ブログ記事17件
2025年4月6日にこのブログで、「よみがえる紫電改」のタイトルで、鹿児島県阿久根市折口の海に沈む紫電改の引き揚げ活動について書きました。『よみがえる紫電改』愛媛県の紫電改展示館昭和54年(1979年)、愛媛県南宇和島の久良湾の海底に沈んでいた紫電改がほぼ完全な形で発見され、引き揚げられて「紫電改展示館」で展示さ…ameblo.jpそして、ついに、2026年4月8日、紫電改が引き揚げられました!ニュースで、海から引き揚げられた紫電改を見て、涙でましたわ。胸アツです。紫電改の翼
こんにちは( ̄^ ̄)ゞ前回の『3月19日「彩雲」高田少尉機と松山上空大空戦』から続きます『3月19日「彩雲」高田少尉機と松山上空大空戦』こんにちは(*ωameblo.jp゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。…ameblo.jp今年2025(令和7)年は、昭和百年で戦後80年になり、先の戦争体験者も殆どが鬼籍に入られました太平洋戦争の実情は、戦後生まれの私には、これまでに見聞きした証言記録や
戦争末期、数少ない残った精鋭パイロットで作られた「三四三空」この部隊は、みな精鋭パイロットでしたが、その中でも「菅野直(かんのなおし)」の生き方がカッコイイオレが「縁430」のプロトを計画した時はいろんな思いがあって「3ピース」とか「4.3m」という長さの設定とか(別に4.2mでも4.4mでも大差ないのになぜに4.3mにしたか)ブランクを作る時の品番には「ピース数」や「長さ」が品番の中に入ります3ピース設計で4.3mは「343」となります「3430」でもいいけどだから
こんにちは(*>ω<*)ゞ前回の「還って来た紫電改7月24日豊後水道上空」から続きます『還って来た紫電改7月24日豊後水道上空』こんにちは(*ωameblo.jp2025-10-24゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚…ameblo.jp゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・フィリピン、台湾、沖縄からほぼ等距離の西太
こんにちは(*>ω<*)ゞ前回の『還らざる六機第三四三海軍航空隊』から続きます『還らざる六機第三四三海軍航空隊』愛媛県愛南町馬瀬山の山頂に建つ紫電改展示館ココに保存されているのは日本に唯一遺る紫電改の実機でいまから46年前に久良湾の海底から引き揚げられました今年7月に、…ameblo.jp2025-10-24゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・宮崎県延岡市で鎮魂碑の建立作業が
愛媛県愛南町馬瀬山の山頂に建つ紫電改展示館ココに保存されているのは日本に唯一遺る紫電改の実機で、いまから46年前に久良湾の海底から引き揚げられた今年7月に、この機体が国内で13例目の日本航空協会の「重要航空遺産」に認定されましたまた、愛媛県は老朽化した現展示館を建て替える予定で移設に耐えられるか機体の劣化状況調査も行われており現状では懸念があるとの事新しい展示館の2026年度の完成をめざしてクラウドファンディングが行われ機体の補強費用に充てる目標の1千万円を
1945年、敗戦となったあの戦争を振り返っています。戦地で苦難を乗り越え生還された方、無念の想いで殉職された方、戦時下でも高潔な人格を貫き通した方、さまざまな方を取り上げますが、根底にあるのは、あなたたちの想いは繋いでゆきますという考えです平和な祖国を願い戦地に赴いていった人たち決して戦争を美化するものではありません1979年(昭和54年)7月14日愛媛県久良湾の海底から一機の戦闘機の機体が引き上げられました太平洋戦争末期、本土
林大尉の紫電改引き揚げプロジェクト進行中!以前「よみがえる紫電改」で、鹿児島県阿久根市折口海岸に沈んだ紫電改の引き揚げプロジェクトが進行中と書きました。『よみがえる紫電改』愛媛県の紫電改展示館昭和54年(1979年)、愛媛県南宇和島の久良湾の海底に沈んでいた紫電改がほぼ完全な形で発見され、引き揚げられて「紫電改展示館」で展示さ…ameblo.jpその後、このプロジェクトは全国的にもニュースになり、調査活動が進んでいます。今年秋までに引き揚げることが目標ということで楽しみです。
海軍士官パイロットの理想形まんまるお目目の鴛淵孝(おしぶちたかし)大尉。(写真はWikiからお借りしました)海軍士官パイロットの理想形。誰からも慕われた人格者。戦闘機隊指揮官のお手本のような方。零戦と紫電改の両戦闘機を駆った撃墜王。夫にしたい海軍士官ナンバーワン(←オイ・・・(;^_^A)だって尊敬する宮野善治郎大尉は素晴らし過ぎて神棚に上げておかないといけないレベルの方だし。笹井醇一中尉はハンサム過ぎて芸者にモテモテだったそうなので芸者遊びが心配だし。やんちゃな菅
(↑紫電改。Wikiからお借りしました。)このブログを見ていて下さっている方はお気づきと思いますが。私は、ミーハーな海軍航空隊ファンです。海軍航空隊跡を訪ね回るのが趣味。このブログでもたびたび、海軍航空隊跡訪問の様子をアップしてきましたが。海軍航空隊関連はまとめて、別ブログ「碧色に染まれ」にアップすることにして、海軍航空隊跡ツアーや、私が沼落ちした(イケメンの)海軍パイロット達、海軍航空隊関連の本や映画についても、別ブログにまとめることにしましたので、興味がある方は遊びに来てくださ
愛媛県の紫電改展示館昭和54年(1979年)、愛媛県南宇和島の久良湾の海底に沈んでいた紫電改がほぼ完全な形で発見され、引き揚げられて「紫電改展示館」で展示されています。紫電改は世界に4機しか存在していませんが、現在のところ、日本で見られる紫電改はこの1機のみ。太平洋戦争当時、本当に空を飛び、本当にアメリカの戦闘機と戦った、本物の紫電改です。ここを訪れたいのですが、東京住まいの私にはさっと行ってこれる距離ではなくて、まだ訪れる機会がなく・・・。2026年度に予定されているという建て替
紫電改部隊がいた松山海軍航空隊跡を訪ねたい・・・と思っているのですが、まだ実現できていません。しかし、私の妹が旅行業界に勤めていて全国回っているものですから、妹に遠隔指令で、私が行けていない海軍航空隊跡を訪ねさせております(笑)。仮に妹をfuyunoBとしましょう。fuyunoBは今回松山に行ったので、仕事の合間に松山海軍航空隊跡を訪ねてもらいました。海軍航空隊跡は、現在松山空港になっております。海軍航空隊があった名残は、小さな碑と付近に散らばっている掩体壕ですね。こんな小さい碑し
菅野直大尉には、たくさんの逸話があるのでご紹介したいと思います。もはや伝説と化し、事実かどうか、あるいはデフォルメされているのでは?と思える話もあるけれど。その場にいた人が書き残した書物から確認されているお話を中心に紹介してみましょう。練習機で教官あおり運転秦郁彦著『太平洋戦争航空史話下』の「三四三空始末記」に書かれている話ですが。菅野さんが飛行学生時代に格闘戦訓練で教官の飛行機に突進しすぎて空中衝突を起こしかけることたびたび((;^_^A)それで、教官達は命が幾つあっても足り
海兵同期、関大尉の神風特攻を知る・・・昭和19年(1944年)10月、フィリピンのレイテ沖海戦で特攻隊による攻撃が始まったのですが。それまでの戦いで航空機も搭乗員(特に熟練のベテランパイロット達)も大きく減らしてしまった日本海軍としては、、栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させるために、アメリカ空母から1週間くらい艦載機が飛び立てないようにする必要があり、そのために当時第一航空艦隊司令長官であった大西瀧治郎中将が「神風特別攻撃隊」、いわゆる特攻を決定しました。フィリピンをアメリカに占領されると
佐々木原正夫氏。1997年、松島にて(撮影/神立尚紀)現代ビジネス2024.06.2815日午後、三四三空司令・源田実大佐は状況を確かめに、大分基地にあった第五航空艦隊司令部に飛んだ。さらに8月17日、司令は自ら紫電改を操縦、横須賀に向かい飛び立った。源田司令が、大村基地に帰ってきたのは8月19日午前のことだった。このとき、司令は、東京で授けられてきた新たな任務を、出迎えた飛行長・志賀淑雄少佐に打ち明けている。それは、近く連合軍が進駐してきて日本は占領されるが、天皇の
旧日本海軍局地戦闘機・紫電改(愛媛・愛南町の紫電改展示館)国内に唯一残る実物の紫電改である。本日はそんな戦闘機、零戦や紫電改の搭乗員として戦った笠井智一さんの命日である。(2021年1月9日没94歳)笠井さんとの出逢いは15年前、紫電改引き揚げ30周年記念イベントが行われた時であった。紫電改展示館に笠井さんが寄贈された三四三空時代(松山基地)の紫のマフラーが展示されてる。道後で行われた愛媛零戦搭乗員会総会でもお会いした。総会後、笠井さんの宿泊された部屋には偵察機・彩雲の杉野さんを加え
紫電改を駆って活躍した第三四三海軍航空隊「剣部隊」を研究するにあたって外せない書籍といえば、三四三空剣会が編纂した『三四三空隊史』です。本書は、元隊員たちが体験記や写真、資料を寄せて編まれたもので、非常に価値のある書籍です。現在も、以下のリンク先から復刻版を購入可能です。紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り「三四三空隊誌」のお申し込みについて(fc2.com)さて、ここから本題に入ります。『三四三空隊史』の巻末には、生存者名簿と戦没者遺族名簿がついています。この名簿は、元
今日は、紫電改を運用したことで有名な第三四三海軍航空隊「剣部隊」についての話題です。この三四三空が、終戦後に「皇統護持作戦」に参加していたことは、いくつかの書籍やネット記事でも紹介されていますが、それに参加したメンバーのことはご存知でしょうか?簡単に本作戦の概要を述べると、連合国軍に降伏したのちも皇統(皇室の家系)を絶やさないよう皇族を国内の秘境に匿う作戦のことを指します。この作戦には、三四三空以外にも陸軍の中野学校なども参加していたようです。三四三空では、司令の源田實大佐が終戦直後
*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照してください。四国松山などを拠点として終戦間際に活躍した戦闘機紫電改を主体とした海軍の三四三航空隊には、三人の名物隊長がいた。戦闘七〇一飛行隊長の鴛淵孝、戦闘四〇七飛行隊長の林喜重、戦闘三〇一飛行隊長の菅野直である。各々、海軍兵学校六十八、六十九、七十期出身である。その中で最先任の鴛淵の伝記が、豊田穣『蒼空の器・若き撃墜王の生涯』、光人社NF文庫、1993(平成五)年である。この書については、以前「二著物語・蒼空戦記
先日放送された鉄腕!DASHの「DASH島」山頂まで登り太一達が見つけたレンガ造りの建物松岡、鋭い👍番組では東京湾に浮かぶ第二海堡のような要塞か?で終わったけど・・DASH島の正式名称は松山沖に浮かぶ「由利島」👌(由利島に残る旧海軍呉警備隊の探照灯台指揮所跡/池田宏信撮影)この島は大戦中、海軍の呉警備隊探照灯台が置かれ、呉軍港を攻撃に向かう連合軍機を監視し通報、夜間の空襲時には敵機を照射して高角砲の迎撃を支援した!太一達が見つけたレンガ造りの建物は、探照灯台指揮所跡という訳👍