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安土城から琵琶湖岸に沿って走り長浜城へ。この道は実にお気に入り、沖に見ゆるは「多景島」?長く天守に登っていない長浜城に寄ってこうかと。来年の大河は「豊臣秀長」とか。ま、秀吉じゃなくてよかった。三成ならもっとよかったのに。久々、青空の中に浮き立つ長浜城!かつてはこんな桜満開の頃の長浜城を撮ったことも。そして城内で三成さんのこんな復元図を見た時も。明治の時代、大徳寺三玄院の三成の墓所が発掘され、遺骸を調査、三成の姿を復元したという。残念ながら今はこの絵は館内に掲げてなかった。天
秀吉と三成が出会った寺大原観音寺へ行ってきました~2人が出会った三献茶のエピソードはあまりにも有名です。秀吉が鷹狩りの帰り道、喉が渇き立ち寄った寺の小姓に茶を所望。その小姓は最初の一杯目は大きな茶碗にぬるめのお茶をなみなみと。二杯目は少し小さめのお椀にやや熱めのお茶を。三杯目は小さなお椀に熱めのお茶を少しだけ。この機転に効きように、秀吉は小姓を大絶賛。その場で召し抱えることを決めたと言われています。その小姓こそが佐吉・後の石田三成なんです。では大原観音
【問題】石田三成と豊臣秀吉の出会いとして知られる「三杯の茶(三献茶)」の逸話の初出は、次のうちどの書か?【選択肢】『陰徳太平記』『武将感状記』『竹生島文書』『上井覚兼日記』【正解】『武将感状記』【解説】三成と秀吉の出会いとして有名な「三杯の茶(三献茶)」の逸話は、正徳6年(1716)に熊沢猪太郎(熊沢淡庵)により刊行された『武将感状記』が初出とされる。
歴史家・作家加来耕三さんの「歴史の英雄に学ぶ成功と失敗の本質」(大原観音寺・本堂)合理的発想で秀吉を魅了した「三献茶」秀吉が三成を発見した際の、「三献茶」という有名な逸話があります。秀吉が鷹狩りの途中にある寺を訪れ、茶を所望すると、小坊主=寺で勉強していた三成が出てきて、大きな茶碗(ちゃわん)にぬるい茶をたっぷり入れて持ってきます。のどが渇ききっていた秀吉はそれを一気に飲み干して、もう一服所望しました。すると次は、最初の半分くらいの大きさの茶碗に、ち
佐和山城に27年ぶりに登って、何か「偉業」を成し遂げたようなこの達成感!賞賛?のコメントもいくつかいただき、嬉しさ百倍の感じです。ありがとうございました!佐和山城登城して以来、ほぼ毎年訪ね歩いている、長浜市の石田の里、北郷里小学校、石田三成誕生地、さらに石田神社、観音寺。観音寺からのきれいな伊吹山は、懐かしいふる里の山のような…。「石田治部少輔出生地」の碑。初めて見たとき、敗北者なのにかくも大きな出生地碑が立てられていることに驚きかつ嬉しかった。作家吉川英治氏の句碑もまた
青森県八甲田山に伝わる三杯のお茶の話をご紹介。石田三成が秀吉に召し抱えられた逸話の「三杯のお茶/三献茶」は有名ですが、十和田八幡平国立公園かやの(萱野)高原には「長生きのお茶」というものがあるので、そのお話をご紹介します。まずは、石田三成の「三杯のお茶/三献茶」について説明しておきましょう。【三杯のお茶/三献茶】羽柴秀吉が鷹狩りに出かけた際に、のどが渇いたので寺に立ち寄り茶を所望した。その寺の小僧(後の三成)が茶を用意し大きめの茶碗の7分目ほどにぬるいお茶を注いで出した。
滋賀県米原市朝日天台宗伊富貴山観音寺当時、長浜城主だった豊臣秀吉公が鷹狩りの途中に立ち寄った寺院です。当時、小僧だった「佐吉」後の石田三成が、秀吉に出したお茶が、三献茶として有名な話です。残念ながら、御不在のようでしたので書置きを頂いて来ました。
今日は、1600年に起きた関ヶ原の戦いにおいて徳川家康率いる東軍に敗れた西軍の中心人物、石田三成の命日・没後420周年にあたります。豊臣秀吉に最も信頼された三成は、桶狭間の戦いがあった1560年に戦国武将・石田正継の二男として近江国(現在の滋賀県長浜市)に生まれました。父や兄と共に秀吉に仕官(小姓)した三成は側近として徐々に頭角を表し、秀吉が関白になると従五位下治部少輔に任ぜられ、その後堺奉行・博多奉行も歴任。1592年の文禄の役では朝鮮出兵の総
皆様こんばんはお疲れ様ですそれぞれの就寝スタイル・横向き丸まり型→依存心が強く一人が好き・うつ伏せ型→なかなか几帳面・仰向け型→自信家で安定な人柄・潜り込み型→慎重なタイプ、小さなストレス・胸に手を置いて仰向け型→不安と悩み中だそうですほんまかいっ( ̄Д ̄)ノ真夏でも足は決して出さない超絶ビビリ型カズアキですちょっと遅くなりましたが今月のオリジナルカクテル!!今回は"ホワイトアスパラ"と"ほうじ茶"です「三献の酒」各¥1,200三献茶という言葉を
三成マンホールのスタンプラリーのつづきです。2か所目は彦根藩井伊家ゆかりの龍胆寺龍潭寺には二年前に参拝し、襖絵や庭園が印象深い寺院です。スタンプは龍胆寺前の駐車場に置いてありました。駐車場の管理小屋はシャッターが閉じられていて、無人でした。(゚Д゚;)龍潭寺の寺門を潜ると、苔生した境内に石田三成の坐像があります。佐和山城の登山道は、龍潭寺の境内を通って行くのですが、本日は登山しません。(;’∀’)佐和山城は、標高232.5mの佐和山の中腹
はーい!奈央でーす。この近江旅は、時代の変遷に沿って書いています。でも、実際に訪問したのは車で行きやすい経路に沿っています。それで、訪問日時が前後していることをご容赦ください。ということで、今日も35℃の暑い一日でした。さて、今回は、暑い中、佐和山城址に行ってきました。石田三成さんの居城ですね。石田三成三成コラムHPよりお借りしました。石田三成さんといえば、豊臣秀吉との出会いの際の三献茶が有名ですよね。長浜城の東、横山城の麓の伊富貴山観音護国寺での逸話と伝わっ
米原の大原観音寺さんにできた『KANNONJI851石田三成に、「逢える」ブックカフェ。』お忍び訪問のいしだみつにゃん=殿は、さっそく最初のドリンクはどれにするかで熟考中。秀吉様との出逢いの地、観音寺さんだけに『三献茶』に合わせて3杯飲むんだって。コミックから研究書までいろんなジャンルの三成公がらみの本がずらずら~っと並んでて一日では読み切れない充実ぶりに殿もご満悦。ブックカフェでは本以外にも、びわ湖放送で以前放送されていた『近江風土記』(全72本)の中の1本
日曜日、お忍びで殿こといしだみつにゃんが出かけた先は・・・のちの三成公、佐吉少年と秀吉様との出逢いの地、大原観音寺さん。http://www.zc.ztv.ne.jp/kannonzi/index.html秀吉様に「三献茶」をお出ししたあの日からの激動の日々を思い出すかのように一歩一歩参道の石段をのぼる殿。本堂にて心静かに手を合わせ・・・鐘楼では、お寺の小僧だったころを思い出して・・・修復されたばかりの薬師堂で、井伊直弼公の家臣、長野主膳の詠んだ歌が。諱の義吉
こんばんは!ひのははです。今の季節は、本当に新茶がおいしいですよね。お茶好きの私は、静岡県にある「ふじのくに茶の都ミュージアム」https://tea-museum.jp/が、まだ「お茶の郷博物館」という名称だった時に行ったことがあります。もちろん、埼玉県内の入間市博物館(アリット)http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/にも何度も足を運んでいます。お茶の名前は“狭山茶”ですが、茶畑の多くは狭山市よりも入間市にあるんですよ。駅から博物館への道
渋滞の時のひまつぶし、なにしてる?引越した際にクルマも処分したのでここ10年以上、ドライブはしていませんが昔は相方が眠くならない様、相方が歌う歌を盛り上げていました。「巨人の星」とか、水戸黄門のイントロとか、井上用水、もとい井上陽水とかetc▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようおはよしつぐ昨日は昼間はのんびり、平日に見れなかった録画等石田三成公の温度の違うお茶の効用、なるほど三成公は中間管理職の苦悩を抱
近江鉄道で『鉄道むすめ』のスタンプを押した帰り道、滋賀県の長浜に立ち寄ってみました。長浜の有名人といえば、豊臣秀吉と石田三成。戦国時代、織田信長が浅井家を攻めた時に、その活躍を認められた秀吉は旧浅井家領地を与えられました。そして、初めての居城としたのが、この長浜に建てた長浜城でした。後に天下統一を果たす事になる秀吉の、スタート地点ともいえる場所ですね。長浜の主となった秀吉は、鷹狩りの帰路で立ち寄った寺で、一人の少年と運命的な出会いを果たします。その少年こそ
「三献茶」の話をご存知でしょうか昔、豊臣秀吉が狩りに行き途中のどが渇きあるお寺に寄り、お茶を所望しましたすると小姓が大きなお茶碗にぬるめのお茶を持ってきます秀吉は一気に飲み干し、もう一杯所望しますすると小姓は今度はさきほどよりも少し小ぶりの茶碗にやや熱いお茶を持ってきます秀吉はゆっくりと飲みもう一杯所望します今度は小姓は小ぶりの茶碗に熱く点てたお茶を持ってきます相手の欲しているものを瞬時に察して、対応することができたこの小姓を秀吉がお城に連
大河ドラマで真田幸村が注目されておりますが、最後まで、秀吉(※以下サル)への義に生きた石田三成(※以下ミッチー)という男は一体どういう男なんでしょうか?サルとミッチーの出会い(三献茶)ある時、サルは、金持ちの道楽で鷹狩りをしておりました。サル「お~楽しいのう。アチ~の~。余はちと疲れたから休憩したいぞよ・・・」付き人「では、近くに観音寺(滋賀県米原市朝日)がございますので、そちらで休憩いたしましょう。」・・・観音寺に到着サル「アチ~。茶をくれ~」寺小姓
久々に、滋賀県・長浜の話題JR長浜駅の前に、こんな像があります。『三献の茶』豊臣秀吉と石田三成の出会いのシーンです。ある日、秀吉は鷹狩りの帰りに、あるお寺に立ち寄ります。一人の小姓が、秀吉にお茶を差し出します。一杯目は、大きな茶碗に、ぬるいお茶をたくさん。二杯目は、茶碗に半分、少し熱めのお茶。三杯目は、小さな茶碗に、熱いお茶。お茶の出し方にも気を配る小姓を気に入った秀吉。この小姓を家臣にします。