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洗濯物を干して,のんびりする。コーヒーブレイク。梨恵夢をお供に。お昼は,サンドイッチ。ポテトサラダサンドが美味しい。午後から,「新美の巨人たち」三枚の"桜の絵"日本人の魂を見る。紹介された長谷川久蔵の国宝「桜図」も,横山大観の「夜桜」も,三岸節子の「さいたさいたさくらがさいた」も表現の違いはあれど,満開の桜が描かれその思いがこちらに伝わって来るような作品でした。本物を見たら,もっともっと感動するんだろうなあと思います。それから,「万博の太陽」を見る。思ったのとはちょっと違ったけれど,来年の大阪
今日は愛知県出身の方三岸好太郎↓いつもの貼り付けで失礼します。画像はグーグルさん✨からお借りしました。いつもありがとうございます💦m(__)m💦🫶🌹それでは鑑賞しましょ奔放な画家の伴侶としての生き様は大変みたいでした…とかಠᴥಠ「花」大胆な構図の絵いいね(≧∇≦)b「華」鮮やか(θ‿θ)「婦人画報」の表紙絵フランス🇫🇷ぽっいよね~(ʘᴗʘ✿)自然にいる縞馬🦓見たら感動しそう…(*´ω`*)何の魚かしらん❓🙄青魚❓
この冬、美味しいものをいろいろいただきました。まずこちら、世田谷の洋菓子店「ロワール」のブランデーケーキです。パッケージがいかにも老舗の洋菓子店の雰囲気。包み紙の絵は、洋画家の三岸節子さんが描いたものです。そう、ご存知三岸好太郎の奥さんですね。店頭販売は、世田谷のお店と三岸節子記念美術館、三岸好太郎美術館の3カ所のみということです。ブランデーシロップがたっぷり染み込んでいて、大人の味です。毎日少しずついただきました。あ~、幸せ。そしてこちらも幸せの味、茨城の干し
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雑誌女性(1946.05)新生社藤田嗣治表紙絵敗戦の翌年4月創刊の雑誌『女性(1946.05)新生社』の第2号表紙絵は、記名がないのですが藤田嗣治です。雑誌『女性』については以前も書きました。この5月号に参加した画家につては目次に記載があって、藤田嗣治、中山巍、三岸節子、佐野繁次郎、花森安治とそうそうたるメンバーです。この雑誌については、故黒岩比佐子さんのブログ『古書の森日記』でも取り上げられています。惜しくも早逝された黒岩さんのブログは後に『古書の森逍遥』として編集され出版さ
11月21日(火)、東京国立近代美術館での『棟方志功展』。その充実した展示、作品群に堪能し。しかし、この近代美術館は、所蔵品による常設展示も充実しているので、いつも、4階にあがります。今日、出会える『一品』。『コレクションによる小企画』として、『女性と抽象』。12月3日(日)までの開催です。3つの章に分かれていて、1章『女流画家協会』桜井浜江、藤川栄子、田中田鶴子、芥川(間所)紗織、桂ゆき(ユキ子)。そして、三岸節子。2章『増殖する円』「円のモティーフを増殖させることで空間を
東京国立近代美術館に行った。抽象芸術に興味があったので、まずはコレクションによる小企画「女性と抽象」を鑑賞した。(構成)1章女性画家協会2章増殖する円3章抑制と解放なぜ女性と区別しているのか、その理由が1章でわかった。ここで『女流画家協会』とは、1947年に発足し、創立会員は73名。発会式で、三岸節子は「今まで世の中は常に男性優先で女性画家は無念の苦杯をなめさせられていた。女流は社会的基盤もなく、経済的な安定もない」と語り、連帯の必要性を訴えた
10月27日(金)、東京ステーションギャラリーで開催中の『春陽会誕生100年それぞれの闘い』展に行きました。副題に、「岸田劉生、中川一政から岡鹿之助」と。春陽会というのは、チラシには、「春陽会は1922年に帝国美術院、二科会に拮抗する第三の洋画団体として、すでに知名度のある画家たちにより組織された歴史ある美術団体」であり、「本展は、春陽会の創立から1950年代頃までの展開を、100点以上の作品で辿ろうとするものです。」と。で、今回の展示は、1、春陽会で活躍した豪華な面々2、こ
三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》1934(昭和9)年東京国立近代美術館蔵今日の一枚のアート(←勝手に名付けた)三岸好太郎(1903ー1934)の作品。東京国立近代美術館の常設展(MOMATコレクション)で、去年に撮影したものです。とても不思議な感じ。それが第一印象の絵でした。■作品紹介●《雲の上を飛ぶ蝶》作品のキャプションによると、ある昆虫学者から海を渡る蝶がいることを聞いたことから、この絵の構想が生まれたそうです。
1923年、民間最大の美術団体だった日本美術院の洋画部を脱退した画家たちが創立した「春陽会」新進気鋭の画家たちが加わり、油彩だけではなく、版画、水墨画、新聞挿絵の原画などが形式にとらわれずに出品され、帝国美術院、二科会に拮抗する第3の洋画団体として100年後の現在も活発に活動している。その100年の歴史を50名近い画家たちの作品から辿る展覧会。収蔵先も50か所から。春陽会にとっては、大規模な、そして歴史的な展覧会、なのだろう。展覧会を見に行って、初めて知ったことの方が多い。まだま
稲穂を抜ける風の青々しくも瑞々しい香り良い匂い‼️緑に囲まれてると気分が安らかになる気がする遠いご先祖様は緑の中で生きてたのかな?子孫はコンクリートに囲まれてますよ!三岸節子記念美術館自画像を見てから気になってた画家ようやく行けました!?人の気配が無い自分に怒り💢企画展の準備で休館なんてよくある事だろ💢ネットのカレンダーに休み出てる完全に見逃したー来館は逃したけど、周りの長閑な感じを楽しめたから良いかまた今度ね色々上手くいかない日も、飲めたら結果最高の日なので
にほんブログ村ただそれだけで、、、。ブログ訪問ありがとうございます。夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。努力も才能のうち。そういわれるとなんだかうれしくなります。頑張ってきたからこそ認めてもらえた。ただそれだけでこれからも努力を続けていきそうだから。私には才能がない。ただ努力と根と運があるだけで今日まで歩いてきた。才能である。才能の不足である。洋画家・三岸節子(みぎしせつこ)の言葉
エキナセアは花が上向で鮮やか、ほっておいても毎年咲いてくれる。あまり美しくなく暴れ放題のラベンダーが咲いている。昨日コロナウィルスのワクチン接種を受けた右上腕が痛くて横向きで眠れない。今日は快晴、薔薇のケアをするが黒星病が蔓延した株はどうしようもない。夕方薬剤散布する予定。三岸節子さんのリトグラフ「花」にオーダーした額縁が届いていたので、初めて額装して、シャガールのリトグラフと架け替えてみた。なかなかに良い!夕方、母の命日の墓参に行くのでそれまで勉強です。皆さまに良い週末を!
一宮市三岸節子記念美術館6月14日は歌手でカルチャー・クラブのボーイ・ジョージさんの誕生日です。「カーマは気まぐれ」が有名ですが、歌詞の一部が日本語で「戦争反対」と歌っている「戦争のうた/TheWarSong」は印象的です。ロシアとウクライナを見ていると、こういう曲は今こそ必要ではないかと思います。
企画展の『重要文化財の秘密』展。見終えて、くたくたの状態。それでも、せっかく来たのだからと、所蔵展に。日本画の会場に入って、真っ先に目に飛び込んで来ました。色彩のゆたかさ。豪華絢爛という言葉が似合いそうです。花びらの一枚一枚に、命が灯っているようで。惹き付けられました。そして、加山又造。室内の照明。それを避けて撮影するのが難しくて。まるで、『妹背山婦女庭訓』の、妹山と背山。波もまた美しくて。そして、草間弥生作品です。大きな作品。そこに、細かく細かく。見ていると、その世
ゴールデンウィーク最終日ですね今回は娘たちはそれぞれ旅行で帰省せずそれで妹家族や友人たちと久しぶりに過ごしました夫の友人夫婦と一日かけて三岸節子記念美術館とメナード美術館へ出かけました素晴らしい陽光の中前々からぜひに行ってみたかった!土蔵の中に三岸の生活品やすざましいパレットなども展示途中にある大きな神社で参拝樹々がひろがり神様が居られる場所特有の雰囲気人でいっぱい化粧品会社の美術品のコレクションはすごいと聞いていましたが夫
🍀2023年4月5日🍀三岸節子-Wikipediaja.m.wikipedia.org長谷川春子-Wikipediaja.m.wikipedia.org節子「女流画家と申しますのは、大変な差別がございました。それと戦う事が一番大きな戦い。女で絵を描いて世の中を通っていくと言う事が、大変な事でございました。」写真家の大石芳野さん。大石芳野-Wikipediaja.m.wikipedia.org「男性と対等に扱われない経験は、大石さん自身にも繋がるものだった」大石「(ベ
『銀座今昔きもの大市』のポスターがネット上で炎上した話しから少し思い出した事が有ったので書いておこうと思います。何十年か前の話しになりますが某所で一枚のデッサン画を見せられ「これ、どう思う?」そう聞かれました。其処には着物姿の男性が確か鉛筆画で描かれておりその隅には近代の巨匠のサインが入れられていました。「自画像らしいんだけど」そう言われれば確かに写真で見覚えの有るその人そっくりに描かれています。サインもその人のモノです。真顔で聞かれたので
いつも、ご覧頂きありがとうございます。まずは、一宮市尾西歴史民俗資料館(林家住宅)に行きました。ここの建物は、とても古く、おもむきがあります。次に、美術館に移動しました。ここは、一宮市三岸節子記念美術館です。作品『さいたさいたさくらがさいた』は三岸節子さんが93歳の時のもので、とても迫力があり、印象的でした。(130X160cmのキャンパス)1925(大正14)年、20歳で画壇デビューした三岸節子さんは、生涯94歳まで、何百枚、何千枚という絵を描きました。先ほどの桜の絵は、桜は短命
こんにちは、古布リメイク・デザイナーあきやま幾代です。昨夜視聴した番組です。2023年3月7日NHKBS1戦前に生まれた洋画家・長谷川春子と三岸節子。ふたりは姉妹のように手を取り合って女性の地位向上に力を注いだ。しかし戦争がその友情を引き裂いて…。#国際女性デー半年ほど前に「フォーラムあざみ野」でのセミナー「戦時下の女流画家たち」で知った三岸節子と長谷川春子の関係をより掘り下げてありました。是非、NHKオンデマンドでご覧になれる方お薦めしたいです
明日3月8日の「国際女性の日」を控え、関連番組が放送されました。NHKBS1「春子と節子」午後8:00~10:00(再放送3月8日午9:00~)二人の女流画家、長谷川春子(1985~1967)と三岸節子(1905~1999)が、戦争を挟んでどのように変わっていったかを描いた番組です。長谷川春子は文筆家の長谷川時雨の末妹で、姉のすすめで画家への道を歩みました。三岸節子はやはり画家を志して上京、女子美術学校で学びました。二人は女性の地位向上を目指して意気投合、女流画家の七彩会を
市川由紀乃さんの今歌われている石狩ルーラン十六番地」のモデルとなっている三岸節子さんの生涯を探るドキュメント番組が今夜NHKBS1で20:00~放送されます三岸節子さんという方が、どう生きたかを、これまでの由紀乃さんの説明に加えて改めて知る機会ですねファンの方で関心のある方、是非ともご視聴を、、🤗👋
一宮市三岸節子記念美術館にお邪魔しました!作品を見る時画家の生涯や作品の背景を知るのが好きですまだまだ冷える季節室内で芸術鑑賞はいかが?
昨日の続き。・・・というわけで、行ってきました。鷺ノ宮にある画家・三岸節子さんがかつて住んだアトリエへ。このアトリエ、昭和初期のモダン建築、という記憶が先行して、すっかり失念していたのですが、パネルを見たら、設計者は山脇巌とのこと。そういえば玲子さんのブログにそう書いてあったっけ、と思い出しました。ドイツ合理的モダニズムの潮流バウハウスに留学していた山脇の建築物を見るのはこれが初めて。ただ、写真美術館で開催された建築写真展で、彼の写真作品は見たことがあります。
きっかけは今から2年前、18年来の友人・玲子さんのブログ(「玲子の自転車とアート&世界遺産巡り:アトリエM訪問」)でした。ええ?三岸好太郎・節子夫妻のアトリエ兼住居が文化の日に公開されてたんだ・・これは行きたかったなぁ、、絶対来年行くぞ!と拳を握りしめたのでした。(しかし翌年コロっと失念。今年やっと実現。)そもそも三岸節子の名を初めて聞いたのは、2010年のこと。「三岸節子展に行ってきました」っていうメールが学生時代の友人Yちゃんから舞い込んで。彼女はその画家の名前は知
江戸時代から明治にかけて活躍した日本画家、河鍋暁斎の娘である、やはり日本画家の河鍋暁翠の展覧会が近くで開催されているので、昨日、行ってきました。場所は愛知県一宮市にある一宮市三岸節子記念美術館です。この美術館へは約1年ぶりに行きました。暁斎の展覧会へは東京で行っているのですが、暁翠の絵を見るのは初めて、というか、暁翠の作品に特化した展覧会が開かれること自体が恐らく初めてでしょう。暁斎自身が日本でよく知られるようになったのが最近のことで、暁翠は「暁斎の娘」として、「つ
北海道立三岸好太郎美術館北海道立美術館ポータルサイト北海道内の道立美術館の概要・展覧会情報をご紹介いたします。artmuseum.pref.hokkaido.lg.jpこちらも若い頃に来たきりで、久しぶりの再訪です三岸好太郎といえば蝶々🦋花ト蝶貝殻と蝶檸檬持てる少女後に結婚する節子を描いたもの赤い肩かけの婦人像少女の像面の男マスクせる道化道化役者(ひとがいません。。。)オーケストラも有名ですねこの作品はよく見るよね↓飛ぶ蝶アトリエの模型2階では若手芸術家の作
「東京文化財ウィーク」の開催でいつもは見学できない建物を見学できました1934年(昭和9)竣工。どこを見てもオシャレですねお庭からの入り口も可愛い
今日、11月3日は文化の日今、開催中の東京文化財ウィーク2022で特別公開されている三岸家住宅アトリエ(中野区)に行ってきました閑静な住宅街の中にある国登録有形文化財です三岸家住宅アトリエ三岸アトリエは画家三岸好太郎・節子夫妻のアトリエとして昭和9年(1934)に建築されました好太郎がデザインしドイツのバウハウスに留学した建築家山脇巌が設計、好太郎は竣工を待たずして亡くなりましたが節子がアトリエを完成させその後住宅兼アトリエとして使用していました外観は直方
芸術の秋第三弾!こちらの展示を観てきました。父親の河鍋暁斎から英才教育を受けた暁翠の作品展。幽霊画もありましたが、全般的にはっきりとした色彩の明るい絵が多かったです。大作を製作する前の下図も展示されていてその思考過程も窺えるものでした。女子美術学校で教鞭をとっていたこともあり、お手本も残っていて、絵の具の付け方、筆の傾け方の書き込みもあり、懇切丁寧な指導をしていたことも窺えました。会場となっていたのは「三岸節子記念美術館」篤志家の私設美術館かと思ったら三岸さんも女流