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BishnuSarangiによるPixabayからの画像※こちらの記事は、平成30年7月18日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの12回目で「ディーウ沖の海戦」についてです。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第二次国府台の合戦第7弾ワイアットの乱第8弾アルマダの海戦第9弾ラヴェンナの戦い第10弾チェリニョーラの戦い第
ヴェルディ/歌劇「二人のフォスカリ」指揮田中祐子演出伊香修吾フランチェスコ・フォスカリ押川浩士ヤコポ・フォスカリ海道弘昭ルクレツィア・コンタリーニ西本真子ヤコポ・ロレダーノ杉尾真吾合唱:藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団ジュゼッペ・ヴェルディ、全26作のオペラのうち6番目に書かれた「二人のフォスカリ」。日本で上演されるのは今回が2回目(プレトークで総監督の折江さんが言って
Relativity.Anthropology?medicine?Kineosis?kineology?mythology?Whatdoyouthinkevenifthewordiswrong?That'swhyMr.YoungHoKimisfine!Kinetics?humanmechanics?"Mechanics"macrobioticcategory.Thinkingforyourselfisfun,right?Mr
こんにちは。TOSHです。今回は「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ」についてまとめてみたいと思います。基本情報登録年:2017年登録基準:(ⅲ)(ⅳ)概要イタリア、クロアチア、モンテネグロの6つの防衛施設。イタリアのロンバード地域とアドリア海岸東部の間の1,000km以上に及びます。ヴェネツィアスタート・ダ・テッラは、共和国を北西部を他のヨーロッパの大国から守るために築かれた
検疫は英語でquarantin.イタリア語ではquarantena.イタリア語quarantina(40日間)のヴェネツィア方言が語源となってます。まだイタリア半島のそれぞれの都市が独立して都市国家の時代の14世紀にペストが流行りました。この疫病はヨーロッパとアジアの約30%の人々が感染しました。quarantena(originariamente,formavenetaperquarantina)[2]prendeoriginedall'isolamentodi
ブックマーク★レトロ系建物2【撮影は春】ヴェネチアングラス美術館の外観も素敵ですが建物の中も素晴らしいです。箱根ガラスの森に入園してすぐ美術館の中を見れると思ったらエントランスを抜けると庭園で出てしまいます。それから庭園の池を橋で渡り遠回りして漸くヴェネチアン・グラス美術館に入れる構造になっています。確かに敷地に入ってすぐ美術館に入れれば他に施設には行かずそのまま帰ってしまう人が大多数になると思います。自分はヴェネチアン・グラスにも興味がありましたが中世の建物の建築様式にも
ピサーニ宮第二弾ピサーニ宮からヴェネツィアよりにもう一軒のお屋敷バルバリーゴ宮現在修復中で、完成を楽しみに待っている私♥一般公開されるのかなぁ?イベント会場とかになるのかなぁ?それともウエディング用のレストラン?情報が足りません…って、周りに聞いてもいないんだけど…😆昨晩前を通って、屋敷の向かいにこんな塔があったことに気づきました!!!何年も住んでいて今頃?!まだまだこれからも知らない発見はありそうです♥早く完成しないかなぁ〜ワクワクします勿論、屋敷の敷地内にはチャペ
イタリアはまだ2020年1月8日です😁自宅から4km程の場所にあるこの宮殿は、国営の博物館になっています。宮殿の前を車で通る事もできますが、ブレンタ川のこちらの対岸からの眺めの方がいいです♥宮殿の庭には垣根で造られた迷路があり、難しいので結構楽しめます。こんな素敵な宮殿の近くに住めて幸せ♥
イギリスはいかにして強国となったかlivedoorビーカー人と呼ばれる人々で、彼らの渡来は前22~20世紀とも、前2600年ごろからとも言われています。...結局、5世紀前半にローマはブリタンニアから撤退。直接的なエロシーンはないのにめっちゃ発奮!『王家の紋章』は女の欲望玉手箱マンガ新聞ところでキャロルは「21世紀の人間なら誰でも知っていることよ」と言いながら、泥水を真水に変えたり鉄を精製したりするんだけど、未だに和久井はそのどちらの...イルディコー・エニェディ監督の
「今日は何の日(1月26日)」TRT日本語1699年1月26日に、オスマン帝国はオーストリア、ヴェネツィア共和国、ポーランド・リトアニア共和国と講和条約となるカルロヴィッツ条約を締結しました美しき童心と郷愁、日本の明治・大正童謡作品集の書籍が中国で発売ニコニコニュースまた、大正時代に創刊された童謡・童話雑誌「赤い鳥」を取り上げて「第1次世界大戦、関東大震災などの大きな事件が起き、世界の構図が目まぐるしく変化して.「火垂るの墓」のロケにも使われた校舎、住友ゴムの技術で課題解
此処は「イタリア」此処は「ヴェネツィア」それは水路↑↑↑中世には?「ヴェネツィア共和国」その首都として栄え。でも今でも栄えてる。水の都としてね。そんな中世の趣?現在も息づく水路。その流れは中世から。それは受け継いだ。そんな水路都市。まさに脈々と!受け継いだ水路です。世界は美しい@beautiful_imgsヴェネツィアの水路(イタリア)-中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市https://t.co/z2LtPA8mjt2018年01月16日
北イタリアドロミテ街道の西の基点となるボルツァーノの街をあとにして山々の間の谷を北イタリア最大のガルダ湖まで南下していきましたその途中私の移動するのと並行するように長〜くたなびく雲が一緒に飛んでましたまるでニュージーランド🇳🇿にいるみたい(旅の後半になって🇳🇿繋がりのまさかの再会があるとはこの時には思いもせず)ニュージーランドで必ず見る龍雲そんな風に感じながら眺めていました。午後に訪れたのはこの月曜日に晴れて世界遺産に登録されたばかりのベルガモの街ベルガモは
コトルの城壁にも、ヴェネツィアのシンボル、有翼の獅子さんはいらっしゃいます。海洋博物館に展示されていた古地図。現在は、ヴェネツィアから、スロヴェニアあたりのアドリア海北部を指し示す、ヴェネツィア湾(GolfodiVenezia)が、ここモンテネグロあたりまでも含んでいたみたい。地図左から、現在のクロアチアのドブロブニク、中央ヘルツィグ・ノヴィ、右奥コトルと当時の名前で記されていました。もう一つ時代を感じさせてくれた展示品がこちら。オスマン・ヴェネツィアン戦争の際に、
世界遺産に指定されているコトルのご紹介です。旧市街は、城塞化されており、いまも町の背後に迫る山も含めて城壁で囲まれています。耕作地などの土地はなく、急峻な山と海に囲まれているのが、貿易国家として栄えたヴェネツィアらしいなと訪れてみて改めて実感しました。コトル港サイドの城壁です。水は青く澄み渡っています。シュクルダ川サイドの城壁。同じコトル湾の水なのですが、なぜかこちらはエメラルドグリーンです。不思議。城壁の上は一部歩けるようになっているのですが、入り組んでいて、入り口を見つ
ヘルツェグ・ノヴィからコトルに戻り、やっぱり行ってみたいなということで、ブドヴァに。ハーバーにはヨットがたくさん泊まっています。奥に見えるのが旧市街。モンテネグロ屈指のリゾートタウンということで、かなり開発されています。小さな旧市街は新市街に圧迫されてしまっている印象を受けるのはちょっと残念。こちらバスの車窓からとったブドヴァのリゾートタウンエリア。ホテルが巨大すぎて威圧感ありすぎ、と思うのは私だけでしょうか?旧市街の城壁には、ヴェネツィア領であった頃の名残が。
コトル湾沿いには、ヴェネツィア共和国の領地であった都市が点在しています。今回はそのうちのいくつかを訪ねることができました。まずは、クロアチアとの国境に近いヘルツェグ・ノヴィに。要塞としてもともと造られた旧市街は現在でも城壁に囲まれています。かつての砦も残っています。旧市街から海岸線沿いのプロムナードに降りて散策。海が素晴らしく綺麗です。日本とは違う地中海の空の色、海の色、大好きなんです。イタリアが好きな理由の何割かはそれがあるかも。海沿いのカフェでおやつターイ
こんばんはヴェネツィア旅行記の続きですこの日は20℃で雲ひとつない快晴でした歩いてサンマルコ広場へと向かいます橋が沢山あって、細い路地が迷路のようで子供たちは我先にとずっとワクワク走っていました途中露天で記念にキーホルダーやマグネットをお買上げ細い路地を抜けたと思うと突然広場に面する教会が出現というのが何度もありました。ヴェネツィアには教会が沢山あるんですね。途中運河にてゴンドラに揺られる人に手を振り先へと進みますジェラート屋さんもあちこちで見かけました子どものエネルギー源
一昨日は「いつもの時間に予約」をミスって書いた途端に公開してしまったほど不調でした結局、昨日の復帰は無理でしたし、しばらくは断続的な更新になるかもですが(物事が振れ動く木の芽時、他にもゴタゴタありまして☆)ヤルヤル詐欺になりつつあるいくつかの記事と小説の続きは必ず書きます自分が「実は辛抱強く粘り強い」という観点が最近ようやく解放されました(笑)では、滞っていたおカネの話ですお金をわざわざ「阿堵物(あとぶつ)」と呼んだ王衍(おうえん)のように