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私は小林正観さんのフアンで実際の講演会に行ったこともあるが既に亡くなったので、最近は講演会の動画を見返しては学んでいる小林正観さんの講演会から-松下幸之助さんは「私は運が良い」と考える人だったどんな不幸な出来事があってもポジティブに捉える人だった運に良し悪しはない。運の良し悪しは自分で決められる人は恵まれた人に比べて自分は不運に生まれたと思い込む習性があるような気がする私は不運の星の下に生れたとずっと思
三河島の浄土宗のお寺の法会に行ってきました法然上人が浄土宗開宗されて850年法会を待っている間、ご住職の奥様からお聞きしたのは、62年前の5月にこの地で起きた悲惨な鉄道事故の話でした。三河島事故といいます。三河島駅近くで貨物列車が脱線し、電車がぶつかり線路を歩いていた乗客が別の電車にはねられた鉄道事故亡くなられたのは160人ご遺体が運ばれたのは、このお寺の本堂で検視は、隣の小部屋で行われたそうです。雨戸に乗せられて運ばれてきたとか。20年ほど前私鉄の小田急電鉄の社員さんたち
5月3日の出来事1791年ポーランド王国でヨーロッパ初の近代的成文憲法である5月3日憲法が成立する。1868年(明治元年4月11日)江戸城が明治政府軍に無血開城。官軍が入城し将軍徳川慶喜は水戸へ退去。1882年東京気象学会設立(現在の日本気象学会)。1928年山東省済南で日本軍と国民政府軍が衝突。(済南事件、済南慘案)1939年イギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が進水。1941年12月10日、日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の雷
4月度の「駅からハイキング」、開催は2024年4月1日~14日までの二週間。今週の日曜日が最終日で、その最終日に参加しましたので既に一週間が経過してしまいました今回の「駅ハイ」に参加されていたブロ友さんは早々にブログにアップされていまして焦る焦るけど今週はリアルタイム⚾などを優先させたため“備忘録”的なblogになりますこと、ご容赦くださいで、今回の「駅ハイ」はタイトルの通りでして、その心は~「俳句のまちあらかわ」を中心に日暮里駅周辺の魅力あるスポット満載のコースを、歩きながら一句、詠んでみま
近年は年明けに小湊鐵道を訪れてヘッドマーク付列車を撮るのがすっかり小生のルーティンとなっています。今年は三が日は天候等の事情で外してバリ晴れの昨日出撃しました。雲一つない青空の下真昼にやって来た上総中野行は期待どおりマーク付のタラコ色が先頭で万々歳です(^o^)そして直ぐ反対側からやって来る上りのキハ200には新年らしい「迎春」のマークが着いていました。この列車は五井到着後また折り返して来ると踏んで若干場所を変えて待ち構えたらビンゴです!北風がやや強かったものの相変
11月28日(火)☀21.0℃🌄6:29🌇16:291週間前のカゼをこじらせてしまったようで、未だに空咳と鼻水に悩まされていますが、好天に誘われてお久しぶりの生中継ブログに挑戦しました。11:50西日暮里駅からのスタートです。さっそくのお散歩開始・・と思いきや、銀色の『ポスト』珍しいですよね。と「生中継」では書いてしまいましたが、キンキラ感はなくなっていますが、『金』でした。銀色ではありません。『金』です。😅東京2020大会の
暖かくなってきたので、ウォーキングをしてきた。三河島駅から北千住までを歩いた。約半世紀東京(その近辺を含む)にいるが、一度も三河島駅で降りたことがなかった。三河島駅については、現在65歳以上くらいの人には、多数の死者のでた列車事故のあったところとして記憶ににあるのではないだろうか。田舎に住んでいた私も、少年時代の衝撃的な事故として記憶している。今調べてみると、死者160人、負傷者296人というとんでもない事故だ。ただ、私が子供だったころは、九州や北海道の炭坑の
私が小学生の頃、〝日本最長の鉄道トンネル〟は北陸本線の敦賀~南今庄駅間にある、全長13,870mの北陸トンネルと習ったものでした。しかし1972(昭和47)年3月に16,250mの山陽新幹線・六甲トンネルが開通して日本一の座を奪われてしまいます。※因みに現在の日本最長鉄道トンネル(世界第2位)は、1988年3月に開通した53,850mの青函トンネル。それで気が抜けたというわけではないでしょうが、その8ヶ月後・・・即ち今からちょうど50年前の今日・1972(昭和47
お彼岸です。台風、大雨でのお墓参りを避けて秋晴れの中、お墓参りをしてきました。お寺にひときわ目立つ観音様は昔の電車事故慰霊碑60年目のお彼岸です。
久々の頂き物、枇杷とサクランボ。果物は全般的に普段ほとんど食べないが例外が4つ。年に1回は買ってでも食べたいのがパイナップルと洋梨。もらって嬉しいのがサクランボと枇杷。いいサクランボは買う気が失せるほど高いし、枇杷はそもそも近所のスーパーに並ばない。今年は初夏の味、堪能♪昨日は6週に1度のクリニックの検診日。午前中に行ったら結構待合が混んでいて、受付で1時間くらいかかる、と言われた。いい機会で、ならばしばらくクリニックの周りを散歩してこようと思い、「では1時間後に来ます」とカードを出し
探究派公式ブログには、≪<連載>松代秀樹「反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失」≫の第7回(最終回)として、「七一九九〇年代初頭に二人の常任メンバーがめざしたもの」が掲載されている。二人の常任メンバーとは、「賃プロ魂注入主義者」と烙印された土井と足利隆志である。彼ら二人がくわだてたのは、1962年の動力車労組の運転保安闘争を教訓化するかたちで展開されている・松代秀樹執筆の「労働運動論」を抹殺することであった。1962年の三河島事故の後の青森大会において動力車労組は、事故
私は、新型コロナワクチンを第二の黒船だと思っています。黒船来航嘉永6年(1853年)ペリーが来なければ太平洋戦争はなかったかもしれません。「戦争を終わらせるために原爆を使った」等の理屈は馬鹿げています。戦争の原因は欧米による武力を行使した土地・植民地の奪い合いです。昨年は新型コロナと一緒に震度4~5クラスの地震が多く襲ってきました。今年は大雨です。アメリカから「怪しいもの」が来ると日本の人、地面、空に影響するように思われます。黒船来航の直後から日本では
5月9日「言問通り」を踏破した足で東武伊勢崎線に乗って北千住へ。北千住から常磐線に乗って降り立ったのは「三河島」。鉄道史に残る大惨事「三河島事故」があった駅ってどんなところだと興味を持ったのがきっかけで、訪れてみるとバラック建ての家やこれぞ下町の住宅街って風景驚かされました。再開発で「下町の失った風景」が多数残っていたので散策しまくりました。三河島事故-Wikipediaja.wikipedia.org近い年代に起きた鶴見事故では事故現
以前拙ブログでもご紹介したように、戦後まもなくの1949年には、国鉄に於いて下山・三鷹・松川各事件が続発しました。(↓)そのいずれもがCIAや共産党・労働組合などが絡むと思われる奇怪な事件でしたが、それらとは別に純粋(?)な鉄道として国鉄の信頼を大きく損ねた桜木町事故が起きたのは、今からちょうど70年前の今日でした。同日午後1時過ぎ、国鉄京浜線桜木町駅構内の上り線で工事を行っていた作業員が謝って落としたスパナが当たり、架線が垂れ下がって
◆関東で大規模火災が2件発生栃木・足利市で山林火災周辺住民に避難勧告(2/23)21日午後3時半すぎ、足利市西宮町にある両崖山の山頂から煙が出ているのを登山客が見つけ通報しました。火の勢いは衰えず、22日午後6時すぎの時点でおよそ10ヘクタールを焼失しました。市は県を通じて自衛隊に災害派遣を要請し、ヘリコプター4機が空からの消火活動を行っています。(引用終了)東京・青梅市で大規模火災消防車60台消火中、たき火原因(2/23)午後1時半ごろ、青梅市沢井の住宅で、住人の
6月25日予想どおり天気予報はずれて、帰宅時に傘が必要になっただけでした。多忙のため完全版ではありませんが、構想1年、訪問3回。ついに書きます。例によって初訪問の時の街並みが消えてなっくなってしまいましたが。どんなすごいとこかと思われそうですが、おそらく関東の人しか知らない常磐線の小駅。「三河島」「鉄」な人なら知ってる、鉄道史に残る大惨事の「三河島事故」の場所です。詳しくはウィッキで=https://ja.wikipedia.org/wiki/三河島事故規模は福知山事故
昨日に発生した大阪地震は、徐々に様々な被害が噴出していて、再び来るかも知れない余震にも気が離せない…。ところで、今回の地震の最大の特徴は、都市部の通勤時間に発生したことであって、だからこそ満員電車の車内に長時間閉じ込められた方も多かったのではないだろうか?閉じ込めらた側からすれば、「なぜ?もっと早く対応できなかったのか?」との疑問が出るのは理解できるけれど、鉄道側としてもそう簡単には外に出せない理由もあるのだ!まず、地震などの異常が発生した場合、列車は
今朝は寝過ごしてお弁当用のご飯が炊けませんでした仕方がないのでおかずだけ詰めました。主食には、ちょうど昨日町屋で買ってきてあったクリーム入りのメロンパンを突っ込んでおきました。しょっぱい系のこのおかずには、さぞや合わないだろうなあと思いますりくのら夫が自室(書斎、と呼んでいるけど而してその実態は納戸)を整理していてりくのら夫の思想を形作る原点となった3冊を発掘してきました。りくのら夫は包装紙をとっておいて本にカバーをかける習癖があります。幽霊屋敷
先日、営団地下鉄(当時)日比谷線・中目黒駅構内の脱線事故から、何年がたったとのニュースが報道されていました。当時、5名の方がお亡くなりになっています。今では日本における鉄道事故はだいぶ減りましたが、昔は大事故によって、かなりの犠牲者の方が出ていたようです。今日はその一部のご紹介。ところで常磐線・三河島事故をご存知でしょうか?私が産まれる前の出来事で、こちらは1962年5月に発売されたアサヒグラフの表紙です。今からおよそ55年程前でしょうか?アサヒグラフの記事には、三河島事故について掲載されて
元山手線運転士で、現在は参議院議員のたしろかおるです。たしろかおるのホームページはこちらをクリック今回は、鉄道事故と当事者としての運転士のことを書きます。先日、この鉄道ブログでご紹介しているシリーズ「長さんの鉄道写真館」でおなじみの「長さん」から、ある写真を提供していただきました。それがこちらです。無残に壊れてしまったこの機関車。鉄道史に残る事故のひとつ、三河島事故の当該機関車、D51364号機です。この機関車が1962年5月3日、三河島駅構内の出発信号機を冒進、安全側線に進入し脱
朝4:30前、まだ日も昇らぬ夜道から始まった日帰り旅行。八王子みなみ野まで40分かけて歩き、横浜線で横浜駅へ。暁の横浜駅。まだホームに人はまばらだ。隣のホームにはNEXが来たが、人がまるで乗らない。そのホームにいたのは大方横須賀線待ちの人だったようだ。そして東京まで東海道線のお世話になった訳だが…………ぎゃあ!ホームとはうって変わって何という混雑ぶり。車内の反対側はおろか、20センチ先も見通せない。熱海や小田原、茅ヶ崎辺りからの客の押し寄せ具合がよく分かる洗礼だった。しかしこ