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実際の清少納言の参考図は見つかりませんでした。イラストはNHKの大河ドラマのものでもありません。京都の時代祭の衣装を参考にしました。もうちょっと手直ししたいと思っています。赤系・青系を色鮮やかにして華やかな衣装に仕上げたいです。
真如堂塔頭である吒枳尼天[だきにてん]。正式には法伝寺(法傳寺)。古来より吒枳尼天を祀る神仏習合の寺院です。吒枳尼天は白い霊狐に乗る天女でもあり、稲荷神と同一視されています。永らく真如堂の鎮守社、稲荷大明神(稲荷堂)でしたが、明治の神仏分離には一寺院として存続の道を選びました・・・・・三重塔の隣りより総門外へと移され現在に至ります。■法伝寺参道何の疑いもなく神社として参拝できます。が、神社ではなく塔頭寺院なんですね。■一之鳥居
日帰り京都行って来た。ずっと前からのリアルきもの友達の卒業展を見に京都文化博物館に!アルスシムラの本科を卒業するにあたり、自分で織り上げた長着と帯の展示がズラリと並べられていた。予科の方々の帯も力作だったし、卒業されてからも織物を続けていらっしゃる方々の展示もあって、見応え十分。トキ孫は今朝の関東地方の霙対策の大島紬に築城則子さんの小倉織の帯に母世代のきもの友達から頂いた昔の羽織を洗い張りして自分で仕立てたアンティーク羽織。リア友は読谷山花織のきものに昨年自分で織り上げた帯。大きな帯留がまた
<あらたまの年立ちかへる朝より待たるる物は鶯の声>平安時代の三十六歌仙の一人、素性法師の歌である。春のかすかな足音に耳をすませて、いち早くその息吹をつかまえようとする。暖かな日々の到来を、人はいつも心待ちにする。とはいえ今年は・・・・・・・2月12日付け朝日新聞天声人語よりとはいえ今年の春はやっと背中の荷を下ろすことが出来そうである、嬉しい春が来そうだ。子供の頃、天声人語の文章をノートに書き写せ、と言われたが、怠けてばかりいた。今になって後悔しても始
中国に花信風という言葉があります。日本風に云うと花だよりの風でしょうか。昨日今日と寒い風が吹いていますが、水戸の市内では寒紅梅が咲き始めました。写真の梅の花1昨年の2月に周りの建物が映り込まないよう、夜に撮った我が家の梅のものです。さて、春告草の異名もある梅ですが、中国原産とされ、我が国には弥生時代ごろに、食用ないし薬用として渡来したようです。花木として、本格的に栽培・鑑賞されるようになったのは、遣隋使・遣唐使が始まった奈良時代以降のこととされています。
『ふるさと文学館第二十一巻』に収録されている福永武彦の貝合わせ」(昭和42年『ミセス』)を読んだ。福良(ふくら)から富来に続く奇巌地帯を見にいった時の紀行文。富来の小さな旅館に泊まった福永が手にしたのは増穂浦で見つかる小さな、色とりどりの貝殻。その中で紹介しているのが三十六歌仙貝これまた初めて知った事なので調べてみたら、今でも有名なものだと分かった。増穂浦海岸の風物詩、三十六歌仙貝を集めてみませんか?しかまち観光ガイドは石川県志賀町の観光ポータルサイトです。西能登、能登
ようこそお立ち寄り下さいましたいつもありがとうございます😊年末記事です忙しくてほったらかした記事ですごめんなさい😆新宿と四ツ谷の中間…新宿御苑あたりへ出張打ち合わせは盛り上がってやり切った感じがしたので帰り道電車は四ツ谷駅からにしたのですが向かう途中に鎮座するアニメ好き❤️には外せない聖地須賀神社⛩️さんに立ち寄りました階段を登ると右側なんですね!思い込みでこの男坂の階段が東向きで社殿は南向きだと勘違いしてました…単なるイメージなんですが実際は階段は北北東向き社
四谷須賀神社は新宿区須賀町に鎮座する神社で、四谷の総鎮守。参道の男坂石段がアニメ『君の名は。』の舞台としても知られる(見たことないけど)。鳥居は平成二年(1990)に建立、扁額には「須賀神社」の文字。社殿はRC造。扁額には須賀大神&稲荷大神の文字。そして、本殿内には「三十六歌仙絵」が置かれてある。この絵は天保七年(1836)に製作、奉納されたもので、新宿区指定有形文化財に指定されている。鳥居のそばには1対の狛犬。昭和三十
枯葉の舞う季節、山の椿は満開です。京都散策の続き京セラ美術館を後にして、次に立ち寄ったのは美術館の傍にあるメゾンドゥシャルキュトリエム生ハム大好きな娘へのお土産を買いに。私も好きだけど。初来店。クリスマスメニューにぴったりで、どれも美味しそ〜。お目当ての生ハムはどれどれ。「う、高級お肉」生ハム「ジャンボンドアルデュード」50g1100円気を取り直して、お試しで最小量50g程購入。購入しないという選択肢もありますが、専門店の生ハムってどれほどのものよ!と気になって。それ
【詩仙堂】徳川家康の家臣でもあった江戸初期の石川丈山が1641年(寛永18)59才の時にに造営、90才で没するまで隠棲して詩歌や作庭を楽しんで生活した山荘跡。※写真は過去写真ですそうだ京都、行こう。JR東海のキャッチコピーはある日突然戦うのがいやになりました。花や虫たちと暮らすことにしました。といってこの庭を戦国時代の武将石川丈山がつくったそうです。まあいろいろあったんじゃないでしょうか。境内には「唐様庭園」と呼ばれる中国の山水画を模した庭園が書院前に広がり、座敷に腰を下ろし
夫:今日は二人で都心のビル2階に設えた和室で舞を鑑賞してきた。先輩評論家のトークが面白かったよね。妻:三老女物への挑戦を終えて、今回、地唄舞の真髄二演目を素の拵えにて上演したのは初めてだそうです。
前記事より続きます。マンホールサミットin岡崎乙川河川敷に並ぶ県内のマンホールを見ながら歩きます。ここまで来たのなら…と、月参りに菅生神社へ立ち寄りました。歴代🏯岡崎城主の信仰を集めた岡崎市最古の神社です。神無月の参拝御朱印を授かりました。こちらの石像ご記憶にある方いらっしゃるかな?太鼓を鳴らす酒井忠次二週ほど前の回だったかな?📺️大河「どうする家康」の紀行で映っていました。この度のマンホールサミットは『戦国武将ゆかりのマンホールで乱
佐竹本三十六歌仙絵巻の断簡の隣には上畳本三十六歌仙絵巻の断簡まであった。小大君だ。上畳本は初めて目にした。この小大君、とてもとても愛らしい。色もとても鮮やか。こちら、個人のものなのだろう。よく貸し出してくださった。本当にありがとうとしか言いようがない。この絵のあった場所は空いているので、一度見て、先を見て。また戻ってきて、と数回見た。それができる幸せを噛みしめながら。幸せついでに願ってみた。いつか、三十六歌仙絵巻が全て揃って展示される日が来ますように
さて、入場してすぐ遅々として進まぬ長蛇の列に衝撃を受け、それが部屋が変わっても続くことにげんなりしてきた頃、空いていて見やすい展示を見つけた。ずっと一列でどの展示物であってもナマケモノのような速度で全員で移動しているのかと最初は思ったが、ものによってはそうでもなかったのだ。あれ?あそこ空いている。あの絵知っている。まさか!わくわくして近寄る。なんとなんと、本物の佐竹本三十六歌仙絵巻、しかも小大君に小野小町ではないか!どうして誰も見ていないの?最古の三
う低山山歩きの醍醐味を堪能させてくれる、5/28に来て以来の約5ヶ月ぶりに来る源蔵山経由学文字山は、久々である。現地出発は「7時40分」であった。さて、先ずは「宝樹寺」で参拝し、山道入り口から入っていく。大きな水道タンクを左に折れて、太陽光パネルのフェンスに沿って下っていくと、この時間帯だけの絶景を見せてくれる「池」があり、すぐ近くにある夏場のウォ-キング時によく来た「石投地蔵」に寄って行く。特に右横にある「ぼけよけ地蔵」には、丁重に参拝をし頭をなでて、少しでも「ボケの来る時
湯澤神社例祭が昨日までの2日間、無事終わりました。お祭りのスタートは9/8の夜から。大湯通りは屋台で賑わいます。ひとまず屋台めぐり。はずれなしのくじ引き。射的。チョコバナナ。綿あめ。今年は久しぶりのコロナの制約なしのお祭り。散財してきました(笑)19:30からは花火大会。花より団子?でこどもたちは花火よりイカ焼きでした(笑)花火の寄付奉納者一覧に、たまゆらの名前も見つけました!そして、一息つくまもなく19:45からは燈
…にも選ばれた女流歌人は誰か?「伊勢(生没年不詳)」である。父は伊勢守、大和守を歴任した藤原継蔭(ツグカゲ)。寛平3年頃、宇多天皇女御・藤原温子の下に遊び相手として参上。藤原仲平(ナカヒラ)との恋を経て行中親王を産むが夭折。篤慶(アツヨシ)親王との間に中務(ナカツカサ)を産む。宇多・醍醐・朱雀3代40数年にわたり歌人として活躍。『古今和歌集』では小野小町をしのぐ女流歌人として多数彩歌される。家集『伊勢集』を残す。
ちょこっと和歌のお告げ。本日の歌は「深き淵」。完全解説付き歌占カード猫づくし©2016TaeHirano/TakutoEndoPublishedbyYAKAN-HIKO,INC.深きより深き淵にぞ入りにける思ひの絶えぬこの身なりけり深い深い水の淵に入ってしまった。物思いの絶えないこの私なのだ。・・ぐるぐると結論の出ない思い。行き止まり。そんなときはとことん、落ち込むしかない。深い深い水の底で、
昨日の記事に書いた通りヘロヘロになりながらも記事を上げますが、今日の投稿は「六歌仙の覚え方」(突然に前触れも無く、何じゃそりゃ❓)百人一首なんかを読んだり、カルタ取りをやったりするとよく出てくるじゃないですか「この人は六歌仙!」とか「あぁ、この人は六歌仙じゃないけれど三十六歌仙の方には入っている❗️」とかとかで、先日、祇園祭について書いたときに、日本で最初に和歌を詠んだとされるのは素戔嗚尊(スサノオノミコト)だと『古今和歌集』の仮名序に紀貫之が書いていると知ったかの様なことを書きましたが、
丹後掾曾根好忠◆丹後の原像【76.「丹後史料叢書」~「丹後舊事記」21】今回は丹後ゆかりの歌人を。平安中期の人物。ちょっと面白い歌人だったようです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これまで本編記事内に過去記事一覧を設けていましたが、記事数も50本を超え煩雑になってきました。そこで別記事を上げてお…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【読み下し文】一、丹後
佐久奈度神社。滋賀県大津市。大祓詞は天智朝に中臣金(なかとみのかねなかとみのくがねいろいろに読まれます)によって作られたという説がありますが、さらにその場所が当社の位置だったという説も見ました。セオリツヒメを、祓戸社でなく本殿に祀る神社は少数派。当社はその筆頭ですね。セオリツヒメは隠された神といわれます。それは天智・天武・持統朝だったとの説も。境内にある、瀬田川の展望所から。さくなだりにおちたぎつ、はやかわのせにますセオリツヒメ。そのはやか
愛知県岡崎市菅生神社明神型石鳥居(岡崎市指定文化財)1638年岡崎城主本多伊勢守忠利が寄贈した三十六歌仙額面が本殿で拝見できます。2018年冬参拝画像です。和歌の名人三十六人の姿が彫刻されています。三十六歌仙の御朱印を授かりました。2018年三十六歌額面を初めて拝見できたのは、雅楽演奏を楽しみに参拝した折でした。三十六歌仙と雅楽平安に想いを寄せながら……気になるこの延長コードからの電気器具。五年近くの歳月を経て、この謎。すっかり忘れていた
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆*過去の別ブログの記事からご紹介*斎宮女御・徽子女王が承香殿に局を賜った女御であることは述べました。今回は、ずっと後の時代に「承香殿女御」であった人物のおはなし。◆100年後、同じ道をたどった承香殿女御藤原道子は白河天皇の女御です。道長の孫にあたる藤原能長(能信養子・実父は頼宗)の娘で、東宮(貞仁親王)時代からのきさきです。貞仁よりも11歳も年上でした。最初のきさきでしたが、後から入内した藤原賢子が寵愛を一身に集めて中宮となりまし
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆*過去の別ブログの記事からご紹介*承前斎宮を経験して村上天皇の女御となった「斎宮女御」徽子女王。ままならぬことも多いなか、自尊心は消えることはありませんでした。(写真は狩野尚信≪三十六歌仙額≫)◆そして女王は、六条御息所のモデルとなった!康保4年(967)、村上天皇が崩御しました。徽子39歳。ほかのきさきたちのように出家することはありませんでした。ひとり娘の規子内親王にしっかりした後見のないことも踏み止まった理由と思わ
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆*過去の別ブログの記事からご紹介*承前斎宮を経験して村上天皇の女御となった「斎宮女御」徽子女王。寵愛は浅からぬものの、決して恵まれた立場ではありませんでした……(写真は狩野尚信≪三十六歌仙額≫)◆歌に見える気高い女王の自尊心薄倖で儚げな美女のような印象ですが、『斎宮女御集』などの歌からは、意外な一面も見え隠れします。父の重明は、徽子の母が亡くなってから後妻を迎えていました。藤原師輔女で中宮安子の実妹・藤原登子です。師輔
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆*過去の別ブログの記事からご紹介*琴の名手としても名高い徽子女王。三十六歌仙でもっとも身分の高い女性「斎宮女御」として人気でもあります。斎宮を経験した後に村上天皇の女御となりました(ふつう「斎宮女御」といえばこの方をさします)。(写真は狩野尚信≪三十六歌仙額≫)◆斎宮から女御へ。寵愛を受けるも……醍醐天皇第4皇子・重明親王の第1女王として、延長7年(929)に生まれました。母は藤原忠平女・寛子。つまり醍醐天皇の皇孫であると同
おはようございます。今日は「業平忌」です。「業平忌」は京都の十輪寺と奈良の不退寺で行われます。京都十輪寺奈良不退寺【在原業平とは】在原業平出典Wikipedia[生]天長2(825)[没]元慶4(880).5.28.平安時代前期~中期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇皇子阿保(あぼ)親王の第5子。母は桓武天皇皇女伊登(いと)内親王。天長3(826)年在原姓を賜わり、従四位上、右近衛権中将にいたった。在中将、在五中将とも呼ばれる。『伊勢物語』の主人公に擬せら
42契(ちぎ)りきなかたみに袖(そで)をしぼりつつ末(すゑ)の松山浪越(まつやまなみこ)さじとは清原元輔(きよはらのもとすけ)【出典】『後拾遺集』巻十四・恋四・770「心かはりて侍りける女に、人に代りて」++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++お約束しましたね。互いに涙で濡れた袖を絞りながら、あの末の松山を波が越すことのありえないのと同様、二人は心変わりすることは決してないと。+++++++++++++++++++++++++++
昨日(5月4日)は、近くをドライブしようと宇治田原に出かけてみました。以前猿丸神社に出かけた時に観光案内をもらってきたので参考にしました。モデルコース宇治田原市観光案内宇治田原と言えば何といってもお茶ですよね。車窓からお茶畑を見るだけでもいいやと出かけてみました。猿丸神社猿丸神社は以前も紹介しましたが、平安時代の歌人猿丸太夫ゆかりの神社です。我が家からは車で15分ほどで着きます。よく行く叶匠寿庵寿長生の郷のちょっと先です。猿丸神社の青モミジの参道。
常滑に向かう車窓から見えた朱色の鳥居のアーチが心に刺さるようにシンクロしてくる。よく移動中に朱色の鳥居を見るとこれはやはり行くしかないってか行きたいなってって思うのですが大体行けないことの方が多いです。🤔😅そんな時は私と波動合わせてくれた狐さんに感謝の念を送るのですが、今回は車窓から見えた朱色の鳥居をくぐることができました。😁😁ってことはそれだけ強い何かがあるともいえるわけです。🤔😳ここは前回のブログでアップした尾張八幡神社の⭐(末社)青木稲荷社⭐末社