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和本江戸期写本「参河物語(三河物語)」乾坤2冊揃い/徳川家康/戦国史/古書古文書/手書きです。131、125丁。27cm×19.5cm。手書き。『データ』【書名】参河物語【巻冊】乾坤2冊揃い【成立】江戸期の写本だと思いますが、正確な年代は不明。
7月23日の大河ドラマ『どうする家康』でついに最期を迎えた織田信長、その本能寺の変とその後の家康の伊賀越え”神君伊賀越え”を大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います疑った穴山殿(NHK大河ドラマ『どうする家康』本能寺の変で対峙する信長と光秀)本能寺の変と家康の伊賀越え本能寺の変について1582(天正10)年6月2日、本能寺の変が起こります。信長に取り立てられて丹波国を与えられていた明智日向守光が、突然裏切ってその丹
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさりと滅亡した武田家について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います一族などの相次ぐ裏切りによる崩壊(NHK大河ドラマ『どうする家康』で最期の戦いに挑む武田勝頼)甲州征伐の開始(NHK大河ドラマ『どうする家康』で西(織田)と南(徳川)から武田領を攻める)1582(天正10)年春、木曽義昌(妻は武田信玄の三女)は勝頼を裏切って、信長の道案内をします。これにより武田家の滅亡となる甲州征
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で圧倒的な負け方をした武田勝頼ですが、だからといってすぐに滅んだわけではなく、1582年に滅ぶまで7年にわたる徳川との抗争が続きます。それを大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います長篠に負けてすぐに滅んだわけじゃない武田家(NHK大河ドラマ『どうする家康』で高天神城を厳しく包囲する徳川軍)長篠(1575年)後の抗争1577(天正5)年、武田勝頼は、横須賀城(掛川市)を攻
大河ドラマ『どうする家康』で第17話~第18話の「三方ヶ原の戦い」について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います大敗したが何もせずにいきなり負けたわけではない家康(NHK大河ドラマ『どうする家康』で三方ヶ原に進んでいく武田信玄・勝頼父子)三方ヶ原の戦いと信玄の死1572(元亀3)年12月、信玄は浜松城から三里のところまで近づき、三方ヶ原へと進んでいきました。その様子を見た家康は浜松城から出陣をして戦いを挑もうと
大河ドラマ『どうする家康』で第16話~第18話までの武田信玄の西上作戦について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。密約違いを理由に侵攻開始(NHK大河ドラマ『どうする家康』の武田信玄)信玄の遠江侵攻1572(元亀3)年10月、信玄が家康と今川領の分割の約束の内容が異なっていて納得いかないと遠江に侵攻してきます。天竜川の西側は、徳川方天竜川の東側は、武田方それなのに大井川までが徳川の領地と
大河ドラマ『どうする家康』の大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書き残した『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で『現代語訳信長公記(全)(ちくま学芸文庫)』についての評価がなされていました。こういうケースは珍しいのではないかと思います。うそが多いという評価現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)現代語訳信長公記(全)(ちくま学芸文庫)『三河物語』による『信長公記(信長記)』の評価うそが多い。三分の一はあったことだ。三分の一は似たことがあった。三分の一はまったくなか
2023年大河ドラマ『どうする家康』23~25話につらなる徳川家中の悲劇「築山殿事件」と「信康自刃」ついての『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』の記述です。信康自刃と(築山殿事件)についてNHK大河ドラマ『どうする家康』より自刃する築山殿(瀬名)と信康五徳の”信康の中傷十二か条”と酒井忠次の中傷1579(天正7)年の「信康自刃・築山殿事件」について、『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』では、築山殿の処刑については触れられていないのが最大の特徴です。「信康自刃
大河ドラマ『どうする家康』で浅井長政と朝倉義景と戦った「姉川の戦い」などを大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。浅井長政よりも越前の朝倉義景の存在が大きい(NHK大河ドラマ『どうする家康』の浅井長政)大河『どうする家康』では、存在感がなかった越前の朝倉義景ですが、『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』では、浅井長政よりも、越前の朝倉義景の方に焦点が当たっているようです。金ヶ崎の退き口織田信長が北近江を攻める
7月2日の大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康の正室築山殿(瀬名)の最期が描かれた。これまで物語の世界では、築山殿は悪女として描かれてきたので、『どうする家康』での理想に生き、理想に死んでいった瀬名像は斬新だった。もっとも、キャストに有村架純さんを起用した時点で、もうすでに新しいイメージで描くのだろうと予想はしていたが。※有村架純さん演じる築山殿(大河ドラマ『どうする家康』より)歴史上の人物のイメージを形成しているのは、遺されている文献などの史料だが、史料には“一次史料
大河ドラマ『どうする家康』で今川氏真と戦った遠江侵攻についてを大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。武田信玄との密約にもとづき遠江侵攻(NHK大河ドラマ『どうする家康』の今川氏真)1568(永禄11)年11月、遠江侵攻を開始甲斐の武田信玄と連絡を取り、「家康は遠江を大井川までとれ、私は駿河をとろう」と申し合わせて、今川領を武田信玄は北の甲斐から駿河へ、徳川家康は西の三河から遠江へ侵攻開始。永禄11(1568)年1
大河ドラマ『どうする家康』でも瀬名姫や子ども達の人質交換につながる東三河の侵攻についてを家臣の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。大河とは順番が逆な三河一向一揆と家康の人質交換<『三河物語』における東三河侵攻の関係地図>青:徳川方赤:今川方黄:国人衆で徳川に下るもの(東三河)今川氏真との争いの場所今川氏真との人質交換(NHK大河ドラマ『どうする家康』の鵜殿長照)一揆が終わり、東三河に侵攻する徳川方は、
大河ドラマ『どうする家康』の「三河一向一揆」の戦いと終了の流れを家臣の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。本證寺の鼓楼(安城市のHP)より三河平定が一息つく頃、1563(永禄6)年に三河一向一揆が起こります。土呂:本宗寺(岡崎市福岡町※現在は岡崎市美合町に再建)、針崎:勝鬘寺(岡崎市針崎町)、野寺:本證寺(安城市野寺)、佐崎:上宮寺(岡崎市上佐々木町)※三河三ヶ寺:本證寺、勝鬘寺、上宮寺徳川家康vs三河一向一揆
昨日の夜、授業のキャンセルがあり、早めに仕事終了。このところ、湿度はあるのに気温差が大きかったからでしょうか。体調を崩してお休みという生徒さんが続いています。ひと昔前だと梅雨の時期にそうしたことはなかったのですが。異常気象というより気候変動を実感してしまいます。夜、せっかくだからと「ブラタモリ」を見ました笑場所は「関ケ原」当然、関ヶ原の戦いがメインです。タモさんがやっているからというわけではないですが地形によって
大河ドラマ『どうする家康』でも徳川家臣団大分裂のピンチを招いた「三河一向一揆」を家臣の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見たいと思います。NHK大河ドラマ『どうする家康』の三河一向一揆の主な登場人物上段左から、空誓上人、歩き巫女千代、本多佐渡正信下段左から、夏目広次、松平昌久、渡辺守綱三河平定が一息つく頃、1563(永禄6)年に、徳川家臣団を大分裂に追い込んだ三河一向一揆が起こります。『三河物語』によると、1562(永禄5)年に、野寺(
容赦なく人殺す「信長」意外と知らない"情け深さ"「傍若無人」と語られる性格は本当だったのか容赦なく人殺す「信長」意外と知らない"情け深さ"今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は「傍若無人」とも語られる、織田信長の性格をさまざまな史料から分析する。織田信長の性格は、信頼できる歴史家が著…toyokeizai.net「武田家が滅亡」裏切り者が続出した"きっかけ"窮地に立たされた勝頼、信用を失ったその理由「武田家が滅亡」裏切り者が続出し
6月11日放映の大河ドラマ『どうする家康』で信長に臣従し武田の息の根を止めることを求められた家康・信康の設楽が原後について『三河物語』ではどのように描かれているのでしょうか大久保忠世・忠佐兄弟の活躍NHK大河ドラマ『どうする家康』の大久保忠世、設楽原の戦いでは忠佐の兄弟で活躍して信長に褒められたましたが、その後の武田家との戦いでも活躍します。※『三河物語』の著者の大久保彦左衛門忠教は、忠世と忠佐の弟にあたりますその後の戦い二俣城のアクセス(浜松市の二俣城のHPより)長篠城から撤収
6月11日放映の大河ドラマ『どうする家康』の「設楽原の戦い」について『三河物語』ではどのように描かれているのでしょうか鳶巣山でも、設楽原でも主体的に活躍する家康軍NHK大河ドラマ『どうする家康』での「設楽原の戦い」での織田・徳川連合軍の布陣と、鳶巣山で活躍する酒井忠次と、設楽原で兄弟で活躍する大久保忠世<設楽原の戦い>1575(天正3)年5月21日織田・徳川連合軍3万武田勝頼軍1.5万『三河物語』での記述と大河とでは展開が結構異なっています。鳶巣山砦の攻撃NHK大河ド
三河平定に向けて動き出した松平家康について、家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』で見ていきたいと思います。三河平定を目指し、まずは西三河平定をNHK大河ドラマ『どうする家康』の吉良義昭※あの忠臣蔵でおなじみの吉良上野介のご先祖にあたる方です。西三河平定を目指し、織田・今川方と戦う松平家康岡城を攻め落とし、広瀬城、沓掛城、拳母城、梅坪城と次々に城攻めを行う。寺部城を押しかけて乗っ取り、刈谷城へも戦を仕掛けた。また、今川と同族の吉良氏が守る西尾城や東条城へも戦いを
桶狭間の戦い後の家康の今川からの独立についてを家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』で見ていきたいと思います。そうそうに今川と縁を切り、家康と改名する桶狭間までは今川方の城代が置かれていた岡崎城『#116第2回「兎と狼」の感想~大河ドラマ『どうする家康』』2023年は、大河ドラマが『どうする家康』の第2話『兎と狼』の感想母のこじつけと追いつめられると弾けるタイプなのかな松平家康は、松嶋菜々子演じる於大の方の…ameblo.jp1560(永禄3)年5月19日の
家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』では、桶狭間の戦いがどのように描かれているのかを見ていきたいと思います。長い軍議と油断が招いた義元の敗死、松平元康を大高にいれていなければ・・・NHKの大河ドラマ『どうする家康』で大高城への兵糧入れに向かう松平三郎五郎元康『#109第1回どうする桶狭間の感想~大河ドラマ『どうする家康』』2023年は、大河ドラマが『どうする家康』の第1話かなり変わった主人公のキャラ設定だな~1月8日から、徳川家康を主人公にした2023年の大河ドラ
2023年大河『どうする家康』21話「長篠を救え!」で毛むくじゃらの鳥居強右衛門が活躍します。『三河物語』ではどのように描かれているのでしょうか信長の出陣を確かめに行った鳥居強右衛門岡崎体育さん演じる鳥居強右衛門(NHK大河ドラマ『どうする家康』より)1575(天正3)年5月に、武田勝頼は軍勢を率い奥平貞昌(大河ドラマではすでに奥平信昌)が守る長篠城を包囲して攻撃し、窮地に陥ります。これに先立ち、信長も出陣し、信忠も岡崎城に到着し、信長も池鯉鮒(知立市)に到着していました。家康はひそ
奥三河に住んでいたおばあちゃんのお家の近くなの私の…お稲荷さま琴森さまの側なのよこんばんはアラフィフ美海です。今日は…長篠の戦い!子供の時からよく聞かされた三河物語思い出しました❗とりいすねえもんさんの話。そう、日本一有名な足軽さんの話ね(はい、軍旗ですwww目立って仕方ないです)見たことある?この強烈なインパクト涙涙のお話を…亀姫との輿入れ話を織り混ぜてこんなにドラマチックに…奥三河の山奥のお城を守ろうと命を懸けて、ダメダメな足軽すねえもんくん最後の最後に男
2023年大河『どうする家康』で徳川家康が主人公ですが、その家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』から徳川家康を見ていきたいと思います。織田信秀と今川義元の両者で人質生活を送る家康と家臣らの苦労JR静岡駅北口広場に平成21年3月に除幕・設置された竹千代像(のちの徳川家康)竹千代君・今川義元公像·〒420-0851静岡県静岡市葵区黒金町★★★★☆·彫刻goo.gl戸田康光に銭千貫目で織田弾正忠信秀(信長の父)に売られて尾張で囚われの身となった竹千代(のちの家康)
皆さん、こんばんは!今日はYouTubeライブにご参加くださった皆さま、ありがとうございました♪ライブの動画は、この後、改めて投稿させていただきますね!今夜はどうする家康を人生に活かすシリーズの『岡崎クーデター』の回を考察した動画をアップさせていただきます♪岡崎で起こったクーデター。その黒幕は誰か?『三河物語』と『岡崎東泉記』の2つの史料を読み比べると明らかに、その内容は異なります。ドラマを楽しみながら通説といわれてい
2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述の後編一族の争いに織田信秀との戦いNHK大河ドラマ『どうする家康』の飯田基祐さんが演じる松平広忠13歳で家督を継ぐも、叔父の松平内膳信定にお家を奪われ流浪するも、大久保忠世と『三河物語』の著者の大久保忠教の伯父の大久保忠俊の活躍と今川義元の協力により、17歳にして岡崎城に戻ることができた松平広忠、しかし苦労が続きます。信長の父、織田弾正忠信秀が西三河に侵攻し、安城城を落と
2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述についてその1です。父、清康の急死と家臣の裏切りで13歳にして流浪の広忠飯田基祐さんが演じる松平広忠家康の父、広忠さんも流浪し、今川義元を頼るということをされています。親子2代で今川義元にお世話になっているってわけです。家督を奪われ伊勢、そして駿河へ父、清康が1535(天文4)年、尾張遠征中の守山にてで家臣に殺害されてしまったため(森山崩れ)に、急遽13歳で家督を継い
2023年大河『どうする家康』20話「三河クーデター」についての『三河物語』では、かなり手厳しい悪者扱いの大岡弥四郎さんです。大賀(大岡)弥四郎の私利私欲な謀反毎熊克弥さんの演じる大岡弥四郎(NHK大河ドラマ『どうする家康』より)大河ドラマでは、戦いに明け暮れる徳川家に嫌気を指し、めしをたらふく食えて、酒をたくさん飲んで・・・と生きることを楽しみたいとの思いから、武田家と通じて岡崎城主の徳川信康とその母築山殿を殺害しようとするも、築山殿のやさしさに触れて改心してしまった山田八蔵の密告で失敗