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「メイともな」@諸戸氏庭園・七里の渡し公園諸戸氏庭園は、花菖蒲と紅葉の時季のみ開園素晴らしい景観諸戸氏庭園七里の渡し公園かわいいかわいい
令和7月11月16日のハイキングさわやかウォーキング『「あつた魅力発見市」開催魅力溢れる熱田区をぐるりと巡る』JR熱田駅スタート→①熱田神宮→②宮の渡し公園→③白鳥庭園→④熱田神宮公園→金山駅ゴール6.0Km(17.349歩)のハイキングでした。昨日の続きです。201a-宮の渡し公園-宮の浜市201b-宮の渡し公園-宮の浜市紙芝居で説明しています。202-宮の渡し公園-宮の浜市203-宮の渡し公園-宮の浜市204-宮の渡し公園-宮の浜市甘酒とみたらし団子は美味し
絵本の読み聞かせ、ミシンボランティア(5年生エプロン作りのお手伝い)バランスボール、ステンドグラス、ウクレレ、フラ、託児パートでスケジュールが埋まる中空いた時間に一人でデンパークへ。10月サクラフローラルプレイスはXmas仕様に。来月はここで毎年恒例のXmasフラに参加。💕可愛いオーナメントの数々。連休は22日特別養護老人ホームへ仲間とフラダンス訪問。23日桑名ドライブ。七里の渡し、六華園、諸戸氏庭園と散策。七里の渡し公園落ち葉の絨毯。💕六華園※
10月23日(木)スケッチ会の人達と名古屋市の宮の渡し公園に出かけ、午前中にサインペンで描き筆ペンで陰影まで仕上げたスケッチ画に、最近透明水彩絵具で着色しました。題名:船溜まり(宮の渡し公園)水彩・F6<ひとりごと>遠近感を出す為、実際の目線よりやや高め設定して描き、奥行き感をだしたが・・・。遠景の横にかかる橋や左上のマンション等、少し小さく弱く表現した方がもっと良かったかなと思っています。<10月23日現場で描いたぺンスケッチ画><実景の写真>
11月8日のことです。今月は休日の仕事が多く、この日も朝から桑名へ出かけました。せめて経路だけはいつもと変化をつけて近鉄名古屋駅から普通列車塩浜行きに乗車しました。蟹江駅では名阪特急ひのとりに道を譲ります。この日の仕事は桑名市内の公園で開催されたイベントの手伝いでした。この日は素晴らしい好天に恵まれて会場までの道、いつもは気にも留めない桑名の風景を感じました。住吉神社です。住吉神社の前には揖斐川河口が広がります。揖斐川上流方向には国道1号線伊勢大橋を望むことができます。戦
こんにちは。なべなべです。2025年11月16日(日)に開催された、さわやかウォーキング「あつた魅力発見市」開催魅力溢れる熱田区をぐるりと巡ろうに参加してきました。前回からの続きで、「宮の渡し公園」を出たところから。「七里の渡し」バス停前を通過。大瀬子浜公園。「大瀬子」交差点を渡ります。軻具突智(かぐつち)社。大瀬子橋(堀川)を渡ります。渡ったところで右折。ここから堀川千年プロムナードを歩きます。昔の護岸。くぼみは空襲時のもの。白鳥橋が見えてきました。水面に反射
11月10日(月)旧名古屋テレビ塔のTHETOWERHOTELNAGOYAに泊まった朝雨は止んだけど雲の多い朝テレビ塔の展望台に向かいます。日の出は見られず雲の隙間から太陽の光久屋大通公園二つ上の部屋からの景色とはだいぶ違う。朝のオアシス21名駅の高層ビルツインタワーの片方とミッドランドスクエアが重なっています久屋大通公園北側名古屋城だいぶ明るくなったけど太陽
名古屋市の熱田神宮の南にカーブを描く道が1900年代地図にありましたこの辺りは浮島と言わたよう調べますと浮島は江戸時代に開拓された地域で、その名前はかつて沼地で潮の干満によって浮き島のように見えたことに由来します。名古屋の浮島の歴史浮島町がある地域は、江戸時代の元禄6年(1693年)に熱田仁右衛門新田として開拓されました。当初は人家のない小規模な新田でしたが、明治時代には東熱田村に編入され、その後、現在の浮島町が形成されました。とありました江戸時代の地図では、下の赤く囲った部分がそ
赤須賀漁業まつりへ出かけました。地図やら信号標識には、「桑名港」とあちこちに書いてありますが、地元の人は「赤須賀漁港」と呼んでいるとか。吸収合併された側の矜持というか、良くあるやつです。桑名の港は中世の時代から栄えていたと、物の本には書かれています。木曽、長良、揖斐という大きな三本の川の交通と、伊勢湾という海上交通を結ぶ要所として。また、京の都と江戸、そして伊勢神宮を結ぶ街道の宿場町として。先日訪れた四日市博物館の「時空街道」でも、ガイドのおじさんがうれしそうに自慢していました
快晴に恵まれた今朝の桑名です。七里の渡し付近から揖斐川を望みます。ここは東海道、七里の渡しです。午後から久しぶりに魚釣り。七里の渡しから1キロほど河口にある赤須賀漁港でハゼを狙ってみました。立冬を過ぎたというのにハゼは好調に釣れました。2時間ほどで20匹余りのハゼを釣ることができました。ハゼ釣りはまだしばらく楽しむことができそうです。今回は速報版で投稿させていただきました。東海地方、明日は朝から雨になりそうなことが悔やまれます。
2025.11.2(日)七里の渡しのつづきです。出発してから小一時間コンテナ埠頭この辺りが飛島村で「日本一裕福な村」と言われているのだそう。名古屋港の臨海工業地帯の固定資産税が凄いらしいです。人工島ポートアイランドスナメリの出没ポイント❕(お借りした画像)海が凪いでいるので見られる可能性が高そうだと期待しましたが、見られずでした。船内では桑名についての説明ですこの時は関ヶ原後に桑名を治めた武将本多忠勝についての話しこの後、クイ
おはようございま〜す!!最近、毎日のようにクマ出没のニュースがありますね〜話が通じる相手じゃないので困ります。それでは、街道歩きスタートです!!七里の渡しへはもう目と鼻の先です。ここで、七里の渡しとは。。七里の渡しは、宮宿と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路で、その距離が七里(27.5km)であったことから、そう名付けられました。江戸時代に陸路(佐屋街道)もありまし
2025.11.2(日)長く停滞中の「東海道を歩く旅」ですがやっとここで再スタートしますといっても、遠くなってなかなか続けて行くのは大変なのですが…旅費も大変なので…😄再スタートは船旅からです宮の渡し公園ここへ来たのは三回目この辺りの写真は、最初に来たときに撮ったものです集合時間ギリギリに到着したのでバタバタと乗船「七里の渡し船旅学習会」NPO法人堀川まちネットさんが企画、運営して下さる渡し船の体験・勉強会に参加しました。毎年
おはようございま〜す!!徐々に秋が深まり、冬が近づいてきてますね。もう少し秋を楽しみたいな。。それでは、街道歩きスタートです!!あんかけスパを食べてお腹がいっぱいになりました〜まだまだ午後も歩かないといけません。東海道に戻り宮宿に入りました〜宮宿は桑名への海上七里の渡しを控えていたことから、東海道でもっとも大きな宿場のひとつだったそ
大阪には無料で乗れる川の渡し舟があります。行ったことないけど、四国のお遍路さんのお遍路道にも無料の渡船があるんだそうです。落語に出て来る琵琶湖の「矢橋船」は、東海道を船で近道できるけど、この船は無料じゃなくてお金が要ったみたいです。こないだ桑名のハマグリを食べに行った時に『七里の渡し跡』を見ました。東海道の大津と矢橋(今の草津)を結ぶ矢橋船みたいに、東海道の熱田の「宮の宿」と桑名宿を結んではいるんですが、料金が必要だったので、お金を浮かしたい旅人は陸路を歩いたんだとか。
2025年11月3日蓋活旅桑名市へ行って来ました。旧桑名市の「はまぐり」マンホール蓋中央に旧桑名市の市章。桑名と言ったらやっぱり「その手は桑名の焼蛤」。撮影日:2025年11月3日撮影地:西桑名駅前桑名市の「折鶴」マンホール蓋桑名の折鶴のデザイン。一枚の紙で、何羽も繋いで折る連鶴の折り方は、桑名の無形文化財に指定されているそうです。撮影日:2025年11月3日撮影地:西桑名駅前桑名市の「七里の渡し」マンホール蓋カラー七里の渡しのデザイン。橋は現代の伊勢大橋。
2025.11.2(土)新幹線に乗って西へ車窓からの富士山名古屋市熱田区七里の渡しここに来るのは今度で三度目です。今日は実際に船に乗せていただきました。桑名まで約二時間の船旅です。
昨日、11月2日は近鉄で日帰り旅でもと決めました。近鉄で向かう先は大阪にしようか奈良にしようか・・・・奈良だと3連休で人も多いだろうから大阪でおいしいもの食べて楽しもうということになりました桑名駅に8時ころついて特急券を買おうとしたらもう午前中の特急券は大阪方面も奈良方面も完売だということでしたああ、こういうことなんだ。急に思いついても特急券は購入できないんだということに全く気が付きませんでした。3連休なんですものね。仕方がありません・・・さてどうしましょう
三重県のお蕎麦屋さん土曜と日曜のみの営業とのこと。この箸置きが可愛くて❤️神社にも⛩️連れて行って頂きました。初日の出にはとても混む場所らしいです。この場所から熱田まで七里の渡し2時間の船旅⏰らしい。この後雨がふりかなり寒かったです。我が愛車元気になって帰って来ました。良かった^^
10月23日(木)スケッチ会の人達と名古屋市の宮の渡し公園に出かけた。小生は公園内から見える船溜まりと、午後は南に移動して堀川沿いの小型船舶造船所の、二枚を描いてきました。移動を含め約4時間の限られた時間だったんで、サインペンで描き筆ペンで陰影まで仕上げてきました。水彩による着色は後日家で行う予定です。最初描いたペンスケッチの一枚。ペンスケッチ「船溜まり(宮の渡し公園)」サイズ:F6遠近感を出す為、目線を少し高めに描いています。実景の写真(つぶやき)宮の渡し公園
東京からMちゃんが泊まりに来ました。美しい妻の友人です。僕らよりも40歳くらい若い友人は、くったくなく笑い続ける陽気な若者。妻とはリゾートバイトで一緒に過ごした仕事仲間です。妻は四ヶ月間、箱根のホテルでバイトをしました。そのほぼ同じ時期にMちゃんも滞在していたので、とても仲良くなったとのこと。休憩時間はもとより、休日を合わせて美術館巡りなど、大いに楽しんだようです。宿泊客は外国人が多いのですが、Mちゃんは英語と韓国語が堪能なトリリンギャル。その点でも妻と共通の話題が多いので、打
自己紹介します『自己紹介します❤️宜しくお願いします✨』こんにちはsato(さと)です。自己紹介をさせて頂きますsato(さと)はこんな人です。神社仏閣巡り、温泉が好きです。一人でコツコツやる作業が好きです。…ameblo.jp桑名の「七里の渡し」は、熱田の宮の渡しから海上七里(約28km)を船で渡り、たどり着く場所です。そのため「七里の渡し」と呼ばれ、当時は東海道42番目の宿場町として大いに賑わっていたそうです東海道五十三次の中で、唯一海を渡って進むルートが残
あれは、中1の夏休み中洲の勉強のため友人4人と桑名の7里の渡しへ行って来た中洲は川の真ん中に土砂が堆積した土地なので川を渡らねばならないお爺さんがいる小屋がありそのお爺さんが川の向こうへ舟で運んでくれた川のこちら側に小屋はないから戻りたい時は大声で川向こうの小屋に向かって叫べと教えられた中洲(本当に中洲だったのか?)地帯は見た事ない大きな大きな蜘蛛や蛇のようなものなんやら飛び回っている虫知らない植物、虫の宝庫だったたぶんそこに平和に住む
こんにちは桑名宿の七里の渡し跡から観光バスで宮宿の七里の渡し跡まで移動して到着したのが13時30分ごろです。熱田宿ともいわれた宮宿は熱田神宮の門前町であるとともに、桑名宿への海上七里の渡しの玄関口です。ここからウォーク再開です。《宮宿》東海道五十三次のうち41番目の宿場の宮宿は、本陣2、脇本陣1、旅籠は248軒と規模の大きな宿場でした。天保14年(1843)には宿内人口が1万人を超えたと言われています。バスは七里の
こんにちは雨中を歩き続けた、前回の東海道五十三次街道ウォークから約1ヶ月。3月の中旬、第12回目のウォークツアーに参加しました。冬の寒さも過ぎ去り、桜の咲く時期に近づき、この日は空に雲ひとつない春の晴天であったことを思い出の写真を見て頭によみがえってきました。前回は桑名宿の途中でしたので、今回の歩くコースは桑名宿を探索しながら七里の渡し跡を目指します。現在は渡し舟がないので、七里の渡しから宮宿の渡し跡まではバスで移動して、宮宿から鳴海宿(城跡公園)までが
熱田湊常夜灯宮の渡し公園・宮の渡し跡名古屋市熱田区内田町
三重県桑名市石取神社さんに行ってきたお話日本一うるさい祭りとして有名ですがお祭り当日早朝のうるさくなる前に行きました(=゚ω゚=)静か(*´ω`*)お参りさせていただきました山車が準備されてますこちらのはどでかい太鼓が七里の渡しも見学伊勢神宮の鳥居を建て替えたときにその鳥居をこちらに持ってくるのよね朝さんぽまだ八時前(´・ω・)早いといろいろ捗りますこのあと場所移動して多度大社さんへではではまたねノシ
英語版のサイトにRuinsofKuwanaCastleのページをアップロードしました:http://cf916626.cloudfree.jp/HandE_Japan/HandE_Japan.html桑名城は、揖斐川の畔、東海道の七里の渡しの船着き場の近くという交通の要衝にあります。関ヶ原の戦いの後、家康は徳川四天王の一人、本多忠勝を桑名城に移封させ、近世城郭が築かれました。桑名城は、水堀が残り、九華公園として開放されています。RuinsofKuwanaCastleの
海の日7/21「第53回石取祭ばやし優勝大会」でスペシャルゲストとして出演させて頂き、祭車の前で、「桑名deサンバ」歌って参りました😊会場は、桑名の皆さまのパワーで大盛り上がり❣️うしろからは、浴衣姿の艶やかなアシスタントの女性たちからもオーラパワー頂きましたこの大会は石取祭のまつりばやしのうまさを競い合う大会。今年で53回目!子供から大人まで鉦と太鼓の技・流儀を洗練し続ける姿勢に感服しました❗❗総勢57チーム!!鉦と太鼓の叩き方や、リズムには、4
こんにちは。先日、三重県の桑名城へ行った時の続きです。『伊勢桑名城跡をお散歩』こんにちは。先日はお隣三重県桑名市の伊勢桑名城跡へ。岐阜から1時間程で行けるのに今まで行った事が無かった。先週、月山スキー場の帰りに訪れた二本松藩と同じく、戊…ameblo.jp七里の渡しは、東海道五十三次の行程で唯一の水路で、、、桑名城北西に位置して、尾張の宮宿~伊勢の桑名、海路七里(約28キロ)を結びます。そして七里の渡しは巨大河川揖斐川、長良川、木曽川が合流し、伊勢湾に注ぐ場所。七里の渡