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※この記事は、令和3年6月24日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第12回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『青天を衝け』の楽しみ方】・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について・第3回―平岡家について
市街戦で起きた大火禁門の変は京都の中心部でくりひろげられた戦闘です。軍隊の衝突となったので、鉄砲や大砲など火薬を用いた武器が使われました。その結果、京の町中は大火災となります。「鉄砲焼け」「どんどん焼け」とも呼ばれるこの火事は、京都のほぼ半分を焼き尽くして大被害をもたらしました。火事の混乱の中で、投獄中の志士たちも処刑されています。禁門の変は京都に大火を引き起した。公家邸数十家、市中家屋2万8000戸が焼失、20日には火の手が六角獄舎に及ぼうとしたので、囚人33名が斬殺
※こちらの記事は、令和3年8月15日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第20回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『青天を衝け』の楽しみ方】・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について・第3回―平岡家につい
第一話【前半】「大事になっていませんか」→慶喜好感度+4/山崎好感度+4「なんてことを言うんですか」「大丈夫なんですか?」【後半】「仲良くなりたい」→慶喜好感度+4/山崎好感度+4「仲良くなれたらいい」「仲良くなれるでしょうか」第二話【前半】「ちゃんと泣き止みます」→慶喜好感度+4/山崎好感度+4「見せてみましょうか」「大丈夫ですよ」【後半】「ありがとうございます」「ほっとしました」「もっと聞かせてください」→慶喜好感度+4/
「「天狗争乱」吉村昭著新潮文庫」幕末の水戸藩といえば、徳川斉昭に代表されるような過激な攘夷論で知られています。本来ならば、薩長土肥なんかより先に攘夷論の先頭を走っていたのです。でも、明治維新の際に、主導権をとることはできませんでした。その要因の一つが、斉昭の死後、攘夷派と門閥派の争いが激化し、藩論を統一することができなかったことでしょう。水戸の攘夷論は、攘夷を実行しなければ、アヘン戦争に敗れた清国のようになってしまうと言う危機感に基づくものでした。藤田小四郎が中心にな
1865年、長州藩は元治の内乱により、政権交代が起きます。俗論党から、正義党に政権が変わります。正義党が政権を奪還して、軍政を指揮したのは大村益次郎です。大村益次郎は長州藩の軍隊を日本最強にしようと、いろいろな改革を実施します。ちょうど、その頃、長州藩は薩摩藩と密約をしていて、坂本龍馬の亀山社中を仲介して、最新の武器を調達することに成功します。エンフィールド銃などの最新の武器を積極的に購入しています。さらに武士以外にも危機感を持ってもらうために、『長防士民合議書』という今で言う、パンフレットを
1865年、元治の内(功山寺決起)で長州藩の政権は俗論党から正義党に返り咲きます。そして、軍政を率いたのは大村益次郎でした。大村益次郎は様々な軍政改革をしたかったのですが、困った問題がありました。長州藩は逆賊の為、武器を海外から仕入れることが出来ませんでした。武器はないけど、豊作だったために金と食料はあるという状況でした。一方の薩摩藩は凶作で食料がないものの、武器はたくさん保有していました。長州藩と、薩摩藩はこういう思惑があったのです。こういう諸藩の事情が分かっているのであれば、交換すればよい
日本史の中ではあまり注目されませんが、今日は江戸幕府第12代将軍いえよし徳川家慶の命日・没後170周年にあたります。家慶は1793(寛政5)年に第11代将軍・徳川家斉の次男(※母は側室の香琳院)として江戸城で生まれました。長兄・竹千代が早世したため早くから将軍継嗣となりましたが、父・家斉が50年にわたり将軍職を務めたため、家慶が引き継いだのは1837年・45歳の時でした。そのためか、家慶については〝凡庸〟という評価があり、趣味に
1860年3月に独裁者的な決める政治をしていた井伊直弼が暗殺されると、江戸幕府はどんどん混乱をしていきます。決められない政治が続くことになります。井伊直弼の後を継いだのが、老中、安藤信正ですが、この人は全然決められない政治をします。あろうことか、江戸幕府を立て直すという発想がもはやなく、最終的なジャッジは朝廷にお願いするという手段に出ます。公武合体です。これで14代将軍、徳川家茂と皇族の和宮が結婚することにより、絆を強める狙いでした。しかし、これは形式的なことで、何の効力も持ち合わせませんでし
井伊直弼というと悪人というイメージがつきまといます。確かに勅許を得ずに勝手に各国と不平等条約を結び、勝手に徳川家茂を将軍にし、抵抗勢力を一掃する為に、安政の大獄を行った。これだけ上げると、それは大悪人でしょう。さらに、暗殺されるのですから、一見するとざまーみろ!という感じのイメージなってしまいます。でもそれには肝心なことが削除されています。そうせざる負えなかった経緯があるのです。その経緯は大事なことで、それをやった結果、そういう事態になったのですから、悪人と決めつけるのはどうかなとは僕の感想と
前回の配信日決定はざっくりすぎでした…今回は本当に配信日のお知らせです。2023年6月9日だそうです。おめでとうございます!!
慶喜さんと丞くんの相棒本編が初夏に配信決定だそうです。おめでとうございます!これは…平助くんの彼目線本編とどっちが先ですかねえ。初夏のほうが先だからこっちが先ですかねー
【最後の将軍徳川慶喜】文春文庫【著】司馬遼太郎皆さんご存知、タイトル通りの最後の将軍徳川慶喜の話。普通選ばれる事のない一橋家から選ばれた、やりたくなかった将軍を継いだ男。今の世にも蔓延る、出来る奴に凶悪なババを押し付ける的に押し付けられた男。静かに熱い物語。300ページ弱と読みやすく、とは言えしっかりと徳川慶喜が分かる小説。文春文庫最後の将軍徳川慶喜ペリー来航以来、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐって、朝野は最悪の政治的混乱に陥ってゆく。文久二年、将軍後見職とし
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【命を狙われる勝】前回の続きです。慶応二年(1866年)8月20日、勝は長州との交渉に臨むため兵庫を出航しました。翌21日、広島着。勝がこのとき乗船したのは、幕府軍艦ではなくダンバートン号という船です。軍艦奉行職にあり、状況次第では戦闘も辞さない覚悟を固めて敵地に赴く勝としては幕府軍艦で乗り込むべきところ
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【慶喜と対峙した勝】前回の続きです。大阪にいた勝が京の一橋慶喜から上京を命じられた書状を受け取ったのは、慶応二年(1866年)8月14日夜のことでした。通知する書面には「至急の御用の向きこれあり候間、不快に候とも押して上京致すべき」との一見強引にも思える文言が見えます。慶喜は自らの見込違いにより窮する立
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【出陣中止表明の余波】前回の続きです。慶応二年8月に入り、小倉城陥落の報せが届くと一橋慶喜は前日まで「長州大討込」と自ら称していた出陣を突然中止しました。幕府側の重要拠点が失われたことで勝算の見込みが立たなくなったからです。突然の中止命令に周囲で大混乱が生じました。幕府内は無論のこと、とりわけ会津藩では慶
攻略開始しております。物語券がなくて進みません(笑)第一話【前半】「すごく素敵」→信頼度+8「座ってみてください」「ありがとうございます」【後半】「慶喜さんこそ深刻」「肩に力が入ってますね」「お互いさまですよ」→信頼度+8第二話【前半】慶喜さんの顔を見る→信頼度+8烝くんに助けを求める見とれる【後半】(ちほ姉さん、ありがとうございます!)「私こそ困ります」→信頼度+8「またそんなことばっかり・・・」「もっと困らせましょうか?」恋の
今月はいつもの倍、本を読むことができました(なんとなく複雑……)そして、今日は入荷した予約の本のカバーと帯がよくなかったということで、お店が新しいものを再度、手配してくれた『営繕かるかや怪異譚その参』を引き取りに行って、『無尽』の最新刊も引き取ってきました。(もう本当にありがたいことで、そして谷津先生の『ええじゃないか』を予約してきた私です)元号が慶応に変わりました。江戸幕府の終末が近づいていますね。しかし、徳川家茂という人ってものすごいなぁと読みながら、思ってしまい
ホストイベント「TopSecret蒼桜~抑えられない愛をあなたと~」開催中!8月29日まで。ホストイベント第2弾ですね。第1弾は「朱桜」、帝と土方さんと総司くんが出てたやつです。慶喜さん、以蔵さん、烝くんから選べます。まあいま時の人なので慶喜さんを選択!慶喜さんに海デートの申込みをされたヒロイン(ヒロインはホストクラブのオーナーで、慶喜さんはホスト)。特定のホストとだけ仲良くなることを危惧するヒロインはご褒美も兼ねてクラブのみんなと海でバーベキューをします。そこに勘違いな女達が寄ってき
慶喜様の新時代本編配信決定しました!おめでとうございます!(≧∇≦)bさらに!配信日まで発表されました。8月10日です。楽しみですねえ!
結果的に、澁澤翁の人生の最大イベントとなった『渡仏御下命のお達し・・・』までに、15編も要して居るとは、まったく以って情けないが、こうなれば、半ばヤケクソで先を続ける・・・(汗)『1867[慶應3]年にフランスで開かれる万国博覧会に招待されたから、その使節として、民部公子(=慶喜の弟=徳川昭武)を派遣することになったから、これに随行せよ・・・!』との命で、その人選を行ったのが、誰有ろう『将軍(=慶喜公)直々の御指名・・・』と聴けば、それは、またと無い栄誉である・・・(笑)
自分が建言した政策を大いに取り入れられ、更には、それへの責任者として『兵隊組立御用掛・・・』として、一橋家の領地を巡回した澁澤翁は、見事に、その役目を果たして京に凱旋して、大いなるお褒めに与る訳だが、一方で、この道中で、且つて鍛えた『武州の藍玉農家の子倅の眼・・・』でも、領内を見聞して居た訳で、その産物(=米や綿花・硝石等)が、如何にも疎か(=安く)に取引されて居ることに眼を着け、これに、付加価値を着けて売れば領民も助かるし、一橋家も『運上金(=関税)・・・』を取れて財政的に助かる
長州藩のクーデター(=禁門の変)が失敗に終わって以降、暫しの間、京都の政情も、表向きには幾分落ち着きを取り戻し、それに応じて、一橋家も、国内諸藩の周旋役からの饗応が弾み、平岡の跡を継いだ黒川何某とか云う用人も、毎夜の如く、京の花街に呼ばれるから、それに追従して、澁澤青年も酒食饗応に肖ったようだが、この宴席の或る夜、黒川の計らいで、澁澤青年は、一人の夜伽を宛がわれる訳だが、これに立腹した澁澤翁は、『両三年の間は、心に誓ったことがありますから・・・!』と云って、この気遣いを振り払い、すたすたと
澁澤青年と従兄の喜作が、命を拾い名を成すに至った大恩人(=キーパーソン)は、先ずは、偏に、一橋家の用人だった『平岡円四郎・・・』と云う、江戸っ子独特の鷹揚で度量の深い仁との出逢いと、この仁に、篤く信を得たことだっただろうが、この仁が、澁澤たちが、その命に依り、『家臣搔き集め・・・』の為に、関東へ下って居る間に、水戸藩の暴漢に襲われ、落命して果てると云う事件が起きて居る・・・。世は、当に、『風雲、急を告げる・・・!』と云う風情に突入し、尊皇の急先鋒の水戸藩辺りでは、『天狗党
まあ、それにしても、この世の中には、『真に運の善い人・・・』と云うのは、実際居るモノだと想わされるのが、この澁澤翁の一生こそ、『その最たるモノ・・・』と云えるかも識れないわなあ・・・(笑)まあ、だからこそ、後々、『近代日本資本主義の父・・・』と呼ばれ、遂には、いよいよ、この国の『最高紙幣額(=一万円札)の肖像・・・』に祀られるような人物にまでなる訳だが・・・!恩人・中岡円四郎の工夫で、遠乗り中の『お見掛け・・・』で、一応、一橋公との面識を得た格好になった、こ
こうして、動乱覚悟の時勢に酔った『攘夷の志士の気分・・・』で京都に上って来た二人が、一転して、平岡から、『この際、佐幕側(=一橋家)の家来・・・』へと『立場を変えないか・・・?!』との誘い水を向けられるのだが、この話に『喉から手が出るほどに有難い話・・・』を、肯うことを前提にしながらも、この二人は、我が身の存亡の危急を棚に上げて、『我々にも、それなりの建言有っての上京なので、それを聴き入れた上でも、尚、仕官させようとのお考えなら・・・!』などと、開き直った大見得を切って居る
『一橋家用人の家来・・・』と云っても、元々が、それは、京都へ上る為の方便くらいにしか考えて居なかった二人は、一橋家に出仕するつもりも無ければ、平岡からの命も無いから、謂わば、『京都見物・・・』に来て居るような呑気な立場だった訳で、その呑気さに任せて、二人で、『伊勢神宮参拝・・・』などと云う小旅行までして居るのだから、誠、呑気な話だった訳だが、伊勢から帰京して間も無い二人に、降って湧いたように、一大事が起こる・・・!澁澤翁たち二人の上京と入れ替わりに、江戸へ戻って居た、同志の『
一橋家の用人、平岡円四郎が召し抱えた、『新米家来・・・』と云う立場を得た二人は、その脚で、意気揚々と京へと乗り込む訳だが、その道中は、≪京都へ着したならば天下の英雄豪傑といわれる人が大勢集まっていて、しきりに天下の大勢に注目しているから、何ぞよい機会が見出さるるであろうという思惑であった・・・≫(渋沢栄一・自伝雨夜譚;東林出版・Kindle版)と語って居るから、その心中は、実に
JR京浜東北線他王子駅から歩いて、10分位の所に飛鳥山があります。現在、NHK大河ドラマで青天を衝けが開催されているので、飛鳥山に大河ドラマ館があります。大河ドラマ館を見た後、そこから、2分位行った所にあるおみやげ売り場に行きました。すると、飛鳥山城の御城印が販売されていました。また、渋沢栄一と一橋慶喜の武将印(?)がありました。この期間中だけのものだと思ったので、それぞれ入手しました。早雲寺展でも、北条家の武将印を入手できたので、このような印がこれからいろいろと入手できそうです。
一読して、ついつい「ほんとかいな?」と思ってしまったのが、奥山景布子『流転の中将』でありました。主人公は桑名中将・松平定敬、幕末の動乱の最中、流転の運命をたどったであろうところながら、本当にこれほどに各所へ流れ流れた人生を送っていようとは、「ほお~」と思ったわけでして。幕末のひところ、京都にあって3人まとめて「一会桑」とも言われた人たちがおりましたな。「一」は禁裏御守衛総督の一橋慶喜、「会」は京都守護職の会津藩主・松平容保、そして「桑」が本書の主人公、京都所司代であった桑名藩主