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DTD編成といえば夕張鉄道が真っ先にイメージができるんですが、芦別にもいたとかというわけで、kitcheNの三井芦別のキハ100とお供のナハニ1を作ってきますキハは新潟鐵工所製の湘南顔気動車、客車は元は31系電車らしいですねモハからナハニ(気動車のお供なんでキサハニという記事もありました)へ製作過程はいつもの如く撮り忘れ、、、キハの顔はホワイトメタル製で顔パーツと車体に段差ができるので、ひたすらパテ&サーフェイサーで処理を繰り返さないといけないのが苦行でした塗料ですが、クリームは使い勝
10月4日(土)11日目。本日は名寄本線に少し寄り道し、今回の1番目標のチョボチナイゲートを通り、最終的には夕張付近で、宿を取りたいと思っています。朝の智恵文駅です。名寄方面から音威子府方面への、送り込み回送列車です。結構な速度で駆け抜けていきました。霧は陽が上る程に、晴れて快晴になりました。旧国鉄名寄本線富丘駅です。道路とホームが立体交差していたため、階段を登ってホームに上がる形式になっていました。ここ実は今かなり、ネット界隈では騒がれています。階段を上がってホームに出て、振り返るとこの
1319)の続きです。1991年2月の鹿島鉄道2回目の訪問、小川高校下から移動して霞ケ浦湖岸に位置する八木蒔駅で下車しました。さて霞ケ浦バックのポイントは無いか?と探しますが、自分の立ち位置が湖面と同じ低さなので、ちっとも湖面を見渡せるところがありません。それでは高みに移動せねば・・と急いで玉造町駅方へ坂を登りカーブする地点を目指しました。途中に「浜」という小駅の脇を急いで歩いてゆきましたが、今思うと、浜駅の情緒も捨てがたいもので、撮らずに先へ進んでいったことが悔やまれます。こ
三井芦別鉄道のサボ。トンネル。遺構は当時の記憶を繋いでいます。
芦別から玉川町まで9.6K10駅全線単線・非電化石炭列車と混合列車を運行、1日20数往復した。芦別は石炭から工場が廃止になっても積極的に観光政策を打ってでたがそれもどれも失敗した。時代を先取りした施策、カナダディアンワールド、星の故郷芦別、鉄道は47年6月1日に全廃。今の故郷納税と同じような、寄付をすると金額により、地域の産物を送ってもらう。私は役所の人がチラシ配りで知ってそのまま何年間に会員になっていた。夏の、とうもろこし、じゃがいもなど。楽しみにしていました。
ご利用いただきありがとうございます。今日は砂川駅にてN山先生と待ち合わせN山先生が昨年まで着任されていた芦別へ今は星の町で売り出していますが、炭鉱の町でもありました。三井芦別鉄道の遺構が保存されています保存場所は鉄橋の上。冬はしまうそうです(どこに)このアイディアを思いついた人もすごいですが、稟議書にオッケーのハンコ押した上司もすごい橋の上に展示するという発想はどこから来るのでしょうか。突拍子のなさを見習いたいものです。写真を撮っていませんが説明によ
富良野美瑛ツアーに向かうため、芦別駅を通過。どうしてもみたかった、芦別の旧三井芦別鉄道が根室線から分岐する跡を見たかった。多分ここだ。なんとか撮影できた!三井芦別鉄道は芦別駅を出た後、しばらく国鉄と並走し、高校前という駅を通過した後、分岐して芦別隧道を潜って頼城方面に向かっていた。去年の炭鉄港ツアーの時(僕はゲスト参加)ここの上の丘から根室線を撮影したり隧道跡を探索した時に、いつか列車に乗って分岐の跡を見てみたいと思っていたのだ多分、ここ!
今日、ちょっと空知地方北部へ行く用事があったので、少々遠回りになりましたがここに寄ってみました。旧三井芦別鉄道DD501炭山川橋梁望遠で撮影すると、機関車の褪色は隠せませんが風景と一緒に撮ると、走っているような雰囲気。維持管理は大変だと思いますがとてもいい保存方法だと思いました。命掛けで部品をかっぱらいに行くバカもいないでしょうから。そもそもそういう輩は命なんてかけないか・・・・。
1/25(木)~28(日)の4日間、3月末で廃止予定の根室本線富良野~新得と釧網本線のSL冬の湿原号を撮りに行ってきました。なんと出発した1/25(木)は北海道に暴風雪が襲っていて、特に札幌周辺や函館本線・宗谷本線・石北本線・釧網本線・根室本線の全線または一部が運休状態。8時30分、小雪ちらつく旭川空港に無事着陸したものの、肝心な根室本線の滝川~富良野~東鹿越は滝川発の15時30分以降からの運行となる模様との情報。キハ40が走っている石北本線も止まっており、どうする家康。とりあえず
2023/11/05は炭鉄港のツアーにゲストとして参加です。ある時はガイド、ある時はゲスト笑というマルチ対応で挑みます笑。今回は炭鉄港ゆかりの鉄道撮影ツアーでした。芦別、赤平、滝川のあちこちを歩きました。大名人矢野さんのアドバイスを聞きつつ、スマホでもあちこちパチパチ撮って学べる、なるほど感満載のツアー!そしてハイキングシューズで本当に良かった、薮漕ぎ連続の楽しい時間でした。私は本年度残り3回?炭鉄港関係の仕事が残ってますが、その中に炭鉄港メシのツアーがあります。今年は炭鉄港関係仕事多くて
▲道の駅スタープラザ芦別北海道芦別市北4条東1丁目1番地▲道の駅内ショップ2階はレストランで芦別名物のがたたんラーメン食べられます▲直売所▲クワガタやカブトムシ売ってます▲私はプラム買いました▲後側空知川を挟んで向こう側には高さ88mの北海道大観音▲道の駅スタープラザ芦別のスタンプ2023目指せ完全制覇37/125道の駅スタープラザ芦別芦別行ったら是非寄りたいこちら⬇️▲ディーゼル機関車DD501と石炭専用貨車セキ3820を保存展示▲旧三井芦別鉄
芦別市は富良野市の隣のマチで、富良野が空知管内か上川管内かは微妙ですが、芦別市は間違いなく空知管内です。芦別の石炭の歴史は古く安政4(1857)年、松浦武四郎が空知川流域で石炭を発見したことに始まります。操業は1897年班渓幌内炭山が始まりで、その後1917年久原鉱業油谷芦別炭鉱、1935年明治上芦別鉱業所、1924年三菱芦別鉱業所、1938年芦別高根炭鉱高根鉱業所、1943年には三井芦別鉱業と開業が続きました。1953年市政施行され人口は最大7万超にまで増えましたが、1963年明
こんにちははつかり51号です。いつも私のブログへお越しいただきありがとうございます。前記事の根室本線での撮影を午前8時に終え、この日はレンタカーを旭川に15時30分までに返却する必要があるため少しずつ北へ移動していきますが、ルートからちょっと外れた場所に興味があるため立ち寄ることにしました。旧三井芦別鉄道の炭山川鉄橋路線はとうに廃止されていますが、産業遺産として鉄橋上にディーゼル機関車と貨車が静態保存されています。鉄橋部分以外に線路は残っていません。その後に富良野や美瑛にも男ひと
芦別の鉄道関係のものあれこれ。今は個人企業の事務所になっている三井芦別駅。かつての西芦別の街も大きかったのだと感じました。そして炭山川橋梁!時間がないので遠くからだか、やっと見たい風景が見れて満足です。炭鉄港遺産は橋梁ですが、私DD501にも大感動!旧頼城小学校には行く時間がなくて断念。また必ず来ます!そして現役の芦別駅前もまだ遺産ではありませんが、全盛期の駅の体裁が立派に残り、駅前もかつての栄華が偲ばれる点では見逃せません!
7月30日土曜日この日は朝から良い天気でしたので、富良野まで足を延ばして来ました。まずは、富良野駅近くの空知川の土手にてフラノラベンダーエクスプレスの撮影からスタートです。ワイン城がある丘の上から俯瞰も考えなくもなかったのですが、逆光になるためこちらからにしました。キハ261系5000番台ST-51027041Dフラノラベンダーエクスプレス少し待つと普通列車がやって来るので、暑い中しばらく待つ事に。JR北カラーの40がやって来ました。電線が邪魔ですね。もう少し前に出て撮れば良か
ア-トプロさんの特製完成品「国鉄DD13型」の6次車は全て完成いたしました・・・そしてその中にスペシャル仕様の新潟臨海鉄道のDD55-2も含まれています・・・で、この専用線の凸型DLを観ていると、なんだか色々と私鉄もの等が、創れないものかと思ってしまいましたの5回目になります、前回のお話はこちらです・・・・まずは、完成した新潟臨海鉄道のDD55-2をご覧くださいカラ-リングでこれだけ専用鉄道色が濃くなる好例ですよねぇ~ア-トプロさんには、このDLを再生産して欲しいとのリクエストがかなり
平成元年廃線の三井芦別鉄道跡の橋台。たくさんの石炭を運んだ路線を支えた功労者。ひっそりと残っているのがまたいい。
廃線きっぷ三井芦別鉄道芦別駅から玉川駅を結んでいた。営業距離は約10K駅数11駅昭和47年6月1日で廃線
かつて北海道の芦別と頼城を結んでいた鉄道路線が1989年(平成元年)に廃止となった三井芦別鉄道今年秋に北海道を旅した時に廃線跡散策してきましたー🚙実は7年前にも廃線跡散策をしてまして…。この時は、沿線最大の駅・三井芦別駅舎(開業当初は西芦別駅)へ。ホーム跡の。コンクリート枠が草むらの中に残っていました。
かつて北海道の芦別と頼城を結んでいた鉄道路線が1989年(平成元年)に廃止となった三井芦別鉄道今年秋に北海道を旅した時に廃線跡散策してきましたー🚙【三井芦別鉄道廃線跡の一番の見どころ】旧三井芦別鉄道炭山川橋梁です今までは国道452号から撮影していましたが…【炭山川展望広場ができました】今までは道道が通行止めでしたが…✖この広場まで通行可能に駐車場もあるので見学に便利です橋の上のディーゼル機関車DD501と石炭貨車セキ3820が間近に次回も三井芦別鉄道の遺構を
かつて北海道の芦別と頼城を結んでいた鉄道路線が1989年(平成元年)に廃止となった三井芦別鉄道今年秋に北海道を旅した時に廃線跡散策してきましたー🚙【三井芦別鉄道の終着駅・頼城駅】昭和24年開業で芦別炭鉱がありました。旅客営業は昭和47年で廃止してます。現在はロータリー跡が残っているだけです。国道452号沿いにありますが進入路がわかりずらい…。【芦別寄りには架道橋跡がありります】頼城駅北側にあり、こちらは分かりやすいです頼城郵便局を中心に集落が形成されています。昔の炭鉱の繁栄
上芦別の9200がまもなく全滅すると聞いたのは1963年の秋だった・・・の書き出しで始まるKEMURIPRO.のボ-ルドウインは生きていた「上芦別ものがたり」は、北のOLDAmericanが活躍していた炭鉱鉄道大好き人間にはバイブル的存在ですね(1969年刊S.L.No2)そしてその上芦別の9200がHOj1/8712mmでモデルワ-ゲンから製品化されたのが、なんと今から29年前の1992年5月のことでした・・・・そしてなんと趣味友から制作を依頼されて以来20数年熟成してしま
三井芦別炭鉱で使っていた有線電車。人を運び石炭を運んだ。まだまだお若い68歳です。
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁廃線跡所在地芦別市西芦別町にほん村ブログ
芦別市での出炭の歴史は古く、1800年代に小規模炭鉱が開業しています。大手資本参入は1920年三菱系が参入した後、三井、油谷、高根、明治が芦別で稼働。これらが芦別五山と呼ばれ、北炭の進出を許さなかった珍しい地域です。三菱系は10鉱区以上ありましたが早々に撤退しました。一方、三井系は平成に入っても出炭を続け1992年まで操業していました。三井芦別といえば、輸送に活躍していた鉄道、三井芦別鉄道が有名です。今でも炭山川橋梁の上に置かれたDD501と石炭輸送に使われたセキ300
北海道の芦別町は、星の降る里「あしべつ」をキャッチフレーズにしている。残念ながらこの町で星空は見ていないが、市街地を一歩出ると、そのキャッチフレーズは本当だなあと実感できる自然の風景を見る事ができる。いいところだった。あしべつには、かつて三井芦別鉄道と呼ばれた路線があった。昭和15年に開業した時は、三井鉱山の石炭運送を行った専用鉄道であったが、時代の流れと共に旅客運輸も行ったようだ。昭和30年代には、旅客収益のピークを向かえたが、石炭不況のあおりを受けて昭和47年には、貨物運行のみと
北海道新聞空知版に乗っている記事ですが北海道新聞@doshinweb旧三井芦別鉄道・炭山川橋梁が間近に道道芦別砂川線の西芦別ゲート14日から開放展望広場まで車で通行可能https://t.co/lqhyMGBDDChttps://t.co/myGhF2i4Cf2019年09月14日08:30旧三井芦別鉄道・炭山川橋梁が間近に道道芦別砂川線の西芦別ゲート14日から開放展望広場まで車で通行可能2019.09.14北海道新聞空知版橋梁と保存展示されている機関車や貨
皆さま、おばんです!今晩は根室本線・芦別(あしべつ)駅の訪問記です。芦別駅は大正2年に開設された駅。古い木造駅舎(Wikiの情報によると昭和22年築?)が残る駅でしたよ。この駅がスゴイのは、駅前に巨大な五重塔(歓迎塔)が建っていたこと。「建っていた」と過去形で書いたのには理由があり、自分がここを訪れたのは今から3年前のことですけど、その後、歓迎塔の「五重塔」部分だけが撤去されてしまったらしく。芦別駅に行っても、現在はこの五重塔は見れないそうです。ちなみにこの歓迎塔の
今から約50年近く前のお話です・・・函館本線の札幌駅にほど近い桑園駅の近くに、泰和車両工業(株)という会社があり、道内私鉄の各種車両が修繕等でやってきていましたよ~の続編です・・・左側が電化された函館本線ですねぇ~三井芦別鉄道のC58-2号機です・・・これも赤ナンバ-でしょぅか?メインロッドは外されていますね・・・テンダ-には三井のマ-クが・・・良く観るとキャブ下の空気分配弁は耐寒形では無いですね・・・勝手に運転席に上がって撮影したようです・・・すみません・・・しかし国鉄型に比べ
三井芦別鉄道「三井芦別駅」のホーム。線路側からみたもの。少し離れた場所に駅舎も残る。一般企業が使っている。名寄本線「中興部駅」のホーム。線路を渡る階段の黄色いペイントが。こちらも今は民間の方が駅舎を使っている。駅舎とホームがセットで残っているのはともかくすばらしい。大歓迎です。