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宮地神仙道では、毎月13日に大山祇大神をお祀りしますが、我が家では、杉山清定全君の御誕生日の3月13日に合わせ、🎉🎂杉山清定全君と七生舞図をお祀りします。😊嘉津間答門四之巻七生舞の記には、七生舞に関してこのように書かれています。問云、此舞楽はなぐさみに物することと思ふに、其状甚だ厳重に敬みたる事と聞ゆるは、何の爲に行ふことぞ。寅吉云、此舞楽は天神地祇の大きに歓び給ふ楽にて、此を行ふ時は感応あり。それに替りて妖魔の類は殊の外に忌嫌ふ楽なり、夫故に神祇をなぐさめて感応を蒙らむと欲する時か
先日、七生舞、杉山仙君の神図に祈念したのち、宮地厳夫先生著「本朝神仙記伝」を手に取り開いたページに、七生舞の事が書かれてあり😲、その後に仙音を聞く法がか書かれていましたので、今回は、そちらを紹介します。深夜四方静かなる時、静室に入て真を修め、心を鎮めて静かなるの極に至れる時には、たとえ都会の地に在りても實に仙音無絃の曲の聞ゆるものなり。この天耳通は、秘詞、霊符を必要とするものではありませんが、それをもってこの法を軽視するようでは、仙を得る事は叶わぬものと考えています。宮地神仙道には漢武帝内
前回もお話しましたが、我が家では、毎月13日には、杉山仙君、七生舞図をお祀りします。杉山仙君は、宮地神仙道師仙中清浄利仙君に次ぐ御地位におわしましす、大神仙です。宮地神仙道には、杉山仙君の御真形図が伝わっており、毎日仙君に祈念しているのですが、なかなか…でもいつか必ず!多分…。😶仙童寅吉は、仙君のお弟子さんで、私は兄弟子のように慕い、よく「仙境異聞」を読んでいます。ブログでも何度も私の大好きな箇所を紹介しました。寅吉翁は、とにかくいたずらっ子だったようで、そのいたずらが凄いんです…😶笑えな
連日書きたい事書いてたら、😗べっぴんからのいいねが🥰、ゼロになったので😭、お玉ちゃんを諦め😭、女仙宮の話をします。🙃実生活では、お姉さん達が、優しくしてくれるので良しとしよう…。😔毎月13日は、宮地神仙道では、大山祇大神をお祀りしますが、我が家では、杉山仙君のお誕生日から杉山仙君、七生舞をお祀りする日としています。又、毎週金曜日を神棚を掃除する日。土曜日を外窓を磨く日と決めていますので、土日が、もっとも仙界に祈りが通じ、もっとも貴女に女仙のご加護があると信じています。😌こんなに思ってるのに
「八幡比咩神とは何か」菊池展明著「和布刈社速門古記」此に塩涸瓊・塩満瓊の法を得たる神人あり。海童神の後裔にして安曇礒良と云ふ。常に海底に住み、海の事を業とす。故迎へ給はんとて、琴鼓吹の音を起して、海辺に船を浮へたまふ。時に磯良海底より浮み出て船に至る。命のまにまに塩の満涸瓊の法を授る。乃ち皇后宝珠を得たまひて、大いに軍船を調へ、三韓を征伐たまふ仲哀天皇紀秋七月の辛亥の朔乙卯に、皇后、豊浦津に泊りたまふ。是の日に、皇后、如意珠を海中に得たまふ。この皇后が海神より授かった如意宝珠は
8月14日(金)己丑二黒前回、杉山僧正の御誕生日に合わせ我家では毎月13日を杉山仙君の御縁日と定め、その日だけ巻物を繙き感想法、使魂法を修するつもりで「七生舞」と杉山仙君の御神像図を直に拝させて頂く事にしていると書きました。当然ながら、私は日々の神拜、修法と神仙道、道教に関する書を勉強する事を最重要視していますが、書を読む際も修法を行っている気でいます。宮地水位先生は神集岳等の神仙界の形状を書と真形図と言う形で残して下さっています。清水南岳先生は、「神仙道誌」の中で人は生前最も其
8月13日(木)戊子三碧月遅れぼん迎え火一粒万倍日宮地神仙道では、毎月13日、手箱山、大山祇大神をお祀りします。先月から我家では、「七生舞」杉山僧正をお祀りしています。「七生舞の記」には是よりさき去年の三月十三日に今日は山にては例年師の誕辰を祝ふ日なりとて其祭りをなしけるが、山の神楽を見覚たるを舞はむとて七八番舞たり。「神童談憑略記」にも仙童寅吉が「明日(三月十三日)は吾が師の老翁の誕生の日なれば山にては其御祭を行ふなり、我も又此祭をせまほしく思ふを此事ゆるし給はれかし」
8月2日(日)丁丑五黄「神仙道の本」によると寅吉翁の晩年の様子が大正14年の「心霊と人生」に掲載されているといいます。これは、実子、嘉津平、孫、嘉津間に取材したものだそうです。それによると寅吉翁はその後千葉県笹河村諏訪神社の神職となられ、石井嘉津間として天狗直伝の病気治療を行われていたそうです。53歳で男児が誕生。晩年には、「僧正からの急のお召しだ」と言い、惜別の宴をし、日光山を伏し拝みつつ1859年12月12日眠るように仙去されたといいます。子孫の方には、神授秘伝の薬の処方箋と薬
8月1日(土)丙子六白今回は、「仙境異聞」から私が最も好きな仙童寅吉の話を紹介します。然るにその昼過ぎと思ふ頃に、童子は旅装束にて来たれり。いかにと問へば、美成ぬしの早く山へ発足せよと云はるゝ故に、立出でたるが、暇請ひせむと思ひて、立寄りはべりといふ。然らば今日は既に遅し、今夜は我が許に宿りて明日発足せよと云へば、然らばと云ひて止まりぬ。試みに常陸国へ行く道を知りたるか、路用は持ちたるかと問ふに、美成ぬしにもらひたりとて、八百文計を取りいで、我は師に伴はれては、多く空をのみ行きたる故
7月31日(金)乙亥七赤「七生舞」は、寅吉翁が、仙界にて実際に見聞きされた事を平田篤胤先生が絵師に描かせたものです。寅吉翁は杉山仙君の御弟子で、杉山仙君は宮地神仙道の師仙中第二位に位される尊神仙ですので、寅吉翁は、私にとっては師仙のような御存在です。「仙境異聞」は、寅吉翁が幼い頃のお話ですので、師仙のような方に対して失礼かもしれませんが、私は、仙童寅吉の事が愛おしくて仕方ありません。「仙境異聞上一」にも常のしわざ大抵かくをさなく可笑ければ、来集ふ人ごとに愛く思ふも理りなり。と
7月30日(木)甲戌八白鉄胤云く浪花人松村完平、その頃来合せたるに依て寅吉が事を少々聞書せる一冊あり、屋代輪池翁その聞書にはし書して云く、虎吉岩間山にて、白石丈之進といふものの子となりて、白石平馬と称す十月十七日発足して山に入り十一月三日暁ここに来り此度は嘉津間と改名せしといふ、三字名を付くるは階級進みし由なり、故に此一冊を嘉津問答問と題す、また完平自ら聞書の後に書そへて云く、さてかく記し畢へたるを師に見せ奉れば虎吉童子に読聞かされたるに、我が云へる事をたがへず、よく書取り給へども
7月28日(火)壬申一白嘉津間答門四之巻七生舞の記篤胤云、寅吉を山にて師の山人の呼ぶは高山嘉津間といふとぞ。山人とは仙の和語にて古き神楽歌万葉集などによめる寅吉の師などみづから山人と称するもそは古言の存すればなり、抑々仙は諸越にのみ有りて、此国には無き物と思ふは見聞せまき人のこころなり、皇国にも古より仙多きことは古書に数知らず見えたる中に神仙あり仏仙ありまた其中に現身なると尸解なるとあり、差別はここに尽しがたし唐土の書どもに仙に天仙地仙と尸解仙と三品あるはしか云へり、皇国の仙にも
)7月27日(月)辛未二黒上弦嘉津間答門四之巻七生舞の記問云、七しやうの舞とは字をばいかに書く又楽器は何々か又唱歌はいかに、寅吉云、七しやうとは一二三の七の字と生の字に何か偏の有りし字と覚えたり、楽器は短笛五管一丈の笛九尺の笛各一管、りむの琴一挺かりょうの笛五管浮鉦二此六品にて唱歌は五十音を声を長く引て唱ふるなり、篤胤云、七しゃうといふ生の字は詳かならねど寅吉が語るがままに姑く七生舞と書きたるなり、問云、この舞楽を行ふ時の装束は何様なる物を著るぞ皆一様なるか各異なるか
問云、海原にて此舞楽を行ふ時に柱をば建てざるか、樹に懸ける一丈の長笛をば用ざるか、また山人たちは水面に立て行ふかいかに、寅吉云、人々水面にも立ち、或は宙に立ちても行ひ柱は海潮にも宙にも立る、また長笛もいかにしてか宙に釣るし、又は碇を下せる帆柱にも釣り置き、其傍にて行へども船中の人は遠くに聞なす物也、総て人間にて思ふとは大きに相違のことあり、私は、大女仙の美しき御神姿を一目拜し、神仙界の笙鼓の音を拝聴する事。この事に人生を懸けています。人生の大博打を打っております。今回自宅神殿に七生舞
7月25日(土)己巳四緑今回は、嘉津間答門四之巻から七生舞の記を紹介します。問云、或船人の物語に或時海中に船懸して在りけるに、一町ばかり南の方にも懸り居たる船有りしが、夜更て其船の方に琴笛蕭鉦などを合せて不思議に面白き音楽の聲聞えたり、船中には珍しき事と思ひながら彼船は音楽する人の乗合て楽をするこそと思ひて、翌朝帆を揚ぐる時に其船人に言葉をかけて、夕部()の音楽はいと面白かりき其道の人々の乗合ひたるにやと尋ねしかば、彼船の者ども奇しくて我が船にも音楽の聲面白く其船の方より聞えたれば今
7月24日(金)戊辰五黄スポーツの日杉山清定仙君は、宮地神仙道師仙中の御一柱で、平田篤胤先生も御在世中毎朝、日々津高根王命と唱えて神拝され、師仙として幽助を願われ、水位先生も「異境備忘録」の中で杉山仙君のお導きにより神仙界に至られた事を明かしておられる尊き大神仙です。また、「仙境異聞」に出てくる寅吉翁をご指導された杉山僧正と杉山仙君が御別神でないことを清水宗徳先生が明かして下さっています。宮地神仙道では、水位先生の厳父常磐先生が杉山仙君に拝謁された際、まじかで御神姿を謹写された「