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滋賀県米原市伊富貴山観音寺観音寺のお参りは、約一年ぶり。本堂前にこんなん置いてありました。棚には御朱印や三成さんの大一大万大吉シールなどが入っており、御朱印代の小銭を入れると音声ガイドのバックで般若心経が流れるというサプライズ!!(動画は般若心経なしversionです)前回お参りした時にはなかったので、ここ一年くらいの間に設置されたのではないかと思われます。つ
今年は特に出張で家を留守にする時間が長かったです。出張などのネタをブログにアップしましたが、一年を振り返ってブログを見たら銅像の写真を撮影しているのが多かったのでまとめました。新潟駅忠犬タマ公雪崩にあった飼い主を救った犬福井駅恐竜白衣を着た恐竜の博士?(先生?)横須賀市三笠公園東郷平八郎元帥ここは来て良かったところです釧路市幣舞橋春の像(四季の像の一つ)今年一番撮影で来た場所です宮崎空港温水洋一さん大分駅前大友宗麟公
関西遠征の二日目は長浜でレンタカーを利用してお城巡りをしました。レンタカーを借りる前に長浜城を見学しました。長浜城まではJR長浜駅から徒歩数分です。早朝だったので中には入れません、模擬天守を撮影してからレンタカー屋に向かいました。琵琶湖周辺は百名城だけでも安土城、小谷城、彦根城、観音寺城があります。それに続百名城や長浜城、佐和山城のようにそれ以外のお城を加えると相当の数になりますね。長浜周辺は姉川や国友など歴史に名を残す地名がたくさんあり、次回はゆっくり見て廻りたいです
こんにちは!ブログにお立ち寄りくださいましてありがとうございます。毎朝、マヤ暦で今日はどんな日か?を書いています。今日はマヤ暦でKIN6音響6白い世界の橋渡し/赤い龍相手の立場に立つ視点や思いやりの気持ち、おもてなしの姿勢が大切な日。今日のエネルギーから思い出したのが石田三成の「三献茶」のエピソード。豊臣秀吉が鷹狩りの帰りに喉が渇いて途中にあったお寺に立ち寄りお茶を頼んだのだそうです。その時対応したのが、若き日の石田三成。1杯目は渇いた喉にごくごく飲める
こんにちは。このところずっとやってきました湖東エリアミニ遠征ですが、今回が最終回となります。前回の長浜駅周辺から少し東へ行った石田町エリアからになります。どうぞよろしくお願いします。【石田三成(石田会館・石田屋敷跡・石田三成出生地)】まずは、おなじみ石田屋敷跡=石田会館にある治部さま銅像いっときます。訪れるたび、表情が変わるようなイメージのコチラの治部さま。ん~~、、、こんな表情でしたっけ?佐和山の治部さまはコッテリ&ナイスミドル風の少々濃い味系でしたが、石田町のコチラはさっ
昨日の北斗學園〜煽りのいらっしゃいませ〜oneSTが発売になり、北斗くんがニノから暖簾分けされた煽り「いらっしゃいませ!」が遂に映像に残ったね!👏去年デビューコンでもこの↓放送後のライブではいらっしゃいませを使い始めたんだけど、映像化のライブは放送より前のだったから、今ツアーでようやく映像化されたってわけ✨改めて、いらっしゃいませ許可の全貌を書いておきましょう🍀2020.1.16放送VS嵐内のトークにて嵐さんのツアーに見学に行かせていただいて、その時やっぱり僕はこれが好きだ!と思った
琵琶湖に浮かぶ竹生島をフェリーで目指す。琵琶湖で2番目に大きな島で、神が住む島として、戦国武将にも愛された島見えてきた!沖合はちょっと風のある日で若干波が荒かったわ、わ。島がこんなことになってるなんて!琵琶湖八景のひとつ。上陸した途端、神々しい雰囲気が漂う本来島へ行くのが大好きだけど、コロナで全然行けないから、久々の島で嬉しいっコロナ禍のマスク生活でこういうときが一番つらい。息のあがりがハンパない秀吉さんが建てた大阪城京極橋の一部を移設
直前まで天気を気にしながら、朝起きた時の勢いで滋賀に向かいました。まずは、長浜です。長浜駅で路線バスに乗り換えます。石田三成が初めて豊臣秀吉に出会った「三献の茶」の逸話が残っている観音寺を訪れます。そして、長浜まで帰るバスまで時間があったので、歩いて石田三成が出生した地に向かいます。この間、突然の雨にずぶ濡れになりました。。。やっぱり三成といえば島左近です。ちょうどバスの時間になったので、長浜駅まで戻ります。駅前には「三献の茶」の銅像もあります。次は、豊臣秀吉ゆかりの神社、豊国
2020年1月15日滋賀県米原市伊富貴山観音護国寺「三献の茶」の舞台となったお寺です。横山城は観音寺から登城できるからね。おしまい。
真冬でもホットよりアイスコーヒー派でして・・・打ち合わせなどでは、アイスよりホットを出される事が多いのですが、だいたい砂糖が無く・・・ブラックが苦手&猫舌な僕には苦痛以外の何物でもありませんが、我慢して飲んでたりします。大人だからね。大人だからね。はい、スタバとかでも「ぬるめで」と注文する事も多く、ホットドリンクはあまり飲みません。が、寿司食う時だけは、寿司食う時だけはあのお茶が恋しい。。一人「三献の茶」をしてますw三献の茶とは「長浜城主となった秀吉は
2019年9月29日さわやかウォーキング「戦国武将も行き交った!実りの秋を感じる伊吹山麓めぐり」に参加しています。近江長岡駅~西山八幡神社~グリーンパーク山東~と巡ってきました、この先は観音寺を目指します。あたり一面に蕎麦の花が咲いてます。ここは、日本そば発祥の地「伊吹」なんですよ。滋賀県東近江の伊吹山麓で始まった日本のそばの栽培は、木曽や甲斐、そして現在の名産地とされる信濃にまで伝わりました。その後、東北の山地を越え、明治や大正の時代には、北海道もそばの主な産地とな
戦友の皆さまお疲れさまですのぶニャがの野望は、9月27日〔豊臣の大黒柱〕アップデートがありました新ねこは、煌石田三成くん、極小早川秀秋くん、稀大谷吉継くん、稀宇喜多秀家くん稀ニャつか正家くんでした煌石田みつニャりくん元武将:石田三成(いしだみつなり)猫種:スノーシュー秀吉側近。全が一、一が全の為にを意味する「大一大万大吉」の文字紋を使用し、生涯君主である豊臣家や自領の民の為に尽力したという。早速、交換所上がってましたね特技:三献の茶:味方全体の攻撃
介護とは全く関係ない記事です…が、一部通ずるところがあると思う。私は日本史が大好きだ。特に戦国時代。沢山の戦国武将がいる中、石田三成が大好きで尊敬している。歴史に興味のない人は全くおもしろくないとは思うが、なぜ彼が大好きか、の説明をしたい。かなり昔は、あまり好かれていない武将だったと思うが、近年では彼の評価が変わってきていると認識している。昔から言われる悪評は、「融通がきかない性格」「頭でっかち」「頭が良いことをハナにかけて性格が悪い」などの評価だ。しかし、一方で「忠義の武将」「
2019年8月17日現地説明会を終え、帰ろうと思ってたのですが、ご覧の天気です。せっかくなので、豊国神社と大通寺にお参りに行きました。いったん長浜駅に戻り、お城と反対側の東口へお城は西口、城下町は東口東口でお迎えしてくれるのは、秀吉&三成(佐吉)さんです。これ見ると観音寺にという誘惑に駆られますが、今回はごめんなさいですね。まずは豊国神社。駅から北に徒歩で数分です。暑すぎるのか人がいない💦
この記念すべき平成から令和にかかる10連休。。。どっか行きたいなあってことで出かけました。まずは歴女で特に豊臣派(笑)の娘のリクエストで滋賀県へ。お目当ては石田光成ゆかりの地を巡りながら琵琶湖畔までドライブに行ってきました。車じゃないとなかなか行けない場所ばかりの中で一番行きたかったのは光成公の居城であった佐和山城跡・・・というので敢えてひこにゃん人気の彦根城はスルーして(だって彦根城は井伊家だから徳川・・・そうだね。)佐和山城址跡はお墓を抜けていくハイキングコ
長浜城のあとはお昼です。名物の鯖そうめん。古民家のような造りのお店でした。鯖素麺は、鯖が柔らかく煮てあるので骨まで食べれる感じ。焼き鯖寿司は鯖の下に生姜と大葉?が敷いてありました。これまた美味しかった長浜駅にはこんな銅像が。↓??秀吉公と石田三成の出逢いの像だそうです。あの有名なお茶の話ですね。最初はぬるいお茶をだして徐々に熱いお茶を出したっていう。(三献の茶)そのあとは黒壁スクエアでぷらぷらと。相変わらずささささっと見て回ったんだけど楽しかったー楽しすぎたのでまた後日書
今回は心遣いのお話。戦国武将のなかでも、全く戦場では武勲を挙げられないにもかかわらず、出世した有名な武将の逸話です。武将の名は、石田三成。天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康に破れた武将であり、豊臣秀吉の懐刀だった切れ者です。豊臣秀吉が天下統一が出来たのは、石田三成を参謀に置いたことが大きいと思います。ビジネスの世界では学ぶことが多いひとかどの人物です。その石田三成が秀吉に召し抱えられたきっかけは、秀吉の鷹狩りをした帰り道にお茶を出したのがきっかけ。鷹狩りで喉の渇いた秀吉が立ち寄っ
大原観音寺御朱印「大悲殿」「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表しています。「大悲殿」とは本尊が安置されている建物を意味しています。山門大原観音寺は元々は「伊吹山四大護国寺」と呼ばれて、伊吹山中にあった4つの寺の一つ(他は弥高寺・太平寺・長尾寺)だったようです。伊吹山護国寺は、三修沙門(平安前期の僧)によって開基されたお寺で、寺伝によると1347年に現在の地に移されたといわれています。盛時には二十三坊あったとされていますが現在は本坊
ついにレッスンの朝こんな朝焼けの空に、目覚めたばかりの野鳥の声が可愛く聞こえる喉のストレッチをしながら迎えたレッスン日先生に状況をメールで送ったら大きなアリアを、終えたところなので今後レパートリーを広げるための曲選びをしましょうとお返事ダメージを受けてる声帯にさらに負担をかけないようにとの配慮です😊ところで昨晩のNHKは「偉人たちの健康診断」再放送だったけど、興味深かった主人公は石田三成が秀吉に見出されたエピソード「三献の茶」の「茶」私の実家はお茶と言ったら正喜撰お茶
前回からの続き。長浜のことを書いてる時点で、中国地方の旅ではないこの頃。まいっかチェックアウト前に、長浜城へお散歩長浜城は、秀吉が築いたお城。なのに、100名城でも、続100名城でもないのよねぇ。滋賀にライバル城多すぎ問題。ボーッ太閤井戸チェックアウト、宿のみなさんに見送って頂いたまた来まーすw初長浜ですから、街を散策してみたよー。長浜鉄道スクエア。旧長浜駅舎は、現存する最古の駅舎なんだって中は鉄道博物館。カレン入れません。秀吉・三成出会いの像カレンも出会
石田三成公と秀吉様の出会いの地ともいわれる米原の観音寺さん。佐吉少年が喉が渇いた秀吉様に温度の違うお茶をお出しした三献の茶でおなじみの場所。そこに、7月21日(土)『石田三成ブックカフェ』がオープンするよしかも初代館長は、なななんと、私が勝手に「師匠!」と呼ばせていただいているあのオンライン三成会の田附清子さん。21日(土)が名誉館長任命式。8月1日(水)~は「煉獄に笑う」とのコラボ企画8月11日(土)には特別歴史講座も予定されてるんだってゆかりの地で三
番組名は忘れたが、林先生の番組で?星野リゾートさんのおもてなしの極意。茶道の『主客一体』の話しをされてた。。。→もてなす側の主人が、一生懸命もてなそうとする。→もてなされる側のお客様が、一生懸命もてなされようとする。そこで初めて!おもてなしの空間が生まれるのだ!と。(*石田三成、三献の茶のお話しも、秀吉が気付かなければ生まれなかった話!とは、まさに核心!)→映画ボディーガードの中で?ケビンコスナーも言っている。守られてる危機感の無い対象者は守れない!と。→巷のお医者さんも良
石田三成公の生誕地。映画『関ヶ原』を見てからすきになった武将。嫌われ者のイメージが強いかもしれないけれど、なにげに「ミツナリスト」ということばもあるくらいコアでディープな人気もある武将生誕地である石田屋敷跡にある石田会館。治部少から命名された治部という地名。ということで、石田会館の住所は、石田町治部になる。三成くん。この資料館は無料で入館できて、石田町の自治会事務所にもなっている。大一大万大吉。これで三成公をすきになった。上杉謙信公にも負けぬ「義」の武将ではないでし
こんにちはレキオ上郷です。仕事をこなすことは誰にでもできますがその評価を下すのは自分ではなく上司や同僚、クライアントやお客様です。そういった人達から信頼を得るためにはただ仕事ができるだけではなく言葉遣いやマナーなど仕事以外に気を配らないとならないことがたくさんあります。実際にどんなビジネスをするにも営業成績が良かったり早く出世する人たちは人間関係の築き方がうまいと言われています。それは『おもてなしの心遣い』が「また、この人と一緒に仕
ビジネスにおいて、『機転』と『心配り』はとても重要です。特に僕の様な営業を生業とする人にとっては必須科目だと思います。例えば、会議で発表する際、前の人の話が伸びている場合など、状況に応じて自分の話を短くできる人は気配りのできる人。自分の決められた時間通りに話す人は〝パンピー〟、状況も顧みず長々と話す人は〝KY〟、もれなく私はこのレッテルを貼ります。先日、『賢者は歴史に学ぶ』と題して、社内で自身の活動を発表する機会があり、それが大変に好評でしたので、今日も歴史から学んでみたいと思います。
前回に引き続き、石田三成の登場です。三成が秀吉と初めて会ったとされる「観音寺」(滋賀県米原市)。2016年夏、その観音寺を訪れました。大河ドラマ「真田丸」が放映されていた年です。観音寺境内が「MEET三成展米原会場」となっていて、「三献の茶」にちなんだお茶のおもてなしをいただきました。中には模造紙の展示もあり、心がとても和んだことを覚えています。そのときに、うれしくて書き写したのが、水戸光圀公(水戸黄門様)の次のお言葉です。「石田治部少輔三成は悪からざるもの也。人、
長年、大阪のホテルで使われてきた足つぼの技を全国に広める為に出張します!今回は、岐阜県で足つぼ講座を開講します!詳しくは、こちらのブログ記事をご覧ください>>お正月気分もだいぶ落ち着いて来ましたね何かを始めるのにキリの良い1月は、新入学の受講生さんが多くいらっしゃる月でもあります。コースや受講ペースに寄っても異なりますが1月から受講していただくと春には卒業を迎え癒しを与えられるセラピストとして活動できます。さぁー!今年1年もどんな受講生さまとの出会いがあるのかなと思うと楽しみです