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今年9月末のことじゃった…。と昔話風に入りたくなるまだ暑かった今秋の思い出。オーナーご夫妻が素敵で「知る人ぞ知る…」のカフェでしたので記録として綴っておきます。一宮在住の友人が案内してくれた一宮市萩原町の古民家カフェ『てぃるーむ富貴むてぃあら』さん。玄関を入ると大黒天さまが「よぉ来たのぉ。」と歓迎して下さいます。(個人の見解です😆)日本独自というよりも古民家の中でアジアの文化がバランスよく融合している感じ。
長女と手をつないだら。。。💦萩原駅編愛知県一宮市萩原駅私が42年前に門を叩いた少林寺拳法一宮南道院があった最寄りの駅です😊武道ブログランキング
一宮市萩原商店街10月4日は○イワシの日多獲性魚有効利用検討会(現在の大阪おさかな健康食品協議会)が1985(昭和60)年に制定。「い(1)わ(0)し(4)」の語呂合せ。最近は寿司や缶詰で食べてますが、久しぶりにツミレを食べたいと思います。○証券投資の日日本証券業協会が1996(平成8)年に制定。「とう(10)し(4)」(投資)の語呂合せ。山一證券サンラインF-IICM(1988)今は亡き山一證券が、ファミコンを電話回線につないで、株価など証券情報の提供や株式の売買がで
2024年5月26日日曜日愛知県一宮市萩原町ホーム派手な衣装を着て、楽し気な音楽を演奏しながら通りを練り歩き、商品の宣伝を行っていた人たちのことを「チンドン屋」といいます。萩原商店街では、毎年5月下旬に、昔懐かしいチンドン屋のパフォーマンスを楽しむイベントが行われています。チンドン屋さん日本一を決めるコンクールや、パレード、大道芸など、にぎやかな催しが行われます。chindonmaturi.jp中華そば華丸一宮市萩原町串作字荒神田面1407-2つけ
一宮市萩原町舟木一夫ゆかりの地12月22日は○タレントの江原啓之さんの誕生日。以前「オーラの泉」に美輪明宏さんと出演されていましたが、スピリチュアルカウンセラーという肩書きを初めて見ました。○お笑いタレントでずんの飯尾和樹さんの誕生日。「笑っていいとも」や「内村プロデュース」などで話題に、最近は『ずん喫茶』など独特の雰囲気の番組に出演されています。
一宮市美濃路萩原宿本陣跡7月31日はお笑いタレントでハライチの岩井勇気さんの誕生日。「学校にいそうなやーつ」など、独特な語り口の「○○の○ー○」のネタが面白いと思います。
一般社団法人体力メンテナンス協会愛知西三重支部支部長小島佑宇子です。毎月第2第4水曜日に開講している一宮市萩原町studioアットタイムクラス。コチラのクラスではオンライン参加も取り入れております。オンライン受講もOK!今までなかなかスタジオまで行くことが難しかった方も参加しやすくなりました。スマホ、タブレット、パソコンがあれば、ご自宅で気軽に一緒にエクササイズができますよ!(Wi-Fi環境、バランスボールのご準備をお願いします。)新型コロナウイルス感染への不安もある
2023年5月28日(日)天気☀事後報告ですが😅行われましたチンドン屋さんは、毎回クジなんのです。今年は私が引きました結果、今年もちんどん通信社囃子屋さん2年連続は珍しいかもw今年は私が配達に行ってしまって、演目を見ることが出来ずでした⤵️コンクールの結果は、実行委員会長賞でした㊗️凛々しい姿ですね👍✨カッコ良かったです❗
舟木一夫生家跡(一宮市萩原町)12月入り2022年も、残すところ後一ケ月になりました。舟木一夫芸能生活60周年記念も、ツアーファイナルが終わり、残すところ新橋演舞場での「舟木一夫芸能生活60周年記念ロングコンサートin新橋演舞場」の10日間となった。さて、舟木さんが生まれ育ち、東京にでるまでの約18年住んでいた、一宮市萩原の生家は、今はもうない。しかし萩原の思いでは、今なお舟木さんの心の中には、深く残っている事だろう。その萩原では、毎年「全国選抜チンドン大会」が行われて
5月22日一宮市荻原で開かれる全国選抜チンドン祭に行こうと思っていた当日、出不精で中止フォローしている、べんてんやのブログで楽しみました毎年4月上旬の土曜日・日曜日の2日間、富山城址で開かれている全日本チンドンコンクール、コロナで3年中止チンドン大パレード総曲輪(そうがわ)通り商店街など懐かしい画像は今年4月2日大須商店街を練り歩くべんてんや子供の頃、日本の歌謡曲のルーツである『美しき天然』のメロデーにあこがれました。ラジオしかない時代の生演奏には感動しましたどの
2022年5月22日(日)天気☀3年振りのチンドン祭4月の富山県の全国チンドンコンクールは今年も中止だったとか今年は、晴天で良かったですが暑かった💦皆さん、大変だった事でしょう😅そして、今回のお世話になったチンドン屋さんは大阪のちんどん通信社の囃子屋さん右の方は、4年前に新人さんで宣伝してくれた竺原みなみさんあの時と比べて、しっかり板についてました🙂今回、40年前にやった矢の芸を披露するとかここでは華麗に決めてました。おぉ〰❗と感動しました✨当たってお店幕が降りる細工が
今日は愛知県一宮の萩原商店街のちんどんコンクールにやってきました。ここ萩原に私が初めてきたのは1992年です。昔ブログにも書いたけど当時、サライの雑誌に篠山紀信が撮った隅田川を歩くちんどん屋の女の子が写っていた。私はその子に惚れて屋号から連絡先を探してね(笑)今で言うストーカーですやん。その子と少しだけ手紙のやりとり文通が始まって一宮萩原に来ると言う事で会いに行きました。それが1992年そう30年前の話なのです。ここ萩原は思い出の場所でも有ります。その時に観た!若手
最終章天翔ける翼その10国際劇場の広い客席は、満員だった。何千と言う観衆が、舟木一夫を見る為につめかけて来たのだった。その中には、晴れのワンマンショーを見んが為に、臨時列車を仕立ててやってきてくれた、故郷一宮の人達の顔も混じっていた。両親の懐かしい顔も、斎藤のとぼけた顔も、また西原先生の厳しい顔もあるはずだった。成幸は緊張していた。開幕を知らせるベルが鳴り響いて、幕が開くと直ぐ、彼は「高校三年生」を歌って登場する事になっている。「おめでとうございます」どこから入って来たのか、ファンらし
ホリプロ堀社長と最終章天翔ける翼その8どうでしょう?この頃はロカビリーも下火だし、どっかに良いタレントいませんかね?」成幸が「ジャズコーナー」で「湖愁」を歌って一ケ月ばかり経ったある日、かつては楽団「スィング・ウェスト」のバンドマスターで、いまは芸能プロダクションの主宰者に収まっている堀威夫が「明星」の記者に世間話の末に、こんな話題を持ち出したのも、偶然と言えば偶然であろう。「タレントと言えるかどうか知りませんが、この前、名古屋で変わった少年を見つけましてね」記者がその時のありさま
最終章天翔ける翼その7「上京」それからと言うもの、成幸は何となく落ち着かなかった。途方もない幸運が、自分のすぐそばまで来ている様な気がする。しかしその幸運を、しっかりと自分の手でつかむまでは、まだ達していないのだった。もっともこの間に、成幸はCBCののど自慢に出場した時、審査員の一人だった森一也氏の推薦で、ある酒造会社のコマーシャルソングを吹き込んだ。デュエットで、相手はCBCの専属の、これも若い女性タレントだった。作曲は森一也氏で、成幸はこの謝礼として、CBCから三千円貰った。のど自
最終章天翔ける翼その5「運命の階段」「やれば必ずできる!」それは今や、上田成幸の信念となっている。彼は何としても東京に出たいと思っていた。地方で幾ら名前を上げた所で、所詮は犬の遠吠えのようなものでしかないのだ。東京と言う大都会で認められてこそ、はじめて真の意味の「一流」になれるのだと成幸は信じた。しかしその東京の、一体どこに行けば良いのか?その問題に行きつくと、彼ははたと困惑してしまうのだった。一流の作曲家や流行歌手の門を、見ず知らずの少年が叩いた所で結果は見え透いていた。「どういう方法
最終章天翔ける翼その3「のど自慢」「お前のど自慢に出て見ないか?」そのあくる年の、昭和三十七年一月。たまたま遊びに来た斎藤昇が、突然成幸に、こんな事を言い出した。中学卒業した年から、数えて、既に三年、今では斎藤も、家業のパン屋が板についていた。「シゲちゃん知ってるだろう?俺たちの二年先輩で、萩原銀座で下駄屋をやっている富田さん、あの人、先週CBCテレビの『歌のチャンピオン』に出たんだぜ。おれ、店番しながらテレビを見てて、偶然に判ったんだ」「それでどうした?」「アウト!残念でした」斎藤はお
第五章高校時代その1『手錠』尾西線の電車の中から、成幸は飛ぶように萩原駅のホームに降り立った。改札口の時計は、一時十分をさしていた。土曜日なので、高校は昼までなのである。改札口に立っているのは、顔見知りの若い駅員だった。「やぁ!」と気軽に声を掛ければ、それだけで楽に出入りが出来る。しかし成幸は、ポケットから定期券を取り出して、おもむろに駅員に示した。定期券は、萩原、名古屋間で、その淡い青色の券には、赤い字で「学」と言う字が記されてあった。昭和三十五年四月、成幸が名古屋市内にある私
第四章希望の園その1「この前お祭りに来ていましたね」ぽつりと成幸は言った。なにか言わねばならぬと、そう思いながら、どうしてもこの場に最もふさわしい言葉が出て来ないのだった。「ええ・・・」少女がうなずいた。澄んだ声音であった。そして少女の次の一言は、いたく彼を喜ばせた。「あなたもいらっしゃいましたね。風車の所で・・・」成幸は、はにかみながら笑った。少女が自分の事を認めていてくれたのが、彼には新しい発見であり、歓びでもあった。「あの時、君は白っぽい浴衣を着ていた。僕は君を追って
第三章早春歌その1昭和32年四月。成幸は萩原中学校に進んだ。もちろん小学校の同級生だった斎藤昇や、今西誠と一緒だった。(とうとう中学生になった)新しい詰め襟に身を包んで、中学校の校門をくぐった時、成幸はふとそんな感慨が心をよぎるのを感じた。ことさら跳ね回って、筆箱やそろばんが大きな音をたてて鳴るのを楽しんだランドセルも、今はズックの下げカバンに変わっていた。進学を祝って、父の栄吉が買ってくれた、黒の編み上げ靴は、彼が大地を踏みしめるたびに、革特有の、あの小気味よい軋みを立てて少年を喜ばせ
最終章天翔ける翼その2「わたしね、今度東京に行くの。だからこれからは、もっと会えなくなるかもしれないわね」成幸の話が途切れた後、ポツリと少女は言った。なぜ東京に行くのか、それを少女は語ろうとはしなかったが、おそらく生活の為であろうことは察せられた。「あなたは将来、ほんとにあなたが夢見ている様な歌手になれるかも知れないわ。そういう好きな事をやっていられるあなたが、わたし、とても羨ましいと思うの。でも私も東京と言う大都会で、勇気を出して働くつもり。いまのところ、私はお金も希望もないけど、さい
最終章天翔ける翼その1『水色の人』萩原銀座の商店街が、もうすこし切れる辺りで、ようやく少女に追いついた。「あっ」成幸の姿を認めて、少女は自転車の速度を遅らせた。「君って随分早いんだな。俺も自転車じゃ相当に飛ばす方だけど、君にはとても追いつけないよ」成幸は笑った。そこは「正瑞寺」と言うバスの停留所辺りだった。停留場のすぐ前に、正瑞寺という寺がある。ささやかな鐘つき堂を持っているだけの、ほんの小さな寺だったが、幼い時、成幸は日光川にザリガニを取りに行った帰り、今西や斎藤と一緒に、良く
第五章高校時代その6「湖愁」今西の突然の死は、成幸に大きな衝動を与えずにはおかなかった。しばらくの間、彼はさすがに歌の練習まで、手が付かなかった。水色の少女の事も、その時は忘れた。人の死と言う事が、幼なかった頃に感じた祖母の死の時よりも、痛切に彼の中に響いた。何日間か、彼は家の中に引きこもって、ぼんやりとしていた。退屈すると、二階の窓から、下の道路を、行きかう人々を見つめていた。そんなある日、成幸の目に、突然あの水色の少女が映った。少女は自転車に乗っていた。少女は萩原銀座の方に、自転車
第五章高校時代その5「冷たい骸」秋が深まった。成幸の部屋も窓からは、一面の稲穂が見え、それが全て美しいい黄金色に揺らめいている。この一週間ばかりというもの、成幸は今西に会っていなかった。何となく懐かしくなって、彼は自転車を取り出した。今西の家は、萩原の駅を左に見て、更に百メートルほどまっすぐ行ったところにあった。成幸は自転車を降り、勝手を知った窓際で今西の名を呼んだ。「マコちゃん!マコちゃん!」窓が開いた。しかし中から顔を出したのは今西ではなく、彼の母親だった。母親の表情を見て、成幸は
風来坊Amazon(アマゾン)7,664〜898,789円第五章高校時代その3『英語と数学』「どうだいうまく行ってるかい?」それは、萩原銀座の商店街の一角だった。レコード屋に行った帰り、偶然向こうからやってくる今西に出会った。彼は成幸の顔を見るなり、いきなりそんな事を言った。「まあまあだな、君は?」「何となくさ、毎日本を読んだり、思いつくと下手な小説や詩を書いたりしているよ」今西は笑った。彼の手に、文庫本の詩集を持っていた。「萩原朔太郎詩集」とそれは読めた。成幸はその
第四章希望の園その7「みんな、お互いに少しずつ違う道を歩き始めているんだな」今西が言った。そこは成幸の部屋だった。部屋の片隅に置かれた、黒くピカピカ光るピアノに手をかけ乍ら、今西は感慨深げだった。「僕は正直言って、作家に慣れるとは思っていない。でも出来るだけの事は、やってみたいんだ。それで駄目だったら仕方ないじゃないか。僕はそれで良いと思うんだ」その通りだ、と成幸は思った。歌手になりたいと言う希望の中で、立派に大成すると言う自信と、実際に芸能界に入れたとしても、上手く行くだろうかと言う不安
第四章希望の園その6P歌謡学校と言う、流行歌手の養成所に連れて行った。部屋の壁に、流行歌のスターの写真を、ずらりと集めたこの学校は、華やかなスターの座に憧れる、地方青年を狙った、おざなりの指導所だった。しかし、先生はこうした場所が、あるいは成幸の、こうした甘い夢を打ち砕くのに役に立つのではないか。と考えたのである。が、結果は駄目だった。2,3日通っただけで、成幸はこの学校をやめてしまった。そして先生に「あの学校はインチキでしたよ。あんなことをしていたら、一生歌手には、なれそうにありません
第四章希望の園その5「同じ事なら、おれは一番自分の好きな道、音楽に進みたい」いつの間にか、それが一つの信念にすらなった。母親を口説き落とし、栄吉に無理やりピアノを買わせたのも、この頃である。当時、人口二万人,軒数四千五百来戸という萩原の町で、ピアノを自家用で備えたのは、成幸の家が二番目だった。また自分でアルバイトしたり、父親から貰った小遣いを貯めて、テープレコーダーを買った。正式に譜が読める訳でもなく、耳で覚えた流行歌を、ただピアノで音をたどるだけだったが、不思議にこうした事は器用だった
第四章希望の園その4中学三年になると、多くの少年たちは、嫌でも二つの道のひとつを選ばされる。すなわち、義務教育を終えて社会に巣立ちか、高校から大学へと進学するのかの、どちらかである。「俺は高校に行くのは諦めたよ。おやじが早く家の商売継げっていうんだ」斎藤昇が、いつになくしょんぼりして、成幸と今西誠に告げた。彼はこの頃、どこで仕入れて来たのか、高い朴歯の下駄をわざと音高くならしながら歩くのが自慢だった。しかしその日は、心なしか下駄までが色あせて見えた。「僕は公立の高校に進みたいな。そし
第四章希望の園その3長い間二人はそこに座っていた。成幸は自分の家の事や、仲良しの友達である、斎藤昇や今西誠の事を少女に話した。少女は、自分の家がP町にあり、父親が早く亡くなったため、一家で織物の内職をして、生活を支えている事を、少しずつ少年に語った。「偉いんだなぁ、君って」成幸は、少女に初めて会った日、自転車の荷台に角ばった荷物を一杯積んでいたのを思い出した。それは、内職用の機織りに違いなかった。「偉くなんかないわ。私、どうかすると、綺麗な着物とか、流行のスカートとか靴とかが、無性に欲しく