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『400円でタイムスリップ日曜ブラタロウ小金井公園編』大きな公園にありがちなSL展示笑花壇も大袈裟じゃなく緑を大事にしてて好感が持てます。昨日タイムスリップして来ました♪場所は小金井西武新宿線花小金井駅か…ameblo.jp1週間以上遅れの後半🙇いきなりタイトルの答えだが、これは昭和初期の居酒屋を再現した施設、先に内覧していた白人3人組(内一名女性)友達どうしなのか兄妹なのか不明だが歳の頃なら10代後半から20代前半。そのうちのひとりが↑の看板をみて『イズディス
『逆日本史・2』-樋口清之●札差は、なぜ幕府とともに滅ぶ運命にあったか✪長崎貿易は、また、日本経済に大きな影響を与えた。貿易自体は幕府の独占事業であり、輸入量もわずかだったが、長崎という窓が一ヵ所開いていたために、日本の貨幣経済は窒息状態におちいらず、たしかな安定成長の歩みを続け、鎖国が解かれると、世界情勢にただちに対応して大きく飛躍することができたのである。江戸時代のもっとも重要な相場は、米相場と、金・銀・胴の三相場だった。この米相場で非常に儲けたのが、札差(ふださし)などの米商人で
昨日は天気にも恵まれ充実した1日になりました…リタイアした極楽とんぼですから天気のいい日に出かけるようにしていますが、時にはこんな日もあります…3月のある日、天気予報では晴れて暖かい1日になるはずだったので下鴨神社の南にある旧三井家下鴨別邸へ行きました(^.^)この付近に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)があり、参拝するときの休憩所として木屋町三条上るにあった三井家の木屋町別邸が移築されたというのですから驚きです(^-^)通常は1階部分と庭し
友人と行った大磯散策話の続きを。吉田茂、大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望らが邸宅や別荘を構えた大磯の地には三井家もまた別荘を構えていました。その名も城山荘。残念ながら取り壊されてしまったものの、跡地の大磯城山公園に資料館があり、当時の様子を偲ぶことができます。当時の写真↓発注者は、北三井家10代当主、三井(八郎右衛門)高棟です。初代の建物は関東大震災で被害を受け、再建着手は昭和8年(1933)夏のこと。設計担当は、高棟の息子・高公の知り合いで、木造耐震建
日本橋に三井記念美術館に三井家のお雛様を観に行って来ました。
日本橋に春を告げる「三井家のおひなさま」展が三井記念美術館で2月11日から4月2日まで開かれます。江戸〜明治時代のミニチュア「銀製雛道具」の緻密な技に目を見張りました。さすが豪商三井家のラインナップです。三井家に嫁いできた大名出身の女性や三井家に生まれた娘たち人形の持ち主それぞれのヒストリーが凄いです北三井家十代・高棟(たかみね)夫人の苞子(もとこ)(1869-1946)十一代・高公(たかきみ)夫人の鋹子(としこ)(1901-1976)高公の一人娘・浅
3月3日は桃の節句です。日本橋で三井家のおひなさまと言う展示があり、行って来ました。三井家(北三井家?)の第十代、十一代の夫人と十一代のご令嬢のおひなさまです。他にも展示室があり丸平文庫の京のひな飾りなどありましたがこの三井家の展示室のみ写真撮影が許可されておりました。お道具の細工が見事です。三人官女の中央の人は年上の既婚者だとか。眉がなくてお歯黒なんですって。正面に一際立派な雛飾りが。ここの中ほどにいるお面を持った子どもはお面と同じお顔なのでお面いらないのでは、と思
・ランチの後は、同じ建物内にある三井記念美術館へ。「三井家のおひなさま」を観にいきました🎎✽.。.:*美術館HPより「今年も三井家の夫人や娘たちが大切にしてきたひな人形やひな道具を、一堂に公開します。北三井家十代・高棟たかみね夫人の苞子もとこ(1869〜1946)、十一代・高公たかきみ夫人の鋹子としこ(1901〜1976)、高公の一人娘・浅野久子氏(1933年生まれ)、伊皿子三井家九代・高長たかひさ夫人の興子おきこ(1900〜1980)旧蔵の贅をつくした逸品が並びます。とくに京都の
美味しいモノ大好きアラカン占い師京都二条城ホテルザ三井京都イタリアン・レストラン「FORNIフォルニ」京都と言えば・・三井家と言われるほど縁ある場所で三井総領家の邸宅跡に建ち300年以上の歴史ある「梶井宮門」をそのまま表玄関に移築。歴史的な重厚感と程よりゆるさと清潔な親しみやすさがあり調度品もどれか一つが目立つのではなく、一つ一つが放つ個性を生かしながら見事に調和している居心地のいい空間。又来たいホテルになりました。独立して15
牛嶋神社三囲神社隅田川を渡って東京スカイツリーの氏神様でもある牛嶋神社へ境内はイルミネーションの飾りでいっぱい!竹製のライトアップも珍しい夜になるとさぞかし綺麗だろうなあ全国でも珍しい木造の三輪鳥居をくぐるとどーんと現れますは東京大空襲を逃れ都内随一といわれる総檜権現造り圧巻です御祭神須佐之男命天之穂日命貞辰親王命牛嶋神社も干支のおみくじがあります
遠くに、3階の望楼が見えるところで、満開です。後ろのモミジも、満開です。
別邸の玄関前は、モミジでお出迎えします。中へ入ると、大きなじゅうたんです。池の中へも、敷き詰めようとしています。三井家下鴨別邸でした。
隊長が訪れた展示会・講演・セミナー・発表会や考えた事、など「学ぶ」の第68課(回)は、『講演会「三井越後屋の発展」』をお送りします。12月2日(土)の14時00分~15時30分に、『三井越後屋の発展』と題した講演会が開かれました。主催は、三重県松阪(まつさか)市。協力:株式会社三越伊勢丹。本講演会は、松阪で元和八年(1622)に生誕した、江戸時代屈指の豪商であった三井家の家祖・三井高利(たかとし)が、日本橋に「三井越後屋呉服店」を開いて、今年が350周年となるのを記念して
11月10日の御朱印巡りの続きです。弘福寺に行った後『2023.11.10③墨田区弘福寺(隅田川七福神・布袋尊)』11月10日の御朱印巡りの続きです。長命寺に行った後『2023.11.10②墨田区長命寺(隅田川七福神・弁財天)』11月10日の御朱印巡りの続きです…ameblo.jpそこから歩いて三囲(みめぐり)神社に行ってきました【御祭神】・宇迦御魂之命【御由緒】創建は不明だが、平安時代初期と云われており弘法大師が祀ったという、田中稲荷が始まりとされている
高利の祖父にあたる三井高安の時代に六角氏が織田信長に事実上滅ぼされた結果、彼は近江から伊勢へと流浪していったようです。そうして高利の父高俊の代に、当時すでに商人の町として発展しつつあった松阪で商いをはじめたのです。とくに伊勢国の丹生(にう=三重県多気町)の豪商の娘だった高俊の妻には商才があり、夫亡き後も金融業と酒造販売で三井家は財を成してゆくのです。高利はこの母(出家名を殊法)と父高俊の8人兄弟の末っ子として元和8年(1623)に生まれました。長兄の俊次はやがて
ブログに書いたつもりで、すっかり忘れていた展覧会です日本橋で「三井高利と越後屋」展を見てきました今年は創業350周年現在の三井家の創業者三井高利から始まった商いの展示です諸法度集(規則集)延宝元年(1673年)8月10日、本当に350年前ですね梵字のようなものは、花押(かおう)というも物で、一人ひとり違うデザインになっています現在で言うところの出納帳井原西鶴が書いた三井家の人をモデルにした小説引札の版木、引札は宣伝広告の事みたいですこちらは現在で言う総勘定元帳半年で一冊、作成
令和5年8月19日(土)今回は朝から真正極楽寺(通称は真如堂)に行くことにした。昼までに帰るかたちで。08:15頃自宅を出発する。↓京阪電車と市バス203系統を利用↓祇園四条駅⇒岡崎道バス停09:15頃真正極楽寺に到着する。真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は京都市左京区浄土寺にある天台宗の寺院で山号は鈴聲山(れいしょうざん)。本尊は阿弥陀如来で頷きの阿弥陀と呼ばれている。通称は真如堂(しんにょどう)と呼ばれている。境内にある新長谷寺は洛陽三十三所観音霊場第5番札所となっ
3階の望楼が見えるところで、さるすべりです。さるすべりの花いかだも、みられます。蓮花は、昨年の今頃はお元気でしたが、ことしは、すでにこのようなお姿に。桔梗の庭園は、まだ花盛りです。三井家下鴨別邸でした。
夫の還暦祝いを兼ねた、恒例の仲間内の旅行で立ち寄った松阪で...あの三越の三井家発祥の地にあるライオン像。またがると願いごとが叶うらしいです😅
#ちょっと時を戻しまして#コンサートの前の下鴨・北山探索🚶🏻♀️🏠レトロ建築巡り北山と下鴨は案外近い。というわけで、まずは下鴨探索。下鴨神社の南にある旧三井家下鴨別邸へ。●門下鴨神社の鳥居のすぐ手前に入り口があります。下鴨神社の「糺の森」の南、高野川と鴨川の合流地点の北岸に位置する一帯は、三井家の祖霊社「顕名霊社」が遷座する、三井家にとって特別な場所でした。参拝の際の休憩所として利用された下鴨別邸の主屋は、鴨川下流の「木屋町別邸」(1880年築)から1925年に移築・増築
紫陽花花手水が見えるところで、桔梗です。下鴨別邸の、桔梗の庭でした。
三囲神社にやってきました去年の秋以来の再訪詳細は前回の訪問を『三囲神社』隅田公園を分けるように走る都道319号環状三号線(言問通り・三つ目通り)を横断えこんなところに釣り堀を横目に水戸街道に沿った見番通り、住宅街奥へ進む三囲神社へ…ameblo.jp三越の礎石と元池袋三越のライオン像隅田川七福神の大国神、恵比寿神前回だった社殿は顕名霊社三井家先祖を祀っているそうだ三角石鳥居ご祀神は、倉稲魂命(宇迦御魂之命)境内社として、
SometimeinAprilお呼ばれして墨田区へ三囲神社参拝
こんにちは日本の名家といわれて思い出すのはどちらのお家でしょうか。現在、2つの展覧会が行われています。ひとつは三井記念美術館「三井家のおひな様」、もうひとつは静嘉堂文庫美術館「お雛さま―岩﨑小彌太邸へようこそ」です。三井家と岩崎家はまさに名家です。展覧会チラシ展覧会チラシ三井家は伊勢から江戸に出てきて大成功した商家。日本橋にあった越後屋が三越デパートになる話は有名です。越後屋は店頭での定価販売、即払いなどをうちだし、繁盛します。明治時代になると政府と接近し、一族の力を
3年ぶりに、逢いにきてください。とチラシに書かれた一文に、感慨深く訪れた、日本橋の三井本館。直前の静嘉堂のあどけないお雛様とは趣がぐっと変わり、楚楚とした上品なお顔立ち。〇北三井家十代高棟夫人苞子(もとこ)(巴印)〇北三井家十一代高公夫人鋹子(としこ)(小蝶印)〇北三井家十一代高公長女久子(ひさこ)(永印)〇伊皿子三井家九代高長夫人興子(おきこ)(珠印⁼北三井家十代高棟三女三井のお姫様たちの旧蔵品が揃います。時代を追って、巴印の立ち雛(1815)、小蝶印は二代永
松阪市街散策の巻です。三井グループの家祖(中興の祖)である三井高利の生家跡です。三井家の発祥地を訪ねて-三井物産株式会社360°businessinnovation.三井物産株式会社www.mitsui.com豪商ポケットパークです。豪商ポケットパーク-お肉のまち松阪市公式ホームページwww.city.matsusaka.mie.jp豪商ポケットパーク前にある新しい道標です。「左大手筋」「右さんぐう道」の文字が刻まれています。「来遠像(ライオ
三井記念美術館にて。豪商三井家に嫁いできた大名出身の娘や三井家の娘の所持品。華やかで時代も感じられて面白かった。実家にある自分のお雛様を思い出した。3年以上、実家には行ってないし、もうネコのものは何もない。お雛様は姪っ子に引き継がれているはず。大阪の親類が作ってくれたと聞いたような。そもそも誰なのか分からないけど、お陰様で健康に過ごせてます。
三井家ゆかりの地やすともの近場旅ミルクボーイと京都編でやすともさんが訪れた京都の宿。☆HOTELTHEMITSUIKYOTOフォーブス・トラベルガイド2022年度版において5つ星を獲得。二条城を臨むラグジュアリーホテル。客室は選びぬかれた天然の素材と工藝技術によってつくり上げたられた。デラックス・プレミアルームガーデンルーム・ニジョウルームエグゼクティブスイートなど。レストランはガストロノミー鉄板やイタリア料理など。HOTELTHEMITSUIKYOTO
ようやく色づきました。三井家下鴨別邸の、ようやく色づいた、もみじでした。
三井記念美術館にて「雪松図と吉祥づくし」を観ました。三井家が所蔵する多くに美術品の中から、国宝の「雪松図屏風」を前面に出し、吉祥つまりは縁起の良い作品を選んで展示しています。日本美術はすごい!を体感させます。絵画の展示が多いのですが、色の使い方とか筆使いの繊細さとかで、良い仕事をしすぎています。三井記念美術館はそもそも、所蔵品を通じて日本美術の素晴らしさを最も間近で体感できる仕組みになっています。だからいつもどおりに、超絶的に素晴らしい!三井記念美術館