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大改修前に訪れた比叡山根本中堂の秋景色平成15(2003)年に根本中堂を訪れた時の詩です。秋色に染まった景色を詠んでみたものです。平起こり七言絶句で押韻は韻目「陽」で(香、蒼、郷)を用いています。今回は横書きで表示しました。(標題)ひえいしゅうしょく(起句)あきをしむひえいゆうこうをおくる(承句)いっすいてらしきたりてせきそうにざす(転句)こんぽんちゅうどうせんこのび(結句)じゅりんさつさつとしてせんきょうににたり(平字、仄字、韻字の配置)○○●●●○◎●●
仄起こり七言絶句「秋韻雨滴」(標題)しゅういんうてき(起句)とうかしたしむべくひとりしをあんず(承句)あめはそうがいにふいてよるふかきとき(転句)けいこうふんとしてさんじふうしゅをそふ(結句)さもあらばあれとうとうゆくところにまかす仄起七言絶句韻=支(詩、時、之)○●●○●●◎●○○●●○◎
「九月十三夜」今日は令和4年10月8日、旧暦でいうと9月13日です。この夜の月は「十三夜」といって古くからの日本ではお月見の慣習がありました。夜空を眺めると満月には少し足りない正に十三夜の月がきれいです。昨夜の雨が上がり良かったと思います。今夜の月は旧暦8月15日の「芋(いも)名月」に対して「豆(まめ)名月」と呼ばれているのです。ちょうど、同じ標題「九月十三夜」という漢詩がありますので載せておきます。上杉謙信が陣中で故郷を思って作った七言絶句の詩です。
コロナ禍終息を願う漢詩!(結句)ようやく結句に至りました。「三伏の深憂、気平らかならず」ですが、起句、承句、転句をつないできて、まとめの結句と言えるでしょう。ここでも読み方は、2字、2字、3字が基本です。「三伏」は夏の土用を3期に分けた呼び方で厳しい暑さの期間を示します。「深憂」は文字通り深く憂えることです。最後の3字「気不平」は気持ちが平常心でいられないということ。結句の平仄は仄起こり七言絶句の形式により、「平仄平平仄仄平」(〇●〇〇●●◎)という並びになりました。
コロナ禍終息を願う漢詩!(転句)七言絶句の漢詩も第3句の転句に差し掛かりました。起句は詩の始まりで、夏の昼下がり庭の半夏生を眺めている光景でした。そして第2句の承句では起句を受けて花はいつ見てもいいなあというような和んだ気持ちを表しています。ところが第3句の転句では、これらのことが急変するのです。瞬く間に世界に流行したCOVID19、すなわち新型コロナ感染症の蔓延です。時の移り変わりと疫病に嘆き悲しんでいる状況を表現しています。
コロナ禍終息を願う漢詩!(承句)七言絶句の漢詩の第2句、すなわち承句になります。「歳時」とは歳月の移り変わり、「花際」とは花が咲いているほとりをいいます。また、「笑相迎」はわらってあいむかえると読みます。「笑う」は「咲う」に通じ、花が咲く時の微笑ましい気分とをかけた言葉となっています。結局、この承句は「思えばこのように花を愛でる光景は、ずっと前から日常のことでした。」となりましょうか。ここで平字を〇、仄字を●、平字のうち押韻の字を◎で表しています。押韻は韻を踏むともいい、下平声
仄起こり式七言絶句(標題等)コロナ禍も3年目を迎えましたが、ウイルスは変幻自在に形を変え人類を脅かしています。日本では現在第7波が収束しかけてはいますが、まだまだ油断できません。祈る思いで悪疫退散の詩を作りました。形式は仄(そく)起こりの七言絶句で、平声30韻目の中から下平声第八の「庚」(こう)の文字で押韻しています。ちなみに30韻目とは上平声15と下平声15に分類されている漢字のグループです。そして漢詩の第1,2,4句の末尾に、それぞれ「庚」のグループに所属している漢字の中から選
明治時代の乃木希典将軍は多くの漢詩を残しています。その中で、「金州城」という漢詩がありますが、そこに山川草木の言葉が出てきます。参考までにその詩を示します。きんしゅうじょう「金州城」さんせんそうもくうたたこうりょう山川草木転荒涼じゅうりかぜなまぐさししんせんじょう十里風腥新戦場せいばすすまずひとかたらず征馬不前人不語きんしゅうじょうがいしゃようにたつ金州城外立斜陽この詩で山・川・草・木の文字に注目し、漢和辞典で内容を調べると、山・川は平字、草・木は仄字だと分か
平仄(ひょうそく)とは……手元の辞書で調べてみました。平字・仄字の一例辞書の解説広辞苑①平と仄。平字と仄字。また、漢詩作法における平字・仄字の韻律に基づく排列のきまり。②つじつま。条理。明解国語辞典①漢字の平声(ひょうしょう)と仄声(そくせい)。また、平声字と仄声字。⇒四声②漢詩の近体詩で、声調をととのえるために規定される平声字と仄声字の規則的な配列。平仄法。新漢語林①平韻と、仄韻の字。平韻は高低のない平らな音で、上平・下平に分かれて三十韻
漢詩の押韻を確認するには七言絶句の漢詩は、7字で4句の組み合わせで、計28字となります。たった28の文字に深い意味を簡潔に込めているのです。いろいろな約束事を守りながら唐の時代に近体詩といわれる形式が整えられ、今日まで伝えられているのです。写真の漢詩は曹洞宗の開祖である道元禅師が作られた七言絶句の漢詩です。ちょうど4句に整理されているので分かり易いと思います。1句,2句,4句の末尾には同じ韻目(同じ韻のグループ)の中の文字を使わなくてはなりません。すなわち、これが韻を踏む、もしくは
余談この掛け軸の漢詩は、本文を数えると28字になります。したがって、4行詩に直すと1行7字となるため、七言絶句であると分かります。よく漢詩には韻を踏まなければならないと言われます。どういうことかと言いますと、4行の詩は、起句、承句、転句、結句の4句に分類されますが、それぞれの決められた個所に押韻(韻を踏むと同義語)する必要があるのです。決められた個所とは、起句、承句および結句の末尾に押韻するということです。すなわち、28字のうち、7字目、14字目、28字目には、同じ韻目(同じ
これまで箔飾画(金箔画)と漢詩創作の二本立てで情報発信してきましたが、このたび両者を一本化してより中身の濃い有益な記事をお伝えしたいと思っています。それに伴い、これまで工房知古呂としてブログを書いてきましたが、ブログの統合に伴い名称を知古庵と改めることにしました。どうか、よろしくお願いします。
一目で仄字だと見破る方法とは?フクツチキに平字無し漢詩は熟語、すなわち詩語を組み合わせて作っていくのです。また、漢詩は中国語のアクセントである四声を巧みに組み合わせることで、きれいな抑揚を醸し出す工夫がされています。抑揚のない平坦な発音の平声(ひょうしょう)を基本として、アクセントに変化があるものを仄声(そくせい)といいますが、それらを上手にコラボレーションしていると考えられるのです。先に、ある文字の発音だけでは、それが平字であるか仄字であるかは分からず、正確には
前熟語と後熟語前回は仄字の「美」という文字を対象に前熟語と後熟語を考えました。今度は平字の文字を使ってみましょう。「流」という字の韻目(韻のグループ)は「尤」(ユウ)となりました。この字の前熟語と後熟語をいくつか上げてみましたのでご覧下さい。どの言葉も見慣れた文字ですね。実際、この文字も漢詩の詩語としてはよく使われると思います。
前熟語と後熟語最も使うと思われる熟語は二字の言葉です。漢詩で用いる詩語も一番多いのが二字の言葉でしょう。今、三省堂の「漢辞海」を引いているのですが、この辞典の特長はある言葉の熟語が掲載した後欄に、その文字を前後に配置した前熟語と後熟語が載せてあることです。例として「美」という文字の熟語を調べたときに、通常、その字に続く字を付けて熟語になる、いわゆる前熟語が載っている訳です。漢詩を創作する場合は、平仄を重視するところは、熟語のあとの方の字なのです。これを後熟語といいます。後熟
春懐岳峰作七言絶句の漢詩「春懐」:厳しかった冬の寒さもようやく終わり春の兆し愛でる詩を作りました読み方しゅんかいせいこうびだんそうばいあらたなりいっぺんのじょうかいじざいのひとさんけいやふうかんしょくさりほうしんうごかんとほっしてすでにはるをしょうず平起こり七言句の平絶仄と押韻この詩の韻目は上平声十一真です。韻目というのは一句、二句および四句の末尾に押韻知る際の韻のグループのことをいいます。ここでは上平声十五に分けられた韻目のうち、十一
鶴の恩返しの漢詩完成版「一天鶴鳴」一天鶴鳴(いってんかくめい)命脈旧恩如水遙(めいみゃくのきゅうおんみずのごとくはるかなり)織縫羽翼坐深宵(しょくほうのうよくしんしょうにざす)動容露顕離情切(どうようろけんしりじょうせつなるを)牽袂飛鳴雪半銷(たもとをひくひめいゆきなかばとかさんとす)漢詩昔話「一天鶴鳴」(空一面に響く鶴の声))そう言えば私「つう」は以前、家の主人に命を助けられた事があるのです。山の中で怪我をして動けないところを「与ひょう」が助け
「鶴の恩返し」の結句を作ります起承転結の最後の句を考えます。鶴の姿を見られたつうは、名残惜しいけれどこの家から去る決心をするのです。そして元の大空に帰って行くという悲しいストーリーです。始めの二字は、「惜別」(せきべつ・●●)、「愛別」(あいべつ・●●)、「牽袂」(たもとをひく・○●)が候補とし、最後の「牽袂」を選んだのです。次の二字は「天高」(てんたかく・○○)、「飛鳴」(ひめい・○○)の中から後者を採りました。三字の詩語は(ゆきなかばとかす・●●◎)の中から、
つるの恩返しから七言絶句の転句を作る!「つるの恩返し」の転句漢詩の導入部といえる起句では、命を助けて貰ったところに嫁いで過去を回想するシーンを句にしました。それを受けた承句で、深夜まで機織りして恩人の為に尽くす場面を句にしたのです。さて、転句は大きな場面転換が必要です。そこで、始めの二字を「動容」(どうよう・●○)とし、次の二字は「露顕」(ろけん・●●)としました。そして、終りの三字はいくつかの候補がありました。まず、「凄寒日」(せいかんのひ・○○●)、次に「相思
つるの恩返しから七言絶句の承句を作る!「鶴の恩返し」の承句起句の続き!起承転結の第二句目の承句を作ります。命を助けられた恩義のある与ひょうの嫁いだつうは、与ひょうのために価値ある織物を作ることにしました。織っている姿を絶対見ないように頼んで、機織り(はたおり)を続けました。実はつうは自分の羽を抜いてきれいな布を作っていたのです。もちろん、与ひょうはそんなことは露ほども知りません。以上の内容を承句に当てることにしました。承句の平仄は次のとおりです。○は平字、●は仄
鶴の恩返しの漢詩創作オペラ「夕鶴」のストーリーに基づいて漢詩を作ります。先ず第一句である起句を検討していきます。過去に命を助けられたことがある鶴は、人の姿になって恩人の与ひょうの妻となりました。それは大雪の日に傷を負って動けないところを与ひょうが見つけ、手当てをして山に返してくれたからです。起句は命を助けられたことを、つうが回想する場面としました。この漢詩は仄起こり七言絶句の公式を使います。文字の区切りは原則、二字、二字、三字で考えます。起句の公式は次のと
昔の民話「鶴の恩返し」を漢詩に……日本の民話「鶴の恩返し」を題材とした木下順二の戯曲「鶴女房」に、団伊玖磨が作曲したオペラ「夕鶴」を取り上げます。あらすじは次のとおりです。舞台は雪国の寒村の一軒家。百姓の与ひょうと妻のつうが住んでいました。つうの織る布は都で高く売れると評判でした。狡猾な運ずと惣どは、少し頭の弱い与ひょうが金儲けをしているのを不思議がり、こっそり機屋(はたや)を覗きこみ、そこに鶴の羽を見つけたのです。もしかして、つうは鶴の化身ではないかと思った運ずと惣どは与ひょう
「二字の仄字」を使う場合の注意点は?漢詩で平字に対するものは仄字です。平字というのは中国語での発音で変化のない平らかなものとされています。それに比べて仄字の発音は変化を伴うものをいいます。仄字には上声、去声、入声という三種類あり、合せて仄声というのです。要は言葉のアクセントに変化があるかないかによって、分けられていると考えてようと思います。詩語の中でも二字の言葉は最も多用する大切なものといえましょう。平仄の公式では平字二字の組み合わせなのですが、配置場所によって一・三・五不論とい
「二字の平字」を使う場合の注意点は?二字の平字例えば、気象を表した二字の熟語は、漢詩の規則でいう平字でしょうか。仄字でしょうか。平字を○、仄字を●で示してみます。雲煙(○○)、晴雲(○○)、晩霞(●○)、夜涼(●○)この例のように、二字目が平字(○)の場合は、すべて平字の詩語に分類されるのです。以下に説明しておきます。漢詩の七言絶句の文字区切りは、二字、二字、三字となります。五言絶句の場合では、二字、三字という形になります。句の終りの三字の熟語も分解すれば、ほとんどは二
西道山の漢詩「城山」を検証(その2)七言絶句「城山」西道仙孤軍奮闘破囲還(こぐんふんとうかこみをやぶってかえる)一百里程塁壁間(いっぴゃくのりているいへきのあいだ)吾剣既折吾馬斃(わがけんはすでにおれわがうまはたおる)秋風埋骨故郷山(しゅうふうほねをうずむこきょうのやま)(訳)孤立して闘った我が軍は、漸く血路をひらき鹿児島まで辿り着いた。幾山河を越えて城山まで帰還したのだった。しかし、すでに剣は折れ、馬も斃れてしまった。もはや我が志も尽き
西道山の漢詩「城山」を検証(その3)漢詩「城山」の押韻と平仄起句の二字目「軍」は平字ですから、この詩は平起こり七言絶句の漢詩ということになります。押韻を確認してみましょう。韻目は上平声十五「刪」(サン)で、その中から「還、間、山」の字が韻字として使われているのです。押韻は起句、承句、結句の末尾に置かれています。では、平仄はどうでしょうか。各句の区切りは原則二字,二字,三字となっています。この漢詩「城山」の平仄を調べて記号を並べてみたのが、上に示したものです。
西道山の漢詩「城山」を検証(その1)孤軍奮闘(こぐんふんとう)、吾剣既折(わがけんはすでにおれ)、秋風埋骨(しゅうふうほねをうずむ)……という、勇壮かつ悲壮な言葉が並んでいるこの漢詩は、天保七年熊本県天草に生まれた儒学者である西道仙が西郷南洲翁を偲んで後年作った「城山」の一節です。敬愛する西郷の最期を悼んで、西郷の心情を綴ったものとされています。この詩は平起こり七言絶句の形式で作られています。上の言葉はこの漢詩のある一部分ですが、言葉の断片だけみても大変な状況を描写している
「月照墓前作」西郷南洲★「月照墓前の作」西郷南洲相約して淵に投ず後先なしあに図らんや波上再生の縁頭を回らせば十有余年の夢空しく幽明を隔てて墓前に哭す鹿児島県の英雄と言えば筆頭に上げられるのが西郷南洲こと西郷隆盛公でしょう。鹿児島藩士の西郷は名を吉之助、後に隆盛と称しました。島津公に仕え藩政に参画、総督府参謀となり、明治六年陸軍大将に任ぜられました。征韓論を唱えましたが意見が入れられず、故郷の鹿児島に帰国します。明治十年に兵を挙げて西南の役が勃発します。
押韻の確認西郷隆盛の漢詩の押韻を確認韻を踏む(押韻)個所は、第一、二、四句の最後の七文字目となるのです。第三句の転句は押韻せず、最後の文字は必ず仄字と決まっているのです。この詩では、起句の三文字「後先無し」の「先」、承句の三文字「再生の縁」の「縁」、そして結句の三文字「墓前に哭す」の「前」という文字が韻字ということになります。
西郷南洲(隆盛)の七言絶句「月照墓前作」を検証してみましょう「月照墓前作」の平仄(意訳)「月照と隆盛が二人で相約して海中に身を投じたのは、同時であって後先はなかった。しかるに自分のみ再び生き残るとは思いもよらぬことであった。振り返れば十有余年の夢となってしまった。今は只、空しくあの世とこの世を隔てている墓前で慟哭するのみである。西郷南洲の漢詩「月照墓前作」の押韻と平仄の検討この詩は起句の二字目「約」が仄字ですから、仄起こり七言絶句ということになります。押韻は起句