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昼間はヘップHALLで片岡自動車工業さんの#青島青子を観劇して近鉄アート館まで御堂筋線乗って向かって着いたら受付は始まっていて開場は開演の30分前になったので指定された席に座り上映時間は2時間ちょいだが今日が千秋楽のために時間がちょいと過ぎていたのだ#そとばこまちさんの#おりょう公演千秋楽始まってとても内容がある作品でした。終わってから役者さんとお話が出来ました三吉慎蔵役の田中尚樹さん佐々木只三郎役の役者さんダンサー役の花田咲季さんあまりお話が出来なくてごめん
4月29日散策/功山寺・大内義長の墓日本史を語るうえで幾度となく歴史の舞台になった、最古の禅寺様式を保つ仏殿を持つ功山寺元々は長福寺と呼ばれ、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元の菩提寺とされてから毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所でもあり、明治維新の転機となった高杉晋作が僅か80人程度で挙兵した地でもあり、五卿潜居の間から望む美しい庭園は人々の目を惹かせ、多くの歴史ファンを魅了する境内の裏には長府毛利家墓所や、坂本竜馬の護衛を務めた長府藩士三吉慎蔵の墓などもあって、見どころ満載で、
歴っしゅ!4月の振り返り記事を書いております。4月29日(土)贈正四位坂本龍馬直柔150年祭が無事執り行なわれました。靖國神社での慰霊祭の後、坂本家第9代ご当主の坂本登さんから第10代ご当主の坂本匡弘さんへの襲名披露がなされました。錚々たる子孫の方がお集まりになられ、私もスピーチの機会を賜り、感無量でした。式典なので、いつもの龍馬衣装ではなく、着物で。靖國神社へ参拝したことはあったのですが、今回初めて本殿へ昇殿参拝させていただき、明治天皇がお贈りになられた大鏡を拝見する
4月29日散策/乃木さん通り楽しみにしていたGWオッパが突然、「今度の休みは下関へ1泊しよう」って、ホテルも手配済みでねわぁいわぁい超早起きして、始発の列車で行ってきたよ下関へは何回か行ってるけど、結婚してからは初めてだねぇフグ食べたねはい!からっと横丁で観覧車乗ったねフェリーに乗って北九州の門司港へも行ったねわたしはまだ山口県の土地勘が無くて下関市の長府駅に着いたんだけど、わたしはずっと「下関市」「長府市」だと思ってたよ~「長門市」の隣が「長府市」だと思ってたの「長府
慶応2年1月23日、土佐脱藩浪士の坂本龍馬は京での薩長同盟の会談を斡旋した直後、伏見の寺田屋に薩摩人として宿泊していました。坂本龍馬と長州藩の三吉慎蔵は深夜の2時に伏見奉行の捕り方30人ほどに囲まれました。いち早く気づいた入浴中のお龍は裸のまま裏階段を駆け上がり、2階にいる坂本龍馬らに危機を知らせました。坂本龍馬は高杉晋作から貰った拳銃で応戦し、三吉慎蔵は槍で応戦しました。坂本龍馬は捕り方を2人射殺するも、左右の指を負傷しました。三吉慎蔵は槍で必死に応戦し、その間に坂本龍馬は脱出をしました。
夜勤明けである程度寝まして、起きて晩ごはんの支度を近所のスーパーに行くまえに家の📪覗いたら封筒ありましたので買い物から帰るまではそのままにして買い物済ませて家に着いて📪覗いたら#劇団そとばこまちからチケット入り封筒が入ってました#劇団そとばこまちよしもと×そとばこまち第二回公演「おりょう」チケットです。指定席近鉄アート館来月公演なので今から楽しみにしてますよ。劇団員のレターが入ってました初めて見る名前です。来月公演の21日(日)17:00配役おりょう:南園み
幕末、戦国、武将、武士など歴史が大好きな僕より今日は三吉慎蔵さんの命日です。三吉慎蔵さんは坂本龍馬さんの命の恩人です。寺田屋で幕府の捕り方に襲われた坂本龍馬。しかし龍馬の用心棒だった三吉が機転をきかせて、龍馬をうまいこと逃します。且つ、自力では助けられないと判断し、薩摩藩に助けを求めにいきました。三吉の見事なファインプレーでした。もしかしたら三吉慎蔵さんがいなかったら全く違う日本になってたかもしれませんね…そう考えると人との縁とは本当に不思議なものですね。改めて人との縁を大切
幕末、戦国、武士、武将、日本の歴史が大好きな僕から慶応2年の昨日発生した寺田屋事件について。幕府伏見奉行の捕り方に囲まれた坂本龍馬と三吉慎蔵は寺田屋からの脱出に成功しますが、龍馬は手の親指に傷を負ってしまいます。そこで三吉は伏見の薩摩藩邸に駆け込み「龍馬を助けてくれ」と懇願します。薩摩藩としても龍馬は守らないといけない存在です。伏見奉行の捕り方がまだ龍馬を見付けられない隙を見て薩摩藩は龍馬救出に成功します。写真はその時に龍馬が隠れていた材木屋の碑です。この寺田屋事件をきっかけに龍馬
今日は母を連れて、下関市の城下町長府に行ってきました。この辺も紅葉の見頃を迎えております。そこで散策風景をまたいつものようにご紹介します。功山寺長府毛利邸下関市立歴史博物館(11月18日オープン)三吉慎蔵邸跡維新発祥の地碑壇具川沿い今日も先週に引き続き、この時期ならではの醍醐味を味わうことができました。
今回初上陸の山口県!旅の始まりはこちら、功山寺から曹洞宗のお寺で、開創1327年。毛利氏の菩提寺。仏殿は国宝。開山から数年後には鎌倉幕府が滅亡し、南北朝時代へ政権にそむいて京都を追われた足利尊氏が、九州に走る途中に立ち寄ったそうな。国宝仏殿中が拝観できるのは特別開扉期間のみで、通常は入れない。千手観音立像が安置されており、ご眷属の二十八部衆立像もいらっしゃるとのこと。反っている屋根が珍しい仏殿の裏手皆さん身内だけでいらっしゃるのだろう。これ以上は近づかない。法堂法堂に
既に、昨年の10月18日の記事に書いているのですが、高知市桂浜の坂本龍馬記念館に「龍馬の人柄」という展示があります。寺田屋事件で龍馬と妻のお竜を助け、龍馬暗殺後もお竜の面倒を見た、その「親友」、長州藩士三吉慎蔵の言葉。「坂本龍馬という人は過激なところは微塵もなかった。声高に事を論ずる様なこともなく、至極おとなしい人だった。容貌を一見すると豪気に見受けられたが、万事温和に物事を処理する人だった。但し、その胆力は極めて大きかった。」静かで温和でいながら、その懐は深く、人を引き付ける魅力と度量
大正8年の唐戸の市役所、警察署、大国神社の北隣りに米穀取引所が見える。この米穀取引所の創立者がかつての維新の志士の長府藩士、豊永長吉(印藤聿)であった。参考①印藤聿(のぶる)生家跡(参考)龍馬の支援者たち印藤聿(いんどうのぶる)・長府藩士・龍馬と長府藩府を結ぶパイプ役。(政治的支援者)・維新後は、龍馬の夢を継ぐかのように財界で活躍し、関門地域の殖産興業に尽力。渋沢栄一らとともに門司の築港も手がけた。(維新後は「豊永長吉」と名乗る。)坂本龍馬との交友松浦玲氏の「坂本龍馬と
超モダンな外観の坂本龍馬記念館は、桂浜から少し昇った小山の上にあります。まずは龍馬とシェイクハンドして、中に入ります。確かに新しもの好きな一面があったと思われます。ブーツも愛用してましたしね。龍馬の残した手紙は、現在確認されているもので140通ありますが、この記念館では複製も含めて、40通が所蔵されており、展示の中心となっています。という訳で、この本を購入(笑)桂小五郎(木戸孝允)、西郷隆盛、陸奥宗光、板垣退助、妻のお龍等の龍馬についてのコメントが展示されていますが、5年前のブ
昨年に引き続き、国土交通省淀川河川事務所上流域流域センター(伏見)にて開催された「淀川発見講座」に参加してきました。今年は、京都市伏見区の会場で、講座終了昼食後の「淀川探訪」は、十石船にて伏見を巡ります。京阪電鉄中書島駅から伏見港公園内の、淀川河川事務所上流域流域センターに向かいます。伏見港。伏見港橋を渡った所。上流流域センター。京都会場です。淀川発見講座淀川発見講座です。講習会場。大阪会場より二回り位狭い様です。第一講「淀
2010年7月19日嫁と嫁のお母さんと行って来ました。京都と大阪をつなぐ水運の要所であった伏見奉行所跡戊辰戦争時、ここに新撰組などの幕府軍が陣取った割烹魚三楼さんの玄関に戊辰戦争時の銃弾の跡が残る寺田屋付近の伏見口の戦い激戦地跡の石碑幕末まで伏見は大阪との船の行き来が盛んな港町だった。土佐藩邸跡石碑実は私、ここに来るの4回目です。最初は会社の人と、次は関東の友人と、そして我が親父を案内しました。しかしなぜかいつもデジカメを持ち忘れていました。京都で龍馬と言えばここに連れてきて