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今日は雨ふり…ランボオの詩を思い出しました雨はしとしと市(まち)にふるアルチュール・ランボオタンカ館さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me
みなさんこんにちはチェンです。雨が続きますねまた雨の詩を紹介しますポール・マリー・ヴェルレーヌという人です。大好きな人を鉄砲でうっちゃったり(ケンカで)、妻子を捨てたり破滅的な人生を送りました。≪巷に雨の降るごとく≫わが心にも涙降る。かくも心ににじみ入るこのかなしみは何やらん?やるせなき心のためにおお雨の歌よ!やさしき雨の響きは地上にも屋上にも!消えも入りなん心の奥にゆえなきに雨は涙す。
Bonjour♪Çava?湿気があって、カビだね。手湿疹が出ているので、注意します。手湿疹が出るのは、ほぼないか、あまりなくって、今年は、足の湿疹に注意しているあまり、手までには、気が回らなかったです。それから、アレルギー用の塗り薬を、美容に使っている人たちがいるらしくって、何それ?って思う。勘違いも、甚だしい。さて、昨日、整理しながら、出てきた譜面で、歌の譜面があり、今朝、久々に伴奏を弾いてみた。寝ぼけているし、ブラインドタッチで
おお季節よ、おお城よ!無疵な心があるものか?幸福の魔法をおれは究めてきた、誰にもこれは逃げられぬ。さあ幸福に挨拶だ、ゴールの国の鶏が、歌い鳴くそのたびに。ああ!もう何も欲しくない。幸福に養われてきたこのいのち。この呪縛、身も魂も奪われて努める気持ちもすっ飛んだ。おお季節よ、おお城よ!幸福が逃げてゆくときは、ああ!おさらばのときとなるだろう。おお季節よ、おお城よ!ーーーーーこれもすんだことだ。今ではおれは美に挨拶することができる。ヴェルレーヌ
おれは架空のオペラになった。おれはあらゆる存在が幸福の宿命を負わされているのを見た。つまり、行為することが生活じゃないんだ、そんなことは、力を浪費する一手段だ。神経の苛立ちだ。道徳は脳髄の弱さだ。おれには人々がみな、他のいくつかの生を負わされているように思われた。この旦那は自分が何をしているのか御存知ない、ところが彼は天使なのだ。この一家は一腹仔の犬ころだ。おれは誰かれのまえで、彼等の別の生活のひとつのなかの或る瞬間と、大声で喋りあったものだ。══こうしておれは一匹の豚を愛したのだ。
忘れた小曲その三雨はしとしと市にふる。アルチュール・ランボー巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。かくも心ににじみ入るこのかなしみは何やらん?やるせなき心のためにおお、雨の歌よ!やさしき雨の響きは地上にも屋上にも!消えも入りなん心の奥にゆえなきに雨は涙す。何事ぞ!裏切りもなきにあらずや!この喪そのゆえの知られず。ゆえしれぬかなしみぞげにこよなくも堪えがたし。恋もなく恨みもなきにわが心のかくもかなし。タ
忘れた小曲その一風は曠野のうちにそが息の音を忍ぶファヴァルそはやるせなの絶頂(かぎり)なりそは恋痴れし疲れなりそは微風に抱かれておののく森の姿なりそは朧めく梢なる小さき声の唱和なり。ああ、かそけくも爽やけき風の響きやささやきや!そは虫のごと忍び泣く、そは風渡る小野の草やさしく叫ぶと似たるかな┄。君は
最近生徒ちゃんが練習し始めたこともあってこのところ私の頭の中でずっと鳴ってるのがドビュッシーの「ClairdeLune」(月の光)。ドビュッシーというと印象派の代表と思われていますが正確には象徴主義(19世紀末期フランスとベルギーで起こった文学・芸術運動)の影響を強く受けた象徴派。象徴派の代表的フランスの詩人ヴェルレーヌの「艶かしき宴」の中に「月の光」という詩がありましてドビュッシーの「月の光」はまさしくこの世界観を音楽に表したものだからです。そしてヴェルレーヌの詩の内容は、同
日本語には人称表現がかなりある。例えば、一人称には、私、僕、俺、わたし、ワシ、ワタシ、ボク、オレ、ウチ、それがし、ワテ、当方、手前ども、みども、拙者などがある。二人称、あなた、お前、君、キミ、てめえ、貴殿、その方、You、コヤツ、貴様など。三人称には、彼、彼女、あの方、かの人、かの君、アイツ、ヤツ、キャツなど。これらの人称の使い方によって表現方法やイメージ、人格さえもが違ってくる。人は、それぞれに合った人称で使い分ける。コレが「妙」かもしれない。今日は、アルチュール・ランボー(Art
1/27〜28で、王将戦第三局が藤井王将が三連勝を飾り、王将位防衛に王手をかけました。※写真お借りしました藤井さん、今回も強かったですね。△7四歩の一手で菅井さんをしびれさせてしまいました。菅井さんも勝負手の▲5六角打ちで見せ場を作りましたが、奮闘及ばず藤井王将の牙城は揺るぎませんでしたね。藤井ファンとしては嬉しい限りなのですが、一方で、長年の振り飛車党としては、ちょっと複雑なところも…。ヴェルレーヌの詩「巷に雨の降るごとく」をお借りして、巷に雨の降るごとく我が振り飛車に涙降る。か
フディクの第1回の勉強で、作詞者の目線からいつの作品か、とかいろいろ見たことそういやなかったなー。いつも作曲家から見た目線だ。新鮮。5つのヴェネツィアの歌の3.Greenって、ヴェルレーヌが獄中で書いた詩なんだ…。なんだか好きな曲に変わりはないけど違う角度からの見方が加わるというかすげー見方変わる…。【追記】獄中で妻の別居請求が認められたのを知って、落胆してカトリックに帰依…。Greenの裏側知ると歌詞の内容の違う意味というか見方が見えてくる…。
ヴェルレーヌの泣きべそ顔wordodyssey2021太宰治の「服装に就いて」の中の一文。私は自分に零落を感じ、敗者を意識する時、必ずヴェルレーヌの泣きべその顔を思い出し、救われるのが常である。ヴェルレーヌなら「月の光」。ドビッシーは、言葉を音に翻訳した。泣き顔は、若くして逝ったエリザを失ったからか。「月の光」ヴェルレーヌある日本語訳ならば君の心の風景は独創的な絵のようだ魅惑の仮装行列が行進し縦笛を吹き踊る人が描かれているが仮面の下には悲しそうな表情がある短調の調べに乗
↑↑↑すっかり、世界のスタンダードナンバーになりました。「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」。え~~、ローマのパパ様が、同性愛のカップルを祝福すると明言なさいました!画期的なことでございます。おそらく、来年のアメリカ大統領選にも大きく影響することでしょうね。私、美術史の勉強の一環で、映画「薔薇の名前」にあるような写本の研究をしておりまして、カトリックが絶対的権力を握る中世の時代から、いろんな愛の形があって、それが処罰の原因になることが、今世紀まで続いて
駒ヶ根高原にいってきました。散り急ぐ枯葉晩秋ですね。この頃いつも脳裏の奥から甦る僕の大好きな詩秋の歌枯葉秋の日のヰ゛オロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな。『秋の歌』(あきのうた、フラン
↑↑↑この有名な詩は、ノルマンディー上陸作戦の時の暗号に使われたんですって。この動画を配信なさっている方が、わざわざご紹介なさっておられます。これで、フランスの皆様は、即、お分かりになったのかしら~~~。ドイツ的なものを押し付けられていたから、フランスらしい言葉が、その先の明るい何かを感じさせたのかも。↓↓↓おかげ様で、だいぶ体調も良くなって参りまして、まともなものが食べたくなりました。今、一番、食べたいのが、牛タンシチュー。ポテトマシューもつけて。ずっと手間の
秋、木々が紅葉をはじめるとだれでもこの詩を思い出すでしょう。秋の日のヰ゛オロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな。ヴェルレーヌ作・上田敏訳の『落葉』です。だれでも詩人になれそうです。さあ、声に出して、味わって!*俳句に「末枯(うらがれ)」という季語があります。意味は土肥あき子さんの鑑賞文にある通り。使い方が難し
秋は淋しい9月はジョリイ2世が他界した10月はジョリイ1世が他界した『落葉』ヴェルレーヌ秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し鐘のおとに胸ふたぎ色かえて涙ぐむ過ぎし日のおもひでやげにわれはうらぶれてここかしことび散らふ落葉かな春と同じで情緒不安定なのか気持ちが沈んでしまっている諳じてなおのことなのでこの詩をググってみたらなんだか私の理解の外にいってしまった原文で
春になると、聴きたくなるのがドビュッシーの歌曲集。ドビュッシーのどこか東洋的でアンニュイで軽やかな響きが、草木の色彩や香りがたちあがる蠱惑的な春という季節にシンクロするように思います。ドビュッシーの歌を通じて、私は詩人ヴェルレーヌやピエールルイス、マラルメの詩を知り、好きになりました。特にヴェルレーヌの「艶なる宴」は好きな詩のひとつ。宮廷風趣味的恋愛(ギャラントリー)を謳ったヴァトーの美術やバルビエの挿絵を想起させる詩です。艶なる宴の「ひそやかに」の歌詞を読むと、「山桃」や「ナイ
もうサンルームの日向ぼっこも独りになりました秋の日のヴォオロンのためいきの身にしみてヴェルレーヌの詩に酔ってパンダちゃんが身繕い胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日の思い出や今日は何の日?1927年10月6日世界初のトーキー映画叶えたい夢・叶った夢を教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
あの秋家の庭に植えたシュウメイギクが満開に咲き誇ってあなたが消えたというのに満開に咲き誇って秋の風にゆれていましたどーもハミでやすみなさまご機嫌よろしゅう秋に圧され戦慄の夏が去りあっしは秋の冷ややかな薄暮に慰められております🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁勢いのあるものが去るといささかセンチメンタルになるものでしてちょいとヴェルレエヌの詩集なんぞを開いてみたのでした
現在通っている書写教室で11月に作品展が開かれることになりました。まだまだ先ですが、構想を思いつくとすぐに取り掛かりたいせっかちな性質の私。秋ということで、アトリエ風舞のきままハウスパステルアート9月レッスンの題材【バイオリン】を用いることにしました。11月ではちょっと季節に遅れた感はありますが…↑この作品はB5サイズで文字を入れるスペースがないため、これをそのままのサイズでB4に描き、上部に文字入れのスペースを取りました。絵はこれで完成です。(B4サイズ)肝
アトリエ風舞のきままハウスパステルアート9月レッスンの題材です。【バイオリン】「秋」「バイオリン」とくれば思い出すのはこれでしょう。「落葉」ポール・ヴェルレーヌ(訳詩:上田敏)秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。げにわれはうらぶれてこゝかしこさだめなくとび散らう落葉かな。<現代語訳>秋の日に聞こえてくるバイオリンのため息のような音が身に
『太陽と月に背いて』(TotalEclipse1995)幻の映画になってしまいましたね。19世紀、フランスの天才詩人ランボーとヴェルレーヌの波乱に満ちた道行の物語。アルチュール・ランボーレオナルド・ディカプリオポール・ヴェルレーヌデヴィッド・シューリスTSUTAYAでは店によってはレンタルしています。公開当時はさほど話題になりませんでした。この時のディカプリオが最高に美しいということで口コミで少しずつ評判が高まったのですが廃
詩人のヴェルレーヌ、ランボオ、画家では、ゴッホ、ロートレックなどが霊験を求めて飲んだという“魔性の酒”アブサンが手に入ったので…さっそく試飲。とりあえず炭酸割で。。。アルコール度数は55度。もうちょっと高い60度超のもあったのだが、今回はお試しで。。。なるほど、ブランデーに苦よもぎ、その他のハーブを漬け込んだものを再蒸留して精製するだけあって、最初の苦味から爽やかなミントの香りに変化する飲み口は、癖になるのも頷ける。最近のものは、昔と違って惑溺性や脳神経を麻痺させたり…という
皆様、ごきげんよう(^-^)今日は[名古屋教室]の受講生・村上芳江さんの朗読で中島敦作「十年」をお聴き下さいませ。♬(*^・^)ノ⌒♬村上芳江さんは【日本朗読協会パートナースクール認定講師】の有資格者です。━☆♬(*^・^)ノ⌒♬☆━━中島敦作「十年」〈朗読村上芳江〉「純情小曲集」より「旅上」萩原朔太郎ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん。汽車が山道をゆくときみづいろの窓によ
🍂秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し(秋の詩/ポール・ヴェルレーヌ)🍂秋はフランス🇫🇷の詩人も私も寂しくて悲しいその淋しさが心なのか口なのか私にしかわからない…stand.fmhttps://stand.fm/episodes/6382fe80e03aeab11c00e1b1秋🍂は、ココロよりも《口》が寂しいんだろうか…❓️-ビンテージで生きよう❣️|stand.fm食べた後、口が寂しい問題💧stand.fm2
秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲しポール・ヴェルレーヌの『秋の歌』の一節です。ポール・ヴェルレーヌの『秋の歌』の一節です。上田敏の名訳による『落葉』という題名でよく知られている詩です。当山でも秋が深まり、見事な「紅葉」が見られます。また昨今の異常気象で夏には枯れがちな滝も、このところ十分な水量を誇っています。冒頭のヴェルレーヌの詩では、秋のそこはかとない寂しさが詠われていますが、秋はそうした寂しさだけでなく、多くの実りを運
お昼にYouTubeを更新しました。先週の皆既月食を観ていたらフォーレの歌曲が頭をよぎって。エレピで軽く弾いただけなので合わせたらとても現代的な感じになりました。原曲はピアノと歌だし、2分くらいある作品中展開する部分がごっそり抜けてるBGMだけど艶やかな宴が思い浮かびます。フランス歌曲の歌手といえばスゼー。私がYouTubeで弾いたソプラノ版のCmollよりキーが低いBmollですが、この雰囲気も怪しげで好きです。歌が入ると軽やかに演奏するのが詩の雰囲気が
ブログにご訪問頂きありがとうございます♪2003年色彩学校卒業所属パーソナルカラー講師。&「バランスがとれていることが綺麗のコツ」という信念で~色・肌・心~を1か所で身に付けられる総合綺麗レッスンをしています。ファッションコーディネート・メイク・スキンケア・カラーセラピー、それぞれプロとしてのアドバイスが好評です。「パーソナルカラーdeソウタシエ」創作販売も少しずつ♪世界中の本物とアートと文化とおもてなしの街「銀座」を愛する『輝装心クリエ
落葉訳詩:上田敏(1874-1916)訳詩集『海潮音』から秋の日のヰ゛オロンのためいきのひたぶるに身にしみてうら悲し。鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな。:::原詩はフランスの詩人PaulVerlaineの(ポール・ヴェルレーヌ1844-1896)Chansond'automne(秋の歌)堀口大学や金子光晴なども訳詩しているが上田敏の訳詩が