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今朝の朝刊の「発言~みんなの声~」です。同年代の女性なのですが>戦国史はもともと好きでしたが・・・>相関図をメモしながら読み進め・・・>一色五郎が登場してからは手に汗を握る場面が増え・・・>続きが待ち遠しい・・・>登場人物の各視点で臨場感たっぷりに・・・>しかも立体的に語られる・・・いやあ、全く同感です。この女性の脳内では、映画のように進んでいるのでしょう。どこのどなたかは知る由もありませんがこの女性となら、よい友人関係
<無料フリースクール・カープ雑学講座-98>【忍者】・忍者とは・発祥と変遷三河物語服部氏伝説幕藩体制下・器具・技術忍具、忍び文字五車の術・著名な忍者・伝承者・忍者パーク・忍者団体、文献
またどうでもいいような歴史の話ですので、興味のない方はパスして下さい。前回のブログで、NHK出版(だと思う)が発刊した「歴史への招待」にちょっと触れました。その時に、自分のハードディスクの中で、「歴史への招待」のことを探していたら、こんなのをコピーして保存していました。家康の本を読めば必ず出てくる三河からの重臣:大久保彦左衛門。通称「彦左」です。彦左衛門が自分の子孫のために残したとされる三河物語。その中の一部に書かれていた文を現代語で書いた、「当世、出世する武士」そこか
今日も、史記の范雎(はんしょ)のお話の続きです。一般的に知られている范雎の生涯は、ここに記しているような感じなのですが、前に少し触れた睡虎地秦簡(すいこちしんかん)の遺跡には、秦王朝の人事について、ふれられているものがあり、それによると、范雎は王稽(おうけい)と一緒に処刑されたことになっています。(2024/1/13ブログ「目の前のことをコツコツと」参照)1975年に発見された睡虎地秦墓の11号墓から出土した竹簡「編年記」に、「昭王五十二年王稽・張禄(范雎のこと)死す」と
スペインワイン会などでお世話になっている白金台の八芳園でリラックス四方八方どこを見ても美しいに由来する八芳園、お庭もキレイで各フロアの空間がゆったりして心地よいこちらの敷地は意識していなかったけど三河物語を書いたひこざこと大久保彦左衛門さんのお屋敷だったんですね。MachaだとHeladoconPXですが八芳園ThrushCafeさんにてお昼間にてAffogatoHeladoconcaféespressoスペインでもイタリアのAffog
家康が亡くなる最終回(12月17日)放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」のその死を大久保彦衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。なぜ、松平家が江戸幕府を開くまでに至ったのかを譜代中の譜代の大久保忠教が語るのがポイント(NHK大河ドラマ『どうする家康』の亡くなる家康(C)NHK)家康の死と松平一族について『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』での徳川家康の死についてです。1615(元和元)年、両上様(家康・秀
今日はM先生とのオフ会。年内最後ということで「来年に向けての抱負」を話しました。M先生は今進めていらっしゃる新しい分野の講座も含めて現在やっていることとちょうどいくつもの歯車が上手くかみ合って動いていくように全体のバランスをとりながら事を進めていきたいとのことでした。M先生はいつもながら考えたことは即行動とフットワークの軽さと柔軟性多角的にものを見る度量がすごいなと感心してしまいます。一方の、ひさぺーは
12月17日放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。豊臣秀頼の死は、太閤の主家乗っ取りや家康への謀反の因果応報⁉(NHK大河ドラマ『どうする家康』で切腹する秀頼(C)NHK)夏の陣、豊臣家の滅亡『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』での豊臣秀頼の氏についての大久保忠教の評価です。太閤(秀吉)は、昔、松下加兵衛之綱の草履取りをしていたが、信長の取り立
12月17日放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。ついに最終決戦!真田信繁の猛攻については大久保忠教の記憶にはあまり残らなかった?残さなかったようです。(大阪夏の陣布陣図Wikipediaより)夏の陣、豊臣家の滅亡『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』での大坂夏の陣について1615(慶長20元和元)年、5月5日、徳川方は京都を出発。5月6日、豊臣方
定期テストが終わって解き直しをしているR君との授業。学校の先生がかなり「こだわり」があるので一筋縄ではいかない文章に設問。今回のテストでは「私小説」といういつもよりも輪をかけて難しい問題でした。そんななかでの記述問題。「行間を読む」というもの。模範解答を見てもそんなものは文章中に一切書かれていません。主人公の心情を「地」の文や他の登場人物の「セリフ」をもとに考えるというもの。まさに
12月10日放送の大河ドラマ『どうする家康』「乱世の亡霊」の大坂冬の陣の和議から夏の陣にむけてを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。和議内容を拡大解釈して、大坂城の防衛力を削ぎ取った徳川方追い詰められる豊臣方(NHK大河ドラマ『どうする家康』の豊臣方と徳川方の和議交渉(C)NHK)冬の陣の和議から、夏の陣へ『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で冬の陣の和議から夏の陣に向けてを見ていきたいと思います。猛攻
今日、12月14日は↓12月14日は「忠臣蔵」の日赤穂浪士縁の寺で4年ぶり義士行列【愛媛】|南海放送NEWSNNNきょう12月14日は忠臣蔵で知られる赤穂浪士の討ち入りの日です。愛媛県松山市にある赤穂浪士縁の寺では、4年ぶりに義士行列が披露されました。news.ntv.co.jp「忠臣蔵」については御存知だと思いますので細かな経緯は割愛させていただくとして汗幕府から下された処分は浅野内匠頭は切腹なのに対し吉良上野介はお咎めなし
12月3日放送の大河ドラマ『どうする家康』「大坂の陣」の冬の陣の戦闘についてこれを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。大坂方の謀反ということで始まる大坂の陣(NHK大河ドラマ『どうする家康』の大坂の陣(C)NHK)大河ドラマ『どうする家康』の大坂の陣について『#504第46回「大坂の陣」感想~大河ドラマ『どうする家康』』狸親父の家康と女狐の茶々との化かし合いがついに武力対決に発展してしまう大河ドラマ『どうする家康』の第
12月3日放送の大河ドラマ『どうする家康』「大坂の陣」について、これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。大坂方の謀反ということで始まる大坂の陣(NHK大河ドラマ『どうする家康』の豊臣方の徳川との交渉役の片桐且元(C)NHK)大河ドラマ『どうする家康』の大坂の陣について『#504第46回「大坂の陣」感想~大河ドラマ『どうする家康』』狸親父の家康と女狐の茶々との化かし合いがついに武力対決に発展してしまう大河ドラマ『ど
(゚∀゚)三河現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)Amazon(アマゾン)875〜9,967円${EVENT_LABEL_01_TEXT}現代語訳三河物語ちくま学芸文庫Amazon三河雑兵心得:1足軽仁義(双葉文庫)Amazon(アマゾン)659円${EVENT_LABEL_01_TEXT}三河雑兵心得:1足軽仁義双葉文庫Amazon三河雑兵心得:11百人組頭仁義(双葉文庫)Amazon(アマゾン)679円${EVENT_LAB
11月12日の大河ドラマ『どうする家康』の関ヶ原の戦いについて、これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。関ヶ原はあっさりと、論功行賞や処罰については混乱も(NHK大河ドラマ『どうする家康』の関ヶ原の戦い布陣(C)NHK)会津征伐と三成の挙兵から関ヶ原直前まで『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』での関ヶ原の戦いとその戦後処理についてですが、関ヶ原の戦いはあっさりと終わります。理由としては大久保忠教自身は
このシリーズ【長澤松平風聞記】は一枚の「仏像記」を知ったことがきっかけで描き始めたシリーズである現代においても、それなりに格式のある家には、家系図というものが残されているその家系図は、だいたいが「門外不出」として一族のもの以外には見せてはならない、という但し書きがついているがそれは対外的に書かれたものではなく、身内のために書かれたものつまり自分達一族にとって、都合がいいように、編纂されている場合もあるし余計に盛り込まれていることも
10月22・29日・11月5日の大河ドラマ『どうする家康』では秀吉が死に、三成失脚、家康が政治を担当し、会津征伐から三成挙兵、両軍とも美濃終結までが描かれています。これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。自らの手で”厭離穢土欣求浄土”を成し遂げようとする家康秀吉の遺命を守り、理想の政治実現を目指す三成の激突間近(NHK大河ドラマ『どうする家康』の会津征伐に向かう家康と挙兵した三成(C)NHK)会津征伐と三成
10月8・15日の大河ドラマ『どうする家康』では朝鮮出兵と秀吉の死が描かれています。これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。朝鮮出兵も秀吉の死もあっさり(NHK大河ドラマ『どうする家康』の朝鮮出兵の拠点の名護屋城(C)NHK)朝鮮出兵と秀吉の死『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』では、かなりあっさりと書かれていています。1592(文禄元)年、高麗との戦いといって、太閤(秀吉)は名護屋城に布陣。家康も名護
10月1日放映の大河ドラマ『どうする家康』第37回の小田原合戦から関東国替えについて大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。あっさりと国替えに応じた家康(NHK大河ドラマ『どうする家康』の小田原合戦の展開(C)NHK)小田原攻めと関東国替え『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』では、わりとさらっと描かれています。小田原合戦について1590(天正18)年、3月28日、小田原合戦が起こった。徳川家康は、浮島が原(富
大河ドラマ『どうする家康』第35回でついに上洛した家康について、大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います家康上洛、しかし毒殺されそうになるも亡くなったの秀長!?(NHK大河ドラマ『どうする家康』で婚姻する徳川家康と秀吉妹の旭姫(C)NHK)家康の上洛と秀長の死1586(天正14)年、4月に秀吉の妹旭姫が家康の岡崎城に読めとして送り出される。同年10月に家康の上洛の身の安全の保証の意味として秀吉の生母(大政所)が岡崎城
大河ドラマ『どうする家康』第34回で、秀吉や家康に妹旭姫を嫁入りさせましたが、そのことを含めた家康と秀吉の和睦を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います上洛を考える家康と反対する酒井忠次ら家臣(NHK大河ドラマ『どうする家康』で婚姻する徳川家康と秀吉妹の旭姫(C)NHK)秀吉と家康の和睦の交渉1584(天正12)年、織田信雄(尾張内府)は家康に何の連絡もなく、関白(秀吉)殿と和議をお結びになる。家康と旭姫の婚姻に
大河ドラマ『どうする家康』第33回で、少しだけ描かれた上田城攻めについて、其れに従軍した大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。真田昌幸に敗れるも奮戦した著者の大久保彦左衛門忠教(NHK大河ドラマ『どうする家康』で上田城攻めで真田に敗れた鳥居元忠(C)NHK)上田城攻め(第一次上田合戦)と大久保忠教の奮戦天正壬午の乱で北条氏直と講和条件氏直→家康:郡内、佐久郡、諏訪郡を渡す。家康→氏直:沼田を渡すここで一つ問題が発
家康と秀吉が激突した「小牧・長久手の戦い」について、大河ドラマ『どうする家康』では8月13・20日と繰り広げられていました。それを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から観ていきたいと思います。江戸時代になってからの振り返りなので、すでに関白殿(NHK大河ドラマ『どうする家康』の家康と秀吉のそれぞれの城(C)NHK)小牧・長久手の戦いについて織田信雄から助けを求められる1584(天正12)年、関白殿(羽柴秀吉)が、本所(織田信雄)に腹を
石川数正が出奔した8月27日の大河ドラマ『どうする家康』、徳川家中の反応を信濃国小諸城の大久保忠世について、弟の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から見ていきます。石川数正、出奔!?激震走る徳川家中(『どうした?石川数正〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜-英雄たちの選択-NHK』(C)NHK)信濃国・甲斐国はどうなる!?『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』の著者である大久保彦左衛門忠教は、兄の大久保忠世が信濃総奉行として在番
昨日の、Will-BeStation「歴史のお話」“築山殿事件”生放送、御覧頂き、ありがとうございました。実は、信長は粛清命令など出してはいない?では、何故??謎はイロイロとありますが、徳川家の正史にも、理由がハッキリ書かれていない???そんな築山殿事件、見逃したというアナタ!こちらから録画を御覧下さい!↓↓↓↓↓https://youtu.be/BoQ17iU9Q48歴史のお話~第141回「築山殿事件」~主演文化歴史学者KickMizukoshi文化歴史学
本日、8/21(月)PM8:00〜インターネットTV“Will-BeStation”より、『歴史のお話』“築山殿事件”生放送!徳川家の歴史の中でも、理由が判っていない事件。その時、何が有ったのか??※YouTubeライブでお送り致します。生放送開始少し前に、こちらでURLを発表します!↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/vwHRdT8qqFc?feature=share歴史のお話~第141回「築山殿事件」~主演文化歴史学者K
家康が甲斐と信濃をゲットした”天正壬午の乱”の収束について8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』からみていきます。甲斐・信濃は徳川に、上野は北条に(NHK大河ドラマ『どうする家康』で戦う本多正信の策を用いる徳川家康(C)NHK)大軍の北条をうまく追い払った家康若神子に陣する北条氏直の43,000もの大軍を新府城にて8,000程度で迎え撃つ徳川軍砦を築いて防備を固める間
北条氏、43,000の大軍で旧武田領の分捕り合戦に参戦!!8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から観ていきたいと思います。大軍の北条とどう戦うか(NHK大河ドラマ『どうする家康』で戦う徳川家と北条家の位置(C)NHK)関東の雄、北条氏大軍を以て旧武田領に侵攻本能寺の変の後、旧武田領(甲斐・信濃・上野)をめぐり、徳川家康に、東の
武田遺臣による甲州一揆について、8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”を家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』から観ていきたいと思います。兄、大久保忠世甲斐で大活躍(NHK大河ドラマ『どうする家康』で主亡き旧武田領の甲斐・信濃・上野(C)NHK)甲州一揆(武田遺臣一揆)兄の大久保忠世、大活躍(NHK大河ドラマ『どうする家康』の大久保忠世(C)NHK)甲州征伐