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あるラジオ番組聴いていたら、サードプレイスという単語の話をしていた。サードプレイス。訳せば家庭、職場や学校以外の第3の居場所。しかも心地良いことの要素が入らないといけない。職場には厳然と地位等による上下関係があり、家庭にはそれなりのストレスがある。90年代の30歳前後のサードプレイスが三条競馬場。当時の職場にはいないタイプの性格の人ばかり。みんなが仕事や家庭のことを忘れて没頭。競馬で会話が弾み人間関係が醸成された。これによって、心の病気を回避できた。逆にいうと、小学生から高校生だと勉
日本競馬最多勝騎手の的場文男騎手が今年度限りで引退することが明らかとなった。自分が的場文男騎手を知ったきっかけは、中央と地方の交流がほんの少しだった時期のサンケイオールカマー。的場と言えば均騎手しか知らない自分が1987年の同レースでガルダンを2着に持ってきた腕と技で名前を覚えました。勝てなかったけど、ジョージモナークやハシルショウグンを2着に導いた技量は、さすがだと感心しました。新潟と的場文男騎手と言うと、中央開催での登場はないが新潟県競馬には何度か登場。1996年のJRAのアラブ重賞
昨日は、仲間内で三条競馬場の内馬場だったミズベリング三条で、バーベキューをする予定だったが、雨予報で本当に警報が発令される大雨も降り、予定を変えて、我が家で宅飲みとしました。生肉を焼くバーベキューもいいけど、家でカセットコンロで食べる鍋物も乙なもの。今回も料理得意のN先輩が季節柄、山形風の芋煮を作ってくれました。今回は、自分は出かけなかったが故にお金もかからなかったかな。N先輩が、やっぱり野外で調理するのがいいと言うていたので、来月の3連休の日曜日にバーベキュー開催が決まりました。この
今年からの競馬。特に3歳ダート戦を中心に見直しが図られ、ジャパンダートダービーはジャパンダートクラシックと名を変え、10月上旬に施行時期が移った。その一環か、新潟競馬場で唯一のダート重賞3歳限定のレパードSにジャパンダートクラシックと関連させるために、勝ち馬に優先出走権を付与した。当日の新潟競馬場。3歳ダート重賞を盛り上げるための展示があったが、これを写真に撮って、担当職員に見せたら、ミックファイアのクリアファイルをいただきました。ふと考えたら、もう20年以上前の新潟県競馬があった頃のJ
今日は川崎競馬場で、佐々木竹見カップが行われます。地方の各主催者と中央の東西リーディングジョッキーが参加し、2レースの着順で得点を競います。今世紀に入り、売上げ不振でドミノ式に各地の地方競馬が廃止。今は、地方の主催者は12しかありません。地方競馬の各主催者のリーディングジョッキーを中央でも乗せられないものか。中央でやるなら「岡部幸雄カップ」と称して開催すればいい。中央だとどうしても外国人騎手との交流となって、地方の騎手は添え物な参加となってしまう。メディアに取り上げられることが少ない
名古屋競馬場が今週の開催を以て、現在地での開催を終了し、4月からは、トレーニングセンターである弥富に移転にする。トレーニングセンターを利用しての競馬場新設は、門別以来25年ぶりとなる。地方競馬は、一部を除けば今世紀初頭には売上げ不振で、廃止ラッシュでしたが、JRAの発売網を活用して売上げが回復している。でも、スタンドは全面改修できずに耐震補強に止まっているところがほとんどだ。旧三条競馬場だったスタンドは7年前に解体されたが、今でも新潟県競馬があったとしてもスタンドの改修は必須であったこと
1991年北海道旅打ち①前年に続き、7泊8日の北海道旅に出かけました。旅打ちと言っても人それぞれです。私の場合は競馬などの公営競技と観光、目的地までの鉄道旅を楽しみに計画しています。大阪から夜行急行「きたぐに」号で新潟に向かいます。北海道に向かう前に途中下車。三条市にあった三条競馬場で競馬を楽しみました。内馬場が一面の畑、公営競馬場の中でもローカル感はピカイチです。(三条競馬場は、2001年に廃止されました)翌日、新潟駅から特急「いなほ」号で青森に向かい
1991年8月、(旅打ち1〜2日目)仕事を済ました夜、1週間の夏休みを利用して旅打ちのスタート。大阪駅から急行「きたぐに」号に乗車、新潟に向かいます。「きたぐに」といえば、9年前の2月に行った北海道旅行で利用しましたが、その時は電気機関車が牽引する客車タイプで、青森行きだったのを思い出しました。さてJRの三条駅からバスに乗ること10分少しで本日の目的地、三条競馬場に到着。その景色は、これぞ草競馬!、でした。パドック向正面のスタート地点4角から直線にか
※同日程の松阪競輪ブログは“こちら”。立野純です。「あれ?弥彦?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。普段の弥彦ミッドナイト実況は、加奈山翔アナが担当されていますが、日程の都合で入ることができない…ということで、中村将司が向かうことになりました。しかし、すでにお知らせした通り、中村は膝の治療が終わるまで、長距離移動を控えることになったため、静岡に引き続き、藤澤アナにお願いすることになりました。弥彦と言えば、私が実況デ
アブクマポーロが亡くなった。活躍時期は、平成初期の90年代後半の船橋。中央競馬と地方競馬の交流レースが日常的に行われるようになった初期の時代。岩手のメイセイオペラが地方競馬の調教馬で初であり、今のところ唯一の中央G1を制したが、この馬もG2ではあるが、中央の重賞を制覇。ダート最強を誇った。この時代の自分は30代前半。心身共に元気な頃で、一番競馬をバカになって見ていた時期。今は、インターネットで簡単に加入できるが、当時はプッシュホンによる電話投票で、加入するには申し込みを何回か経ないと
一昨日、自分の住む集落の総会でした。毎年のことであるが、昨年の予算決算と今年の予算案承認が主議題。大げさに言えば、数時間、議員になったようなものである。参加者は高齢な男性が中心で、世帯主が参加する。50代半ばの小生でも若輩者となってしまう。これ見たら、かつての三条競馬場の場外売り場にいた方々の年齢層とほぼ同じ(笑)ここで会う方々とは松の内に会うことが少ないので、新年のあいさつも兼ねます。近年は、男女共同で何かをするという世の中。小さいコミュニティの集落だと女性の方が参加を避ける感
19年前まで、競馬が開催されていた三条競馬場。全国的には走路の内側に畑があったことで有名だった。その後は、スタンドが南関東競馬の場外発売所で使われ、2009年の国体では馬術で使用された。しかし、スタンドの老朽化で、5年前に解体。水害があったことを記録する防災ステーションができ、内馬場は整備され、芝生が敷かれ、バーベキュー、キャンプができるミズベリング三条として生まれかわった。昨日、初めて使わせてもらった。事前に申込み書類を書かなくてよく、駐車場も広く使いやすい場所である。翌日も休み
アイビスSDがある週は毎年思い出す事がある。今から12年前、アイビスSDの前日の土曜日の朝にふと頭をよぎった。それも突然だ。『そうだ京都に行こう!』では無く、『そうだ新潟に行こう!』だった。いや今なら『GoToトラベル』だ。土曜日の午後に新幹線に乗り、新潟まで1人旅だ。今思えば、何故そんな面倒な事をやってしまったのだろう。若さ故、ということにしておこう。しかしこの1人旅、とんでもない珍道中になるなんて想像もしていなかった。新潟駅についた私は、馬券を
今から20年前、柏崎市で小学生の時から行方不明だった女性が監禁されていたことが明らかとなって、新潟県内はおろか、全国を震撼した。この時の犯人の男が死亡したことが今週報道された。刑期を終え、千葉県内で孤独死していたとのこと。この女性が監禁された時が小学4年生で30年前。自分の中では、横田めぐみさん拉致事件の再現かと思ったが、北朝鮮ではなく新潟県内で発見されたことにびっくりした。この犯人は三条市の小学生を監禁したわけだが、三条競馬場に通いながらの犯行に、新潟県競馬の廃止に間接的だけど、追い
特に…まだ、三条競馬場でJRA場外があった頃、1997年かな複勝で3点を500円ずつ買ったら、なんとみんな当たり未だに伝説になってます。(※)当時は500円単位でした。
原良馬さんがお亡くなりになった。1月のJRA馬事文化賞功労賞を受けた時に長年出演したテレビ東京の競馬番組に出た時は、顔がむくれ、車イスに乗っての出演で体調優れないと感じたが、案の定だった。原さんと言えば、書いたようにテレビ東京の競馬中継。昭和末期から出演し、病気になる前まで同番組に出続けた。自分が一番競馬に興味を持っていた時期に重なり、原良馬さんは、競馬評論の第一人者のイメージが固まった。写真の色紙は、2001年8月16日、三条競馬場で結果的に競馬が最後に開催された日。当時、新潟県競
昨日の大井競馬で、的場文男騎手が佐々木竹見さんが記録した地方競馬通算勝利数7151を抜きました。間もなく62歳となりますが、還暦すぎて一流の競技者として活躍していることに尊敬するばかりです。写真は、2001年7月の三条競馬場。この年度で新潟県競馬は廃止。スタンドも3年前に解体され競馬をしていた面影は消えてしまいました。この年に引退したのが佐々木竹見さんで、左隣が的場文男騎手。右隣が当時はJRAに月間の半分程参戦し、移籍を目論んでいた頃の笠松所属時の安藤勝己さん。この時から17年の歳月を
昨日は、日曜日で日中は貴重な晴れの1日でした。家の裏に生えているまだ幹の細い竹を切る機会に恵まれました。その後は、三条方面をプラプラ。8号線の三条大橋を走行したら、三条競馬場跡地が見えて思わず立ち寄る。写真は、2コーナーから見える粟ヶ岳。3コーナー付近に未だに生える樹木。スタンド跡地に方向には靴のチェーン店がこの秋、開店しました。新潟県競馬が廃止になって、間もなく16年。平成初期の20台後半から30台前半は、競馬に没頭し過ぎましたね。50過ぎて独身なのは、これが原因。でも、個人的な人
2016年も後2日。お盆の頃も一週間程度仕事休めるが、年末年始の休みは、家を掃除するとか、正月用品買い揃えないといけないとか、親戚やお寺の挨拶回りと慌ただしく過ぎていく。30日は、三条競馬場があった頃から付き合う皆さん方との飲み会。20年弱続く恒例行事。当然、競馬の話題あり、野球の話や世間話で盛り上がる(^_^)/▼☆▼\(^_^)年齢層バラバラなのが、かえってストレス無く時間が過ぎていく。この日は、日本レコード大賞の日。大晦日から移って10年位になったかな?恒例行事のため、テレビ
三条競馬場(南関東の三条場外)が無くなって、はや1年か…どうせ叶わぬ事ではあるが、三条にJRAと南関東を組み合わせた場外が出来ないものかな(三条にJRAの場外があった時は、よっぱら[随分]行った。)