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新老中松平定信、大奥年寄をやり込める前々回では、老中の松平定信が大奥年寄や中老の高額なおやつ代を減額せよと指示を出し、反発する大奥との間で板挟みになった勘定方役人が、毎朝切腹覚悟で出勤していたというエピソードを紹介しました。松平定信は譜代大名である白河藩の藩主ですが、出自は御三卿のひとつ田安家で、8代将軍吉宗の孫になります。譜代大名の養子にはいったために将軍の家臣という地位になりましたが、もし田安家に残っていれば11代将軍の有力候補でした。彼は「ワイロ政治」と批判された老中
体を洗う家来に指示が出せない食事の話がつづいたので、ついでに入浴の話もしておきます。食事の話でもとりあげましたが、旧広島藩主で昭和12年まで存命だった”最後の殿様”浅野長勲(あさのながこと)はこう語っています。入浴なども随分困りました。浴衣は夏でも冬でも麻の裏付きの浴衣で、冬は寒いものです。湯殿に行く時は、戸口まで小姓がついて来る。湯殿の中は、側坊主(そばぼうず)というものがおるけれども、これは身分が低いので、ものも言えず、お答えも出来ない。湯が熱かったり、冷たかった
浅野老公の話前2話で、大名は食べ物も旧例に従わなければならなかったという話を紹介しました。ところで、そもそも大名はふだんどのような食生活をおくっていたのでしょうか?じつは大名の日常生活についてはあまり分っていません。島津家の歴史博物館である尚古集成館が所蔵している島津家の古文書でも、特別な日の献立は残されていますが、ふだんの食事が書かれたものはないそうです。大名の生活については、「江戸学の祖」と呼ばれる時代考証の大家三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)が旧広島藩主の浅野長勲
←ハリー・クリフ著『物質は何からできているのかアップルパイのレシピから素粒子を考えてみた』(熊谷玲美訳柏書房)「弦理論の問題点とは?自然の基本法則を完全に理解できるのか?スファレロンとは何か?ヒッグス粒子どうやって見つかったか?(中略)などこの分野の最新の成果を盛り込みつつ、素粒子物理学というとっつきにくい内容を、身近な物質とその成分の発見の歴史をとおして、肉眼世界からミクロの世界へと、最新の研究成果をわかりやすく語っていく。」今日は有休を取った。四日続けての仕
小説入荷情報三田村鳶魚、辻邦生、団鬼六、松本清張、日影丈吉、他多数入荷京王八王子古本屋まつおか書房小説も買い取り中
『山岡鐵舟先生正傳おれの師匠』の初版は、昭和12年に春風館から発行されている。この本の著者というか、語り部は小倉鐵樹氏で、石津寛氏と牛山榮治氏の手記となっている。書籍には「小倉鐵樹爐話」となっている。小倉鐵樹氏の“いろり端での語り”を、石津寛氏が書き留めた。その石津氏の遺稿を牛山氏が整理した。しかし、伝記としてはかなり不完全なものだと思い、牛山氏はさらに加筆して出版した。これが『おれの師匠』ということらしい。『おれの師匠』の緒言によると、牛山榮治氏は「…努めて忠ならんことを期し、又幾度か鎌
1ヶ月間ワークショップも、今週から第2回が始まっていますこれが終われば、折り返しとなるんですからね〜。全4回というレッスンが、いかに短いかがよく分かります〜〜このWSが終わる頃には、もう11月へ突入です。とオロオロしているうちに、クリスマスやら大晦日やらで忙しくなって、気がつけば・・・2017年も終わって行くんですねぇ〜そろそろ、今年の締めくくり方を考えておきたいものですね。さて、本日は、ワークショ
先日のブログにて触れました「お江戸」という言葉。江戸に生きた人々が、実際の使用していた言葉なんですよねちなみに、「み吉野」とか「み熊野」と、「み」をつけて呼ぶ地名もあったんです。ちょっと「お江戸」に似た言葉ですね〜。でもこれは、美称や口調を整える為のものらしいです西に住む方独特の感性ですね〜。いかにも雅な感じ上品さが漂いますね〜。この江戸に「お」がつくようになった理由は、早くから京都のことを〈花の都〉といっていたので、その花のみやこに対して、〈花のお
《神稲小僧》真刀徳次郎(しんとうとくじろう、宝暦11年(1761年)-寛政元年(1789年)6月)は、江戸時代の盗賊。別名、神稲小僧(しんとうこぞう)。【上野国(こうずけ=群馬県辺り)出身。神道流の剣術の使い手であったそうです。数十人の手下を率い、陸奥、常陸、上総、下総、下野、武州を荒らしまわった大盗賊で、移動時は公儀の御用であるように偽装し、関所等の警戒網を潜り抜けて押込強盗や海賊行為を重ねましたが、火付盗賊改方の長谷川宣以により捕らえられ、武州大宮宿で手下と共に獄門にかけら
《曲亭馬琴=南総里見八犬伝》残念ながら田舎小僧の画も御座いませんので、曲亭馬琴の画になりましたm(._.)m【田舎小僧と稲葉小僧、語呂が似ており、名前はどちらも「新助」で、盗賊として活動していた時期が殆ど同じで、両者とも大名屋敷に盗みに入ったことなどから、2人の逸話を混同して書いた記録は多いのだそうです❗曲亭馬琴は、不忍池に飛び込んで逃れた新助を稲葉小僧と致しました!《甲子夜話》の松浦静山に依ると、天明5年に獄門になった新助が稲葉小僧だと、また杉田玄白は田舎小僧が稲葉小僧と聞き間違えら