先祖様である。海沿いの小鈴谷村は農業には適さない地であったが、そこで代々庄屋を務めていたのが、酒造業を営んでいた盛田家であった。後に清
富山駅に降り立って、まず目に付くのは路面電車です。富山駅内を何気なく歩いていたら、駅の中を路面電車が通過していく光景は新鮮に感じました。そして富山と言えば、薬売り。昔は、こんな感じで全国を訪問していたんでしょうね~。今回の富山旅行の目的は、立山博物館の特別企画展「立山・白山・富士山を巡る立山衆徒と三禅定」と、それに関する講演会を聞くためです。まずは立山博物館へ。公共機関で行くとちょっと大変なのですが、今回は車で送っていただけたのでラクラクでした。企画展はこちら
大府市内に三禅定に関する4基の石造物があることは、論文等に書かれていたので知っていたが、新たな石造物がないかと大府市内の寺社や小高いところを訪ねては、それらしき物を探していた。SNSでも白山・立山・富士山に関するものがないか呼びかけてみたところ、大府市吉田町にある半月七社神社に白山の石碑があるとの情報を得ることが出来た。早速確認に行ったところ、白山だけではなく三山の名が刻まれているっぽい…?これは新発見となるか?!しかし風化していて、正確な文字の判別が難しい。そんな時の確認手段
大府駅から徒歩で行ける大倉公園には、国の有形文化財である休憩棟と茅葺門がある。大正時代の建造物で、日本陶器株式会社(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)の初代社長・大倉和親氏の別荘地だったところだ。その大倉公園に隣接して、行者山がある。行者山登り口と刻まれた石柱があり、その奥にはゆるやかな坂道が続いている。名前の通り、役行者さまが祀られている。坂道を登り切った所には、石灯籠と行者堂がある。ここは大府市内で唯一の天台宗寺院・延命寺の飛び地境内である。元々の行者堂は江
9月13日~16日、大府市歴史民俗資料館にて開催した歴史パネル展「大府の三禅定」も無事終了した。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。この企画展、資料館の2階企画展示室2で行ったのだが、迷子になる人が続出。入口正面にドーンと案内板を立ててもらったのだが、実はこの階段から行くと、なかなか辿り着かないのである…。原因は、このトイレの案内板。これを見て、「あ、こっちはトイレか」と色々探し出すとわからなくなるのだ。このトイレに惑わされず、その奥へ行けば会場はある。
『大府の三禅定』パネル展も近いので、大府市内にある三禅定の石造物をご紹介。『パネル展「大府の三禅定~消えた山岳信仰の謎~」』富士山・立山・白山を巡拝する山岳信仰「三禅定」に関する参詣記録や供養塔のほとんどは、愛知県にあるのだが、現在はそれらが富山県〔立山博物館〕に大集合中。(石造物…ameblo.jpまずは桃山公園内の石造物。桃山公園といえば、この風車の展望台。ではまず、上から公園を見てみよう。上から見ても、どこにあるのかわからない。公園の案内図を見てみよう。三禅定の石造物があるの
富士山・立山・白山を巡拝する山岳信仰「三禅定」に関する参詣記録や供養塔のほとんどは、愛知県にあるのだが、現在はそれらが富山県〔立山博物館〕に大集合中。(石造物は無理なので、パネルで紹介だけど)江戸時代後期には知多半島で大流行していたものの、完全に忘れられてしまい、愛知県内で企画展が開かれることはない。三禅定について詳しい人も少ないし、みんなの興味ない物を展示したところで集客できないからだと思う。しかしせっかく先人が残した足跡を、最も関係の深い愛知県民が知らないというのもなんだかなぁ…
富山県の立山博物館に、大府市歴史民俗資料館所蔵の『三山道中記』が展示されています。大符村の13人の農民が52日間かけて、白山・立山・富士山を巡拝した記録です。これは企画展に展示されていますが、常設展にはパネルが展示されています❗️大府市では展示された事は1回しかないのに、立山では年中見ることが出来るって、不思議〜。
三禅定(さんぜんじょう)とは、富士山・立山・白山を開山時の約2ヶ月の間に巡拝するという、最もハードな山岳信仰である。なんせ、どの山も単独で登るのも大変な山なのに、それを3つも巡るのである。そんなハードな信仰であるにもかかわらず、江戸時代後期から昭和初期にかけて、広く民衆の間で行われていたらしい。ところが現在では全く廃れてしまっていて、知る人もほとんどいない。この三禅定、尾張・三河・美濃で盛んに行われており、その中でも知多半島に三禅定に関する資料がたくさん残されている。三禅定に関する
愛知県にある大府(おおぶ)市は、よく大阪市と間違えられる。大府市大阪府大阪市「大阪府大府市」の中に、大府市が入っているからだろうか?大阪の話題だと思って反応される方が多々いらっしゃるが、期待された方には申し訳ないが、大府市である。この写真を見て、遠野市?と勘違いされる方もいらっしゃる。大府市と遠野市は友好都市であるので、大府市の大倉公園には遠野市より寄贈されたカッパ像があるのだ。一瞬、遠野市に見えた方には申し訳ないが、大府市である。プロフィール画像にある「
江戸時代後期の知多半島で非常に盛んだった山岳信仰に「三禅定(さんぜんじょう)」というものがあります。富士山・立山・白山を約2ヶ月の間に巡拝するというもので、恐らく知多半島は、この「三禅定」が日本一盛んな地域だったのではないかと思います。しかし、現在は完全に廃れてしまっていて、その実態を知る人はほとんどいません。この消えた山岳信仰「三禅定」についてのパネル展が、9/10(日)に、おおぶ文化交流の杜allobuのギャラリー2にて行われます。知多半島は、愛知県の中でも山岳信仰が