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昨日、BS再放送の阿弖流為伝、終わっちゃいました〜。奉ろわぬ神、蝦夷の人々の神、東北土着神アラハバキ神もその一つ。天津甕星-Wikipediaja.wikipedia.org明治政府どころか、遙か昔、「倭」桓武帝の時代からその存在を否定され、虐げられてきた北の人々が崇めた、古からの自然神。「倭」に屈した出雲の人々や諏訪の人々が崇めていた神々は、現代においても「神」として人々から崇敬され、今や御朱印人気で脚光を浴びつつリます。ですが、「アラハバキ神」だけは未だに歴史の闇の中に沈ん
本日は一日中、各サイトのネットアップロード写真から、明治鉄道遺産物リサーチに終始しました。その中で、どうしても納得出来ない写真が出てきました。一戸駅発着の当時のSL三重連の写真は、ほとんどが1956〜1968年、つまりD51三重連運転開始後しばらくしてからヨンサントオ、昭和43年の複線電化時までに撮影されています。で、この写真の中に昭和41年撮影の三重連発車の写真がありまして、この写真の背景に写り込んでいる給水塔が三代目?!の給水塔なのです。撮影年の間違いかと思い調べましたが、しっかりし
週末フィールドワークで本日、所用がてら岩手町まで行ってきました。行きがけに奥中山の「雅」さんで日替わり定食メニュウリサーチがてら、お昼を食べて岩手町へ。NPOSETミライトの二周年イベントに顔を出してから、少しまったりしました。ミライトの周年イベントは明日16日も開催されます。賄いのカレーが美味しそうなので、行こうかどうか考え中です。ここの所春めいてきましたから、雪が溶けていろいろな遺産が顔を出しつつあります。これが4月末になると、木々が芽吹いてきますから、それはそれで綺麗なの
50ft(15.3m)型の転車台だった可能性があります。「ものがたり東北本線史」に掲載されている写真に、盛岡北方800mを走る8700型テンダーSL+B6型タンクSLの牽引する青森行き急行列車の写真↓があります。機関車が背中合わせに二両連なった、ちょっと珍しい「背面重連」と呼ばれる重連機関車が列車の先頭に立っているのは、この先奥中山駅までほとんど上り坂の行路である事と、当面の滝沢旧線(複線電化までは巣子から渋民まで単線の別ルートを走っていた)の勾配がキツいための措置だと思われます。※ウ
コルベルト=カルバートと呼びます。もしくはアーチコルベルト。英語表記はCULVERTSです。iosAiによると、Culvert(カルバート)とは、道路や鉄道の下に設置されるトンネルの一種で、雨水や小川の流れを通すための排水路です。日本語では「暗渠(あんきょ)」とも呼ばれます。Culvertは、土木工事や建設に関連する文脈でよく使用され、都市や農村のインフラにおいて重要な役割を果たしています。Culvertの主な特徴は次のとおりです。雨水や小川の流れを通すために使用される
一戸から盛岡へ国道4号線を車で走りつつ奥中山地区にさしかかると、右手に鉄道の中山トンネルが見えるIGRの跨線橋を渡り、奥中山高原のいわて子供の森や西岳のスキー場へ向かう踏切のある交差点を過ぎて、林が切れ右手に奥中山高原の駅の跨線橋がフロントグラスの視野に入るあたり。平糠川の最上流部を鉄道線路が渡っている石橋※実は煉瓦橋、、が目に入ると思います。これが、平糠川第一橋梁↓です。鉄道と道路はこの後、北に進むにつれて鉄道に寄り添うように流れる小繋川を、多くの橋で渡りつつ小繋・小鳥谷の駅を目
2/13日の投稿で以下↓↓の記述を投稿しました。先般来の検証で「長瀬の鉄橋」すなわち十文字川橋梁は70ftガーダー3連、50ft高さの支保工と錬鉄橋脚2本を持つ、正真正銘の四段トレッスル鉄橋だったことは、すでに判明しているのですが、単線時代最後の橋脚が北側一本は切石積み、南側一本はコンクリート製の異種橋脚だったのは何故か?謎であると書きました。で、この異種橋脚の正体が判明しました。北側の橋梁は本文の推測通り、トレッスル橋脚及び錬鉄ガーダーを更新強化するため、鉄橋を掛け替えた早い時期(大正期
3.11に合わせての記事を投稿しなくなって、もう4年になります。湘南に居た頃は、相模湾岸の海岸まで2kmの場所に住んでいましたから、津波被害について人ごとでは無く、太平洋岸で発震すると常に津波の動向が気になっていました。そうなったのも、3.11で係累が犠牲になったこと、酒屋出身の方が釜石で被災して抱えきれないほどの被害を被ったこと、そして、関東大震災を肌で体感した母方の祖父の言葉を、幼い頃からたたき込まれていたからです。そして、一戸へ転居したことで、心の奥底に常にあった最大の心配事、津
ん〜?亀三何コレ??と言われるくらい、まあ普通の方なら、きっと興味を示さないモノです。ですが、小生にとってはとても興味深いシロモノでしてね!コレ、実は明治日鉄奥州第四区線最大の難工事、盛岡雫石川橋梁の明治の橋脚台です。四区線工事のうちでこの鉄橋の工事が進捗しないため、盛岡スルー案も出るほどの艱難辛苦の末、なんとしても青森全通を成し遂げたい日鉄と鉄道作業局、「鉄橋鹿島」の名にかけても失敗できない鹿島組が、お互い血の滲むような努力と知恵を駆使して、遂に完成させた鉄橋です。この鉄橋を完成させた
ちょいと備忘録がわりに書き置きます。奥州第五区線の敷設において、日詰〜小繋間の工部省鉄道作業局側の監督官は長谷川謹介技師、小繋〜青森間は小川資源技師が担当でした。実作業ではさらに日詰〜厨川までが吉山魯介、厨川〜好摩先までが大久保業(大久保一翁の嫡子)、好摩〜沼宮内までが岸本順吉、沼宮内〜小繋までが西大助さんらが監督官の下で実務担当を担っていました。民側の請負業者は、日詰〜小繋間では、鹿島岩蔵さん率いる鹿島組、吉田寅松さん率いる吉田組、早川智寛さん率いる早川組、です。この下に請負業者の
ちょいと備忘録がわりに書き置きます。「鉄橋の小川」と言われ、日鉄奥州線初期の主要鉄橋架橋において、頭角をあらわした小川勝五郎さんは那珂川橋梁を最後に、以後ここから北の架橋には手をつけませんでした。日鉄や鹿島組の公式記録にもある奥州線第四区最大最後の難工事、盛岡雫石川橋梁架橋においては、その困難さから鹿島組直営工事として施工され、寺井寅吉さんという方が監督主任として担当しました。寺井寅吉さんは、鉄道草創期の京浜間鉄道工事において、外国人技師ダイアックの元で近代土木建築に関するイロハ全
3/2、三月お一日、八戸八食神仏賄い買い出しアイテムっす。相変わらず、節約モードなのでお寿司はお弁当に変更。定番の上平肉店さんの酢豚弁当650円ですぅ。とは言っても、サブおかず満載なので、多めご飯でも足りません。なので、野沢菜おにぎり150円+。お肉屋さんの酢豚です、まず黒酢で◎。マカロニサラダもお肉屋さんらしい、胡椒の効いたスパイシーマヨでコレまた◎!やはり、上平さんのお弁当はコスパ◎っす!!!神棚&仏壇お供えは、ほうぼう+〆たらとメバル。明日はお雛様なので、小の寺餅店さんで、いちご大福と
本日、手元に一冊の本が来ました。岩手県北の山々を、急峻な谷を穿ちながら南北に流れ下る馬淵川水系の河川を克服するため、後に東日本の大動脈、東北本線となる日鉄奥州線全線開通において、非常に重要な役割を果たした鉄道橋。特徴的な舶来鋳鉄トレッスル橋脚と切石・煉瓦アーチを組み合わせた支保工台を持つ、優美な「明治の最先端鉄橋」のビジュアルが精細なコロタイプ写真印刷によって、この本には美しく再現されていました。後の世に刊行された幾多の本には、この本の写真をベースに複写されたと思しき写真が掲載されています
奥中山畠山煉瓦の六兵衛さん、小樽でM13年に外国人寄宿所を作ってました。さらに「幌内鉄道の敷設に関わる人夫の召募は、請負人の大岡助右衛門・関口藤四郎・畠山六兵衛・古川寅吉・中川源左衛門らによって岩手県を筆頭に青森・宮城・秋田・山形・石川・新潟・京都などから集めていた」とあります。これらの人々は、幌内鉄道敷設の由縁となる、幌内炭鉱の掘削にも関係しました。札幌での煉瓦製造の嚆矢は、開拓使が開設した官営工場の茂辺地煉化石製造所でした。ここで造られていた煉瓦は、当時すでに東京の集治監
ひょんな事から、先程こちらを拝見させていただく機会を得まして。詳細は拙ブログで書かせていただきますが、この地この時期ならではの清冽さと、堂内に抱かれるような優しさに、ちょっと心が共振してしまいまして。小生なりに神と繋がれるかもと、十字をきってしまいました!!スノーアクティビティの歓声響くスキー場の麓に、心を愛しんでいただける、素敵な空間がある。それが一戸町なのです。
2/15土曜日、ごはんの取材で奧中山高原スキー場へやって来ました!なんせ、酒屋から30分も走れば、このロケーション❣️お天気良いとわかれば、いつだって来れる距離、とういよりパウダースキー愛好者なら、安比なんて行かなくても、実にリーズナブルなプライスで学校帰りに滑れます。今も、西岳トップの上級者コースから、三人滑り降りて来るのが目えてます。滑ったあとは天然温泉にも浸かって、体をほぐして帰ればあとは、お家で寝るだけ。ご飯はどこでも美味しいですしね!!あえて北東北の冬(あくまでなんちゃって
亀三、IGR日本鉄道第五区線遺構継承グループ、のFBサイト何時になったら出来るの?遊んでないで、早くアップロードしてリアルアクション始めないと春が来ちゃうよ〜〜、と言われそうで、ちょっと汗汗しております。言い訳ですが、実は色々とネタ仕込みはしておりまして、今月に入りフィールドワークには頻繁に出ており※降雪時は普段見えないモノがよく見えたり、形が現れたりするので実は好都合だったりします、、未発見遺構も今のところ新たに二つ見つけました。フィールドワーク以外にも、文書検索や調査(聞こえの良い言い方
さて、本題に入りたいと思います。いつも前置きが長くてすいません。初代一戸駅本屋移転に従って給水塔も場所が移っていますので、その経緯が分からずにいると話がこんがらがってしまいますので。あえて、序文前章として前段を書かせていただきました。ご容赦のほど・・・。一戸駅は初代の駅本屋(改札口)は現在駅の山側、つまり稲荷側?にあって駅本屋に付随して給水塔が当時の駅本屋の脇にあり、鉄道官舎が現在の三代目駅舎のあるあたりに建っていたこと、当時上りホームへは跨線橋(線路を直接渡らずに済むよう線路
明日、岩手内陸は荒れそうだとIBCが言ってます。でも県北はそうでもなさそう。むしろ、来週がヤバそうです。三寒四温はまだまだ、先ですねー!!※2ページ目がありますよ〜
先輩やっさんさまから情報が入りました!松川山登りボンバス、復活したそうです。写真は先輩の撮影したものです。いや〜、今更ながらヒヤヒヤさせられる、ニクイ!ボンちゃんっす。松川温泉入湯とセットでお楽しみくださいまし❣️
今朝イチ!の一戸向町景色❗️高見邸の豪奢な蔵と茂谷の山、雪晴の空。見慣れた風景だけど、目を惹かれる一瞬。記憶に留めていきたい景色です❣️
本日の葛巻高校メインメンバーとツアーコンダクターH氏、一日お疲れ様でした〜❣️
メイン、葛巻巻鍋森のこだま館バージョン、トマト仕立てのパスタ鍋◎‼️で、サプライズ!高校生の南部牛追歌アカペラ歌唱で〆〜※インスタで見てください、大満足の1日でした。第二弾第三弾参加の皆様!乞うご期待っす。
アクティビティで一端撃沈後、森のこだま館で「そばカッケ」手作り試食体験。おやつのつもりが、まだちょっと・・・。このあと、お隣のワイナリーで試飲して、そばカッケサポートの高校生三人組とお別れ。メインの「葛巻鍋」へ向かって走ってます。
久しぶりに雪と戯れさせられた一時・・・。スノーシュー、舐めちゃいけません!!!なかなかのもんです、このアクティビティは。
くすまき交流館プラトー、で合流の高校生お三人❣️
ファーストガイド、葛巻高校男子お二人さん❣️
スタートで〜す❣️
おっとっと!下りかぁ。上りは大丈夫かいな??追加:上りも二戸折り返しで走ってるのか。あぶねー!!